第105話 何かが目覚めた
カチャリ、と金属が擦れ合う不快な音が響く。
欲に目が眩んだ傭兵どもが、一斉に武器を構えた。
そのぎらついた視線の先には、ブカブカの正規兵の鎧に身を包んだルナリアが立っている。
多勢に無勢。
普通なら絶望する場面だが、俺は冷めた目で見守っていた。
「あっ!」
突如、ルナリアが素っ頓狂な声を上げた。
そのあまりに場違いな叫びに、斬りかかろうとしていた傭兵がビクッと肩を震わせ、動きを止める。
「ちょっと待っててください!」
ルナリアはそう言い残すと、脱兎の如き勢いで踵を返し、どこかへ走り去ってしまった。
残された者たちは、ただ呆然とその背中を見送るしかない。
……おい、ルナリア。
敵を前にどこへ行くんだ……
「……なんだ? いったいどうしたんだ、あのガキは」
「まさか、怖気づいて逃げたんじゃねえだろうな……?」
傭兵たちの間に、嘲笑を交えた疑念の声が広がる。
だが、その余裕も長くは続かなかった。
タッタッタと、軽やかな足音が再び近づいてくる。
「お待たせしましたー!」
戦いの場に似つかわしくない元気な声を上げ、ルナリアが戻ってきた。
その小さな右手に握られていたのは、使い古された鈍い銀色のトンカチだ。
……厩舎にでも行っていたのか?
あれは馬の蹄鉄を打つための道具だろう。
ルナリアはすらりと、俺が貸し与えた聖剣クラウトソラスを抜いた。
聖剣が放つ光に、周囲の兵士も傭兵も「おお……」「なんだあの輝きは……」と、毒気を抜かれたように声を漏らす。
ルナリアは右手に泥臭いトンカチ、左手に聖剣。
なんとも歪で、それでいて不気味な装備だ。
「じゃ、いきますね!」
ルナリアの弾むような声が響いた瞬間、その姿が霧のようにかき消えた。
「なっ!? どこへ行った!?」
「消えたぞ!? どこだ!」
驚愕に目を見開き、周囲をキョロキョロと見渡す傭兵たち。
ここから、一方的な地獄が始まった。
ゴンッ!
重く鈍い音が響き渡る。
ルナリアが傭兵たちの中に潜り込み、一人の脛をトンカチで叩いたのだ。
「い、いてぇぇぇ!!」
脛を強打された男が、情けない悲鳴を上げて崩れ落ちる。
人間の脛というのは不思議なものだ。
強打されると、激痛と共に足の感覚を失い崩れ落ちる。
並の精神力では、立っていることすら叶わない。
ゴンッ!
「ぎゃああっ!」
ゴンッ!
「うッ、ぐうぅ……!」
ゴンッ!
「あ、足が……足がぁ!?」
次々と、屈強な男たちが芋虫のように地を這い、悶絶していく。
ルナリアの背が低い事もあり、傭兵たちの群れの中で高速に動くその姿を、目視するのが困難になっていた。
ルナリアが一人、また一人と『無力化』していく。
「そっちだ! そっちへ行ったぞ!」
「誰でもいい、あのガキを止めろ!」
「ぶち殺せ! 殺してやる!」
罵声を張り上げる傭兵どもだが、その声には確かな恐怖が混じり始めていた。
ルナリアは自分に向けられた剣を聖剣の腹で器用に受け流し、その隙に最小限の動作でトンカチを振るう。
一度叩かれて、のたうち回っていた男が執念で立ち上がろうとすれば、すぐさま接近して再び同じ場所をゴンと叩く。
それを見ていたザオツリの正規兵たちが、「ひ、ひでえ……悪魔かよ……」と顔を引きつらせていたが、俺は聞こえなかったことにした。
中には金属の脛当てを装備している賢明な奴もいたが、無駄な足掻きだ。
ルナリアは聖剣の一閃で脛当てを固定する紐を切り裂き、装甲を弾き飛ばすと無慈悲にトンカチを振り下ろす。
脛のみを狙い撃つ、徹底した嫌がらせと執着心。
……いったい、誰に似たんだ?
やがて。
全ての傭兵が膝を折り、涙を流して悶絶していた。
激痛で足が麻痺し、逃げることさえままならない。
片足を引きずり、必死に這って逃げようとする男のもう片方の足を、ルナリアが笑顔で「めっ!」と叩く。
その光景に、傭兵たちは完全に戦意を喪失し、ガタガタと震えながら身を縮めていた。
「ルナリア、もういいだろう。その辺にしておけ」
「はい! 分かりました!」
声をかけると、ルナリアは瞬時に俺の隣へと戻ってきた。
……さて、そろそろ仕上げの時間だ。
俺が、ザオツリの鎧をわざわざ着ている意味。
そしてルナリアを一人で戦わせた意味。
すべては、この瞬間のためにある。
俺は絶望に染まった傭兵たちの前に、ゆっくりと歩み出た。
「おい、負け犬ども。よく聞け。俺はこれでも、ザオツリの兵士の中では最も弱い部類に入る」
俺はあえて退屈そうに鼻で笑い、冷徹な視線を突き刺した。
「そして貴様らを一人で壊滅させたのは、ただの『見習い兵士』だ。後ろに控えている正規兵は、俺たちとは比べ物にならんほど強く……そして一切の慈悲を持ち合わせていない。正規兵の相手をしてほしいか?」
そう言うと、傭兵たちの表情が一瞬で変わった。
「ひ、ひいいいっ!!」
「た、助けてくれぇぇ!」
傭兵たちは、商売道具である武器を放り出し、四つん這いになって出口に逃げていく。
激痛に耐えながら這いつくばるその姿は、赤ん坊のハイハイ競争か、あるいは家畜の群れだ。
これでいい。
恐怖を骨の髄まで刻み込まれたこいつらは、二度とザオツリを襲おうなどとは考えないだろう。
それに、見習い兵士の少女一人に全滅させられたなどという恥辱は、誰にも話せまい。
奴らは強さを売る傭兵だ。
自尊心を粉々に砕かれたまま、ザオツリという『未知の強国』を一生恐れていればいい。
それからはザオツリの正規兵たちが動いた。
傭兵どもが街から追い出されるのを見届け、街の重厚な門を固く閉ざす。
これで、ひとまずの危機は去ったと言っていいだろう。
一息ついていると、ルナリアが俺の前にトテトテとやって来た。
「あの、レヴォス様……? 私、すごく頑張りましたよね?」
ルナリアは期待に満ちた目で俺を見上げ、ずいと頭を突き出してきた。
顔を赤らめ、そわそわと身体を揺らしている。
……撫でろ、という事か。
やれやれ。
グシグシと、ルナリアの柔らかな髪を撫で回してやった。
「あらあら、まあ! 本当に仲が良いのね……!」
後ろでアリアが、呑気な声を上げている。
戦いの場をピクニックか何かと勘違いしているのではないか、この人は。
「……ルナリア、腕を上げたな」
「えへへ……ありがとうございます! 精一杯、頑張りました! ……でも、何と言いますか、ちょっとだけ……」
ルナリアがふと、何かに悩むような、寂しげな表情を浮かべた。
もしや、傭兵たちを痛めつけたことに罪悪感でも覚えたのか?
甘い考えだ。
だがもしそうなら、少しフォローが必要だが――
「……私、もうちょっとだけ、叩き続けたいなって思っちゃいました……!」
そう言って、ルナリアは手の中のトンカチをぎゅっと愛おしそうに握りしめた。
その瞳は濁った愉悦の光を湛え、口元はだらしなく緩んで、うっすらとよだれまで垂れている。
どうやら、ルナリアの中に眠っていた『何か』を目覚めさせてしまったのかもしれない……




