逃げた子犬
短めです
『黄金色の髪は下ろすとゆるく癖があり、ふわふわと波打つように広がっていた。触ったらさぞ柔らかいことだろう』
『子供に微笑む姿は聖母のような慈愛に溢れ、友人と笑い語り合う姿は野の花のように清廉である』
エメリックはため息をつきながらペンを置く。我ながら、そうじゃないだろう、と思う。分かってはいるのだが、思うようにならないのはなぜなのか。
黄金色の尾は、あの日抱きとめた子犬に似ていたように思う。けれど、走り去る後ろ姿だけでは確証もない。せめてもう少し早く気付いていれば、珍しい深い青の瞳が見えたかもしれないのに。
あの後通りから出てきたセシーと呼ばれるメイドは、子供の落とし物を探して来てやったようだった。若く綺麗な娘が、ひとりであんな人通りの少ない裏通りに入るなんて。俺に頼んでくれれば良かったのに──もちろんそれは、街の警邏の仕事として、当然のことであるからであって、別に特別な思いだとか、そういうものは全くないのであるけれども。
もしかしたら、あの娘は……あの、子犬は。頭によぎる可能性と、いやでもまさか、という思いが交錯する。冷静になろうと書き始めたメモ書きは、いつのまにかゴールを見失っていた。
「なんだ。恋文か?」
「──っ! ユルヴァン、黙って後ろに立つな!」
「いや、お前が怖ぁーい顔して書き物してて気付かなかっただけだろうが。その慌てよう、本当に恋文だったのか、どれ、添削し──いや、うそうそうそ、中身は読んでないから! ホント、ホントに!!」
手元で握ったメモ書きが、ピシ、ピシと音を立てて凍っていく。少し力を加えれば、紙がぐしゃ、と音を立てて粉々に崩れ落ちた。部屋の空気は氷点下だ。
「悪かったって! もうお前の後ろには立たないから!」
「──はぁ、俺も制御できなかった。すまない」
「相変わらずリックの魔法はとんでもないな……で、セシーちゃんか?」
「いや…………少し気になることがあっただけだ。これから少し見回りを増やす。事務処理の方を頼む」
「えぇー、うーん……分かった。そのかわり! セシーちゃんと仲良くなったら、俺にサラちゃんを紹介してくれ!!」
「サラとは、誰だ」
「知らないのか? いつもセシーちゃんと一緒にいる仲のいいメイドの子だよ。めちゃめちゃ美人で競争率が高いんだ……使用人の男たちが勝手に徒党を組んで、騎士団の男たちはなかなか近寄れないんだよ。狡いだろう? 俺だってアプローチのチャンスさえあれば、きっと仲良くなれると思うんだ」
「ふぅん……まあ、機会があれば」
「よし。じゃあまずはリックがセシーちゃんをしっかり捕まえないとだな! さっさと行ってこいよ!」
追い出すように執務室から追い出された。捕まえるとはなんだ、逃げた子犬ではあるまいし──そもそも、セシーがあんなにも可愛らしいのだ。思い返せば彼女が良く一緒にいるメイドがいた気もするが、顔など全く記憶にない。あの時の指導役のような悪意を持っておらず、お互い信頼しあっている雰囲気があったのは確認したのだが。
まぁ、ユルヴァンにセシーを紹介しろなどと言われてもそんな気は全くしないのだし、あいつが別の女に目をつけたというなら望むところだろう。何を考えているか分からないだの、氷だ、冷血漢だのと言われる俺と比べて、ユルヴァンはあの軽薄な雰囲気が女子供に好まれやすいのだから。セシーも、もしかして、あいつのような……そこまで考えて、側を通りかかった新人が顔を青くして震えているのに気が付いた。
「だ、団長……何か事件が……?」
「いや、何もないが、何故だ」
「魔力が……溢れておりますが……」
「あ、ああ、すまなかった、問題ない。これから稽古を付けよう」
「ふぁっ……! はいっ……!」
その日のエメリックの訓練は、何か見えない敵をバッサバッサと叩き切るかのような、怒涛の勢いであったという。




