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秘密の多い獣人令嬢は氷の騎士の心を溶かす  作者: 伊織ライ
一章 メイド編

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青白い炎

 なんとか逃げ出そうとじたばたしてみたものの、よしよし大丈夫でちゅよー! と背中を撫でられ、ついついその撫でテクに陥落してしまった。

 強すぎず、弱すぎず、絶妙な力加減。そして何より漂う甘い香りが、安心するようなソワソワするようななんとも言えない気持ちにさせるのだ。


 油断しているうちに騎士団寮まで連れてこられてしまったらしい。その美しいご尊顔はいつの間にか表情を消し、再び氷の騎士様といった様相であるが、ちらりと胸元のセシリアを覗いては『ふっ……』と目を細めている。これはおそらく微笑んでいるのだろう……分かりにくいが。ご機嫌な男が迷いなく進んでいく様子からして、向かうは彼の部屋らしい。

 色々考えなければいけない問題はあるが、今はとにかくここから逃げ出す事だ。

 幸いにも、私がセシーと呼ばれるメイドである事も、それどころか人間であることも、バレている様子はなさそうだ。今逃げてしまえば、迷子の子犬が飼い主の元へ戻ったのだと思ってもらえるだろう。

 

(それにしても……まさか氷の騎士様に助けてもらうなんて。なんだかちょっと、噂で聞いていたのとは様子が違う気もするけれど)


 そっとエメリックの顔を見上げてみる。メイド仲間の中でも彼は特別人気で、よく噂をされているから、世情に疎いセシリアでも彼の話は聞いたことがある。

 曰く、女嫌いでどんな美女にも傅かないとか。勇気を出して告白した女たちが、後日氷漬けになって見つかったとか。

 今ここでセシリアが人型に戻ってしまえば、きっと氷漬けにされてしまうに違いない。怖すぎる……。もちろん氷の騎士様とどうにかなりたいなどという、特別な感情は持っていないけれど。

 行儀見習いで王城に上がった令嬢達の中には、あわよくば()()()()とお近付きになりたいという思惑を持って来ている者も少なくない。優秀な文官や騎士達は、その中でも特に人気があるらしい。けれどセシリアの目的はあくまでも、お金。何か問題を起こして、王城での仕事を失うわけにはいかないのだ。せめて、お父様の治療費だけでも手に入れるまでは。


 部屋に入ると、エメリックは懐に入れていたセシリアをそっと出して床に下ろしてくれた。逞しい体躯は体温が高いのだろうか、離されてみると少し肌寒く感じる。

 捕まってしまったのは失敗だったが、優しい人に拾われたのは不幸中の幸いだったかもしれない。考えてみれば王城の中の迷い犬など、問答無用で叩き切られても文句は言えなかったのだ。


(犬が好きなのかしらね)


 機会があればなにかお礼でもしよう──もちろんセシリアだとバレない形で──と心に決めて、逃げる算段を模索する。


「よしよし、君はまだおチビちゃんだからな、ミルクがいいか? 柔らかいものなら食べられるか? 何か貰って来てやるからな、あとは……ふわふわの毛布も用意しよう。良い子でお留守番、できるか?」


 部屋に入った途端セシリアの顔を真近に覗き込み、顎の下をこりこりとくすぐられると、その気持ちよさと共に……その距離感にたじろぐ。なんといっても、このご尊顔は美しすぎるのだ。ざっくりとまとめられた髪でさえ、はらりと溢れるひと房がきらきらと光を讃え。きめ細やかな肌、完璧な角度の眉。薄い水色の瞳に、影が落ちるほど長い睫毛。瞬きをするたびに揺れるそれと、言葉を発するたびに動く唇。

 視線が吸い寄せられて──そのことに気付いた瞬間、ぼぼぼ! と頬が熱くなる。

 もちろん今は子犬の姿だから、赤くなっても、バレることはないだろうけれど。


 

 しかしずっとここでこんなことをしている訳にはいかないのだ。頭をぷるっと振って思考を切り替えたら、ちょん、とお座りポーズを取る。なるべくキリリとした顔をして「ワン!」とひと吠えした。


「良い返事だな……良い子だ。じゃあ待ってろよ、すぐ持って来てやるからな」


 今城下町で流行っているという、ドライフルーツたっぷりのケーキに甘いシロップをヒタヒタに染み込ませて、クリームを添えたスイーツ──先日開かれたお茶会で、高位貴族のご令嬢が『甘すぎるわ』と手をつけなかったものを、片付ける時にこっそり頂戴した──よりも甘い声でそう言い残し、エメリックは部屋を出ていく。

 部屋にひとり残されたセシリアは今がチャンスと急いで人型に戻り、鍵を開けてそうっと首を覗かせた。氷の騎士様の部屋からメイドが出て来たなんて知られれば、大変なことになってしまう。誰にも見つからないように、こそこそと周りを見渡しながら、それはもう大急ぎで──逃げた。



 その日の仕事は散々だった。気がつくと頭の中ではエメリックに抱き止められた時のことや、優しく撫でてくれた手、その甘い匂い、愛おしむように細められた瞳の色を思い出してしまう。


(あの瞳は、氷じゃないのだわ。温度が高すぎて青白く見える、炎のように揺れていたもの)


 彼は噂されるような冷たい人ではないのかもしれない。そうでなければ、迷い犬をあんなに優しく保護してくれる理由もないのだから。




「──セシー! あなたまたぼーっとして、その顔、その態度……ああもう! 気に入らない!」


 声を荒らげ、額に血管を浮かべたマリアナ先輩が不意に手を横薙ぎに振った。ぱしん、と左の頬に衝撃が走る。打たれたのだ。ジンジンと血が集まるように熱く、呆然としていれば肩の辺りをドンと押されて尻餅をついてしまった。

 ぼーっとしていたのは事実だ、そうでなければこんな手のひとつ避けられないはずがないのだし。確かにあの日から、頬が勝手に赤くなったり、胸がぎゅうっと痛んだり……自分の身体が自分でなくなってしまったような、ふわふわした感覚が抜けずにいる。

 


「マリアナ先輩、申し訳ありま──」


「暴力はいただけないな」


「──っ! エ、エメリック様?! なぜこんなところに!?」


 冷たい床にへたり込む私と、顔をすっかり青くして慌てるマリアナ先輩。なんだか一気に気温が下がったような気がする。今日は雨の予報だったかしら、などと思考を飛ばしていたら、エメリックがすたすたと私の前まで歩み寄ってくる。


「君──大丈夫か。 ああ、腫れているな……治癒魔法はあまり得意ではないのだが」


 そう言うと同時に、剣だこのある長い指がそっと頬に触れる。その手はひやりと冷たいのに、包み込まれるように流された魔力はなんだか温かい気がした。


「あ、ありがとうございます……過分なお心遣いを……」


 打たれた頬はすっかり治していただいたはずなのに、余計に頬が熱くなってしまった。今度は左右両方だ。つい今し方まで思い浮かべていたその人はやっぱり恐ろしい程の美貌で、居た堪れず顔を隠すように俯ける。

 

(……あら? この臭い)


「……失礼ですがクレリソ卿、どこかお怪我を?」


 顔をあまり向けないようにしつつ、目線だけで問うてみる。


「──今し方魔獣討伐から帰ったところだが……特に怪我はない。何故そのように思った」


「それは、お疲れ様でございました。少々血の臭いが致しましたもので……クレリソ卿のお怪我でないなら良かったです」


 お世話になった人が怪我をするのは寝覚が悪いし、怪我がないなら何よりだ。父の怪我で絶賛苦労中のセリシアだから、より身に染みるというものである。

 気付かれない程度にもう1度、スンと鼻を鳴らしてみると、なるほど確かに人の血の臭いとは様子が違った。薄らではあるが野生味溢れる血の臭いに、緑の匂いと、土の香り。ああ、これはグレートボアね。突進する力は強いけれど、コツさえ掴めば倒すのはそう難しくない魔獣だ。それに、お肉はとびきり美味しい。アリベール領には大きな森があるため、グレートボアも時々現れる魔獣だ。討伐されるとその肉は隣近所に振る舞われ、郷土料理であるワイン煮込みなどにされる。ほろほろになるまで煮込まれたそれは、セシリアの大好物であった。

 懐かしさを感じながら、ふにゃりと笑って顔を上げてみると──床に座ったままのセシリアに手を差し伸べた体勢のエメリックが、何故かかちんと固まっていた。


(あら、私も氷の魔法が使えるように──いや、なってないわね)


「セシー、あ、あな、あなた、エメリック様に失礼よ! ち、血の臭いなんて少しもしないじゃない! それに、さっさと立ちなさいよ! いつまでそんな所に座っているつもり?!」


 エメリックに差し伸べられたままの手を押し退けるようにして、マリアナ先輩に手首をぎゅっと握られ引き起こされる。指が冷たく、震えている。押し倒したのは貴女でしょうに……。耳元の大声が頭に響き、引かれた肩が抜けそうになった。マリアナ先輩は案外力が強い。


「──先ほどから気になっていたのだが、誰が私の名前を呼ぶ許可を出した?」


「あ……あ……申し訳、ございません……ク、クレリソ卿……」


「まあ、家名であっても今後呼ぶ機会などそうないだろうが」


 もはやマリアナ先輩の顔色は青を通り越して真っ白だ。ガクガクと顔を縦に振って肯定を示す。声も出ない様だ。当然の指摘だし、そんなに怖い言い方ではなかったと思うのだけれど。


「クレリソ卿、大変失礼を申しました。また、治癒魔法もありがとうございました」


 セシリアはさらりと優雅なカーテシーをして、マリアナ先輩に引っ張られるままにその場を去る。今日も先輩の機嫌は最悪だけれど、エメリックとの予期せぬ遭遇があったから……少しは機嫌良く過ごしてくれるといいのだけれど。美男子は、心の癒しよね。


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