安心できる場所
エメリックとユルヴァンは、セシーと別れてすぐさまキャンデロン領へと馬を走らせた。逃げ出した領主は、きっと一度は勝手知ったる領地へ戻るだろう。しかし王都から3時間、到着した領主の館に男はいなかった。流石に少しは頭があったのだろうか──もしくは馬に乗れないとすると、馬車で向かっているかもしれない。どこかですれ違いになったか、まだしばらく後ろを走っているのか。2人は手分けをしつつ、領の周辺を捜索する。他の隊員たちも順次集まって来ているはずだ。捜索網は徐々に、そして確実に縮まっている。
連日簡易的な野営で僅かばかりの睡眠を取り、夜が明ける前から捜索を再開する。今日は領主館のある中心地から離れて、以前魔獣の盗伐依頼のあった森の方を捜索する予定だ。あそこはエメリックが払って燃やしてしまったから、ただの荒野になっているはずだが。
近付くにつれ、ひとつの気配に気付く。エメリックほどではないにしろ、かなり強い魔力を持つ人間だ。しかもその魔力を制御できていないのか、ダラダラと漏れ出しているようなのだ。そのおかげで、姿が見えないほど遠くにいるにもかかわらず、魔力の強いエメリックには感知することが出来るのだ。
「ユルヴァン。どうやら王家の人間がいるようだぞ」
「は? なんでこんなところに王族がいるんだよ」
「──知らん。だが、この魔力の強さは王族くらいだろう。……マクシミリアンなら、こんな風に魔力を漏らすことはないだろうな。あいつは制御が上手いから」
「となると……アレクサンドリーヌ様、か?」
「だろうな。あの女は碌な訓練もしていない。母親は市井から娶った愛妾だったか? そういやくだらない呼び出しを受けた時にもこうしてダラダラ魔力を漏れ出させていたな」
「リックは相変わらず王女様が嫌いだな。王都でその言い方したら、不敬罪で捕まるぞ」
「当たり前だ。鼻が曲がるほど香水臭いし、剥がしても剥がしても粘りついてきて気色が悪い。しまいには『貴方は美しいから、私のコレクションに入れて差し上げてもいいわ?』だぞ。危うく切り捨てるところだった」
「ああ……それは──よく切らずにいてくれたな。女の子ならみんな愛せると思っていたが、俺もアレクサンドリーヌ様は……ちょっと遠慮しときたいなぁ」
話しながら、王女の気配がする方へ進む。すると次の瞬間、ぶわっと澱んだ魔力の塊が放出されるのを感じた。生理的に毛穴が開き、額から汗が流れる。これは、普通の魔獣の発生ではないと、脳が警鐘を鳴らす。
魔法が苦手なユルヴァンでさえ、その猫のような眼を細め、さっと剣に手を添えている。この異変を感じ取ったのだろう。
「急ぐぞ」
「わかった」
◇
ギリギリまで魔獣を引き付けたら、その腕を伝って這い登り、熊の頭の上からぴょんっと後ろへ飛ぶ。この大きな熊型の魔獣は、どうやら視野がそれほど広くないらしい。素早く動き回るセシリアの動きに目が着いて来ていない。その太い腕で薙ぎ払われたら……もしくは鋭い爪で引き裂かれたら、ひとたまりもないだろう。勝機があるとしたら、相手が疲れるまで時間を稼いで隙をつくしかない。
「──っ、ハッ、ハッ……」
体力が削られていく。視界の端に見える領主の男は、逃げ出す準備をしているようだ。ただおそらく、セシリアを売り払ったお金を逃亡資金にするつもりだったのだろう。姫様からお金を貰うまでは、大した動きは出来ないに違いない。
目を怒らせた魔獣がセシリアへ向かって突進して来る。助走を付けて、タイミングよく飛び越える。背中に手足をついて、身体を一回転させると落下の衝撃を全身で逃がした。
小屋から出てきたサラが、マリアナと姫様に何かを必死で伝えている。セシリアの方を指さして、今にもサラまでこちらへ駆けて来てしまいそう。
(──サラ、っ、早く……逃げ、て)
ひゅんっと目の前を黒い影が通る。黄金色の毛がぱさっと舞い、頬に鋭い痛みを感じる。
「──ギャンっ!」
ぬるりとしたものが流れていく。血の匂いを嗅いだ魔獣は、より一層目を爛々と光らせて地面を蹴ると、涎を垂らして飛び掛かってきた。
これを避けたら、その次は? 弄ぶように続けられる追い掛けっこが、セシリアの精神を削る。もう──駄目かもしれない。
そう、頭によぎった瞬間。
「──風よ!」
風が吹き、セシリアの身体が宙を舞う。体勢を整えられないまま、木の葉が舞い落ちるようにひらひらと飛ばされたセシリアは──すっぽりと暖かなぬくもりに包まれた。
優しくて、甘い花のような香り。見上げれば、薄水色の瞳が優しく見下ろしていた。ここにいれば……セシリアはいつだって安心できる。ほぅ、と息を吐けば、エメリックは優しく背中をひと撫でしてくれた。
ボロボロになったセシリアの身体と血のついた頬を見てその目は冷たく光ったが、隊服の胸のボタンをいくつか開き、そっと中に入れた。
「しっかり捕まっておけよ」
「──リック! 次のが出てきそうだ! さっさと片付けて浄化するぞ!」
その声を合図に、エメリックは再び走り出した。馬に跨ったまま、巧みな剣術で魔獣を切り伏せていくユルヴァンと、その合間に的確な魔法を放ち、致命傷を与えていくエメリック。朝の訓練や以前共に行った討伐の時よりも、更に技に磨きがかかったように見える。ふと見れば、エメリックの左手首には、セシリアが祝福の刺繍を入れたハンカチが巻かれていた。目線に気付いたのだろうか──エメリックはふいに左手を持ち上げると、流れるような仕草でそのハンカチにそっとキスをした。
澱んだ魔力の塊からは、新たにどんどん魔獣が湧き出てきている。近くにはサラや姫様もいて、一気に残滅することが出来ないようだ。
流石に2人では……そう思ったとき。
スパンっと魔獣に矢が刺さる。
「団長! お待たせしましたっ!」
「加勢します」
「──姉さんっ」
駆け付けたのは、第三騎士団のルーとイボン。そして、ベノーだ。瞬く間に魔獣を切り伏せ、その数を減らしていく。ベノーは領主の男を拘束し、サラとマリアナ、姫様も保護している。
「よし、リック、頼む!」
「浄化せよ!」
エメリックが腕を振ると、澱んだ魔力が霧散し、キラキラと光の粒が舞った。
くたりと力が抜けたセシリアを、エメリックはそっと胸元から取り出し抱き上げる。なんの意識もせぬまま、セシリアは自然と人の形に戻っていた。
馬の上で、しばらくの間黙って抱き合っていたセシリアとエメリックは──少し身体を離すと、エメリックは痛みを堪えるような顔をしながら、そっとセシリアの頬に触れた。優しい魔力の気配がする。清廉で、暖かくて。
「──治癒魔法は、あまり得意ではないのだが」
そう言って小さく笑うと、
「だが、セシーの顔に傷など、絶対に残さない」
痛みの消えた頬に、そっと口づけた。
「──ん、んんっ!」
惚けていたセシリアは、咳払いの音ではっと我に返る。そう、ここには他の人たちもいたのだった! 顔を真っ赤にしたセシリアは慌てて馬から降ろしてもらい、サラの元へと駆け付ける。その後ろ姿を、エメリックが優しく見つめていた。
「サラっ、大丈夫だった?! 怪我はない?!」
「セシーっ!! それは私の台詞よ──っ!! 良かった……本当に……っ、ありがとう……!」
サラはそう言うと腰が抜けて、くらりと倒れそうになってしまった。けれど、そのまま後ろにいたユルヴァンの腕の中にぽすんと収まると、2人ははっと見つめあって──顔を真っ赤にしたサラと目をキラキラさせたユルヴァンは、先ほどのセシリア達の比ではないくらい、2人の世界に入ってしまっている。「剣の腕、素晴らしかったです……」「君を守るために、僕は生まれてきたのかな」などと。
「サラ……理想の王子様、見付かって良かったね?」
「セシー──っ!」
一見クールビューティーなサラが羞恥に顔を赤らめるその姿は、とても可愛い。




