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秘密の多い獣人令嬢は氷の騎士の心を溶かす  作者: 伊織ライ
二章 騎士団編

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誘拐

「くそ……なぜいつも邪魔をする? 犬の一族が……」


 ざ、ざ、と足を引き摺りながらひとりの男が歩いていく。ひょろりとした身体はふらふらと力なく、青白い顔に落ちくぼんだ眼。仕立ての良かったであろう服は埃にまみれ、枯れ木のような手首には赤く爛れた痕が見える。


「──今に見ていろ」


にやりと笑った男の後ろで、ゆらりと暗い陰が蠢いた。



「──団長!! 至急!!」


「どうした、会議中だぞ──いや、いい。そのまま報告を」


 息を切らして飛び込んできた団員に、ただ事ではない気配を察する。ユルヴァンが水を一杯飲ませてやると、少し落ち着いたのか汗を拭いながら口を開いた。


「先日捕らえたキャンデロン領主が、牢で魔獣の毒を撒き脱走しました!」


「──なに?」


「ずっと黙秘してたおっさんだよね? なんだって魔獣の毒なんて……」


「眼鏡の蔓の部分に偽装して仕込まれていたらしいのです。聴取の際の部屋移動中に突然暴れだし、毒を撒いて脱走。様子を見に来た他の者が慌てて後を追いましたが未だ確保できておりません」


「分かった。急ぎ応援を出そう。あいつは魔獣を意図的に操っている疑惑がある、野放しにすると危険だ。かならず捕らえるぞ!」


「は!」


 会議は中断され、エメリックとユルヴァンは体制を整えるため、一度執務室へと戻ることにした。


「それにしてもキャンデロンって……なんか聞いたことあると思ってたんだ。あれじゃないか? 20年前くらいの──」


「──研究所、か」


「そうそう。獣人を密かに捉えて、非人道的な扱いで研究に使ってたってやつ。ウーグ団長が話してくれたことがあったよな。……確かその時、どこぞの貴族の私兵が協力して施設を──」


「──獣人、研究所……」


 歩きながら話をしていると、そこはあっという間に執務室の前だ。がちゃりと扉を開けば、いつものようにセシーが籠の中で丸くなっている。

 予定より随分早く戻ったエメリック達を見て、目を丸くしながらも足元に駆け寄って、尻尾をわっさわっさと振っている。うん、可愛い。


「セシー、ただいま。俺たちはこれから急ぎキャンデロン領まで行かねばならなくなった。捕らえていた領主が逃げ出したんだ。正直何日かかるか分からない……騎士団寮もバタバタするかもしれない。それで、だ。まだ人化出来る様子はないだろう? そんな状態のセシーをここに置いて行くのは不安なんだ。だから、君を安心できる所に預けて行きたいと思う。メイドをしている時の同僚が親しかったよな? 出来ればその彼女のところに身を寄せていてほしい。言い訳はこのユルヴァンが適当にでっちあげるだろうから心配はいらない。こいつはそういうのだけが得意だからな」


「だけってなんだよぉ! でも、とうとうサラちゃんに会えるってことか……興奮して来た。よし、任せといてー!」


 こうしてセシーは使用人寮の元同僚の元に預け、エメリックとユルヴァンはキャンデロン領へ向かうことになった。

 ちなみにユルヴァンは馬を駆けながら、時折ニヤニヤと笑っていた。整った顔が見る影もない。女達はこの顔を知っているのだろうか?



「リアちゃーん、オヤツ食べる? わっ、おすわりも上手! かわいいねぇ、かわいい……きゃ、お腹も見せてくれるのっ? あぁーん、ふわふわ!」


 エメリックの留守中サラに預けられたセシリアは、数ヶ月前まで暮らしていた懐かしい部屋に戻って来ている。久しぶりに会うサラは相変わらずの美人で、セシリアを連れて来てくれたユルヴァンもデレデレになっていた。いつもは猫のように釣り気味の目が細められ、薄く開いた唇から漏れるため息は熱く。毎日見ていたセシリアだから、「ユルヴァンさん興奮してるのね……」と分かったものの、初見ではただ色気の大洪水にしか見えなかったことだろう。その実お調子者の女好きだけれど、ユルヴァンは見た目だけなら王子様のように甘く整った好青年なのだ。実際、相対したサラまで頬を染めて、しどろもどろになってしまっていたのだから。

 ちなみにセシリアは、リアという名前の騎士団の()()()()()という触書きだ。アイドルと言われたからにはその勤めを果たそうと、こうしてサラに愛想を振っているというわけ。


「リアちゃん、じゃあそろそろお散歩行こっか?」


「ワン!」


 サラとセシリアは庭園の解放区を歩く。相変わらず、よく手入れされた花々が目に楽しい。小さな身体で大迫力の花を眺めつつ、大好きなサラと久しぶりに歩けるのが嬉しくて、尻尾が無意識に揺れてしまう。

 ただ、エメリックと久しぶりに離れたせいなのか、おそらく人型にはそろそろ戻れるような感覚がある。しかし犬として預けられた以上、エメリックが帰ってくるまではこのままで過ごすことにした。サラが撫でてくれる手は優しくて気持ちが良いし、どうやら彼女はとても犬が好きだったらしいのだ。それならばセシリアにも異論はない。この生活を思う存分楽しむのみ、である。


 そう、思っていたのだが──

 サラに預けられて数日、なんだかどんどん彼女の顔色が悪くなっていく。仕事内容はこれまでと変わりはないようだし、体調が悪いというわけでもなさそうだ。なのに、朝は始業ギリギリに駆け出すようにして出勤し、帰りは額に汗を浮かべ、息を切らして帰ってくる。習慣になった庭園の散歩も、何やら周りをきょろきょろと見渡しながら、隠れるようにして歩こうとする。話を聞きたくても犬の姿では出来ないし、力になれないことが歯痒かった。

 2人で過ごす部屋の中で、サラの膝に乗りながらペロリと手の甲を舐める。少しでも、心配している気持ちが伝わりますように、と。


「──なんだか、怖いのよ」


 サラはセシリアに語るというよりは、独り言を溢すようにぽつりと言った。


「毎日どこかから誰かに見られている気がする……それも、いい感情ではない」


 サラは美人でもてるから、いつだって人気だった。仲良くなりたい男の人たちにしょっちゅう声をかけられていたし、明るく性格も良いから女友達も多い。誰かに見られる、というのはそんなにおかしいことではないけれど……悪意を持って見られているとなると、心配だ。

 小さく手を震わせるサラに心が痛む。少しカサついて、形の良い爪のよく手入れされたサラの手に、すり、と身体を寄せる。


 彼女をこんなに怖がらせている原因が──まさか、セシリア自身のせいだったなんて。

 その時にはまだ知らなかったのだ。



「リアちゃん、じゃあ……行ってくるね。良い子で待ってるのよ」


 隈の浮いた顔で、サラが言う。パタリと静かに扉が閉まると、セシリアは気合を入れて人化した。


(……やった! 久しぶりに戻れた!)


 ガチャリと鍵を開け、廊下を見渡す。始業ギリギリとあって人影はない。隙間から滑り出ると同時に、再度獣化した。

 元気のないサラを放ってはおけない。セシリアはサラを悩ませる原因を探ることにしたのだ。斥候には犬の姿の方が適している。急足で廊下を駆け出した。


──ざ、ざ


 前を歩くサラは早足で、きょろきょろと周りを気にしている。握りしめた掌は白く、顔は青い。


──ざ、ざ


 確かにこの視線は、ねっとりと絡みつくようで不快なものだ。腹を空かせた魔獣の荒い息のような、ぬるく、生臭いもの。


──ざ、ざ、ざ


 何かを引き摺るような音が、どんどんと近付いて来る。耳の良いセシリアには聞こえるが、サラにはまだ聞こえていないのだろうか。


──ざ、ざ、ざ、ざざざ


 はっ、とサラが目を見開き後ろを振り返る。セシリアも勢いを付けて跳躍し、サラの元へと駆け出した。脚が思うように動かない──まだ、落ちた筋肉が戻っていないのだ!


(間に合って! 間に合って、サラ!)


 目前に迫ったサラの胸に飛び込むようにジャンプした瞬間、横の茂みから迫ってきていた浮浪者のような姿をした男に何かを投げ付けられた。サラは人間だ、セシリアより身体が弱い。セシリアなら獣人だから、きっと、サラを守ってあげられる。


──パリン!


 ぶつけられた小瓶が割れて、ぱしゃりと水のようなものを被ってしまった。痛くはない。即効性のある劇物ではなさそうだ。けれ、ど──


 腕の中でくたりと気を失ってしまった子犬を抱きしめ、サラは地面に踞る。騎士団から預かったこの可愛い子犬は、サラを庇ってくれたのだ。震えが止まらない。視界がだんだんと白くぼやけてきている。


「──やはり、獣人で間違いないな……お嬢さんが大事に囲ってくれているばっかりに、余計な時間を食ってしまったよ。ただまあお嬢さんもなかなかに器量がいい、ついでだが何かに使えるだろう。──その薬はな、獣人研究所で作った眠り薬さ。獣人には効果的面、見事なもんだろう? そして……時間はかかるが、純人にも効くものさ」


「……あな、た……リアちゃん、を……」



 ざ、ざ、と跡を残しながら、男はひとりのメイドと、その腕に抱かれたままの子犬を引き摺って行く。その目は昏く、歪に持ち上げられた口端から漏れる息は、ぬるい。


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