第3話 オーディションは唐突に
暗赤色の尻尾が徐々に垂れていく。
「え……レオンハルト。私のこと、覚えてないの?」
女は眉を跳ね上げ、瞳を大きくさせると、その顔を隠すようにオレの胸に埋めて来やがった。
「お、おい?」
なんだこれ……?
これもオーディションの一部なのか?
オレは近くに控えているレイブンへと顔を向ける。レイブンはオレの顔に書いてある疑問を解こうと口を開く。
「レオンハルト様。こちらは魔王四天王がおひとり——ルルメル様でございます」
「ルルメル?」
「さようでございます。勇者時代にお会いになられたのでは?」
オレはレイブンにそう問われ、記憶を辿る。目を瞑り、頭を何度も捻ったが、これといったものは見当たらない。
オレは自分の頭を掻きながら、胸にいるルルメルへと視線を移した。
「……悪い。何も思い出せねぇ」
「ひ、ひどい……!この五年間、私はレオンハルトのこと忘れずに思い続けていたのに——」
首に回されていた腕が力なく落ち、その手はオレの胸で止まり、震える指先を握り込んだ。オレに胸の痛みを教えるように、何度も胸を叩く。
「レオンハルトのバカ……」
オレのシャツに熱い雫が滲む。どうして良いか分からず、レイブンへと助けを求めると、なぜだか違和感を覚えた。何となくだが、レイブンの目の色が変わった気がする。
あの瞳は、
——オレを見定めているに違いない!!
ということは、ルルメルはオレの役者としての力量を測るための実技試験の相手役。オレは試されているのか……?
あのモヤに足を踏み入れた瞬間からオーディションは始まっている?そうに、違いない。
魔王役、違う——魔王レオンハルトを。コイツらに見せつけてやらずして、役など勝ち取れない。
「——やるしかねぇな」
オレは覚悟を決めた。垂れていた腕を引き上げ、オレは迷いなくルルメルの肩を抱く。突然のことにルルメルは身体を小さく跳ね上げ、落ち込んでいた尻尾がピーンと張る。
「ルルメルよ。オレのことをそんなに好いてくれたのか」
「え……レオンハルト?」
ルルメルは潤んだ瞳をオレに注ぐ。その瞳にオレは鼻を鳴らす。
「フンッ、ルルメル。それが魔王の隣に立つ女の面なのか?オレの隣に立つ以上、そんな顔は——」
オレはルルメルの頭を鷲掴むと、眼前まで引き寄せると、彼女の呼吸が鼻先に当たった。
「オレとふたりきりの時だけにしろ」
ルルメルは目を剥き、言葉を失ったようにオレだけを一心に見つめてくる。
これは高評価を得たのかもしれないな。
自画自賛が止まらない。オレは思わず、上がりそうになる口元を必死に堪えたせいで、頬がぴくつきそうになる。
役者として、ここは我慢しろ!衣食住完備の職場のために!!
オレはルルメルから身体を離すと、指の間から彼女の髪が滑り落ちていく。ルルメルは軽く握った指を胸に当て、名残惜しそうな火照った顔をオレに向ける。
「レオンハルト……私。生きてて良かった」
ルルメルの瞳から大きな涙が頬を伝う。
そのルルメルの渾身の演技にオレは胸を強く打ってきた。
なんていう女優だ。オレも負けてられない。そう、芝居魂に火がついた瞬間だった。
「……グフッ」
レイブンは目頭を押さえている。どうやら、ヤツのオレに対する評価もうなぎ登りに違いない。肩まで揺らしているのは、それほどに良かったということだろう。
オレは心の中でガッツポーズをした。衣食住完備の職場まであと一歩なのではなかろうか。その事実に胸が猛る。
「あ、あの……レオンハルト?」
ルルメルが睫毛を微かに伏せながら、オレを見上げた。オレは喜びを表に出さないように、無表情を貫く。
「なんだ。どうした、ルルメルよ」
「あ、あの……その……」
ルルメルは言葉を詰まらせる度に顔を赤らめる。
「だから……えっと……」
目を泳がせ、唇を食みながら、ルルメルは一所懸命に言葉を紡ごうと必死だ。オレはそれを陰ながら応援する。
さあ、何でもかかってこい!!
ルルメルは意を決したように、息を大きく吸い込んだ。
「——私を。レオンハルトの婚約者にしてくれますか!?」
目を潤ませルルメルは言い切った。となると、ここはオレのターンということだな。
「フンッ、何を血迷うたことを口にするかと思えば——」
ルルメルは一瞬、傷ついた顔を見せた。張っていた尻尾がしなしなと萎びていく。
「……え」
さすがだ、ルルメル。ちゃんとオレの意向を汲み取るとは、さすが先輩女優。
次がラストだ。オレはこのセリフに全身全霊をかける。
「オレがここに足を踏み入れた瞬間から、ルルメル。お前は——オレの女だ」
オレの瞳はルルメルを射抜いた。ルルメルは俯くと、しばらく身体が固まったように動かない。
失敗したのか……?
生唾を呑み込む。ルルメルの反応がないことに今にもオレの背筋が凍ってしまいそうだ。
「……しい」
微かに聞こえたルルメルの声に耳を傾けた次の瞬間。ルルメルの満面の笑みが視界いっぱいに映り込んだ。
「だーいすきッ!レオンハルト!私のダーリン!!」
オレの胸に舞い戻ったルルメルの腰を抱く。そして、なぜだか暗赤色の尻尾がオレの身体に巻きついた。
「そんな当たり前のことを口にするな」
「私、幸せだよぉ。レオンハルト」
オレの胸に頭を擦りつけてくるルルメルの頭を撫で回す。いかにも、魔王らしくなかろうか。
オレはレイブンへと顔を向けると、彼は腰を折りつつ、顔を手で覆う。その指を伝う一雫。
「ブハッ!!」
これはもう、決まったようなものだろう。
「——やったな」
そう呟いたオレをルルメルは幸せだと言うように微笑んだ。
***
息の詰まる魔王城の廊下。窓の外から覗く、黒く厚い雲に紫の稲妻が走る中、四天王ルルメルの口ずさむ歌声はこの重苦しい空気感には不釣り合いである。
ルルメルは尻尾の先端をご機嫌に振りながら、とある扉の前で足を止めた。そして、ルルメルは扉に艶めいた笑みを浮かべ、顎先に人差し指を置くと、整った唇が言葉を紡ぐ。
「——か・い・じょ・う」
その言葉が鍵となり、閉ざされたふたつの扉が開け放たれた。
厳かな空間には、三人の男たちがいた。右にひじ掛けに腰を据え、ナイフを弄ぶ者。左に机に突っ伏す少年。そして、ルルメルの正面で座椅子に身体を預け、足を組む長髪の男。
男たちは何も語らず、威圧感に満ちた視線をルルメルへと注ぐ。ルルメルはその男たちを挑発するかのように、ピンヒールで床を打ち鳴らした。
長髪の双眸が鋭さを増す。
「……来たか」
ルルメルの尻尾が動きを止め、彼女は自分の身体を抱くように腕を組む。
「ええ。私たちが待ち望んだ——」
顎先に指先を添えるルルメルの口元が弧を描く。
「新たなる魔王様が」
机に突っ伏している少年はダルそうに身体を起こし、頬杖をついた。
「レイブンさんの計画が上手く行ったのは、僕のお陰ってことを、忘れないで欲しいよね」
ナイフが天井高く舞い上がる。クルクルと回転しながら、ナイフは男の手元へ落ちてくる。それを手にした男はルルメルへと投げつけた。
ルルメルは怯むどころか、微動だにしない。ナイフは彼女のすぐ脇を掠め、壁に貼られていたひとりの男の顔に突き刺さった。
その男は……そう——勇者レオンハルト。
長髪の男がひじ掛けに指を滑らせ、ゆっくりと床に足をつけ、立ち上がる。一歩進むにつれ、長髪の男の身体に紫炎が起こり、次々に装甲が纏っていく。
「それでは、本番といこう」
長髪の男の声に皆が立ち上がる。
ナイフの刺さった壁に書かれた文字は——
『勇者、魔王化計画』と記されていた。




