第2話 甘い言葉に誘われて
カビ臭い風がオレの金色の髪先を撫で、ピタリと止まる。それが合図だ。久々にフェルガーニに闘気を注ぎ込む。
五年ぶりということも相まって、一発で仕留められるか正直自信がない。だが、引くわけにはいかないだろう。オレは執事野郎にフェルガーニを振るおうと、石畳を蹴った。
「オレの目の前に現れたのが、運の——」
執事のモノクル越しの瞳が大きくなり、前に出した両手をぶんぶんと振ってやがる。
「ちょ、ちょっと、ワタクシは戦う気はありません!」
無理に勢いを殺したオレの身体は、前のめりになった。久しぶりに滾った血が急激に冷えるのを覚える。
「あ゙?」
「そちらの貼り紙に書いてある文を……声に出されましたよね?」
ニヤッと執事は口の端を跳ね上げる。嫌な予感がするのは気のせいか。
「……まあ、読んだな」
フェルガーニを鞘に納め、オレは腕を組むと、チラッと貼り紙へと目を向けた。
魅力的な衣食住完備。そして、強き者を求むッ!そんな文言、惹かれないわけがない。
「じゃあ、応募されますか?」
「どういう意味だ?」
オレは執事に向き直ると、執事は目を細め、薄気味悪い笑みを浮かべてやがる。
「レオンハルト様。——魔王役にご興味ございませんか?」
——ん?魔王?
その言葉にオレは眉根を寄せた。オレの異変に気づいた執事は腕を軽く上げ、指先を鳴らす。するとボワンと宙に黒いモヤが現れ、執事は中からマル秘と書かれた紙を取り出してみせた。
「なんだそれ?」
「これはまだ企画段階なのですが……」
執事は周りを気にしながら、オレへ寄越すと、誰にも見せてくれるなと耳打ちしてくる。
そこに書かれた文字を目でなぞると、オレは目を剥いた。
「——は?!勇者と魔王の映像化!?魔王役オーディション!!」
路地裏にオレの声が響き、ガバッと前を向く。執事のモノクルにオレの驚愕した顔が映った。
「レオンハルト様、少し声が大きいです。実は魔王役の方を探しておりまして……どうです?」
オレは再び紙へと視線を戻す。
「…………」
「勇者だったレオンハルト様が、魔王役を演じるとなれば、視聴率爆上がりは間違いありません」
「……んー。オレ、人類に勇者だったって、忘れられてるけどな」
オレと執事の間に、変な沈黙が生まれる。
あ、これ……
言わない方が良かった感じ?
執事は瞼を閉じると、口元で指を折り込み咳払いをした。
「レオンハルト様。一緒に覇権を取りましょう」
そう告げると執事はオレに手を差し出す。オレはその手を見つめる。
どうする……オレ。
役者なんて、しかも魔王役なんて……
執事はオレの戸惑いを察したのか、畳み掛けるように言葉を告げた。
「——衣食住完備ですよ?毎日、豪勢なお料理が待っております」
オレの心の中の秤は、一瞬で大きく傾いた。
——バシッ!!!!
次の瞬間にはオレは執事の手を固く握り、上下に振る。オレの顔には、憂いなんてひとつもない。
「よろしくな!!で、アンタの名前は?」
オレの勢いに執事のモノクルがズレた。執事は落とさないように、指先で支えながら薄い唇が半円を描く。
そして、執事はオレの手を逃れると、胸に手を添え丁寧に頭を下げる。
「遅ればせながら、ワタクシ、レイブンと申します。どうぞ、末永くよろしくお願い致しますね。レオンハルト様」
レイブンは顔を上げると、髪が流れた。オレは歯を覗かせ屈託のない笑みを見せる。
「ああ!オレの方こそ、よろしく頼む。レイブン」
「では、レオンハルト様。会場に参りましょう」
レイブンはまた指を鳴らすと、彼の後ろに黒いモヤが現れ、徐々に形を大きくしていく。あっという間に人を飲み込んでしまう大きさへと変貌する。
背筋を正し、レイブンは指を揃えて黒いモヤへと誘う。
「参りましょう。レオンハルト様」
オレは身を乗り出し、指を顎先に添え、レイブンの技をまじまじと眺めた。
「すげーな。魔族はそんな力があるんだな」
「こんな物はまだまだ初級の初級です。ドラマを撮るとなると、もっと凄いものが見れますよ」
「いや、楽しみだ」
オレはモヤへと足を動かす。恐れなんてものはない。かつては敵同士だった気もするが。まあ、そんなのはこの際、どうでもいい。
「今回はちゃんと長く勤められるといいんだがな」
「レオンハルト様、演技が光れば他の役もオファーが来るかもしれません」
オレは頭に両手をつく。
「それ聞いて俄然、ヤル気出てきたわ」
黒いモヤはふたりを覆うと、スーッと消えていった。
***
黒いモヤを抜けると、どこか見覚えのあるような部屋に着いた。もしかしなくても、もしかする。窓から見えるのは黒い雲と、重々しい街並み。そして、黒い王宮の屋根。
「ここって、もしかすると——」
五年前にオレがぶち壊した……
「魔王城です」
レイブンは感情のない声で淡々と答えた。
「あ、やっぱり?」
「ええ。そういえば五年前にレオンハルト様が完膚なきまでにぶち壊していかれましたね」
オレはレイブンの顔を見やる。そのレイブンの表情は全く読めない。
「聞きたいんだが、レイブン」
「はい。なんでしょう?」
「そのことで、オーディション落とされたりしないよな?」
「…………」
レイブンは答えない。ただオレを眺めるだけだった。もしかしたら、オレを袋叩きにするつもりかもしれん。
「……魔王役っていうのは、復讐をするためのエサか?」
レイブンは笑みを絶やさない。オレは、フェルガーニへと手を伸ばそうとした時だった。
——バタンッ!!!
勢い良く、両扉が開け放たれる。ツカツカと歩く高いピンヒール。面積の少ない布に身を包む女は胸と髪。そして、尻から生えている暗赤色の尻尾を揺らし、オレを目指して歩いてくると——
どういうわけかオレの胸へと飛び込み、腕を首に回すと、ぷくっと潤んだ妖艶な唇が上向いた。
「ようやく、会えたわ。私の——」
甘美な香りとそれ以上に甘ったるい声が、オレの周りに漂う。
「ダーリン♡」
片目が閉じられた。これは世に言うウィンクと言うやつか。熱を孕んだ瞳でオレを見上げてきやがる女を無表情で観察し、考えるよりも先に口から言葉が零れる。
「……誰だ、お前?」
オレの放った言葉は、しばらく宙を彷徨い、妖艶に揺れていた暗赤色の尻尾が、ピタリと止まった。




