第1話 賞味期限切れの勇者
——ドスンッ!!
ボンサックが道に投げ落とされた。その場に居合わせた通行人は何事だ?と足を留め、オレの顔へと視線を送る。
「またか」
そう呟き、ケラケラと嘲笑う野次馬連中に目もくれず、オレは投げ飛ばされたボンサックへ黙々と歩いていく。
腰を折り、肩紐を手に取る。土にまみれたボンサックを手のひらで叩くと、ボフッと土煙が上がった。
背後から聞こえてくるドタドタと足を叩きつける音に、ゆっくりと振り返れば店の中から出て来る人影。
あの丸みのあるフォルムと山頂だけ枯れ果てた頭。そんな人は、オレが知る中ではひとりしかいない。
酒場のオヤジさんが顔を真っ赤にし、肩で息をしながらオレの前に立つ。
「このバカ野郎ガァァァァ!!」
酒臭い息をオレに吐きかけたオヤジさんのデコに青筋が浮き上がる。
「お客様に手を上げる従業員なんか、辞めちまえ!!」
爆ぜた声を全身で浴びたオレは、目を伏せ、溜め息をつくわけなんだが。
「はぁ……。オヤジさん、アレはあっちがな——」
店の中へ目を向ければ、青あざだらけな顔でオレの様子を見てやがる、この事件の発端のガラの悪いチンピラ野郎数人。
そもそも、酔った勢いで抵抗する女給に手を出そうとしたアイツらを教育的指導をしたまでなのだが。
オヤジさんはオレの言葉に聞く耳を持たず、瞼を押し上げると毛むくじゃらの太い腕を振り上げた。
「口答えすんじゃねぇ!!」
オヤジさんの足先が地に食らいつき、襲いかかろうとする拳がオレの眼前に迫る。
んー、……遅いな。
欠伸をしつつ、オレは腕を上げた。
バシッ!
太い腕がぷるぷると震える。その腕を支えているのは、オレの細腕ってわけよ。
オヤジさんの眉は跳ね上がり、オレを見る目が丸くなる。
「んなッ?!」
信じられないようにオヤジさんはオレを見つめてくるんだわ。
「お前、——何者だ……?」
汗が垂れるオヤジさんの顔は、得体の知れないオレを見て血の気が引いていく。
ああ……オヤジさん。オレの顔、知らねーのか。雇ったくせに、その台詞はないぜ。
オレは小さく息を吐く。そんなオレの余裕な態度にオヤジさんは、ギリッと奥歯を噛み締めるんだが。今さら改めて、名乗るのもどうかと思うオレ。
少し考えた末、オレは口にすることに決めた。
「オヤジさん。聞いたことねぇ?——勇者レオンハルトって」
掴んでいるオヤジさんの拳の指先に少し力を入れてやる。オヤジさんはその名を耳にした途端——
首を傾げた。
「……は?勇者 レオンハルトなんて、ワシは知らねーよ!!」
……あ、うん。そうだと思ったわ。
オレはオヤジさんの拳から力を抜く。もう弁明する気も、反論する気もなくなったオレは、オヤジさんの拳から指を放す。
その隙をオヤジさんは見落とすわけもなく、避けるつもりもないオレの頬を撃ち抜いた。
***
薄暗い路地を歩く。日の当たらないカビ臭い裏道。オレは殴られた頬を摩りながら、顎を動かす。
「また仕事辞めさせられちまったな……」
仕事と一緒に、住処まで失ってしまった。酒場の二階の物置き……オレには天国だったというのに。
オレの職歴にまたひと項目加わることになる。転職歴 百七回。そして、先ほど、百八回目の職を解雇されてしまったところだ。
オレは思わず足を止めた。崩れた壁にかろうじて張りついている劣化した貼り紙。その貼り紙には見覚えがありすぎる顔。
気がつけばオレは貼り紙の前に立っていた。そこに描かれているのは、今より少し若い五年前のオレ。
世界が暗黒に閉ざされ、明日も期待できない日。オレは、ただひたすら剣を振り続けた。気がつけばオレは人類の希望の光と呼ばれ、英雄……そして、勇者になった。
どうやら、オレが倒した相手がこの世の悪の根源である魔王だったらしい。
世界は平和になり、オレは勇者 レオンハルトとして、もてはやされた。
まあ、五年の月日が経った平和な世界では勇者は不要となるわけで——
家も失ったオレは腰に差してある剣へと目を転じる。
「明日からどうするか?フェルガーニ」
何も言わない聖剣 フェルガーニ。まあ、剣が物言うわけはない。オレも血迷っているようだ。そりゃ、あの日から五年も経っているにも関わらず、定職にも就けていない。しかも、穀潰しに戻り、明日からまた職探しに……
「——ん?」
ただならぬ気配を感じ取ったオレは顔を右へと送る。
「そこにこんな貼り紙があったか?」
オレは誘われるように見覚えのない貼り紙の前へと足を運ぶ。紙いっぱいに書かれた文字にはこう記されていた。
『 衣食住完備! 』
『 未経験歓迎 役者募集! 強き者を求むッ!! 』
その単語に無意識に言葉が漏れる。
「……役者?」
そのジョブはまだオレには経験がない。しかも、未経験も歓迎とある。なんせ、いちばん目を引くのは——
「強き者を求む。だなんて、まるでオレを呼んでいるようなものじゃないか」
そんなクサイ台詞まで飛び出すなんて、やっぱりオレは血迷っているに違いない。だがしかし、オレの胸が沸き立つのを覚えてしまった。
「やる価値はあるな。なあ、相棒?」
フェルガーニへと再び、視線を移す。だが、彼は何も言わない。
——ファサッ。
一羽の黒い鴉が、オレの頭上すれすれを横切った。その鴉は崩れた壁に舞い降りた。グリグリと目玉を動かす鴉は静かにオレを見つめ、黒い嘴を狡猾に開く。嘴から覗く舌は血で濡れているよう見えた。
オレは聖剣 フェルガーニへと手を伸ばし、その指先は細かく震えを帯びた。五年ぶりに感じた懐かしい邪悪な気に口が歪みそうになる。
オレは真っ直ぐに鴉を見据えた。
「——血が滾るってのは、このことを言うんだろうな」
フェルガーニを引き抜き、切先を鴉へと向ける。煌めく刀身が聖気を纏う姿はまさに聖剣。刃に細くなったオレの瞳が映り込んだ。
鴉は嗤う。そして紫炎が上がり、その中から現れたのは——
——コツ。コツ。
革靴が石畳を鳴らす。執事服を着た男が、目の前に姿を現した。
黒髪をひとつに結び、モノクルをかけた長身の男。上手く化けていても、オレを欺くことはできはしない。
「お久しぶりです、勇者様。いや——」
モノクル越しに目が弧を描く。
「——元勇者 レオンハルト様」
執事はそう不敵に微笑んだ。




