第10話 解読不可なはずだろう?
ゆっくりと扉が開いていく。オレは動じることもなく、その者を待ち受ける。
扉の陰から顔を出したのは、ぷるんとゆで卵のような肌をした男だった。オレを見とめた男は目を丸くしたまま、固まってしまう。
オレはゆで卵野郎に向き直り、声を投げる。
「なんだ、お前は?」
ゆで卵野郎はオレの声に、ビクッと身体を震わせ、首をすぼませた。
「わ、私は……ピコルと申します」
ピコルは身体の前に手を重ね、オレの顔色を伺ってくる。
「……あの、調査の方ですか?」
「ん?まあ、そんなところだ。お前、マリウスと関わりがあったのか?」
「は、はい。私は大賢者様の副官をしておりました」
オレの眉が跳ねた。
「じゃあ、色々と知っているな。何があったのか教えてくれ」
その言葉にピコルは眉を寄せ、警戒するようにオレを見てくる。
「それは、調査官の方も既にご存知でおられるのでは……?」
オレは言葉に詰まった。だが、ここをなんなくやり過ごさねばならない。背後でパタパタとアイ・ゴーレムがオレを凝視している。
「確認だ。大賢者が犯した罪を改めて確認したいからな」
最もらしいことを言い繕うと、ピコルは簡単に警戒を解いた。
「すみません、出過ぎたことを」
「いや、いい。とりあえず、教えてくれ」
ピコルは小さく頷くと、堰を切ったように話し始める。
「大賢者様は、依頼された魔術の対価として多額の献金を手にされていました。それは違法だというのに」
「あのマリウスが、か」
「はい。そのせいか、平民の依頼は無視され、貴族の方々のみ依頼を受けていました。まさか、献金欲しさだったなんて……私は知りませんでしたよ」
ピコルは流暢に続けた。
「だからでしょうか……依頼以外の仕事は私にすべて丸投げされ、依頼がなければ、こちらの部屋で魔術の研究をされてましたよ」
「マリウスは魔術だけしてたってことか?ホント、今も昔も一緒じゃねーか」
オレは思わず吹き出しそうになる。大賢者と呼ばれた男は今も昔も魔術馬鹿なのは変わっていないようだ。
「隙だらけだもんな」
オレの口端が上向く。ピコルは不安げな顔を浮かべる。
「調査官様は大賢者様をご存知なんですか?」
オレは答えない。ただ、口を歪ませピコルを射抜く。
「——ピコル、ひとつ聞きたい」
「な、なんでしょうか?」
「アイツの書く字は綺麗だったか?」
ピコルの汗がひとつ流れる。
「え、ええ。そりゃあ、とても大賢者様らしい美しい字です」
「そうか、ありがとうな。じゃあ、ピコル。もう、戻っていいぞ」
オレは笑顔を向けた。腑に落ちないのか、ピコルは一歩前に出る。
「あ、ですが……私がここにいた方が——」
その瞬間、ピコルの顔から血の気が引き、口が戦慄く。それもそのはずだ。オレの顔から笑みが消えたのだから。
「もう、良いって言ったよな?それとも、隠したい何かがあるっていう意味か」
「——そ、そういうことでは……」
ピコルは目を泳がせ、オレから顔を背ける。オレはそんなピコルを見下ろし、目配せをした。
「調査の邪魔だ。さっさと出てけ」
その言葉を最後にピコルは身を縮こませながら、部屋を後にする。その背中はマリウスとは別物だった。ピコルのローブは新品同然で皺もなく、洒落た香水の残り香が部屋に漂った。
オレはこっそりと口を開く。
「——キャネット、アイツを追え」
キャネットは頷くと、詠唱を始め、姿を眩ませた。
背後から羽音が近づいてくる。髪が揺れ、肩に重みがのしかかった。
『魔王。さっきの人間——』
バーテンの低い声が部屋に沈み、アイ・ゴーレムの纏う雰囲気が変わる。オレが手にしている書面を、そのひとつ目が覗き込んだ。
『ねえ、魔王様。この書面は何さ』
「魔術の取引書類だ。取引き相手とマリウスのサイン……献金の額まで、ご丁寧に書いてあるな」
ボンゴが大きく息を吸ったのが、アイ・ゴーレム越しから伝わってくる。
『は?!そんなのをこんなところに置くとか、大賢者って頭悪い?』
そのボンゴの吐き捨てた言葉にオレは思わず、口端をつり上げた。
「だな。マリウスはとんだ大馬鹿野郎だ」
オレは書面を懐にしまい、この部屋を出て行こうと扉へと向かうと、肩から降りたアイ・ゴーレムがすぐ横を飛ぶ。ボンゴにはなかった鋭い追及が投げられた。
『魔王。——何を、隠している?』
アイ・ゴーレムは停空し、大きなひとつ目をオレへ向ける。僅かな動きも見逃さないというように。オレは足を留めず、アイ・ゴーレムを通り過ぎ、今一度、バーテンが声を放つ。
『教えぬつもりか?』
数歩先でオレは足を止める。眼前には扉、オレは肩越しに振り返った。停空するアイ・ゴーレムからバーテンの姿が重なる。
「サインだ」
『サインだと?』
「ああ。アイツの字は支離滅裂に汚ねぇし、読めたもんじゃない。本人以外は解読不可なんだ」
オレは瞼を閉じた。昔を懐かしむように。
いつか、奴が言っていた。
——私だけが読めればいい。
「こんな誰が見ても読める字、マリウスが書くはずがないんだよ」
沈黙が流れる中、オレは内心……決まった!と思った。ここはスポンサーも痺れたに違いない。後に魔王役レオンハルトの名場面集のひとつになることは間違いないだろう。
そんな考えをしていると悟られないように、オレはドアノブへと指をかけた。
——ドォンンッ!!
オレを目掛けて扉が突っ込んでくる。
「……あ?」
額に当たる寸前に聖剣フェルガーニの護りで、そのまま扉は跳ね返っていき、部屋に飛び込んで来た奴の顔に豪快に当たった。間の抜けた声が建物を揺らす。
「ぎょへぇっ!?」
顔を赤くした幼き従者は、オレの前に崩れるように膝をつく。そして、潤んだ瞳でオレを見上げた。
「調査官様、一生のお願いです!!大賢者様を……マリウス様を——」
従者は床へと額を擦りつけ、声を張り上げる。
「殺さないでくださいっ!!」




