第99話 百十歳、帝国の異変を知ります
「王国に、力を貸していただきたい」
帝国から来た特使は、確かにそう言った。
街道には、先ほどまでの戦闘の跡が残っている。
地面にはオークたちが落としていった武器が転がり、少し離れた場所では、傷を負った護衛たちが互いの無事を確かめ合っていた。
そんな中。
あまりにも大きな言葉だけが、妙にはっきりと耳に残っている。
(……魔王、か)
前世ならば、物語の中でしか聞かなかったような存在じゃ。
しかし、ここは魔法も魔物も存在する世界。
魔王がいたところで不思議ではない――のかもしれん。
「……その魔王というのは」
セレナが慎重に口を開いた。
「本当に、魔王なのでしょうか?」
特使はセレナへ視線を向けた。
「分からない」
「分からない?」
「だから私は、『魔王を名乗る者』と言ったのだ」
短く答えたあと、特使は周囲の護衛へ目を走らせた。負傷者の位置と馬車の状態を確かめるような視線だった。
「では、自らそう名乗っていると?」
「そのように報告を受けている。現時点で確認できているのは、本人がそう称していることと、その周辺で被害が発生していることだけだ」
先ほどまでとは違う。
口調こそ荒くはないが。
どこか。
人に説明することに慣れた話し方だった。
こちらと対等に情報を交換しているというより。
必要な範囲だけ教えてやる。
そんな空気がある。
だが、言葉の選び方には無駄がなかった。曖昧な部分と確かな部分を、きちんと切り分けている。
(まあ、皇帝の使いともなれば、こんなものかのう)
命を助けられたからといって。
立場まで変わるわけではない。
マルタが尋ねる。
「差し支えない範囲で結構ですが、帝国ではどのような状況なのでしょう?」
「被害が出ている」
特使は簡潔に答えた。
「帝国領内の一部で、魔王を名乗る者によるものと思われる被害が確認されている。すでに複数の村と街道が影響を受け、現在は帝国軍が封鎖と調査を進めている」
「かなり大きな被害なのでしょうか?」
「そこまで話すつもりはない」
ぴしゃり。
セレナが僅かに目を瞬いた。
特使は気にした様子もなく続ける。
「本来、諸君に話す必要のない内容だ。命を救われた礼として、事情の一端を明かしたにすぎない」
そう言いながらも、特使は護衛の一人へ手を上げた。
「負傷者を後列へ。出発前に馬の状態も確認しろ。王都まで、同じ襲撃がないとは限らん」
命じられた護衛がすぐに動く。
特使はそれを見届けてから、こちらへ向き直った。
「……承知しました」
セレナが小さく頭を下げる。
(随分とはっきり言う御仁じゃな)
嫌味というより。
単純に。
立場を明確にしているのだろう。
それに、必要な指示を出す判断も早い。尊大なだけの男なら、護衛の状態を見落としていてもおかしくはない。
マルタも特に気を悪くした様子はない。
「では、なぜ王国へ?」
「これ以上、被害を広げないためだ」
特使の答えは早かった。
「現在、被害は帝国領内に留まっている。だが、今後もそうである保証はない」
「なるほど」
「問題が小さいうちに対処する。国境を越えてから慌てても遅い」
特使は僅かに顎を上げた。
「王国にも協力を求め、早期に駆除する見込みだ。帝国軍だけで封じ込められるうちに、使える戦力と情報を集める必要がある」
(駆除、か)
随分と強い言葉を使う。
少なくとも。
帝国側は話し合いでどうにかするつもりはないらしい。
だが、その判断には迷いがなかった。被害の拡大を防ぐためなら、相手の正体が不明な段階でも動く。そういう決断を下せる男なのだろう。
「王国が応じると?」
マルタが尋ねる。
「応じてもらう」
即答だった。
「これは帝国だけの問題ではない。王国とて、国境の向こうで危険な勢力が拡大することを望みはしないだろう」
「……確かに」
「そのために、私が来た」
特使は一度、帝国の紋章を掲げた馬車へ目を向けた。
「王都へ着けば、被害地域、確認された襲撃の時期、帝国軍が把握している進行方向を正式に提出する。王国が判断するために必要な材料は、こちらで整理してある」
自信。
というより。
王国が協力することを当然と考えているような口ぶりだった。
しかし、ただ威張っているわけではない。すでに次の手を整え、王国が動くための情報まで用意している。
(なるほど)
少し。
この男の立場が見えてきた。
ただの使者ではない。
皇帝の言葉を背負って。
他国の王へ会いに行く男なのだ。
これくらいの気位は必要なのかもしれん。
それに。
この切迫感。
帝国が、事態を軽く見ていない証拠でもある。
ただ。
わしには。
一つ。
引っかかることがあった。
(また、この時期か)
魔王を名乗る者が現れた。
帝国領内で被害が出ている。
そして。
今日。
わしらを襲ったオークたち。
粗末な武器。
割に合わない相手へ襲いかかったこと。
まるで。
何かに追われていたような。
あの姿。
(……まさかのう)
頭の中に。
《虚喰らい》の名が浮かぶ。
以前にも。
魔物たちは住処を離れた。
獣たちも。
精霊たちも。
森の異変に巻き込まれた。
そして今。
帝国でも。
別の異変が起きている。
(これも、《虚喰らい》の影響だったりしてのう)
もちろん。
根拠などない。
魔王と《虚喰らい》に関係がある証拠は、一つもない。
ただ。
あまりにも。
色々なことが同じ時期に動き始めている。
(……いや)
わしは考えるのをやめた。
分からないものを。
無理に繋げるべきではない。
マルタも同じようなことを考えていたのだろうか。
しばらく黙っていたが。
やがて。
「……今のあたしたちでは、力に成れそうにありませんね」
そう言った。
特使がマルタを見る。
「当然だ」
「…………」
「帝国軍が対処し、必要であれば王国軍とも連携する。冒険者が数人で首を突っ込むような話ではない」
特使はそこで言葉を切り、街道の先を確認した。
「だからこそ、諸君には余計な動きをしてほしくない。情報が錯綜すれば、対処が遅れる」
(なかなか言うのう)
マルタは眉一つ動かさなかった。
「ええ。あたしもそう思います」
「賢明だな」
特使は短く答えた。
セレナは少し気になっているようだったが。
やがて。
「……私たちには、私たちの目的がありますから」
そう言って頷いた。
「ああ」
マルタが答える。
「まずは、そちらを片付けよう」
黒雷石。
楔。
天竜教。
先にリルートへ向かったガルド。
わしらには。
わしらの追うべきものがある。
魔王。
確かに気になる。
だが。
何でもかんでも。
わしらが背負う必要はない。
「それから」
特使が言った。
「今の話は他言無用だ」
先ほどよりも。
さらに強い口調だった。
「私が王国へ正式に伝える前に、妙な形で噂が広がっては困る。噂だけが先行すれば、国境の町に無用な混乱が起きる」
「もちろんです」
セレナが答える。
「誰にも話しません」
「私も約束しましょう」
マルタも頷く。
「わ~た~し~も~」
カラリンが手を上げる。
特使は三人を順番に見る。
「ならばいい」
それだけ。
礼を言うでもなく。
満足したように頷いた。
(うむ)
(やはり少し偉そうじゃな)
まあ。
実際。
偉いのだろう。
それに、今は一刻も無駄にできないのだ。礼儀よりも、伝えるべきことと進めるべきことを優先しているのかもしれん。
◇
「では、我々は王都へ向かう」
護衛たちが馬車の周囲へ戻っていく。
幸い。
死者はいない。
怪我を負った者もいるが、マルタの治療を受け、移動できる程度には回復していた。
特使が馬車へ向かう。
その途中。
一度だけ足を止めた。
「名前を伺っても?」
一行はそれぞれ名前を告げた。
「そうか。私の名前はサルマード。セレナ殿、マルタ殿、カラリン殿、そして、レオンくん」
皆がサルマード特使を見る。
「先ほどの件については、改めて礼を言わせてもらう」
特使は頭を下げなかった。
ただ。
真っ直ぐに一行を見る。
「諸君がいなければ、こちらにも相応の被害が出ていただろう」
その声には、先ほどまでの命令口調とは違う、抑えた実感があった。
「帝国の使者としてではなく、護衛を預かる者として礼を言う」
「いえ」
セレナが答える。
「皆さんが無事で良かったです」
「そうか」
特使は僅かに口元を緩めた。
「諸君はリルートへ向かうと言っていたな」
「はい」
「ならば、ここで別れることになる」
「そうですね」
「道中、気をつけることだ」
特使は街道の先へ視線を向けた。
「オークどもが何かに追われていた可能性もある。王都へ着くまで、周囲の異変を見逃すな。もし不審な動きがあれば、無理に確かめず、最寄りの砦か町へ知らせろ」
「ありがとうございます」
セレナが頭を下げる。
「特使殿も、どうかお気をつけて」
「ああ」
特使は馬車へ乗り込む前に、もう一度こちらを見た。
「健闘を祈る」
マルタが軽く会釈する。
「ええ。そちらもご無事で」
それで。
話は終わった。
◇
帝国の紋章を掲げた馬車が動き始める。
護衛たちもこちらへ一礼し。
王都へ続く街道を進んでいく。
やがて。
その姿が遠くなったところで。
「…………」
セレナが息を吐いた。
「なんか……」
「なんだい?」
「偉そうな人だったわね」
「偉いんだろ」
「そうなんだけど」
「皇帝の特使なんだから、あれくらいでいいんじゃないかい」
「そういうもの?」
「さあね」
(適当じゃな)
カラリンが首を傾げる。
「ま~お~う~、ど~う~す~る~の~?」
「何もしないよ」
マルタが即答した。
「さっきも言っただろ。今のあたしたちには力になれない」
「う~ん~」
「帝国と王国に任せる」
マルタは杖を肩へ担いだ。
「それより」
セレナを見る。
「あたしたちは、あたしたちの仕事をするよ」
「……そうね」
セレナも前を向く。
「リルートへ行きましょう」
「う~ん~」
「その前に、街道の様子だけは少し注意しておこう。さっきの特使殿の話も気になるからね」
マルタはそう付け加えた。
「それに、届け物もあるしね」
(そうじゃった)
赤い看板。
金色の斧。
武器商人ウィーン。
魔王などという大きな話が飛び込んできたせいで。
危うく。
本来の仕事が霞むところだった。
◇
再び街道を進む。
しばらくすると。
すれ違う人の数が、少しずつ増えてきた。
荷馬車。
商人。
旅人。
冒険者。
見慣れない服装をした者。
聞き慣れない言葉を交わす者。
わしらと反対方向。
帝国側へ向かっているらしい者たちの姿もある。
「人、増えてきたわね」
「もう近いからね」
マルタが答えた。
さらに進む。
そして。
森が途切れた。
「お~」
カラリンが声を上げる。
セレナも足を止めた。
「……大きい」
わしも。
その腕の中から前を見る。
(ほう)
街道の先。
大きな城壁が見えた。
その向こうには。
無数の屋根。
煙突。
塔。
そして。
そこへ向かって。
何本もの街道が集まっている。
右から。
左から。
わしらの後ろから。
人。
馬車。
荷物。
様々なものが。
一つの町へ吸い込まれていく。
「交易都市リルート」
マルタが言った。
「着いたよ」
(……ここか)
黒雷石が示した先。
ガルドが先行した場所。
王国中から人と物が集まり。
国境の向こうからも、多くの者が訪れる町。
わしは胸元へ手を当てた。
黒雷石は。
今のところ。
何も示さない。
「行きましょう」
セレナが歩き出す。
「まずはウィーンさんに手紙を届けて、それからガルドを探しましょう」
「う~ん~」
「その後は情報集めだね」
マルタも続く。
(さて)
魔王。
帝国。
王国への協力要請。
また一つ。
世界のどこかで。
何かが動き始めている。
それが。
わしらと関係するものなのか。
それとも。
まったく別の話なのか。
今は分からない。
(じゃが、まずは――)
赤い看板に。
金色の斧。
目の前の仕事からじゃ。
多くの人々が行き交う城門へ向かって。
わしらは。
交易都市リルートへと足を踏み入れた。




