第98話 百十歳、魔王の知らせを聞きます
交易都市リルートへ出発する朝、わしらが最初に向かったのは街道ではなく、町の冒険者ギルドだった。
昨日のうちに荷造りは済ませてある。セレナの胸元には子どもたちから貰った《森守り》が揺れ、腰にはリーナから借りたスローイングナイフ。背中にはいつもの弓が収まっていた。
(いよいよ出発かと思ったのじゃが)
セレナは迷うことなく冒険者ギルドの扉を開けた。
「あぅ?」
「念のためよ、念のため」
こちらの疑問を察したのか、セレナがわしを抱き直しながら笑う。
「リルートへ行く依頼があれば、一石二鳥でしょ? どうせ行くんだから」
(なるほど)
どうせ同じ目的地へ向かうなら、そのついでに金を稼ぐ。実に合理的である。
「で~も~、そ~ん~な~に~、う~ま~く~、い~ら~い~、あ~る~か~な~?」
「なかったら、そのまま出発すればいいだけよ」
「そ~れ~も~、そ~う~だ~ね~」
朝の冒険者ギルドは、すでに多くの人間で賑わっていた。
依頼掲示板を眺める者。受付で職員と話す者。装備を確認している者。朝から酒を飲んでいる者までいる。
その間を抜けて受付へ向かうと、顔見知りの受付嬢がセレナに気づいた。
「おはようございます、セレナさんとレオンくん。最近顔をみせてくれませんでしたね?」
「ちょっといろいろあってね」
「そうですか~」
「それで、ちょっと聞きたいんだけど」
「はい」
「今日からリルートへ向かうの。あっち方面の依頼って何か出てない? 護衛でも配達でも、ついでにできるものがあればと思って」
「リルートですか……少々お待ちください」
受付嬢が手元の書類を確かめ、さらに後ろの棚へ向かった。
行き先ごとに分けられているらしい束を、一つずつ確認していく。
それを待ちながら、セレナが小さく肩をすくめた。
「まあ、そうそう上手い話があるわけ――」
「あっ!」
受付嬢が声を上げた。
「良かった! ちょうどありますよ!」
「……あるの?」
(あるんかい)
「はい。リルートまで書類を届けていただく依頼です。期限にも余裕がありますから、今日出発されるなら問題ありません」
「本当にちょうどいいわね。誰に届ければいいの?」
「リルートで武器商をされている、ウィーンさんという方です」
「ウィーン?」
セレナが首を傾げる。
「知らない人ね」
「わ~た~し~も~、し~ら~な~い~」
「お店は分かりやすいですよ」
受付嬢は笑って、人差し指を立てた。
「赤い看板に、金色の斧が目印の商店です! 結構目立つので、リルートまで行けばすぐに分かると思います」
「赤い看板に金色の斧ね」
「もし分からなければ、町の方にウィーンさんの武器屋はどこですかって聞けば教えてもらえると思いますよ」
「それなら大丈夫そうね」
受付嬢がカウンターの下から一通の封書を取り出した。
「お届けいただくのはこちらになります。ただ、お渡しする前に注意事項があります」
「なに?」
「まず、中身は確認しないでください。封も開けず、この状態のままウィーンさん本人へお渡しください」
「分かった」
「それから、紛失や盗難などで届けられなくなった場合には、できるだけ早くギルドへ知らせてください。他の冒険者ギルドがあれば、そちらから連絡を回してもらえます」
「何もなかった場合は、そのまま届ければいいのね?」
「はい。ウィーンさんから受領の連絡がこちらへ届けば依頼完了です」
そこで受付嬢は、少しだけ表情を改めた。
「セレナさんが今日出発されることはこちらでも記録しておきます。一週間経ってもウィーンさんから受領の連絡がなく、セレナさんからも何の連絡もない場合は、こちらの職員がセレナさんへ確認に向かうことになります」
「しっかりしてるのね」
「大切な書類ですから」
受付嬢がにこりと笑う。
「よろしくお願いします」
「分かった。預かるわ」
セレナは封書を受け取ると、折れたり濡れたりしないよう荷物の奥へ丁寧にしまった。
「な~か~み~、な~ん~だ~ろ~う~ね~?」
「今、見るなって言われたばかりでしょ」
「み~る~と~は~、い~っ~て~な~い~よ~?」
「顔に書いてある」
「そ~う~?」
(まあ、気にはなるがのう)
もっとも、開けるつもりはない。
預かった品を勝手に調べるなど、信用を失うには十分すぎる行為じゃ。
こうしてわしらは一つ仕事を増やし、ようやく交易都市リルートへ向けて町を出た。
◇
それから丸一日が過ぎた。
昨夜は街道を少し外れた場所で野営し、夜が明けると同時に再び歩き始めた。
リルートまではまだ距離がある。
森と草原の境を縫うように続く街道は、朝から代わり映えのしない景色が続いていた。
「せ~れ~な~、は~や~い~よ~」
「普通に歩いてるだけよ」
「治ったからって飛ばすんじゃないよ」
「マルタまで……」
セレナがうんざりしたように振り返る。
「もう完全に治ったって言ったの、マルタでしょ?」
「治った途端に無茶する奴がいるから言ってるんだよ」
「誰のことよ」
「あんた以外に誰がいるんだい」
「…………」
(反論できんのう)
この一週間で、セレナが無茶をする人間だという認識だけは全員で共有されたらしい。
そんなやり取りを聞きながら、わしはセレナの腕の中で欠伸をした。
黒雷石が示した方向へ進んでいる。
ガルドはすでにリルートへ向かっている。
天竜教の情報も探さねばならない。
目的はいくつもあるが、昨日から今朝までは驚くほど平穏だった。
(このまま何事もなく到着できればよいが――)
「止まりな」
マルタの声が変わった。
セレナが足を止める。
「どうしたの?」
「……聞こえる」
マルタが街道の先へ顔を向けた。
耳を澄ませる。
最初に聞こえたのは、馬のいななきだった。
続いて男たちの怒号。
金属がぶつかる甲高い音。
「戦ってる?」
「ああ。そう遠くない」
セレナがわしを抱き直し、マルタは杖を握る。
「行ってみましょう」
「慎重にね」
音を頼りに街道を進む。
やがて道が大きく曲がり、その先が開けた。
そこにいたのは――。
「オーク……!」
セレナが息を呑んだ。
一台の馬車が、十を超えるオークに囲まれていた。
馬は怯えて暴れ、御者が必死に手綱を押さえている。その周囲では数人の護衛が剣や槍を振るい、馬車へ近づこうとするオークたちを食い止めていた。
だが、数が違う。
一人が棍棒を盾で受け止めた瞬間、別のオークが横から体当たりを食らわせる。護衛は地面へ転がったものの、すぐに立ち上がって馬車の前へ戻った。
「強いわね、あの人たち」
「普通の商人の護衛じゃなさそうだ」
マルタはそう答えながら、馬車をじっと見つめた。
やがて、その眉間に皺が寄る。
「……あれは」
「なに?」
「帝国の紋章だね」
「帝国?」
「馬車の扉を見な」
立派な馬車の側面。
そこには、わしの知らない紋章が刻まれていた。
「間違いない。帝国のものだよ」
マルタが小さく呟く。
「なんでこんなところで……」
帝国の人間が国境を越えて王国へ入ってくること自体は、珍しいことではないと聞いている。
だが、国の紋章を堂々と掲げた馬車となれば話は違うらしい。
その時。
「ぐっ!」
護衛の一人がオークの斧を剣で受け、体勢を崩した。
そこへ別のオークが迫る。
「助けましょう」
セレナが即座に言った。
「待ちな」
マルタが制する。
「帝国の紋章を掲げた馬車だ。あれに関わったら、面倒なことになるかもしれないよ?」
「でも、このままじゃ死人が出る」
「分かってる。ただ、あたしたちはあの馬車が何者かも知らない。帝国の事情に首を突っ込むことになるかもしれない。それでも行くのかい?」
セレナは馬車を見た。
必死に戦う護衛たちを見た。
それから。
腕の中のわしへ視線を落とした。
「行く」
迷いはなかった。
「この子に、人を簡単に見捨てるところを見せたくない」
(セレナ……)
「さ~ん~せ~い~」
カラリンが杖を握った。
「こ~ま~っ~て~る~ひ~と~、い~る~か~ら~ね~」
マルタは二人の顔を交互に見て、大きく息を吐いた。
「やれやれ。若いね」
「マルタも来るんでしょ?」
「ここで見てるだけなら、あたしが一番格好悪いじゃないか」
口では呆れているものの、その手にはすでに杖が握られている。
「ただし、セレナ。治ったばかりなんだから無茶するんじゃないよ」
「分かってる」
「ほ~ん~と~う~?」
「カラリンまで言わないで!」
その瞬間。
大きな衝撃音が響いた。
護衛の一人が盾ごと弾き飛ばされる。
地面へ倒れた男へ、オークが斧を振り上げた。
セレナの顔から笑みが消えた。
「レオン、お願い」
わしの身体がマルタへ渡される。
「はいはい。預かったよ」
セレナは背中から弓を抜き、流れるように矢をつがえた。
弦が鳴る。
放たれた矢がオークの腕を掠め、振り下ろされようとしていた斧の軌道を逸らした。
「なっ――!?」
倒れていた護衛がこちらを見る。
「話は後!」
セレナはすでに二本目の矢をつがえていた。
「今は前を見て!」
◇
わしらが加わったことで、戦況は一気に変わった。
セレナの矢が、護衛の死角から迫るオークを次々と牽制する。
「そ~っ~ち~、い~く~よ~」
カラリンの杖が地面を叩いた。
風が巻き起こり、二体のオークがまとめて吹き飛ばされる。
そこへ護衛たちが踏み込んだ。
「今だ!」
「押し返せ!」
さすがに訓練されている。
突然現れたわしらを警戒するより先に、戦力が増えたと判断して即座に利用していた。
「マルタ!」
「分かってるよ」
マルタの杖先に魔力が集まる。
地面が盛り上がり、馬車へ向かおうとしていたオークたちの足を止めた。
それを見た残りのオークたちに、明らかな動揺が広がった。
一体が後退する。
別の一体も周囲を見回した。
「……逃げる?」
セレナが矢を構えたまま呟く。
最初の一体が森へ駆け込むと、それを合図にしたように他のオークたちも次々と戦いを放棄した。
「追うな!」
護衛の一人が叫ぶ。
誰も追わなかった。
やがて。
街道に静けさが戻った。
「……ふう」
セレナが弓を下ろす。
「終わった?」
「そのようだね」
マルタは答えたものの、逃げていったオークたちの方角を見つめていた。
「どうしたの?」
「いや……」
しばらく森を眺めてから、マルタは首を振った。
「妙だと思ってね」
「妙?」
「あの装備を見ただろ?」
街道には、オークたちが落としていった武器が残されている。
錆びた剣。
刃の欠けた斧。
粗末な棍棒。
装備がしっかりしている部隊を襲うにはリスクが大きすぎる。
「街道を襲って稼いでる連中には見えなかった」
わしも同じことを考えていた。
馬車の荷物を奪おうとしていたというより。
(何かに追われて、ここまで出てきたようにも見えたのう。)
もっとも。
今は確かめようがない。
「助太刀、感謝する」
背後から声を掛けられた。
先ほど指示を出していた護衛の男だった。
「おかげで死人を出さずに済んだ」
「それなら良かったわ」
セレナが弓を背負う。
「怪我人は?」
「何人かいるが、命に関わるほどではない」
「なら、診せな」
マルタが前へ出る。
「治療くらいならできる」
「……何から何まで、すまない」
護衛の男が深く頭を下げる。
その時。
馬車の扉が開いた。
中から降りてきたのは、身なりの整った一人の男だった。
旅の途中だというのに服装にほとんど乱れがない。腰に剣は下げているが、護衛たちとは明らかに雰囲気が違った。
男がこちらへ歩いてくる。
すると。
先ほどまで戦っていた護衛たちが、一斉に姿勢を正した。
(……む?)
「危険なところを救っていただき、心より感謝する」
男はセレナたちの前まで来ると、深く頭を下げた。
「私は帝国皇帝陛下の命を受け、王国へ向かっている者だ」
「皇帝……?」
セレナが目を瞬く。
マルタの表情が変わった。
「まさか……特使かい?」
「その通りだ」
「……本当に面倒なことになったね」
「ちょっと、マルタ」
特使は気を悪くした様子もなく、むしろ小さく笑った。
「あなたの懸念はもっともだ。帝国の特使など、旅の途中で関わりたい相手ではないだろう」
「よく分かってるじゃないか」
「これでも外交に携わる者なのでね」
男はそう言うと、改めてセレナへ向き直った。
「それでもあなた方は我々を助けてくれた。恩に着る」
「困っている人がいたから助けただけよ」
「それができる者は、案外少ない」
男の視線が。
マルタに抱かれているわしへ向いた。
「それに……赤子を連れて旅を?」
「いろいろ事情があるの」
「そうか。余計な詮索はやめておこう」
それから男は、街道の先へ視線を向けた。
「我々も急がねばならない。王都まで、まだ長い道のりが残っている」
「帝国の特使が、王国へ何の用なんだい?」
マルタが尋ねる。
護衛たちの空気が、わずかに張り詰めた。
当然だ。
外交上の用件を、街道で出会ったばかりの冒険者へ話す理由などない。
「マルタ」
「分かってるよ。言えないなら構わない」
「いや」
特使が首を振った。
「本来であれば、王国の然るべき方々へお伝えするまで口外すべきではない。しかし、あなた方には命を救われた。それに――」
男が森を見る。
先ほどオークたちが逃げていった方角。
「いずれ、この国にも無関係ではなくなるかもしれない」
声から。
先ほどまでの柔らかさが消えた。
「帝国で何か起きているのかい?」
マルタの問いに。
特使は少しだけ間を置いた。
「ああ」
そして。
静かに告げた。
「帝国領内に、魔王を名乗る者が現れた」
「…………」
誰も。
すぐには言葉を返せなかった。
(……魔王?)
わしは思わず聞き間違いを疑った。
だが。
セレナも。
カラリンも。
マルタも。
その言葉に表情を変えている。
「魔王って……」
セレナがようやく口を開いた。
「そのままの意味だ」
「本物なのかい?」
「分からない」
特使は即答した。
「だから私は『魔王を名乗る者』と言った」
その言葉に、わしはわずかに目を細めた。
「正体も、目的も、まだ全ては把握できていない。ただ、すでに帝国だけの問題として片づけられる段階ではなくなりつつある」
「だから王国へ?」
「ああ」
男が頷く。
「王国に、力を貸していただきたい」
風が。
街道を吹き抜けた。
帝国。
魔王。
王国への救援要請。
今朝。
わしらはただ。
リルートへ向かうついでに、一通の書類を届ける依頼を受けただけだった。
(……世界というものは)
どうにも。
こちらの都合など。
待ってはくれないらしい。




