第94話 エドガーたちの部屋
「待って……」
部屋を出ようとしていたマルタたちの背中に、セレナの声がかかった。
「やっぱり私も行く」
「お姉ちゃん!」
真っ先に声を上げたのはリーナだった。
「何言ってるの!? さっき言ったばかりでしょ。今日は大人しくしててって!」
「分かってる」
「分かってないから行くって言ってるんでしょ!」
もっともである。
わしもできることなら止めたい。
両手は包帯だらけ。脚にも傷が残っている。昨日あれだけ無茶をしたのだから、本来なら一日どころか何日か寝ていてもらいたいところじゃ。
しかし、セレナは引かなかった。
「エドガーの……いえ」
一度、言い直す。
「エドガーたちの部屋に行くんでしょう?」
「……そうだ」
ガルドが答えた。
「だったら、せめて私が行かないと」
「だから、どうしてお姉ちゃんが――」
そこまで言って、リーナが口を噤んだ。
理由など、本当は聞くまでもないのだろう。
セレナとエドガーたちは、百年以上も前から互いを知っている。
わしには想像もできないほど長い時間だ。
「それに、エルフの里の文字で書かれたものがあるかもしれない」
「だったら私が――」
「リーナ」
セレナが妹の言葉を遮った。
「あなたは、この家と子どもたちを守っていて」
「…………」
「お願い。今の私じゃ、それは難しいから」
リーナが目を見開く。
わしも少し驚いた。
以前のセレナなら。
たとえ立つのがやっとの状態でも、自分が守ると言ったかもしれん。
だが今は、自分にはできないことを認め、その役目を妹へ託そうとしている。
「お願い。エドガーたちのこと、私は知りたい」
しばらく誰も口を開かなかった。
「……仕方ないね」
沈黙を破ったのはマルタだった。
「マルタさん?」
「そこまで言って聞くような子じゃないだろ」
マルタは荷物の中から小瓶を取り出した。
「この薬を飲みな。傷が治るわけじゃないが、しばらくは痛みを誤魔化せる」
「マルタさん!」
リーナの声が部屋に響く。
「何を渡してるんですか! 止めてくださいよ!」
「止めて聞くなら、とっくに止まってるさ」
「だからって!」
「だ~い~じょ~ぶ~」
カラリンがセレナの腕を取った。
「こ~ん~ど~は~、わ~た~し~が~、さ~さ~え~る~ぜ~。あいぼ~」
「カラリン……」
「ま~か~せ~ろ~」
セレナが小さく笑う。
リーナは何度か口を開きかけたが、最後には大きな溜息を吐いた。
「……絶対に無茶しないでよ」
「うん」
「痛くなったらすぐ帰ってくる」
「分かった」
「ガルドさんも見ててください」
「ああ」
「マルタさんも」
「分かったよ」
「……本当に分かってます?」
(苦労するのう、リーナよ)
そんなことを思っていると、セレナがわしを見た。
「じゃあレオン。リーナたちとお留守番しててね」
「あぅ?」
(待て)
「すぐ帰ってくるから」
「あぅ! あぅ!」
(わしも行く!)
何を当然のように置いていこうとしておる。
黒雷石。
雷葬獣。
どれもわし自身に関係している話ではないか。
「レオンは駄目。昨日怖い思いしたばっかりでしょ?」
「あぅ!」
(それとこれとは別じゃ!)
「だ~め~」
(カラリン! お主はどっちの味方じゃ!)
その時だった。
「――あぅ?」
胸の奥が。
熱くなった。
(なんじゃ……?)
心臓とは違う。
もっと深い場所。
わしの体内にある黒雷石が、脈打つように熱を帯びている。
『…………』
(雷葬獣?)
『我ではない』
(何?)
次の瞬間。
胸元から黒紫色の光が滲み出した。
「レオン?!」
セレナが慌ててわしを抱き上げる。
光は消えない。
細い筋となって、壁の向こうを指し示していた。
ガルドがその方角を見る。
「……エドガーの部屋は、あちらだ」
「…………」
皆が黙る。
マルタが頭を掻いた。
「坊やも連れてけってことかい?」
「あぅ!」
(そういうことじゃ!)
セレナはしばらくわしと光を交互に見ていたが、やがて諦めたように息を吐いた。
「……分かった。レオンも一緒に行こう」
(最初からそう言っとるじゃろうが!)
◇
エドガーたちの部屋は、町外れの古い集合住宅の二階にあった。
ガルドが預かっていた鍵を差し込む。
カチリ。
扉が開いた。
「…………」
意外だった。
もっと怪しげな部屋を想像していたのだ。
しかし、そこにあったのはごく普通の生活だった。
小さな机と椅子。
寝台。
食器。
本棚。
男物と女物の衣服が、同じ棚に並べられている。
机の上には化粧道具と、小さな刃物。
引き出しを開けば、何枚もの身分証らしきものが出てきた。
「……こんなに」
セレナが呟く。
名前が違う。
年齢が違う。
職業も違う。
「商人、兵士、旅人……こっちは女の名前だね」
マルタが一枚ずつ確かめていく。
エドガーたちが百年以上にわたって生きてきた痕跡。
誰かになり。
また別の誰かになり。
そうやって積み重ねてきたものが、この狭い部屋に残されていた。
セレナは何も言わなかった。
ただ、男物と女物の服が並んだ棚を、しばらく見つめていた。
「……あぅ」
また胸が熱くなる。
黒紫色の光が伸びた。
今度は、部屋の奥にある棚へ。
「そこか」
ガルドが棚を動かす。
壁との間に僅かな隙間があった。
板を外すと、その奥から何冊もの帳面と紙束が現れた。
「なるほどね」
マルタが一冊を手に取る。
「こっちが本命らしい」
それから、わしらはエドガーたちが残した記録を読み始めた。
◇
最初に目についたのは。
黒雷石。
その三文字だった。
整然とまとめられた報告書ではない。
何かを調べるたびに書き足していったのだろう。文字の大きさも違えば、何度も線を引いて消した跡もある。
『黒雷石について』
『そもそも、これは「石」なのか?』
マルタが眉を寄せる。
『魔力を吸収する』
『蓄えている?』
『あるいは、どこかへ送っている?』
『逆に、何かから力を受け取っている可能性は?』
『まるで生きているようにも見える』
『――生きている?』
(…………)
わしは思わず胸元を見た。
体内にある黒雷石は何も答えない。
だが、先ほど確かに。
自ら何かへ反応した。
『どこから採掘される?』
『天竜教、エルフ双方の記録に具体的な産地なし』
『これだけ重要な物質でありながら、鉱山、鉱脈、産地についての記録がほとんど存在しない』
『意図的に消されている?』
『あるいは――最初から「採掘」されるものではない?』
さらに別の紙。
『加工したのは誰?』
『現在確認できる黒雷石には形状、純度に差がある』
『自然石? 加工品?』
『楔は明らかに加工されている』
『誰が?』
『何のために?』
『使用方法――魔力吸収、貯蔵、生命維持、封印?』
『雷葬獣との関係』
『十二の楔との関係』
「……エドガー、かなり調べてたのね」
セレナが紙を見つめたまま呟いた。
「それでも答えまでは辿り着けなかったみたいだね」
マルタが次の資料を取る。
こちらは、さらに古い文献から書き写したものらしい。
『黒雷石と酷似した物質について、複数の古代資料に記載あり』
『名称は一定しない』
『賢者の石』
『命の石』
『天より落ちた石』
そして。
『外から来た星』
「……星?」
セレナが首を傾げた。
「隕石ってことかい?」
「分からない。古いエルフの言葉でも、たぶんそのまま星という意味だと思う」
(外から来た星……)
妙に引っかかる。
この世界の外。
そんな意味ではあるまいな。
異世界から転生してきたわしが考えると、冗談にも聞こえん。
エドガーの記録は続く。
『どの資料にも「掘り出した」という表現がない』
『現れた』
『落ちた』
『残された』
『生まれた』
『もし黒雷石が鉱物ではないのなら』
そこで一度、筆が止まっている。
次の一文だけ。
強く書かれていた。
『――何の残骸だ?』
(残骸……)
その言葉を頭の中で繰り返した時だった。
「……こっちにもあるよ」
マルタが別の紙を引き抜いた。
『採掘場所について、一つだけ噂を拾った』
『セレナの孤児院。その周辺』
「……え?」
セレナの声が漏れた。
『過去、この一帯から黒雷石に酷似した黒い石が掘り出されたという話がある』
『出所不明』
『正式な記録なし』
『誰が掘った? いつ?』
『現在も存在する?』
『不明』
マルタが紙をめくる。
『ただし、天竜教がこの噂を把握している可能性が高い』
『教団関係者が、この一帯の土地について調査していた形跡あり』
『孤児院そのものが目的?』
『土地?』
『地下?』
『黒雷石?』
「…………」
セレナの腕に僅かに力が入った。
わしを抱く腕だ。
その続きを。
マルタが読んだ。
「……ローデン商会」
「え?」
『アルベルト』
空気が変わった。
「アルベルト……?」
セレナが呟く。
『天竜教関係者との接触記録あり』
『本人が信徒である証拠はない』
『協力者?』
『取引相手?』
『利用されているだけ?』
『要調査』
そして。
『アルベルトが孤児院の土地取得を進めている時期と、天竜教がこの一帯を調べ始めた時期が近い』
『偶然か?』
(…………)
わしの中で。
これまで別々だった出来事が、ゆっくりと近づいていく。
孤児院の土地。
ローデン商会。
アルベルト。
そして。
天竜教。
「じゃあ……」
セレナが掠れた声を出した。
「アルベルトが土地を欲しがってたのって……」
「待ちな」
マルタが遮った。
「まだ決めつけるんじゃないよ」
「でも」
「これはエドガーの調査記録だ。アルベルトが天竜教の信徒だという証拠はない。本人が何も知らず利用されてる可能性だってある」
「……うん」
「ただ」
ガルドが口を開く。
「偶然で片付けるには、出来すぎている」
「そうさね」
最後の紙を見る。
『土地の取得』
『孤児院の立ち退き』
『その後に何をする?』
『採掘?』
『もし目的が黒雷石なら』
その下には。
たった一行。
『アルベルトが欲しがっているのは、孤児院ではない』
そして。
『――その下だ』
「…………」
誰も。
しばらく言葉を発することができなかった。
わしはセレナの腕の中で、床を見た。
もちろん。
ここは孤児院ではない。
それでも。
あの家の床が頭に浮かんだ。
ロイが歩く。
ミナが走り回る。
リリが笑う。
ライカがそれを見ている。
皆で食事をする。
夜になれば眠る。
わしらにとって。
あそこは、ただの土地ではない。
家なのだ。
その下に。
もし。
天竜教が欲しがる何かが眠っているのだとしたら。
セレナが、わしを抱く腕にもう一度力を込めた。
「……渡さない」
小さな声だった。
誰に聞かせるでもなく。
「絶対に」
(……そうじゃな)
わしも同じ気持ちだった。
エドガーの資料は。
まだ半分以上残っていた。




