第95話 エドガーが追ったもの
エドガーたちの残した資料を調べ始めて、どれほど経っただろう。
窓から差し込む光の角度が、少し変わっていた。
セレナは椅子に座り、カラリンがその隣についている。
薬のおかげで痛みは抑えられているらしいが、無理をしていることに変わりはない。
「次はこれだね」
マルタが紙束を引き寄せた。
そして。
表紙を見た瞬間。
ガルドの目が変わった。
『北方亜人集落 調査記録』
『対象種族――リザードマン』
「…………」
ガルドが手を伸ばした。
「見せてくれ」
マルタが黙って渡す。
資料には簡単な地図が描かれていた。
山。
川。
森。
そして、集落。
ガルドの太い指が、一点で止まる。
「……俺の集落だ」
「間違いないの?」
「ああ」
短い返事だった。
だが。
紙を持つ手に、力が入っている。
『集落中央に祭壇あり』
『過去の英霊を祀るものと思われる』
「英霊?」
セレナが尋ねる。
「俺たちの祖先だ」
ガルドは紙から目を離さない。
「部族を守った戦士たちを祀る場所だ。俺たちにとっては……歴史そのものだ」
その祭壇を。
天竜教は別の目で見ていた。
『人造生命体研究に使用可能なサンプルとして調査』
『祭壇に保存されたものを優先して回収』
「サンプル……?」
ガルドの声が低くなる。
さらに。
『可能であれば生体も確保』
『成体は抵抗が強く、捕獲効率が低い』
『幼体を優先』
『生存状態での回収が望ましい』
「…………」
紙が震えた。
「ガルド?」
セレナが呼ぶ。
「……子どもが」
「え?」
「あの時」
ガルドは顔を上げなかった。
「少なかった」
低い声が、部屋に落ちる。
「死体の数が、合わなかった」
誰も動かなかった。
「焼けたのだと思っていた。あるいは……逃げたのだと」
ガルドの指が。
『生存状態での回収が望ましい』
その文字の上で止まる。
「連れていかれた……?」
答えられる者はいない。
死んだとは限らない。
だが。
生きているとも言えない。
それでも。
ガルドにとっては昨日まで存在しなかった可能性が、そこに生まれた。
「……ガルド」
マルタが静かに言った。
「まだ分からないよ」
「ああ」
「だったら調べるしかない」
「……ああ」
ガルドは顔を上げた。
その目には。
昨日までとは違うものが宿っていた。
◇
次に見つかったのは。
一冊の薄い冊子だった。
「師匠~」
カラリンが持ってくる。
「こ~れ~」
「何だい?」
マルタが受け取り、中を開いた。
名前が並んでいる。
所属。
日付。
金額。
記号。
「……名簿かい」
頁をめくるたびに、マルタの表情が険しくなっていく。
「王国軍……役所……商会……貴族家」
「天竜教の?」
「おそらくね。ただ、正式な信徒名簿なのか、エドガーが独自に調べた協力者の一覧なのかは分からない」
さらに頁をめくる。
「……まずいね」
「そんなに?」
「かなり中枢まで食い込んでいるらしい」
王国の末端だけではない。
名前の中には、マルタですら知っている者がいるようだった。
そして。
途中から文字が変わった。
「これは……」
セレナが冊子を受け取る。
その顔が。
見る見るうちに強張っていった。
「エルフの文字よ」
「何て書いてある?」
「所属……」
セレナの指が止まる。
「長老会」
「…………」
さらに、その下部組織にも居るらしい。
「王国だけじゃなく、エルフの里までかい」
マルタが深く息を吐いた。
「まずいね。どうなっている?」
「どうするの?」
セレナが尋ねた。
マルタはしばらく考えた。
「……これは、このままにしておこう」
「持って帰らないの?」
「ああ」
マルタは名簿を閉じる。
「王国の中に向こう側の人間がいる。エルフの里にもいる。だったら、これを誰に渡す?」
「…………」
「下手な相手に渡せば、証拠を消される。それだけならまだいい。こんなものが一気に表へ出たら、かなりの大混乱になるよ」
誰が味方で。
誰が敵なのか。
分からない。
それは。
想像していた以上に恐ろしいことだった。
「今は、あたしたちが知っているだけでいい」
「…………」
セレナは返事をしなかった。
閉じられた名簿から目を離さない。
特に。
――長老会。
その文字があった場所を。
「セレナ?」
「…………」
何かを言いかけた。
唇が動く。
だが。
「……ううん。何でもない」
出かかった言葉を。
セレナは飲み込んだ。
(…………)
何でもないはずがない。
百年以上前。
セレナを裁き。
耳を切り。
里から追放したのも。
長老会なのだから。
だが。
わしも何も言わなかった。
名簿に名前がある。
今分かっているのは、それだけ。
百年以上前の出来事と天竜教が本当に繋がっていたのか。
まだ決めつけるには早い。
◇
「……まだあるね」
マルタが別の紙束を取った。
今度は。
天竜教について。
『最終目的――竜神の復活』
「竜神……」
セレナが読む。
『教義だけではない』
『内部資料にも、繰り返し同じ目的が記されている』
『竜神を復活させる』
『これは間違いない』
しかし。
その次から。
エドガーの文字が乱れていた。
『問題は』
『そのために、なぜ《虚喰らい》が必要なのか』
(…………)
『天竜教は《虚喰らい》の封印を解こうとしている?』
『竜神を復活させるためには、《虚喰らい》の復活が必要?』
『なぜ?』
別の古い資料。
セレナが掠れた文字を読み上げる。
「『天より降りし竜神、雷を従え――』」
(……雷?)
わしは顔を上げた。
「それから……『地の底より現れし虚ろなるもの、あらゆるものを呑み込み――』」
「《虚喰らい》かい?」
「たぶん」
別の記録にも似た記述があった。
『竜神は天雷をもって大地を裂く』
『虚喰らいは命も、魔力も、大地さえも呑み込む』
『両者相争い――』
その先は。
欠けている。
(……待て)
雷。
わしは胸元へ目を落とした。
これまで使ってきた力。
黒雷石。
そして。
雷葬獣。
(雷は……竜神の方の力なのか?)
では。
雷葬獣の雷は何だ?
(雷葬獣)
『何だ』
(お主の雷は、本当にお主自身の力なのか?)
少しの間を置いて。
『我の力は、古の賢者に与えられた。それだけだ』
(……古の賢者に?)
『そうだ』
わしは資料へ目を戻す。
『竜神――雷』
『虚喰らい――全てを呑み込む』
『では雷葬獣の雷は?』
(では、古の賢者はどうやってお主に雷の力を与えた?)
『…………』
(竜神の力を使ったのか? それとも――)
『分かるはずがない』
いつもより強い言葉だった。
思わず黙る。
『我は与えられた側だ。何を使い、どのように我へ力を与えたのかなど、知るはずがない』
(…………)
言われてみれば。
その通りじゃ。
わしはいつの間にか。
こやつなら何でも知っているような気になっていた。
だが。
雷葬獣とて、自分自身のことをすべて知っているわけではないのかもしれない。
(……そうじゃな)
少し間を置く。
(責めるような聞き方をして悪かった)
『…………』
返事がない。
怒ったかと思った頃。
『いや、いい』
短い返事が届いた。
わしも。
それ以上は聞かなかった。
◇
エドガーの推測は続いていた。
『竜神と《虚喰らい》』
『古い記録では両者が戦ったとされる』
『だが記録ごとに前後関係が違う』
『両者が戦った時に、黒雷石が生まれた?』
『逆?』
『黒雷石、あるいはその元となったものを巡って戦った?』
『《虚喰らい》は竜神の敵?』
『餌?』
『力の根源?』
『あるいは、竜神を成立させるために必要な何か?』
そして。
『分からない』
そこだけ。
妙に大きな文字で書かれている。
(エドガーも分からんかったか)
『もっと中枢へ潜り込む必要がある』
『現在接触できている者は、命令に従っているだけの者が多い』
『目的を聞けば「竜神の復活」と答える』
『方法を聞けば口を閉ざす』
『知らない?』
『知っていて話さない?』
『あるいは』
『中枢の者ですら、本当のことを知らない?』
さらに。
『知る必要がある』
文字が。
そこで少し変わっていた。
調査記録というより。
誰にも見せるつもりのない独り言のように。
『このまま放っておけば、いずれあの土地にも手が伸びる』
『セレナは、ようやく自分の居場所を作った』
セレナの目が止まる。
『あいつは昔から、何も持っていないような顔をして』
『いつの間にか、自分で全部作ってしまう』
『家も』
『帰る場所も』
『家族も』
『俺には、できなかった』
「…………」
『だからせめて』
『――セレナの居場所を守るために』
『知る必要がある』
部屋が。
静かになった。
セレナは、しばらく紙を見つめていた。
「……馬鹿」
小さな声だった。
「そんなこと、一度も言わなかったくせに」
それ以上。
何も言わなかった。
わしらも何も言わない。
やがて。
沈黙に耐えられなくなったわけでもなかろうが。
カラリンが首を傾げた。
「け~きょ~く~、わ~か~ら~な~い~と~い~う~こ~と~が~、わ~か~った~ね~」
「そうさね」
マルタが苦笑する。
(なんとも身も蓋もないのう)
じゃが。
まさしく、その通りだった。
分かったことは多い。
同時に。
分からないことは、それ以上に増えた。
「これ以上は、ここにある資料だけじゃ無理そうだね」
マルタは立ち上がると、先ほどの名簿を元の場所へ戻した。
そして。
「ムーン」
(むーん?)
突然、誰かの名を呼んだ。
直後。
「クァ」
「……あぅ?」
マルタの鞄から。
ぬっ。
白い頭が出てきた。
カラスに似た鳥。
ただし。
頭から尾の先まで真っ白だ。
(いつからそこにおったんじゃ)
白いカラスのような鳥は鞄から這い出ると、マルタの肩へ飛び乗った。
「この部屋の情報を覚えておきな」
「クァ」
理解したかのように一声鳴く。
そして。
ばさっ。
白い翼を広げた。
部屋を一周。
もう一周。
机。
本棚。
隠されていた資料。
黒雷石の走り書き。
天竜教の記録。
リザードマンの集落についての資料。
そして。
王国とエルフの長老会の名前が記された名簿。
それらを確かめるように何度か部屋を飛び回る。
やがて。
再びマルタのもとへ戻ってきた。
そして。
すぽっ。
鞄の中へ消えた。
「…………」
「…………」
わしとガルドが。
揃ってマルタの鞄を見る。
「……今のは?」
ガルドが尋ねた。
「私の使い魔さ」
マルタは何でもないことのように答えた。
「忘れたくない記憶を覚えておくのに役に立つ」
「記憶を?」
「ああ。ムーンが見たものは、後から私が確認できる。これなら資料を持ち出さなくて済むだろ?」
「…………」
ガルドが黙った。
わしも黙った。
魔法。
薬。
結界。
古代の術式。
それだけでも大概じゃというのに。
記憶を保存する使い魔まで鞄に入れて持ち歩いておる。
(この婆さん……)
何食わぬ顔で鞄を閉じるマルタを見上げる。
(万能じゃのう)




