第93話 リザードマンの戦士
目を覚ますと、すぐ隣にセレナの顔があった。
昨日の疲れが残っているのだろう。いつもならわしが少し動いただけでも目を覚ますくせに、今日は規則正しい寝息を立てたままだ。
脚には包帯が巻かれ、両手にも同じように白い布が巻かれている。特に拳のあたりは、見ているだけでも痛々しい。
(……そりゃ、あれだけ石床を殴ればこうなるわな)
昨日の教会での出来事が、嫌でも脳裏に蘇る。
エミリーに抱かれたわし。
その手に握られた短剣。
わしが伸ばした手。
そして、怒りに任せて拳を振るったセレナ。
あの時は必死だったのだろうが、こうして朝になって傷を見れば、改めて無茶をしたものだと思う。
「……ん」
隣でセレナが身じろぎした。
ゆっくりと瞼が開き、少しぼんやりとした目がこちらへ向けられる。
「レオン……?」
「あぅ」
「……いる」
(当たり前じゃろう)
そう言いたいところだが、昨日の今日では確認したくなる気持ちも分からなくはない。
セレナは安心したように息を吐き、わしへ手を伸ばそうとした。
「動かないで」
「え?」
部屋の入口から声が飛んできた。
リーナだった。
その後ろにはライカもいる。
「起きたならちょうどいいわ。傷を見るから」
「もう大丈夫よ」
「大丈夫な人は、あんな手にならないの」
「…………」
反論できなかったらしい。
セレナは渋々と上体を起こした。
「ライカ、水をお願い」
「はい」
ライカは桶を抱えて部屋を出ると、ほどなくして水を汲んで戻ってきた。それをリーナの横へそっと置く。
「ありがとう」
「いえ」
リーナは桶の水で布を濡らし、セレナの包帯をゆっくりと解いていく。
昨日よりも拳が腫れている。
皮膚が裂けたところもあり、乾いた血が指の間にこびりついていた。
それを見たリーナの手が止まった。
「……無茶しすぎよ」
目を伏せたまま、ぽつりとそう言った。
怒っているというより、心配しているのだろう。
「……ごめん」
セレナも素直に謝る。
(む……)
なんじゃ、この空気は。
(そ、そんなにセレナを怒らないでやってくれ)
思わず心の中で口を挟んだ。
もちろん、誰にも聞こえない。
すると。
「リーナさん……」
ライカが遠慮がちに声をかけた。
「セレナも、ちゃんと反省していると思います」
「…………」
「あの……だから、あまり怒らないであげてください」
(おお……)
わしは思わずライカを見た。
以前なら、こんなふうに誰かと誰かの間へ入ることなどなかった。自分のことで精一杯だったはずなのに、今ではセレナを庇い、リーナの気持ちまで気にしている。
(すっかり人間臭くなったのう)
いや、人間臭いという言い方が正しいかは分からんが、誰かを気遣う余裕ができたことだけは確かだ。
「……別に怒ってないわよ」
リーナは小さく息を吐いた。
「ただ、心配しただけ」
「分かってる。本当にごめん」
「なら今日は大人しくしてて」
「……はい」
(よし)
なぜか、わしまで安心した。
「今、みんなを呼んでくるね」
包帯を巻き直したリーナが立ち上がる。
「マルタとカラリンにも、起きたって伝えてくる」
「うん」
リーナはそのまま階下へ降りていった。
◇
しばらくすると、階段を上がってくる複数の足音が聞こえてきた。
「起きたのかい」
最初に部屋へ入ってきたのはマルタだった。
その後ろからカラリンが顔を覗かせ、さらにガルドも入ってくる。
「セ~レ~ナ~。生~き~て~る~?」
「生きてるわよ」
「よ~か~っ~た~」
「縁起でもないこと言わないでよ」
セレナが苦笑する。
いつものやり取り。
それだけで、昨日まで張り詰めていたものが少しだけ緩んだ気がした。
マルタはセレナの様子を確認すると、今度はガルドへ視線を向けた。
「ガルド」
「なんだ」
「あんたには、ちゃんと礼を言っておかないとね」
マルタの声から、いつもの軽口が消える。
「あんたがいなかったら、大変なことになっていたかもしれない。セレナも坊やも、こうして無事に帰ってこられたか分からないからね」
「…………」
「礼は必ずするよ」
「必要ない」
ガルドは即答した。
「そういうわけにはいかないさ」
「そういうわけでいい」
「頑固だねぇ」
「お前に言われたくない」
「はっ。言うようになったじゃないか」
マルタが口元を緩める。
すると、隣にいたカラリンもガルドを見上げた。
「ガ~ル~ド~」
「なんだ」
「あ~り~が~と~」
いつもの間延びした声。
だが、その言葉は真っ直ぐだった。
「セ~レ~ナ~も~、レ~オ~ン~も~、つ~れ~て~か~え~っ~て~き~て~く~れ~て~、あ~り~が~と~」
「……ああ」
ガルドが僅かに視線を逸らした。
(む?)
わしはその横顔を見上げる。
(こやつ、ひょっとして照れておるのか?)
「私からも」
今度はリーナだった。
「人を頼ることを知らないバカ姉を助けてくださり、本当にありがとうございます」
「バカ?!」
セレナが即座に反応する。
「ちょっとリーナ! 今バカって言った?!」
「ライカも心配してたのよね」
「はい」
「無視しないで!」
リーナはセレナの抗議など聞こえていないかのようにライカを見る。
ライカも小さく頭を下げた。
「私からも、ありがとうございます。ガルドさん」
「…………」
「セレナもレオンも無事に帰ってきて、本当に良かったです」
「……そうか」
ガルドはまた視線を逸らした。
心なしか尻尾まで落ち着かなく動いているように見える。
(やっぱり照れておるな)
あれだけ巨大な剣を振り回し、エミリーを前にしても怯まなかった男が、礼を言われただけでこれである。
ガルドは一度咳払いすると、腕を組んだ。
「リザードマンの戦士として、当然のことをしたまでだ」
低い声でそう言い切る。
だが、少しだけ胸を張っている。
(分かりやすい奴じゃのう)
思わず笑いそうになった。
「それにしても」
ひとしきり空気が和らいだところで、マルタがふと尋ねた。
「あんた、どうしてこんなにあたしたちに良くしてくれるんだい?」
「…………」
ガルドが瞬きをする。
言われてみれば確かにそうじゃ。
わしらとガルドの出会いは、完全な偶然だった。
同じ護送依頼を受け、たまたま行動を共にした。それだけの関係だったはずだ。
それなのに、ガルドはその後も何度となくわしらを助けてくれた。
「何か理由でもあるのかい?」
ガルドは少し考えてから答えた。
「お前たちが気に入った」
「……ずいぶん素直だね」
「事実だからな」
ガルドは腕を組んだまま続ける。
「迷惑でなければ、このままパーティーに加えてもらいたいと思っている」
「迷惑なわけないでしょ」
セレナがすぐに答えた。
「むしろ、こっちからお願いしたいくらいよ」
「そ~う~だ~ね~。ガ~ル~ド~、つ~よ~い~し~」
「強さだけで決めるんじゃないよ」
「そ~し~て、い~い~ひ~と~」
「……そうだね」
「…………」
またガルドが視線を逸らした。
(また照れておる)
じゃが。
今度はそこで終わらなかった。
「それに――」
ガルドの声色が変わる。
「俺には、斬っても斬れぬ因縁がある」
「因縁?」
「ああ」
ガルドは一度目を閉じた。
「天竜教――」
(――!)
はっとした。
(そうじゃ)
エドガー。
黒雷石。
雷葬獣。
そして、天竜教。
昨夜、思わぬところからその名へ繋がる手掛かりを得たばかりだった。
「思わぬところで、その足掛かりを得た」
ガルドも同じことを考えていたらしい。
「やはり、お前たちと一緒に行動していて良かった」
マルタの表情から笑みが消える。
「……何かあったんだね?」
「ああ。俺の部族との間にな」
「聞かせてもらっても?」
ガルドはすぐには答えなかった。
ほんの少しだけ視線を落とし、それから静かに口を開く。
「簡単に言えば――全滅させられていた」
「…………え?」
セレナの顔から血の気が引いた。
(全滅……?)
わしも耳を疑った。
ガルドの部族が?
「俺は、その日たまたま集落を離れていた。戻った時には、もう終わっていた」
淡々と話している。
だが。
いつもより声が低い。
「生き残っていたのは数頭だけだった。そいつらも、息も絶え絶えでな」
ガルドの拳がゆっくりと握られる。
「何があったのか聞いた。だが、まともに話せる状態じゃなかった」
「…………」
「『天竜教を名乗る奴らにやられた』――それだけ聞いた」
部屋が静まり返る。
「……なるほどね」
やがてマルタが口を開いた。
「それで天竜教を追ってるのかい。敵討ちってわけだね?」
「いや」
ガルドは首を振った。
「違う」
「違う?」
「俺は、何が起きたのかを知らない」
握っていた拳をゆっくりと開く。
「天竜教が俺たちを襲った。それは聞いた。だが、なぜ襲われたのかまでは聞けなかった」
「でも、だからって全滅させていい理由にはならないでしょ」
セレナが言う。
「そうだ」
ガルドは頷いた。
「だからこそ、知りたい」
「…………」
「もしかしたら、俺たちにも何か問題があったのかもしれない。知らず知らずのうちに、何かの禁忌に触れていたのかもしれない」
ガルドは目を伏せる。
「俺は真相が知りたい。なぜ俺たちの部族が襲われたのか。天竜教は何をしに来たのか。俺たちは何をしたのか」
そして。
「それを知った上で、俺がどうするべきか決める。その時になったら、また行動を起こす。それだけだ」
いつもなら、その巨体だけで部屋が狭く感じる。
巨大な剣を背負い、敵を前にすれば誰よりも頼もしい。
そんな男が。
今だけは。
随分と小さく見えた。
(…………)
強いから、悲しまないわけではない。
剣を振るえるから、迷わないわけでもない。
ガルドはずっと、自分の剣を振り下ろす理由を探していたのかもしれない。
「……ガルド」
セレナが静かに呼ぶ。
「何だ」
「一緒に探しましょう」
「…………」
「天竜教のこと。あなたの部族に何があったのかも」
セレナは包帯の巻かれた手を膝の上に置いたまま、真っ直ぐにガルドを見る。
「だって、もう仲間なんでしょ?」
「…………」
ガルドの目が僅かに見開かれた。
カラリンがすぐに頷く。
「な~か~ま~」
「頼もしいね」
マルタが笑った。
「私も」
リーナが続く。
「私もです」
ライカまで。
「…………」
ガルドはしばらく黙っていた。
やがて。
「そうか」
それだけ。
だが。
先ほどまで伏せられていた顔が、ほんの少しだけ上がった。
「なら、頼む」
「ええ」
セレナが笑う。
「こちらこそ」
(決まりじゃな)
思えば。
随分と変わった集まりになったものだ。
エルフ。
ゴブリン。
リザードマン。
そして。
百十歳の中身を持った赤ん坊。
(……わしが一番おかしい気もするが)
そこは考えないことにしよう。
◇
「そういえば」
マルタが何かを思い出したように口を開いた。
「天竜教って言えば、昨日の奴が何か言ってたんじゃなかったかい?」
「ああ」
ガルドの表情が再び引き締まる。
「エドガーか」
その名前が出た瞬間。
セレナの顔から笑みが消えた。
「…………」
昨日。
教会を出る直前。
エドガーは言っていた。
自分の部屋に。
黒雷石。
雷葬獣。
天竜教。
それらについて調べた記録が残っている、と。
そして。
その部屋へ入るための鍵を。
ガルドへ託した。
「役人には?」
マルタが尋ねる。
「昨夜のうちに知らせた」
「エドガーのことも?」
「ああ。教会へ向かうよう伝えてある」
「なら、あとは役人に任せるしかないね」
「そうだ」
ガルドは腰の小袋へ手を伸ばした。
そこから。
一つの小さな鍵を取り出す。
「だが、こっちは俺たちに託された」
掌の上。
古びた鍵。
「エドガーの部屋かい」
「ああ」
ガルドが頷く。
「本人は、黒雷石と雷葬獣。それに天竜教について調べたものがあると言っていた」
部屋の空気が変わった。
ガルドにとっては、一族を滅ぼしたかもしれない者たちへ繋がる手掛かり。
セレナにとっては、百年以上前の追放へ繋がっているかもしれない手掛かり。
そして。
わしにとっては。
(雷葬獣……)
自分の中にいる存在へ繋がる手掛かりだ。
『…………』
(お主も気になるか)
『当然だ』
低い声が返ってくる。
『あの者が、我について何を知っていたのか』
(そうじゃのう)
わしも同じことを考えていた。
「……行こう」
セレナが布団から足を下ろそうとする。
「駄目」
リーナ。
「なんでよ」
「今さっき何を言ったか忘れたの?」
「でも――」
「セレナ」
今度はマルタ。
「寝てな」
「…………」
「その脚と手で何ができるんだい」
「…………」
「寝てな」
「……はい」
(強い)
今日二度目である。
「俺が行く」
ガルドが言った。
「場所は聞いている」
「一人で?」
「そのつもりだ」
「待ちな」
マルタが立ち上がる。
「あたしも行くよ」
「師匠が行くなら~、わ~た~し~も~」
カラリンも続く。
「私はセレナと子供たちを見ています」
リーナが言うと、ライカも頷いた。
「私も残ります」
「…………」
セレナは少し不満そうだったが、さすがに今の身体では無理だと分かっているらしい。
「……何かあったら、すぐ戻ってきて」
「ああ」
「無茶しないでよ」
「お前に言われたくない」
「…………」
セレナが黙った。
(正論じゃ)
わしは危うく笑いそうになった。
そして。
ガルドの掌にある鍵へ、もう一度目を向ける。
昨日まで。
エドガーとエミリーが何を考えていたのか。
なぜセレナを追い続けたのか。
そのことばかりを見ていた。
だが。
あの二人が百年以上。
エルフの里と天竜教。
その双方へ潜り込み。
嘘を重ねながら集め続けたものがある。
黒雷石。
雷葬獣。
天竜教。
(……さて)
エドガー。
お主は。
いったい何を残した。
小さな鍵が。
ガルドの掌の上で。
朝の光を受けて、鈍く光っていた。




