第9話 百十歳、先生の過去に首を突っ込みます
コン。
コン。
コン。
深夜。
孤児院の扉を叩く音が。
静かな建物の中に響く。
「……俺だ」
扉の向こうから聞こえたのは。
昼間。
町で出会った。
あの金髪の男の声だった。
「話がある」
セレナは。
弓を握ったまま。
扉を睨んでいる。
「帰って」
「今日は帰れない」
「…………」
「セレナ」
一拍。
「故郷から使者が来た」
セレナの指。
弓を握る力が。
強くなる。
「お前を」
男は。
静かに言った。
「連れ戻すために」
(…………)
わしは。
籠の中から。
その背中を見ていた。
孤児院。
深夜。
子供たちは。
寝ている。
いや。
(何人か起きとるな)
廊下。
僅かな気配。
ロイ。
たぶん。
ミナも。
セレナが。
気づいていないはずはない。
だが。
何も言わない。
「……帰って」
もう一度。
セレナ。
「話すことはない」
「俺もそう言った」
扉の向こう。
「だが」
男。
声を落とす。
「今回は、俺の意見なんて関係ない」
「…………」
「向こうは本気だ」
(向こう)
誰だ。
故郷。
使者。
連れ戻す。
そして。
昨日届いた。
緑色の封筒。
(全部繋がっとるな)
ただし。
まだ。
情報が足りない。
セレナ。
何者。
なぜ。
故郷から離れた。
なぜ。
耳に。
あの傷がある。
そして。
なぜ今。
連れ戻そうとしている。
(…………)
気になる。
気になるが。
これは。
わしの問題ではない。
セレナが。
話したくないなら。
無理に。
聞くべきではない。
……。
(と、思っとったんじゃがな)
「三日後」
男の声。
「使者がここへ来る」
セレナ。
表情。
変わらない。
「勝手に来ればいい」
「セレナ」
「私は帰らない」
「…………」
「二度と」
低い。
声。
「帰るつもりはない」
そして。
セレナは。
扉から。
離れようとした。
だが。
男。
続ける。
「そう言うと思った」
セレナ。
止まる。
「だから」
一拍。
「孤児院のことも調べられてる」
(…………)
空気。
変わった。
明確に。
セレナの目。
冷たくなる。
「……何?」
「ここに何人いるのか」
「…………」
「誰が暮らしてるのか」
「…………」
「町との関係」
「…………」
「土地の話まで」
(……土地)
わし。
反応する。
やはり。
関係があるのか。
昨日。
いや。
一昨日。
孤児院を訪ねてきた。
太った男。
土地。
一ヶ月。
買いたい人間。
あの話。
(偶然じゃない?)
推測じゃ。
まだ。
断定はできない。
だが。
タイミングが。
良すぎる。
「誰が調べた」
セレナ。
「俺には言えない」
「なら帰って」
「待て」
「帰って!」
声。
大きい。
廊下。
何か。
動く気配。
(子供らが起きたな)
セレナも。
気づいた。
そして。
自分の声が。
大きすぎたことにも。
少し。
気づいたらしい。
「…………」
息。
吐く。
「ごめん」
扉の向こう。
男。
小さく。
「本当に」
「謝らないで」
「…………」
「あなたが悪いわけじゃない」
「それでも」
男。
言葉。
詰まる。
(妙じゃな)
この二人。
敵同士。
ではない。
少なくとも。
金髪の男。
セレナを。
連れ戻したい側。
ではない。
むしろ。
警告しに来た。
(昔の知り合い)
かなり。
近かった。
そんな感じだ。
「名前」
セレナが。
突然。
言った。
「え?」
「あなた」
「…………」
「まだ、その名前を使ってるの?」
扉の向こう。
沈黙。
「使ってる」
「そう」
(名前?)
わし。
少し。
気になる。
「……エドガー」
セレナ。
男の名を。
初めて呼んだ。
(エドガー)
金髪の男。
エドガー。
覚えた。
「あなたは」
セレナ。
静かに。
「昔から変わらないわね」
「そうかな」
「余計なことばかりする」
「お前ほどじゃない」
「…………」
一瞬。
空気が。
ほんの少し。
柔らかくなった。
だが。
すぐ。
戻る。
「三日後」
エドガー。
「それだけ伝えに来た」
「分かった」
「逃げるなら今のうちだ」
「逃げない」
「…………」
「今度は」
セレナ。
扉に。
手を置く。
「ここが私の家だから」
(…………)
わし。
その言葉に。
少しだけ。
胸が。
動いた。
家。
か。
◇
エドガー。
去る。
足音。
遠ざかる。
セレナ。
しばらく。
扉の前から。
動かない。
「……先生」
小さな声。
ロイ。
廊下。
立っている。
「起きてたの」
「うん」
後ろ。
ミナ。
リリ。
(やっぱり)
「故郷って?」
ミナ。
聞く。
セレナ。
少し。
困った顔。
「遠いところ」
「帰るの?」
「帰らない」
即答。
リリ。
セレナを見る。
「ずっと?」
「ずっと」
「ここにいる?」
「いる」
リリ。
ほっとしたように。
頷く。
(…………)
それだけ。
子供にとって。
大事。
らしい。
「じゃあ寝なさい」
セレナ。
「でも」
ロイ。
まだ。
気になる。
「三日後に来るって」
「大丈夫」
「本当に?」
「大丈夫」
セレナ。
笑う。
ただ。
(嘘じゃな)
分かる。
無理してる。
笑顔。
子供たちを。
安心させるため。
それだけ。
百十年。
人の顔。
見てきた。
経営者。
社員。
客。
取引先。
嘘。
強がり。
全部。
見てきた。
(大丈夫じゃない)
でも。
セレナ。
誰にも。
頼る気がない。
(この女も)
わしと。
似とるのかもしれんな。
◇
子供たち。
寝る。
セレナ。
わしを。
抱き上げる。
「ごめんね」
(何がじゃ)
「起こしちゃった」
(どうせ赤ん坊は寝たり起きたりじゃ)
「あぅ」
セレナ。
わし。
見つめる。
「…………」
(またか)
「あなたって」
一拍。
「本当に、人の話聞いてるみたい」
(聞いとる)
「あぅ」
「……まさかね」
(そのまさかじゃ)
セレナ。
苦笑。
わしを。
籠へ戻す。
その時。
服の隙間。
見える。
耳。
傷。
(…………)
今まで。
気になっていた。
でも。
触れない。
そう。
決めていた。
ただ。
今夜。
初めて。
思う。
(あの傷も)
故郷。
関係。
あるのかもしれん。
あくまで。
推測じゃ。
でも。
何か。
大きなもの。
ある。
◇
翌朝。
いつもと。
同じ。
朝食。
パン。
スープ。
子供たち。
ただ。
少し。
静か。
昨夜の話。
気にしている。
「先生」
ロイ。
「今日も弓の練習する?」
「する」
「いつも通り?」
「いつも通り」
「分かった」
ロイ。
頷く。
それ以上。
聞かない。
(良い子じゃな)
不安。
ある。
それでも。
セレナが。
話したくない。
分かっている。
ミナ。
今日は。
珍しく。
静か。
リリ。
セレナの服。
握る。
「…………」
セレナ。
何も言わず。
頭を撫でる。
(さて)
わし。
考える。
三日後。
使者。
来る。
目的。
セレナ。
連れ戻す。
孤児院。
調査。
土地。
(わしに何ができる)
赤ん坊。
戦力。
未知。
言葉。
喋れない。
(使えん)
だが。
何も。
できない。
わけではない。
警備会社。
昔。
やっていた。
危機。
対策。
基本。
まず。
情報。
次。
侵入経路。
次。
退避。
次。
連絡。
(備えだけでもする)
使者。
敵か。
味方か。
分からない。
戦いになる。
とも。
限らない。
でも。
何もせず。
待つ。
これは。
違う。
◇
朝食後。
わし。
床。
指差す。
「あぅ!」
ロイ。
「掃除?」
(違う)
首。
振る。
次。
玄関。
指差す。
窓。
裏口。
森。
「……外?」
ミナ。
(そう)
わし。
何度も。
指差す。
玄関。
窓。
裏口。
森。
次。
子供たち。
次。
奥の部屋。
「…………」
ロイ。
考える。
「誰か来た時に」
(お)
「みんな、どこに行くか?」
(そう!)
「あぅ!」
ロイ。
目。
開く。
「昨日の話?」
(鋭い)
ミナ。
「逃げる練習?」
(そうじゃ)
セレナ。
少し離れた場所。
聞いている。
「…………」
わし。
セレナを見る。
(どうする)
セレナ。
しばらく。
黙る。
そして。
「やりましょう」
(よし)
「先生?」
ロイ。
「避難訓練」
(そうじゃ)
セレナ。
わしを見る。
「誰かさんが、やりたいみたいだから」
(誰かさん言うな)
◇
まず。
人数確認。
子供。
全員。
何人。
年齢。
誰が。
小さい子を。
見る。
「ロイ」
「うん」
「あなたはミナとリリをお願い」
「分かった」
「ミナ」
「はい!」
「リリより小さい子を二人」
「任せて!」
(頼むぞ)
次。
出口。
玄関。
一つ。
(少ない)
裏。
勝手口。
一つ。
窓。
いくつか。
(使える)
問題。
孤児院から。
離れた後。
集合場所。
(バラバラが一番危ない)
わし。
森。
少し。
離れた。
大きな岩。
指差す。
「あそこ?」
セレナ。
(そう)
「でも」
ロイ。
「道から見えるよ」
(確かに)
セレナ。
「じゃあ」
別方向。
「古い炭焼き小屋」
(何じゃそれ)
「森の中」
「近い?」
「子供でも十分歩ける」
(ならそこ)
わし。
頷く。
「あぅ」
「決まりね」
◇
訓練。
一回目。
「誰か来た!」
セレナ。
叫ぶ。
ミナ。
「わああああ!」
走る。
「走るな!」
ロイ。
「でも急ぐんでしょ!」
「リリ置いてる!」
「あ!」
リリ。
その場。
ぽつん。
「…………」
(駄目じゃ!)
「あぅううう!」
「レオン怒ってる!」
(当たり前じゃ!)
一回目。
失敗。
◇
二回目。
ロイ。
人数。
確認。
ミナ。
小さい子。
手。
握る。
リリ。
自分から。
動く。
ただ。
別の子。
靴。
履けない。
(時間かかる)
「外用の靴」
セレナ。
考える。
「玄関にまとめる」
(そうじゃ)
避難。
準備。
普段から。
必要。
◇
三回目。
かなり。
早い。
「一人足りない!」
ロイ。
「誰!?」
ミナ。
「ニコ!」
「トイレ!」
(こういうのがある)
人数。
管理。
重要。
普段。
誰が。
どこ。
完全に。
管理。
無理。
でも。
何かあったら。
確認。
◇
四回目。
成功。
全員。
炭焼き小屋。
到着。
「疲れたー!」
ミナ。
座り込む。
ロイ。
汗。
「でも」
息。
整える。
「これなら」
「うん」
セレナ。
周囲を見る。
「もし何かあっても」
そして。
わし。
見る。
「少し安心」
(それでいい)
勝てるか。
分からない。
でも。
子供。
逃がせる。
それだけで。
セレナ。
戦う。
必要。
あっても。
楽になる。
(守るとは)
戦うこと。
だけではない。
逃がす。
備える。
危険を。
減らす。
それも。
守る。
前世。
警備。
何度も。
教えた。
◇
帰り道。
セレナ。
わしを。
抱く。
「あなた」
(ん?)
「本当に」
少し。
笑う。
「何者なの?」
(百十歳の爺じゃ)
「あぅ」
「赤ちゃんが避難訓練なんて」
(まあな)
「普通考えないわよ」
(確かに)
セレナ。
少し。
黙る。
そして。
「ありがとう」
(…………)
わし。
何も。
できない。
と思っていた。
でも。
少しくらい。
役に立てる。
(悪くない)
「レオン」
(ん?)
「もし」
セレナ。
前。
見る。
「三日後」
一拍。
「私がいなくなっても」
(…………)
わし。
目。
細める。
「子供たちを」
セレナ。
続ける。
「お願いね」
(ふざけるな)
「あぅ!」
声。
強くなる。
「え?」
「あぅ! あぅ!」
わし。
セレナの服。
掴む。
(勝手にいなくなる前提で話すな)
「…………」
セレナ。
わしを見る。
「あぅ!」
(ここが家だと言ったじゃろ)
「…………」
もちろん。
伝わる。
はず。
ない。
だが。
セレナ。
なぜか。
少し。
悲しそうに。
笑った。
「怒ってる?」
(怒っとる)
「あぅ!」
「そっか」
そして。
わしを。
胸に。
抱く。
「……ごめん」
(謝るな)
「でもね」
声。
小さい。
「私の問題だから」
(違う)
今までは。
そうだったかもしれない。
でも。
今は。
違う。
ロイ。
ミナ。
リリ。
子供たち。
孤児院。
この場所。
皆。
巻き込まれている。
なら。
もう。
セレナ一人の。
問題。
ではない。
(そして)
わしも。
この家。
少し。
気に入っている。
なら。
(首くらい突っ込むわ)
太く短く。
好きに生きる。
そう。
決めた。
誰かに。
命令されて。
助ける。
わけではない。
わしが。
やりたいから。
やる。
◇
その夜。
わしは。
眠れなかった。
三日後。
使者。
セレナ。
故郷。
土地。
孤児院。
全部。
考える。
(まず)
情報。
エドガー。
あの男。
何か知っている。
(もう一度)
会えれば。
話。
……。
(いや)
わし。
喋れん。
「…………」
(またこれじゃ!)
わし。
布団の中。
怒る。
「あぅ……」
その時。
窓。
外。
何か。
動いた。
(ん?)
人影。
一つ。
森。
木。
隠れる。
(…………)
見間違い。
ではない。
わし。
じっと。
見る。
人影。
孤児院。
見ている。
そして。
月明かり。
一瞬。
その人物の。
横顔。
見えた。
(耳……?)
奇妙に。
長く見えた。
ような。
気がした。
だが。
すぐに。
影。
消える。
(…………)
わし。
目。
細める。
(もう来とるのか)
三日後。
そう。
聞いていた。
だが。
どうやら。
向こうは。
それまで。
何もせず。
待つ気は。
ないらしい。
人生二周目。
商売。
孤児院。
そして。
セレナの過去。
わし。
もっと。
気楽に。
生きるつもりだったんじゃが。
(まあ)
いい。
やるなら。
やってみろ。
わしは。
百十年。
一人で。
生き抜いた。
今度は。
一人ではない。
それが。
前世との。
一番大きな違いかもしれなかった。




