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第87話 百十歳、鍵を託されます

「行こう、セレナ」


 しばらくして。


 ガルドが静かに言った。


「みんなが心配している」


「…………うん」


 セレナは、わしを抱いたまま小さく頷いた。


 泣き疲れたのだろう。


 目は赤く腫れ、声にもほとんど力が残っていない。


 それでも。


 わしを抱く腕だけは離そうとしなかった。


「立てるか?」


「……たぶん」


「たぶんは駄目だ」


「…………」


「俺が運ぶ」


「……お願い」


 ガルドがセレナの肩へ手を置いた。


 その時だった。


「――待て」


 背後から声が飛んだ。


 ガルドの手が止まる。


「…………」


 振り返った先。


 石床に横たわっていたエミリー――いや。


 今の声は。


(エドガーか)


 ガルドがエドガーを睨みつけた。


「なんだ」


 ギリリ。


 握られた拳が鳴る。


 つい先ほどまでエミリーを殴っていたセレナとは違う。


 ガルドは冷静だ。


 じゃが。


 だからこそ。


(……怖いのう)


 今ここで余計なことをすれば。


 本当に斬る。


 それくらいの殺気があった。


「これを持っていけ」


 エドガーが腕を上げた。


「動くな」


 ガルドの声が低くなる。


「…………」


「妙な真似をすれば斬る」


「分かってるよ」


 エドガーは苦笑すると、指先で何かを軽く放った。


 小さな金属音。


 ――チャリン。


 それはガルドの足元まで届かず、少し離れた石床に落ちた。


 ガルドはすぐには拾わない。


 エドガーから目を離さないまま、しばらく様子を窺う。


 そして。


 危険がないと判断したのだろう。


 ようやく腰を屈めた。


「…………鍵?」


 掌の上にあったのは、小さな鍵だった。


「ああ」


 エドガーが天井を見たまま答える。


「俺の部屋の鍵だ」


「部屋?」


「いずれ役人が俺のところまで来る」


「…………」


「そうなれば、当然、部屋も調べるだろう」


 そこで。


 エドガーは一度言葉を切った。


「その前に」


 視線だけをこちらへ向ける。


「お前たちが調べてみろ」


「なぜだ」


 ガルドが即座に聞き返した。


「役人より先に俺たちへ見せる理由はなんだ」


「…………」


 エドガーは目を閉じる。


 そして。


 一言。


「黒雷石」


「――!」


 セレナの身体が僅かに強張った。


 ガルドの表情も変わる。


(黒雷石……?)


 わしも。


 思わずエドガーを見る。


「それから」


 エドガーは続けた。


「雷葬獣」


(――っ)


『…………』


 頭の中。


 雷葬獣も黙った。


「……天竜教」


「お前」


 ガルドの声がさらに低くなる。


「何を知っている」


「…………」


 エドガーは答えなかった。


「エドガー」


 今度はセレナが呼ぶ。


「何を知ってるの?」


「……色々」


「色々じゃ分からない」


「だったら調べろ」


 エドガーが疲れたように息を吐いた。


「部屋に残してある」


「何を?」


「俺が調べたもの」


「…………」


「俺がしてきたことも」


 僅かな沈黙。


「たぶん」


 自嘲するように笑う。


「俺の口から聞くより、そっちの方が分かりやすい」


「…………」


「俺は」


 エドガーが天井を見つめる。


「エルフの里と天竜教を行き来する、二重諜報員だった」


「――な」


 セレナの目が大きく見開かれた。


「二重……諜報員?」


「ああ」


「いつから?」


「ずっと昔から」


「…………」


「お前が追放されるより前からだ」


「――――」


 セレナが言葉を失う。


(…………)


 百年以上前。


 セレナが。


 まだ。


 あの里にいた頃から。


「じゃあ……」


 セレナの声が掠れる。


「あなたは、長老会のことも……?」


「…………」


「天竜教のことも……?」


 エドガーは。


 答えなかった。


 ただ。


「部屋を調べろ」


 それだけ言った。


「…………」


 ガルドが鍵を握り締める。


「なぜ今になって話す」


「…………」


「グレゴリーを殺したからか?」


「…………」


「レオンを攫ったからか?」


「…………」


「それとも」


 ガルドの瞳が細くなる。


「死ぬつもりだからか」


「違うよ」


 エドガーは、すぐに答えた。


「…………」


「たぶん」


 そして。


 少し考える。


「疲れたんだろうな」


「疲れた?」


「ああ」


 長い息を吐いた。


「誰かになって」


「嘘をついて」


「誰かを騙して」


「自分まで騙して」


「…………」


「もう」


 目を閉じる。


「疲れた」


 セレナは何も言わなかった。


「一人にしてくれ」


「…………」


「少ししたら、自首しに行く」


「信用できると思うか?」


 ガルドが言う。


「思わない」


 エドガーは即答した。


「…………」


「俺でも信用しない」


「なら――」


「でも」


 エドガーは。


 力なく手を広げた。


「もう逃げる気力もないよ」


 ガルドはじっとエドガーを見る。


 長い。


 長い沈黙。


「…………」


 やがて。


 ガルドはエドガーが落とした短剣を拾い上げた。


 自分の腰へ差す。


「武器は預かる」


「好きにしろ」


「俺たちは孤児院へ戻る」


「…………」


「セレナの手当てをしたら、役人にも知らせる」


「ああ」


「お前が自首するより、役人が先に来るかもしれないぞ」


「それでもいい」


 ガルドがエドガーを睨む。


「逃げるな」


「…………」


「逃げれば」


 一拍。


「わかるな」


「斬るんだろ。わかってるよ」


 それ以上。


 ガルドは何も言わなかった。


「セレナ」


「……うん」


「帰るぞ」


 セレナがわしを抱いたまま立ち上がろうとする。


「っ……!」


 すぐに身体が傾いた。


「だから無理をするな」


 ガルドが呆れたように言う。


 そして。


「失礼する」


「え?」


 ひょい。


「――ちょ、ガルド!?」


 セレナの身体が持ち上がった。


(おお)


 もちろん。


 セレナの腕の中にいるわしも一緒じゃ。


 つまり。


 ガルドがセレナを抱き。


 そのセレナがわしを抱いている。


(……なんじゃ、この状態は)


「自分で歩けるって!」


「無理だ」


「歩ける!」


「さっき倒れかけただろう」


「それは……」


「黙って運ばれろ」


「…………」


「レオンもそう思うだろう?」


(わしに振るな)


「あぅ」


「ほらな」


「今の『あぅ』にそんな意味ないでしょ!」


(その通りじゃ)


 少しだけ。


 いつものセレナが戻った。


 そんな気がして。


 わしは。


 少し安心した。


 教会を出る直前。


 わしはガルドの肩越しに振り返った。


「…………」


 エドガーは。


 まだ石床に横たわっていた。


 祭壇の奥。


 子供を抱く女の絵を見つめながら。


 ただ一人。


 静かに。


     ◇


 孤児院へ戻った頃には。


 夜もかなり深くなっていた。


「セレナ!!」


 扉を開けるなり。


 リーナたちが駆け寄ってきた。


 ロイたちも起きている。


 ライカも。


 誰一人。


 眠れるはずがなかったのだろう。


「レオン!」


「レオン無事!?」


「あぅ!」


 わしが声を上げると。


 何人かが同時に泣き出した。


(……心配かけたのう)


 その後は。


 大騒ぎだった。


 リーナがセレナの脚の傷を確認し。


 血まみれになった拳を洗い。


 傷口を消毒し。


 包帯を巻く。


 わしも一通り身体を確認されたが。


 幸い。


 大きな怪我はない。


 そして。


 今。


 わしはセレナと同じベッドにいた。


「…………」


 眠り薬。


 脚の傷。


 疲労。


 そして。


 張り詰めていた糸が切れた反動なのだろう。


 セレナはわしの隣で。


 もう眠っていた。


「…………」


 泣き疲れた顔。


 包帯だらけの手。


(…………)


 わしは。


 その手を見ていた。


「レオン」


「……あぅ?」


 声に顔を上げる。


 部屋の入口。


 ガルドが立っていた。


「俺は近くにいる」


「…………」


「何かあったら、すぐに呼べ」


(…………)


 セレナにではない。


 わしに言っている。


(わしか)


 赤ん坊に。


 本気で。


 部屋の見張りを頼んでいるらしい。


(まったく)


 変な奴じゃ。


 じゃが。


「あぅ!」


 任せろ。


 そんな気持ちで返事をすると。


「おう」


 ガルドも。


 当たり前のように答えた。


「頼んだ」


 ほんの少し。


 口元が緩む。


 そして。


 扉が静かに閉じられた。


「…………」


 だが。


 ガルドの気配は消えない。


(……なるほど)


 おそらく。


 部屋の前にいる。


 今夜は。


 そこで番をしてくれるのだろう。


(…………)


 わしは隣を見る。


 眠っているセレナ。


 包帯を巻かれた手を。


 そっと握る。


(もう大丈夫じゃ)


 今夜くらいは。


 安心して眠ってくれ。


(今度は、わしが見ておるからのう)

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