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第84話 百十歳、欲しかったものを知ります

「家族になろうね」


 そう言ったエミリーの顔は。


 今まで見た中で、一番幸せそうに見えた。


(…………)


 じゃが。


 わしとしては。


(いやいやいやいや)


 待て。


 何をどうしたら、そうなる。


 わしはセレナの隣で寝ていた。


 目が覚めたらエミリーに抱かれていた。


 屋根の上を走っていた。


 そして。


 古い教会へ連れてこられた。


 そのうえ。


 今日から自分が親だという。


(…………)


(誘拐じゃろ、これ)


『今頃気づいたのか』


(気づいとるわ!!)


 頭の中に響く雷葬獣の声に、思わず言い返す。


 だが。


 状況は笑えない。


 わしは赤ん坊。


 エミリーの腕の中。


 逃げることすらできん。


「ねえ、レオン」


「あぅ?」


「私ね」


 エミリーはわしを抱いたまま。


 祭壇の奥にある絵を見上げた。


 女が。


 幼い子供を抱いている。


「父親になりたかったの」


(…………)


「ずっと」


 エミリーの声は穏やかだった。


「昔からね」


「…………」


「子供がいて」


 わしの頭を撫でる。


「その子が私を見つけたら、走ってきて」


 優しく。


 本当に優しく。


「おかえりって言って」


 指が止まる。


「私も、ただいまって言うの」


「…………」


「一緒にご飯を食べて」


「今日は何があったのって聞いて」


「怒ったり」


「笑ったり」


「たまには喧嘩したりして」


 エミリーが笑った。


「そういうの」


「…………」


「やってみたかった」


(…………)


 大それた願いではない。


 世界を支配したいわけでも。


 金が欲しいわけでも。


 力が欲しいわけでもない。


 ただ。


 帰る場所が欲しかった。


 家族が欲しかった。


 それだけ。


 じゃが。


(……だからと言って)


 わしを誘拐してよい理由にはならん。


「でもね」


 声が変わった。


「無理だった」


「…………」


「私には」


 エミリーは絵を見ている。


「無理だったの」


 それ以上は言わなかった。


(……なぜじゃ?)


 聞きたい。


 だが。


「あぅ」


 これではどうしようもない。


「ふふ」


 エミリーが笑う。


「分からないよね」


(いや、分かりたいんじゃが)


「いいの」


 エミリーはわしを抱き直した。


「これから時間はいっぱいあるから」


(…………)


 ぞくり。


 背中に寒気が走った。


「セレナのことも忘れるよ」


(――!)


「最初は寂しいかもしれないけど」


(何を)


「私がいっぱい愛してあげるから」


(何を言っとる)


「だから」


「…………」


「大丈夫」


(大丈夫なわけがあるか!!)


 身体を捩る。


「うー! あぅ!」


「あ、危ないよ」


 エミリーがわしを抱き直す。


「落ちちゃうでしょう?」


(離せ!)


「あぅ! あー!」


「…………」


 エミリーの笑顔が。


 少しだけ消えた。


「……セレナがいいの?」


「…………」


「あぅ!」


 当たり前じゃ。


「…………そっか」


 声が。


 低くなった。


「やっぱり」


 エミリーの視線が落ちる。


「セレナなんだ」


「…………」


「いつもそう」


(……?)


「ずっと」


 何の話じゃ。


「ずっと、あの子ばっかり」


 エミリーの指が。


 僅かに震えていた。


     ◇


「見えた」


 ガルドが言った。


「……!」


 セレナが顔を上げる。


 木々の向こう。


 月明かりの中に。


 古い教会の尖塔が見えた。


「あそこ……!」


「ああ」


「ガルド、降ろして!」


「まだ駄目だ」


「もう走れる!」


「嘘をつけ」


「走れるって言ってるでしょ!!」


「薬が抜けていない」


「そんなの関係ない!!」


「ある」


「ガルド!!」


「教会まで運ぶ」


「…………!」


「着いたら好きにしろ」


「…………」


「今は俺に任せろ」


 セレナは唇を噛んだ。


「……早く」


「ああ」


「お願い……!」


 ガルドの足が。


 さらに速くなった。


     ◇


「ねえ」


 エミリーが言った。


「レオンは」


「…………」


「私じゃ駄目?」


(…………)


 何と答えろというのじゃ。


 そもそも。


 わしはお主の子ではない。


 じゃが。


 エミリーの顔を見て。


 言葉が出ないことを。


 初めて少しだけありがたいと思った。


 その時だった。


 ――バンッ!!


 教会の扉が。


 激しい音を立てて開いた。


「レオン!!!!」


(――!)


 聞き慣れた声。


「セレナ!」


 エミリーが振り返る。


(セレナ!!)


「あー!!」


 わしは必死に手を伸ばした。


「あー! あー!!」


「レオン!!」


 セレナがいた。


 ガルドに肩を貸されている。


 顔色は悪い。


 脚から血が流れている。


 それでも。


 わしを見つけた瞬間。


 その目から。


 涙が溢れた。


「よかった……」


 声が震える。


「無事……!」


 セレナが一歩踏み出す。


「返して」


「…………」


「エミリー」


 もう一歩。


「レオンを返して」


「…………」


「お願い」


 エミリーは。


 わしを抱いたまま動かない。


「嫌」


「…………」


「返さない」


「エミリー!」


「この子は私の子なの!」


「違う!!」


 教会に。


 セレナの声が響く。


「その子は誰のものでもない!!」


「…………!」


「レオンはレオンよ!」


(…………)


「私のものでもない! あなたのものでもない!」


 セレナは脚を引きずりながら進む。


「だから返して」


「来ないで」


「エミリー」


「来ないで!!」


 エミリーが叫んだ。


 セレナの足が止まる。


「…………」


「なんで」


 エミリーの目から。


 涙が落ちた。


「なんで、いつもお前なんだよ」


「…………」


 声が。


 変わった。


(……ん?)


 エミリーが自分の頭を押さえる。


「違う……」


 掠れた声。


「違う、今は私が――」


 そして。


 顔を上げた。


「……セレナ」


(…………?)


 声。


 表情。


 立ち方。


 何かが違う。


 セレナの顔が強張った。


「……エドガー」


(…………)


 …………。


(は?)


 わしはエミリーを見る。


(エドガー?)


 いや。


 どう見てもエミリーじゃ。


「出てこないで」


 エミリーが呟く。


「これは私の――」


「お前に任せたらこうなったんだろうが」


 今度は。


 明らかに違う口調。


「黙って!」


「黙れるか」


「私がやるの!」


「何をだ」


「父親になるの!!」


「…………」


「私は父親になるの!」


 エミリーが叫ぶ。


「だから!!」


「……そうか」


 エドガーの声。


 同じ口から。


 同じ身体から。


「お前は、なれると思ったのか」


「黙れ!!」


「…………」


(…………)


 わしは。


 ようやく。


 理解し始めていた。


(まさか)


 エドガー。


 エミリー。


(同じ……人間なのか?)


『そのようだな』


(お主、気づいとったのか!?)


『確証はなかった』


(先に言わんか!!)


『言って何が変わった』


(…………)


 それはそうじゃが!


「エミリー」


 セレナが呼ぶ。


「エドガー」


「…………」


「二人とも」


 セレナは。


 真っ直ぐ彼らを見る。


「レオンを返して」


「…………」


「それから話そう」


「話す?」


 エミリーが笑った。


「今さら?」


「…………」


「百年以上」


 笑っているのに。


 涙が落ちる。


「百年以上経ってから?」


「……ごめんなさい」


「謝るな!!」


 怒声。


「お前が謝るな!!」


 エミリーの腕に力が入る。


「……っ」


 苦しい。


「エミリー!」


「…………!」


 エミリーがはっとする。


「あ……」


 すぐに腕を緩めた。


「ご、ごめんね」


 わしを見る。


「痛かった?」


(…………)


 やはり。


 わしを傷つけたいわけではない。


 それだけは分かる。


「……レオンに何をするつもり?」


「何もしないよ」


 エミリーが答えた。


「一緒に暮らすだけ」


「私から奪って?」


「そう」


「それで家族になれると思ってるの?」


「…………」


 エミリーの顔から。


 表情が消えた。


「……なれるよ」


「エミリー」


「なれる」


「…………」


「だって」


 震える。


「ずっとそうしてきたから」


 セレナの目が見開かれた。


「…………」


「誰かになれば」


「…………」


「その人の家に帰れた」


「エミリー……」


「その人の家族が、おかえりって言ってくれた」


 涙が落ちる。


「その人の妻が笑ってくれた」


「その人の子供が抱きついてくれた」


「…………」


「私じゃないのに」


 笑った。


「全部」


「私じゃないのに」


 もう一度。


「それでも、その時だけは」


 胸に手を当てる。


「家族がいたんだよ」


「…………」


 教会が。


 静まり返った。


「でも」


 エミリーがセレナを見る。


「お前は違った」


「…………」


「セレナはセレナのままだった」


「…………」


「耳を切られて」


「追い出されて」


「何もなくなって」


「私と同じだと思ってた」


「…………」


「可哀想だと思ってた」


 セレナの瞳が揺れた。


「だから安心してた」


「…………」


「なのに」


 エミリーがわしを見る。


「なんで」


 そして。


 セレナを見る。


「なんでお前には家がある」


「…………」


「なんでお前には帰る場所がある」


「…………」


「なんでお前には家族がいる!!」


 叫び声が。


 教会を震わせる。


「なんで!!」


「…………」


「なんでお前は!!」


 涙。


「お前のままで!!」


 声が裏返る。


「母親になれたんだよ!!」


「…………」


 セレナは。


 何も言えなかった。


「私は……」


 エミリーが笑う。


「父親になりたかった」


 その笑顔は。


 もう。


 幸せそうには見えなかった。


「エドガーは母親になりたかった」


「…………」


「でも」


 エミリーは自分の胸へ手を当てた。


「私たちは」


 声が震える。


「どっちにもなれない」


「…………」


「なのにお前は……!」


「違う」


 セレナが言った。


「…………」


「違うよ、エミリー」


「何が」


「私だって」


 セレナが。


 一歩。


 前へ出た。


「母親になろうと思って、レオンを拾ったんじゃない」


「…………」


「あの日」


 セレナはわしを見る。


「この子が一人だったから」


「…………」


「抱いたの」


 涙が流れる。


「離したくなくなったの」


「…………」


「それだけよ」


「…………」


「母親だから愛してるんじゃない」


 セレナは胸元を握る。


「愛してるから」


「…………」


「私は、この子の母親でいたいの」


「…………」


 エミリーの顔が。


 歪んだ。


「……やめろ」


「あなたも――」


「やめろ!!」


 エミリーが叫んだ。


「そんな綺麗なこと言うな!!」


「エミリー!」


「お前は何も知らない!!」


「…………」


「私が何をしてきたか!」


「何人になったか!」


「何を奪ったか!」


「何を――」


 止まった。


「…………」


 セレナの目が。


 エミリーの腕へ向いた。


 包帯。


「……グレゴリーさん」


「…………」


「あなたなの?」


 沈黙。


「…………」


「四日前」


 セレナの声が震える。


「グレゴリーさんを殺したのは」


「…………」


 エミリーは。


 答えない。


「答えて」


「…………」


「エミリー」


「…………」


 長い沈黙のあと。


「……そうだよ」


「…………!」


 セレナの顔から。


 血の気が引いた。


「私が殺した」


「……どうして」


「分からない」


「…………え?」


「本当に」


 エミリーは。


 困ったように笑った。


「分からないの」


「そんな……」


「殺すつもりじゃなかった」


「…………」


「でも」


 自分の腕を見る。


「気づいたら」


 包帯を撫でる。


「刺してた」


「…………」


「それで」


「…………」


「死んじゃった」


 セレナの拳が震える。


「鍵は?」


「…………」


「グレゴリーさんの家の鍵」


 エミリーの目が。


 僅かに動いた。


「……持ってる」


「どうして?」


「…………」


「どうして持っていったの?」


「…………」


 エミリーは。


 首を傾げた。


「分からない」


「…………」


「でも」


 そして。


 本当に不思議そうに。


「誰も住んでないでしょう?」


「…………」


 ぞくり。


 背筋に。


 冷たいものが走った。


 セレナも。


 ガルドも。


 何も言わない。


 エミリーだけが。


 わしを抱いている。


「だから」


「…………」


「空いてるでしょう?」


 空いている。


 家が。


 役割が。


 居場所が。


(…………)


 その時。


 ようやく。


 わしにも分かった気がした。


 この者が欲しかったもの。


 ずっと。


 ずっと。


 欲しかったもの。


 家ではない。


 名前でもない。


 父親という肩書きですらない。


 自分が。


 ここにいてもいい。


 そう言ってもらえる場所。


 ただ。


 それだけだったのかもしれない。


「エミリー」


 セレナが言った。


「…………」


「私ね」


 涙を拭う。


「あなたのこと」


「…………」


「可哀想だって思ってた」


「…………」


 エミリーの動きが止まった。


「勝手に」


「…………」


「あなたのことを分かったつもりになってた」


「…………」


「聞かれたくないこともあるって」


「…………」


「黙ってることが優しさなんだって」


「…………」


「そう思ってた」


 エミリーの唇が。


 震えた。


「……お前も?」


「…………」


「え?」


「お前も」


 目が見開かれる。


「私を……」


 涙が落ちる。


「可哀想だと思ってたのかよ」


「…………」


「私も」


 笑った。


「お前を可哀想だと思ってた」


「…………」


「なんだよ」


 笑う。


「なんだよ、それ」


 笑っている。


 なのに。


 涙が止まらない。


「私たち」


「…………」


「百年以上も」


「…………」


「何やってたんだろうな」


「……エミリー」


 セレナが手を伸ばす。


「もういい」


「…………」


「レオンを返して」


「…………」


「帰ろう」


「…………」


「一緒に――」


「駄目」


 エミリーが言った。


「…………」


「それは駄目」


「どうして」


「戻れないから」


「…………」


「もう」


 エミリーの手が。


 腰へ伸びた。


「戻れないところまで来ちゃったから」


「エミリー?」


 銀色の光。


 短剣。


 ガルドが一歩前へ出た。


「動くな」


「…………」


 エミリーは。


 短剣を。


 わしの首元へ近づけた。


(――っ!?)


「エミリー!!」


 セレナの顔が変わった。


「やめて」


「来ないで」


「やめなさい」


「来ないで!!」


「その子を離して」


「嫌」


「エミリー!!」


「来たら」


 刃が。


 わしの首へ。


 触れる。


「この子を――」


「その子に刃を向けるなアアアアアアアア!!!!!!」


 教会が。


 震えた。


 セレナの絶叫。


 怒り。


 恐怖。


 悲しみ。


 全てが混ざった声だった。


「殺すなら私を殺せ!!!!」


「…………」


「お前が憎いのは私だろう!!!!」


 エミリーは。


 泣きながら。


 笑った。


「違うよ」


「…………」


「憎いんじゃない」


 短剣を握る手が震える。


「妬ましいんだ」


「…………」


「だから」


 エミリーは。


 わしを抱きしめた。


「お前は」


 そして。


 セレナを見た。


「最後に殺してあげる」


 月明かりが。


 子を抱く女の絵を照らしていた。

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