↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
80/96

第80話 百十歳、あの人のことを聞きます

 詰所から戻った日の夕方。


 孤児院の食堂には夕食の匂いが漂い始め、厨房からは鍋の煮える音と、リーナとカラリンの声が聞こえていた。


「こ~れ~、ど~こ~に~お~く~の~?」


「パンの隣」


「こ~こ~?」


「もう少し右」


「こ~こ~?」


「行きすぎ」


「む~ず~か~し~い~」


「何がよ」


 呆れたようなリーナの声に、カラリンが楽しそうに笑う。


 食堂の隅では、ガルドが椅子に腰掛け、膝の上に置いた大剣を手入れしていた。柔らかな布を巨大な刀身へゆっくり滑らせる手つきは、大きな身体からは想像できないほど丁寧だ。


 あの大剣には、土の精霊ノームが宿っている。


 普段から口数の少ない男ではあるが、相棒とも呼べる武器を扱う時には、几帳面な性格がよく表れている気がした。


(あの図体で、随分と繊細な手つきじゃのう)


『武器を大切にするのは良いことだ』


(お主まで会話に入ってくるんじゃない)


『聞こえたから答えただけだ』


(便利な耳じゃのう。耳があるのか知らんが)


 そんなやり取りをしているわしは、食卓の椅子に座らされていた。


 正確には、座らされているというより固定されている。


 背中には丸めた布。右にも左にも布。前へ倒れないよう、セレナが何度も位置を調整した末の、至れり尽くせり仕様である。


「これなら大丈夫ね」


「あぅ」


「ちょっとだけ待っててね」


 そう言い残して厨房へ向かったセレナだったが、数歩進んだところで振り返った。


 目が合う。


 また歩く。


 そして、また振り返る。


(おるぞ。わしは急に消えたりせん)


「セ~レ~ナ~」


「何?」


「レ~オ~ン~、に~げ~な~い~よ~」


「分かってるわよ!」


 厨房から笑い声が上がった。


 マルタも食卓に頬杖をつきながら、面白そうにセレナを眺めている。


「随分とまあ、べったりになったもんだね」


「普通でしょ?」


「そうかい?」


「普通よ」


「レ~オ~ン~が~、く~しゃ~み~す~る~と~」


 カラリンが言いかけたところで、食堂の隅から低い声が飛んできた。


「すっ飛んで来る」


 ガルドだった。


 大剣を拭う手は止まっていない。


「ガルド!」


「事実だ」


「もう! 普通でしょ!」


(四面楚歌じゃな)


 もっとも、わしに関する話なので、どちら側につけばいいのか分からんが。


 頬を膨らませたセレナが厨房へ戻ると、マルタはしばらくその背中を見送り、それから口元の笑みを少しだけ緩めた。


「……まあ、ああいうところは昔からか」


「そ~う~な~の~?」


「ああ。自分のことより、他人のことを先に気にする子だったよ」


 マルタは湯気の立つ茶を一口飲んだ。


「昨日だってそうだろ。自分が狙われるかもしれないと言われているのに、真っ先に考えたのは孤児院の子供たちだった」


「セ~レ~ナ~ら~し~い~」


 カラリンが何度も頷く。


「セ~レ~ナ~、ひ~と~の~こ~と~、よ~く~み~て~る~」


「へえ?」


 マルタが顔を向けた。


「何かあったのかい?」


「しょ~う~きゅ~う~し~け~ん~の~と~き~」


「昇級試験?」


「う~ん~」


 カラリンは手にしていた皿を食卓へ置き、帽子のつばに指を掛けた。


「あ~の~と~き~、わ~た~し~、ま~ほ~う~つ~か~え~な~く~な~っ~た~」


「そんなことがあったのかい?」


 マルタが眉を上げる。


「せ~い~れ~い~、お~こ~っ~ち~ゃ~っ~て~」


「何をやったんだい、あんた」


「し~か~た~な~か~っ~た~の~! ワ~タ~イ~ガ~ー~、い~っ~ぱ~い~き~た~か~ら~!」


「ワータイガー?」


「う~ん~」


「それで無茶な力の借り方をしたのかい?」


「…………」


 カラリンは露骨に目を逸らした。


「まあ、いいさ。それで?」


「ま~ほ~う~、つ~か~え~な~く~な~っ~て~。そ~の~あ~と~、ワ~イ~バ~ー~ン~、き~た~」


「……待ちな」


 マルタがカップを置いた。


「昇級試験だったんだよね?」


「そ~う~」


「ワータイガーに襲われた後、ワイバーンまで出てきた?」


「そ~う~」


「……よく帰ってきたね、あんたたち」


(まったくじゃ)


 今になって並べてみると、昇級試験というより生存試験である。


 カラリンはそんなマルタの反応に少し笑ったものの、やがて帽子のつばを握ったまま、ぽつりと続けた。


「わ~た~し~、あ~の~と~き~……な~に~も~で~き~な~い~と~お~も~っ~た~」


 魔法が使えない。


 空を飛ぶワイバーンを前にして、カラリンには攻撃する術がなかった。


 わしも覚えている。


 何度呼びかけても精霊は応えてくれず、カラリンは泣きそうになりながら杖を握っていた。


「で~も~、セ~レ~ナ~」


 カラリンの表情が、少しだけ柔らかくなる。


「わ~た~し~た~ち~、い~い~コ~ン~ビ~じゃ~な~い~? って~」


 あの夜。


 魔法を使えなくなったカラリンと、弓を傷めたセレナ。


 二人でワイバーンを見上げながら、セレナは確かにそう言った。


「い~っ~て~く~れ~た~」


 マルタが静かに目を細める。


「わ~た~し~、な~に~も~で~き~な~か~っ~た~の~に~」


 すると、それまで黙っていたガルドが、大剣から目を離さないまま口を開いた。


「セレナは、そう思っていなかった」


「…………」


「そういうことだろう」


 カラリンが目を丸くする。


 しばらくして、その口元に小さな笑みが浮かんだ。


「そ~う~か~も~」


「ガルド」


 マルタが感心したように声を掛ける。


「たまにはいいこと言うじゃないか」


「たまに?」


「そこは気にするんだね」


 ガルドは答えず、何事もなかったように大剣を磨き始める。


「でも」


 マルタは笑いを収めると、カラリンへ視線を戻した。


「その話は初めて聞いたけど、確かにセレナらしいよ」


 昇級試験で何があったのか、マルタは知らなかった。


 それでも、カラリンの話に出てきたセレナの姿は、彼女が昔から知る女とよく重なったのだろう。


「ガルドは?」


「なんだ」


「あんたから見たセレナは、どんな奴だい?」


 刀身の上を滑っていた布が止まった。


 ガルドは少し考えてから答える。


「自分で決める」


「何を?」


「自分がどうするか」


 相変わらず言葉が少ない。


 マルタが黙って続きを待っていると、ガルドは仕方なさそうに言葉を足した。


「罪人を護送した時もそうだった。危険なことが起きても、誰かが指示するのを待っていなかった」


 そこで一度、大剣へ視線を戻す。


「必要なら動く。危険なら戦う。誰かが危なければ、そっちへ行く。それに、周りをよく見ている」


 マルタが笑った。


「カラリンと同じことを言うんだね」


「そ~う~!」


「そうなのか」


「う~ん~!」


「そうか」


(本当にぶれん男じゃな)


 今度はカラリンがマルタを見る。


「マ~ル~タ~は~?」


「私?」


「セ~レ~ナ~、ど~う~お~も~う~?」


 マルタはすぐには答えなかった。


 厨房から聞こえる包丁の音。


 リーナとセレナの声。


 廊下を駆けていく子供たちの足音。


 そんな孤児院の日常へ耳を傾けるように、しばらく黙っていた。


「……あの子はね」


 やがて、静かに口を開く。


「誰かに居場所を与えてもらった子じゃない」


「い~ば~しょ~?」


「ああ」


 故郷を追放され、耳を切られ、帰る場所まで失った。


 それでもセレナは、生きることをやめなかった。


「ここに住めと誰かに言われたわけじゃない。孤児院を作れと言われたわけでも、子供たちを集めろと命じられたわけでもない」


 マルタは食堂を見渡した。


「全部、自分で選んだんだよ」


 古い壁。


 使い込まれた食卓。


 厨房から漂う夕食の匂い。


 そこかしこから聞こえてくる、子供たちの声。


「誰かから居場所を貰ったんじゃない。自分で見つけて、自分で作って、守ってきた」


 その言葉が、妙に胸へ残った。


「だから、あの子は自分がどう生きるかを他人に決めさせない」


(自分で作った居場所、か)


 わしは前世で、何でも自分で作ってきたつもりだった。


 会社も、財産も、自分の立場も。


 今世のわしは違う。


 何も持たずに生まれ、この孤児院へ拾われた。


 家も。


 飯も。


 そして、家族まで。


 セレナが作ったこの場所で、わしは随分と多くのものを貰っている。


(……こういう人生も、悪くないのう)


「何の話してるの?」


 突然、厨房から声が飛んできた。


 一斉に振り返ると、入口にセレナが立っている。


「随分楽しそうだけど?」


「何でもないよ」


「な~ん~で~も~な~い~」


「お前の話だ」


「ガルド!」


「事実だ」


(こやつ、隠し事には絶望的に向いておらんな)


 マルタが額を押さえた。


「ガルド。あんた、もう少し空気ってものを――」


「そ~れ~よ~り~」


 カラリンがにやにやしながらセレナを見る。


「何よ」


「セ~レ~ナ~」


「だから何?」


「さ~い~き~ん~、レ~オ~ン~に~、べ~っ~た~り~」


「なっ!?」


 セレナの顔が見る間に赤くなった。


「そんなことないわよ!」


「あるね」


「ある」


「ガルドまで!?」


 その時だった。


「はくちゅん」


 不意に、わしの鼻から小さなくしゃみが飛び出した。


「レオン!? 大丈夫!?」


 セレナの顔が、ものすごい勢いでこちらを向く。


「…………」


「…………」


 全員が黙った。


 わしも黙った。


「あぅ」


 何となく声だけ出してみる。


「ほら!」


 最初に吹き出したのはマルタだった。


 カラリンも笑い出し、リーナまで厨房の奥で肩を震わせている。


「何で笑ってるのよ!」


 セレナだけは納得できないらしい。


 昨日、一人の男が死んだ。


 犯人は今もどこかにいて、その目的さえ分からない。


 それでも、この家にはこうして笑い声がある。


 わしは、それでいいと思った。


     ◇


 翌日の昼前。


 玄関の扉が叩かれた。


「セレナ。いる?」


 聞き覚えのある女の声に、セレナが顔を上げる。


「あれ? エミリー?」


 扉を開くと、先日、グレゴリー町長の死を知らせに来た短い金髪の女が立っていた。


「こんにちは」


「どうしたの?」


「町に行こうと思って。あなたも何か欲しいもの無い?」


「ああ、そうだった」


 セレナが手を打つ。


「塩と布を買わないと」


「なら、一緒に行かない?」


「うん。ちょっと待ってて」


 そう答えたセレナが振り返る。


 そして。


 わしを見る。


「…………」


(その間は何じゃ)


「レオンも――」


「連れていくんだろ?」


 後ろからマルタが先回りした。


「いいでしょ!」


「まだ何も言ってないよ」


「顔が言ってる!」


(昨日から随分と弄られるようになったのう)


 そんなわけで、わしも当然のように同行することになった。


     ◇


「ここ、まだあるのね」


 町へ入ると、エミリーが通り沿いの古びた店を見上げた。


「あるわよ。店主さんは息子さんに代わったけど」


「昔、ここでセレナが――」


「それ言わなくていいから」


「まだ何も言ってないじゃない」


「絶対ろくなことじゃないでしょ」


「失礼ね」


 二人が笑う。


 先日のやり取りだけでは分からなかったが、随分と昔からの知り合いらしい。


 店を巡っている間にも、エミリーは時折、昔のセレナの話を持ち出した。そのたびにセレナが慌てて止めようとし、結局は二人で笑っている。


(思っていたより、ずっと近い間柄だったんじゃな)


 少なくとも、ただの顔見知りではない。


 布を買い、塩を買い、ついでにセレナは子供たちへの小さな菓子まで買った。


「甘いわね」


 エミリーが呆れたように言う。


「何が?」


「子供たちに」


「いいじゃない。少しくらい」


「昔からそうだった」


「そう?」


「そうよ」


 そんな会話をしながら布屋を出た時だった。


 セレナの抱えていた荷物が大きく傾く。


「あっ」


「危ない」


 エミリーが咄嗟に手を伸ばした。


 荷物を支えた拍子に、袖が肘の方へずれる。


 その下から、白い布が覗いた。


「…………」


 セレナの視線が止まる。


「エミリー」


「ん?」


「その腕」


 エミリーも自分の腕へ目を落とした。


「ああ。これ?」


「怪我したの?」


「ちょっとね」


「どうしたの?」


「森で枝に引っ掛けたのよ」


 何でもないことのように答え、袖を戻そうとする。


 包帯の隙間から覗いた傷は、もう血こそ流れていないものの、まだ新しい。


「大したことないわ。もう塞がってるから」


「いつ怪我したの?」


「え?」


 エミリーが一度だけ瞬きをした。


「……三日前だったかな」


「三日前?」


「多分ね。最近、色々あって日にちの感覚が曖昧で」


 セレナは答えなかった。


 ほんの少しだけ、エミリーの顔を見つめる。


「何?」


「……ううん」


 やがて首を振った。


「ちゃんと薬は塗った?」


「塗ったわよ」


「ならいいけど」


 それで会話は終わった。


 けれど。


 わしの頭には、昨日の役人の言葉が蘇っていた。


 ――刃が当たったのなら、しばらく傷は残るはずです。


(……腕の傷)


 三日前。


 それは。


 グレゴリー町長が殺された夜だ。


(…………)


 いや。


 怪我くらい、誰でもする。


 傷の形を詳しく見たわけでもない。エミリーの言うとおり、枝で切っただけかもしれない。


(……偶然、じゃよな)


 胸の奥に小さなものが引っかかったまま、答えは出なかった。


     ◇


 帰り道。


「ねえ」


 エミリーが、セレナの腕の中にいるわしを見た。


「今日は、私が抱いてもいい?」


「レオンを?」


「うん」


 セレナは、ほんの僅かに迷った。


 それでも。


「……いいけど」


 わしをエミリーへ渡す。


(そこは迷うんかい)


 腕の中へ収まると、エミリーが意外そうに目を細めた。


「軽い」


(赤ん坊じゃからな)


「抱くの上手ね」


 セレナが言った。


「そう?」


「うん。慣れてるみたい」


 エミリーは答えず、わしの顔を覗き込んだ。


「かわいい」


「あぅ」


「ふふ」


 その表情は穏やかだった。


 わしを支える手つきにも危なっかしさはない。


 ただ。


 エミリーはしばらく、何かを確かめるようにわしの顔を見つめていた。


「セレナ」


「何?」


「この子を拾った時って、どんな気持ちだった?」


「え?」


「最初に見つけた時」


 セレナは少し考えてから答えた。


「……放っておけないって思った」


「それだけ?」


「最初はね」


「じゃあ」


 エミリーの腕が、ほんの少しだけわしを抱き寄せる。


「今は?」


 セレナは迷わなかった。


「家族よ」


「…………」


「大事な家族」


 エミリーの歩みが、ほんの一瞬だけ緩んだ。


「……そう」


 すぐに歩き出す。


「家族なんだ」


「うん」


「そっか」


 それ以上、エミリーは何も聞かなかった。


     ◇


 孤児院の前まで戻ると、エミリーはわしをセレナへ返した。


「じゃあね」


「うん。エミリーも気をつけて」


「セレナも」


 エミリーが手を振り、町の方へ歩いていく。


 セレナは、その背中を見送っていた。


 いつもより、少しだけ長く。


「あぅ?」


「ん?」


 声を出すと、セレナがこちらを見る。


「どうしたの?」


(いや。それはこっちの台詞じゃ)


 もちろん言葉にはならない。


 セレナはもう一度だけ、遠ざかっていくエミリーへ目を向けた。


「…………」


 やがて。


「……なんでもない」


 そう呟いて、わしを抱き直す。


 人のことをよく見ている。


 昨日の夕方、カラリンとガルドは、二人とも同じようなことを言っていた。


 なら。


 あの時。


 セレナは、エミリーを見て何を考えたのだろう。


 腕の傷を見て。


 その顔を見て。


 それでも、それ以上は何も聞かなかった。


(…………)


 分からん。


 セレナが何を考えたのかも。


 エミリーの傷が、本当にただの傷なのかも。


 けれど。


 遠ざかっていく金髪の背中を見つめながら。


 胸の奥に残った小さな引っかかりだけは。


 どうにも、消えてくれなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。