第79話 百十歳、噛み合わない痕跡を見ます
グレゴリー町長が殺された2日後。
昼を少し過ぎた頃、孤児院へ町の自警団から使いが来た。
王都から役人が到着したらしい。
グレゴリー町長が亡くなる前、最後に会った者の一人として、セレナにも話を聞きたいという。
「分かりました。すぐに行きます」
セレナはそう答えると、慣れた手つきでわしを背負った。
(もう慣れたもんじゃな)
『お前も随分と慣れているようだが』
(百十歳にもなって、おんぶに慣れるとは思わなんだわ)
人生とは分からんものである。
今回はマルタとガルドも同行することになった。
リーナとカラリンは孤児院に残る。
昨日、エミリーから「次はセレナかもしれない」と言われたばかりだ。根拠がある話ではないにしても、今は子供たちだけにしておく気にはなれなかった。
「行こうか」
マルタの声に、わしらは孤児院を後にした。
◇
町へ入ると、昨日までとは明らかに空気が違っていた。
店は開いている。
荷車も走っている。
それでも、通りを行き交う人々の声はどこか小さい。
道端で何人かが集まっては、顔を寄せて話している。
町長が殺された。
それも、自宅で。
そんなことがあった翌日なのだ。
無理もない。
やがて、グレゴリー町長の家が見えてきた。
入口には縄が張られ、自警団の男たちが立っている。
壁の一部は煤で黒く汚れ、玄関の扉は大きく壊れていた。
「……扉」
セレナが足を止める。
「ああ。昨夜、近所の人たちが壊したんです」
自警団の男が答えた。
「煙に気づいて駆けつけたんですが、中から返事がなくて。玄関にも鍵が掛かっていたので、皆で破って入りました」
「それで、町長を?」
「はい。火を消している途中で……」
「……そう」
セレナはそれ以上聞かなかった。
壊れた扉を見つめる横顔が、少しだけ固くなる。
昨日の昼には、ここで普通に話をしていた。
その夜には、もういなくなった。
それだけのことが、まだ上手く飲み込めていないのかもしれない。
マルタはというと、煤けた壁から壊れた扉へ視線を移しただけだった。
「中へどうぞ」
役人が待っているという詰所へ、わしらは案内された。
◇
机の向こうに座っていたのは、四十代ほどの男だった。
濃紺の上着の胸元に、王都の役人であることを示す小さな徽章がある。
「セレナさんですね」
「はい」
「ご足労いただき、ありがとうございます」
男は立ち上がって頭を下げる。
それから、わしを見る。
「……その子は?」
「レオンです」
「そうですか」
(絶対、何で赤ん坊がおるんじゃと思ったじゃろ)
顔に出ておるぞ。
役人は小さく咳払いすると、何事もなかったように席へ戻った。
「では、昨日のことから確認させてください」
質問は、土地の話から始まった。
孤児院が建つ土地。
ローデン商会。
アルベルト。
金貨三十枚から始まり、三十五枚、三十七枚まで上がったこと。
最終的にはその場で決めず、話を持ち越したこと。
セレナは一つずつ答えていく。
「話し合いの中で、グレゴリー町長と口論になった者は?」
「いません」
「アルベルトさんとは?」
「意見はぶつかりました。でも、揉めたというほどではありません」
「町長自身は、土地について何と?」
「私たちが用意したお金の出所を確認したいって」
役人の筆が止まった。
「誰にですか?」
「マルタさんに」
「私?」
マルタが眉を上げる。
「うん。町長として、そこだけは直接確認しておきたいって言ってた」
「……なるほど」
役人は手元の紙を一枚めくった。
「現場から、書きかけの手紙が見つかっています」
「手紙?」
「宛先はマルタさんでした」
マルタの表情が僅かに変わった。
「内容は?」
「セレナさんたちが提示した資金について、確認したいことがある――そこまでです」
「そうかい」
マルタは一度目を伏せた。
「あの金なら、私が用意したものだよ。出所も説明できる」
「その件については、後ほど詳しくお願いします」
「ああ。構わないよ」
役人は頷いた。
そして、筆を置いた。
「ここから先は、まだ公表していない内容です」
声の調子が変わった。
「口外は控えてください」
「分かりました」
セレナが頷く。
「まず、グレゴリー町長の死因ですが――火事ではありません」
分かっていたことではある。
それでも。
改めて聞くと、セレナの身体が僅かに強張った。
「背中を刃物で刺されています」
「……背中を」
「はい」
役人はそこで一度言葉を切った。
「ただし、町長は抵抗した可能性があります」
「抵抗?」
マルタが聞き返す。
役人は机の横から布包みを持ち上げた。
布を開く。
中にあったのは、一振りの短剣だった。
「あ……」
セレナが小さく声を漏らした。
「ご存じですか?」
「はい」
セレナは短剣を見つめたまま答える。
「町長のです。昔から持っていました」
「若い頃、冒険者だったそうですね」
「ええ」
グレゴリー町長。
あの爺さん、元冒険者じゃったのか。
人は見かけによらん。
……いや。
頭髪の話ではないぞ。
今はさすがに。
「短剣は、町長の手の近くに落ちていました」
役人が続ける。
「そして刃には血が付着していました」
「町長の血じゃないのかい?」
マルタが尋ねる。
「その可能性も考えました。しかし、町長が倒れていた場所とは少し離れた床にも、数滴の血が残っていました」
役人が見取り図を広げる。
「町長の傷から、そこへ血が流れたようには見えません」
「つまり」
マルタが目を細めた。
「別の誰かが怪我をした可能性がある」
「そう考えています」
「町長が犯人を傷つけたの?」
セレナが尋ねる。
「断定はできません。ただ、状況から見れば可能性は高いでしょう」
「どこを?」
「そこまでは分かりません。血の量も多くない。ですが、刃が当たったのなら、しばらく傷は残るはずです」
「…………」
セレナは短剣を見つめた。
悲しそうな顔ではなかった。
むしろ。
ほんの少しだけ。
安心したようにも見えた。
「……町長、やり返したんだ」
小さな声だった。
役人も僅かに表情を緩めた。
「そのようです」
(やるではないか、爺さん)
わしも心の中で頷く。
ただでは逝かんかったか。
「治療院や薬屋については、自警団が確認を始めています」
「犯人が素直に治療を受けに行くとは思えないけどね」
「ええ。ですので、大きな期待はしていません」
マルタが腕を組んだ。
「他には?」
「……あります」
役人の表情が再び固くなった。
「むしろ、我々が一番困っているのはこちらです」
「何だい?」
「鍵です」
「鍵?」
セレナが聞き返した。
「発見時、玄関には鍵が掛かっていました。それは先ほど自警団から聞いたと思います」
「はい」
「ですが――」
役人が一枚の紙を取り出す。
「グレゴリー町長が普段使っていた家の鍵が、見つかっていません」
「……え?」
「自室も調べました。衣服も、持ち物も。予備の鍵は残っていましたが、普段持ち歩いていた一本だけがありません」
マルタの眉が動いた。
「犯人が持っていった?」
「可能性はあります」
「なら、外から鍵を掛けた?」
「我々も最初はそう考えました」
役人はそこで言葉を止めた。
「町長を殺した後、鍵を持って外へ出て、玄関を施錠した。そう考えれば、発見時に鍵が掛かっていたこと自体は説明できます」
「だったら、発見を遅らせたかったんじゃない?」
セレナが言う。
「普通はそう考えます」
「普通は?」
役人が困ったように息を吐いた。
「火です」
部屋が静かになる。
「昨夜、近隣住民が異変に気づいたのは、町長宅から煙が出ていたからです」
「……あ」
「火元は室内に落ちていたランプと見られています。幸い大きく燃え広がる前に消し止められましたが」
役人は指を組んだ。
「発見を遅らせたいのであれば、なぜ火を放置したのか」
誰も答えない。
「では、証拠を焼くために火をつけたのかとも考えました。しかし、それにしては火の回り方が中途半端です。燃えやすい物を集めた形跡もない」
「つまり」
マルタが口を開いた。
「火は意図したものじゃない可能性がある」
「我々も、その可能性を考えています」
「じゃあ、鍵は?」
セレナが尋ねる。
役人が首を振った。
「それが分からないんです」
殺した。
鍵を持ち去った。
外から施錠した。
なのに。
発見のきっかけになる火は、そのまま。
「鍵を持ち去ったのは、発見を遅らせるためなのか」
役人が呟く。
「証拠を隠すためなのか。それとも、別の理由なのか」
「…………」
「どうにも、行動が噛み合わない」
マルタはしばらく黙っていた。
やがて。
「全部が同じ理由とは限らないんじゃないかい」
ぽつりと言った。
役人が顔を上げる。
「どういう意味です?」
「殺した理由と、鍵を持っていった理由。それから、火が起きた理由」
マルタが指を三本立てる。
「全部を一つの目的で説明しようとするから、噛み合わないのかもしれない」
「別々だと?」
「さあね」
マルタは肩をすくめた。
「私にも分からないよ」
「…………」
「ただ」
マルタの視線が、机の上の短剣へ落ちる。
「随分と綺麗じゃない犯行だね」
「綺麗じゃない?」
「計画して、人を殺すためだけにやって来た奴の仕事にしてはね」
役人は何も言わなかった。
否定もしなかった。
「衝動的だったと?」
「そこまでは言ってないよ」
マルタはすぐに返した。
「今あるものだけで、犯人の頭の中まで決めつけるのは危険だ」
「……その通りです」
役人が頷く。
「ローデン商会についても調べるのかい?」
「当然です。昨日の土地の話し合いに関わった方々については、一通り確認します」
「私たちも?」
「もちろん」
「結構」
マルタが笑った。
「その方が公平だ」
セレナは何も言わなかった。
わしも。
昨日、エミリーから聞いた言葉が頭をよぎった。
――昨日、ローデン商会と町長とあなたたちとで何か話し合ってたんでしょ。
そして。
アルベルトの顔も浮かぶ。
(……アルベルト)
まさかのう。
いや。
(……分からん)
今は、それでいい。
分からんものを、無理に分かったことにする必要はない。
◇
話を終え、詰所を出た。
空は晴れていた。
昨日と同じような青空だった。
町長が一人死んでも。
空は何も変わらない。
「セレナ」
「ん?」
「今日は、まっすぐ帰りな」
マルタが言った。
「私はもう少し残る。金の出所について説明もしないといけないからね」
「分かった」
「ガルド」
「なんだ」
「一緒に戻ってやってくれるかい?」
「分かった」
「早いね」
「駄目なのか」
「褒めてるんだよ」
「そうか」
セレナが小さく笑った。
ほんの少しだけ。
いつもの空気が戻る。
歩き出す前に。
セレナは一度だけ、町長宅を振り返った。
「……町長」
小さく呟く。
「絶対、見つけてもらうからね」
誰を。
とは言わなかった。
言う必要もなかった。
セレナは前を向いた。
わしはその背中から、壊れた玄関を見つめる。
犯人は、グレゴリー町長の命を奪った。
けれど。
あの爺さんも、最後に何かを残した。
書きかけの手紙。
短剣。
床に落ちた、僅かな血。
そして。
消えた一本の鍵。
(……鍵、か)
なぜ持っていった。
発見を遅らせるため?
なら、なぜ火を残した。
証拠を消すため?
それなら、なぜあんな中途半端な火だった。
考えても。
答えは出ない。
ただ。
あの家の鍵は今。
グレゴリー町長のものではなくなっている。
どこかで。
町長を殺した誰かが。
その鍵を持っている。
そしてその身体には。
あの爺さんが最後に残した傷があるのかもしれなかった。




