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第77話 百十歳、点と点を繋ぎます

 その日の夜、孤児院の扉が静かに開いた。


「ただいま」


「リーナ!」


 セレナが真っ先に立ち上がる。


 帰ってきたリーナは多少疲れているようだったが、怪我をしている様子はない。服についた土を軽く払いながら、安心させるように笑った。


「おかえり。大丈夫だった?」


「うん。ちゃんと戻してきたよ。王都から持って帰ってきた黒雷石、空いていた楔に納めてきた」


(これで、本物が七つか)


 元々残っていた四つに、リーナとロイが持っていたものが一つずつ。そして今回、王都の地下から取り戻した一つが加わった。


 十二ある本物の黒雷石のうち、七つ。


 さらに、古代の鎧が自ら差し出してくれたレプリカも、今なお楔として雷葬獣の力を支えている。


 つまり今は、本物七つにレプリカ一つ。


 八つの楔が働いていることになる。


『随分と楽になった』


 頭の中に雷葬獣の声が響いた。


(やっぱり一つ増えるだけでも違うか?)


『ああ。本物ならば尚更だ』


(レプリカの方は、まだ大丈夫なんじゃな?)


『問題ない。本物には及ばぬが、我が力を受け止める役目は果たしている』


(そうか)


 ならば、まだ働いてもらおう。


 あの石は偽物かもしれん。


 じゃが、古代の鎧がわしらに託した想いまで偽物だったわけではない。


「それで――」


 リーナが室内を見回した。


「マルタさんは?」


「あっちにいるよ」


「帰ってきたんだ」


「うん」


 ロイが答える。


 けれど、その声はいつもより少し沈んでいた。


 リーナもすぐに気づいたらしい。


「……何かあった?」


「実はね」


 セレナが今日あったことを話した。


 マルタが一人の老人を連れて帰ってきたこと。


 その老人が、古い時代に造られたホムンクルスだったこと。


 すでに身体は限界を迎えていて、ここへ着いて間もなく、ライカに抱かれながら静かに眠りについたこと。


「…………」


 リーナは何も言わずに聞いていた。


 当然、あの老人とは面識がない。


 王都で何があったのかも、まだ詳しくは知らない。


 それでも、セレナの話が終わると。


「……お墓は?」


「裏にあるわ」


「ちょっと行ってくるね」


 それだけ言って、リーナは孤児院の裏へ向かった。


 ◇


 月明かりの下に、小さな墓がある。


 立派な墓石も、名前を刻んだ板もない。


 ガルドが置いた一つの石と、子供たちが森で摘んできた花。それだけだった。


 リーナは墓の前まで来ると静かにしゃがみ込み、そっと手を合わせた。


「…………」


 あの老人の名前も知らない。


 どこで生まれたのかも、どんな百年を過ごしてきたのかも知らない。


 それでも。


 ここで一つの命が終わったと聞いて。


 皆がその死を悼んだと知って。


 だから、祈る。


 それだけだった。


 しばらくして、リーナは目を開けた。


 子供たちが供えた花を見つめ、ほんの少しだけ頭を下げる。


「安らかに眠ってください」


 会ったこともない老人へ、静かにそう告げた。


 わしは何も言わなかった。


 ただ、その背中を見ていた。


 ◇


 子供たちが寝静まった頃。


 食堂には、セレナ、リーナ、マルタ、カラリン、ガルドが集まっていた。


 ライカは子供たちのそばに残り、わしはいつものようにセレナの膝の上で話を聞く。


「さて」


 マルタが机の上で腕を組んだ。


「お互い、話しておいた方がいいことが随分増えたね」


「そうね」


「まずは私からだ。王都の地下にいた連中について、少し分かったことがある」


 昼間までの柔らかな表情が消え、マルタの目が鋭くなる。


「地下にいた研究者たち。その背後に、ある集団がいる可能性が高いそうだ」


「集団?」


「王都側の調べじゃ、国家転覆を企てていた連中らしい」


「国家転覆……?」


 セレナの顔が強張った。


「ああ。ネクロマンサーやホムンクルスを利用して、国そのものをひっくり返そうとしていた形跡が見つかっている」


 随分と物騒な話になってきた。


 地下に研究施設があった時点でまともな連中ではないと思っていたが、どうやらわしが考えていた以上に話は大きいらしい。


「それはもう、確定してるの?」


 リーナが銀縁の眼鏡を直しながら尋ねる。


「いや、まだ調査中だ。地下にいた全員が同じ目的で動いていたのか、それすら分かっていない。ただ、その中心にいたと見られている集団には名前がある」


 マルタは一度言葉を切った。


「――天竜教」


「て~ん~りゅ~う~きょ~う~?」


 カラリンが首を傾げる。


「宗教なの?」


「そう名乗ってる以上はね。ただ、普通に信仰している者まで国家転覆に関わっているのか、それとも一部が過激化したのか。そこも今のところ分からない」


 そこでマルタは僅かに黙った。


 何か別のことを考えているようにも見えたが、結局それ以上は口にしなかった。


「それから、護送の時にいた灰色の髪の女。覚えてるだろ?」


「ええ」


 五人を殺したという、あの危険な魔法使い。


「あいつも天竜教と繋がっている可能性が高い。それと――黒雷石だ」


 その言葉に、全員の表情が変わる。


「調べた限りでは、あの女が黒雷石の回収に関わっていた可能性があるらしい」


「じゃあ、黒雷石について何か知ってるの?」


 セレナが身を乗り出す。


「そこまでは分からないよ」


 マルタはすぐに首を振った。


「黒雷石が何なのか理解した上で集めていたのか、それとも上から命令されて運んでいただけなのか。それすらまだ不明だ。ただ、本人は生きて捕まってる」


 マルタが机を指先で軽く叩いた。


「今後の尋問で、何か出てくるかもしれない」


(なるほどのう)


 まだ何もかもが可能性止まりじゃ。


 じゃが、黒雷石へ繋がるかもしれない人物を王都側が確保している。それだけでも十分に価値はある。


「じゃあ、あの盗人は?」


「ああ、あいつか」


 リーナの問いに、マルタが苦笑した。


「あいつはしぶといよ」


「元気なの?」


「元気元気。盗品の流通経路や闇取引、侵入に使われる抜け道なんかを王都側に教える代わりに、多少は待遇を良くしてもらえることになった」


「自由になったわけじゃないのね」


「当然だよ。元々の盗みまで消えるわけじゃない。飯と寝床は前より良くなるらしいけど、当分は監視付きだろうね」


(罪人から、監視付きの情報提供者か)


 自由はさほど利かない。


 じゃが、牢の中で腐っているよりは本人もマシだと思ったらしい。


「『牢屋よりマシだ』って笑ってたよ」


(……逞しい奴じゃ)


 あやつなら、何処へ放り込まれてもなんだかんだ生き残りそうじゃな。


「私からは、今のところそんなところだ」


 マルタは一度息を吐くと、今度はリーナへ目を向けた。


「そちらも、色々あったようだね?」


「はい」


 今度はリーナが、わしらが町で経験したことを説明した。


 グレゴリー町長との話し合い。


 そこへ現れたローデン商会のアルベルト。


 こちらが金貨三十枚を提示したこと。


 アルベルトが三十五枚まで引き上げ、リーナが三十七枚を提示したこと。


 そして、グレゴリーがその場での決着を止め、約一ヶ月半後に改めて話し合うことになったこと。


 一通り聞き終えると、マルタは顎へ手を添えた。


「なるほど。そこで決着まではいかなかったか」


「……すみません」


 リーナが頭を下げる。


「私が至らないばかりに」


「何言ってんだい。謝るんじゃないよ」


 マルタは即座に返した。


「情報が全部顔に出るセレナだったら、もっと酷いことになってたさ」


「ちょっと!」


 セレナがすぐに反応した。


「私、そんなに顔に出ないわよ!」


 その瞬間。


 全員の視線がセレナへ集まった。


「な、何よ」


 セレナが不満そうに眉を寄せる。


「そういうところだよ」


「むっ」


「ほら」


「…………!」


 リーナが口元を押さえ、カラリンも肩を揺らしている。


「ふ~ふ~」


 ガルドは相変わらず無表情――かと思ったが。


(……お主まで、ちょっと笑っとるじゃないか)


「もう!」


 頬を膨らませたセレナを見て、とうとう皆が笑った。


 重かった空気が、ほんの少しだけ軽くなる。


「ともあれ」


 笑いが収まったところで、リーナが銀縁の眼鏡を押し上げた。


「一つ、気になることがあります」


「なんだい?」


「ローデン商会の裏にいるのが――天竜教。そういう可能性はありますか?」


 マルタの表情が戻った。


 少し考えてから、首を振る。


「分からない」


「…………」


「可能性はある。その程度だ」


 リーナも、それ以上は追及しなかった。


「今の段階じゃ、ローデン商会と天竜教を直接結びつける証拠は一つもない」


 マルタが指を一本立てる。


「ローデン商会は、正体を明かさない誰かの代理で孤児院の土地を買おうとしている」


 二本目。


「天竜教が、黒雷石の回収に関わっていた可能性がある」


 三本目。


「そして、孤児院の地下には黒雷石の原石がある」


 三本の指をゆっくりと下ろす。


「それぞれは事実か、それに近い情報だ。でも、この三つを直接繋ぐ線はまだない」


(その通りじゃ)


 仮説を立てること自体は悪くない。


 むしろ必要じゃ。


 じゃが、仮説を事実だと思い込んだ瞬間、人間は都合のいい情報しか見えなくなる。


 前世でも何度となく見てきた。


 売上が落ちた。


 ちょうど競合が値下げした。


 だから原因は競合だ。


 そう決めつけて対抗値下げをしたところで、実際には自社の商品そのものが客に飽きられていた――なんてこともある。


 間違った原因に正しい努力を重ねても、結果は出ん。


(事実と推測を分ける。基本じゃな)


『お前は時々、まともなことを言うな』


(時々は余計じゃ)


「ただ」


 マルタが続ける。


「気になることはある」


「気になること?」


「天竜教の教えだ」


 マルタによれば、地下施設から押収された資料の中に、天竜教の教義らしきものが記されていたという。


「正確な文言は覚えてないけどね。大体、こんな内容だ」


 そう前置きして、ゆっくりと口にした。


「――やがて、地より黒く汚れたものが這い出でる」


「…………」


 背筋に冷たいものが走る。


「――それは地上を覆い、すべてを呑み込む」


(おい……)


『…………』


 雷葬獣も黙っている。


「――その時、我らを救いたもうは、天に住まう竜神様である」


 誰も口を挟まない。


「――その時が来るまで、我らは天に近き場所で供物を捧げ、祈りを絶やしてはならない」


 マルタが話し終えても、しばらく沈黙が続いた。


「黒く汚れたもの……」


 セレナが小さく呟く。


「それって……」


「私も同じものを考えたよ」


 マルタの声が低くなる。


「《虚喰らい》」


 その名を聞いた瞬間、あの黒いものが脳裏に蘇った。


 地の底で蠢き。


 触れたものを侵し。


 わしらのいる地上を見つけようとしていたもの。


(雷葬獣)


『なんだ』


(今の話、どう思う)


 雷葬獣はすぐには答えなかった。


『……似ている』


(やっぱりか)


『我が知るものと同じ存在を指しているとは断言できぬ。だが、地より現れ、地上を呑み込む黒きもの――偶然とは思い難い』


(じゃよな)


 天竜教が《虚喰らい》の存在を知っている?


 いや。


 まだ、そこまで決めつけるべきではない。


 古い言い伝えが形を変えて残っただけかもしれんし、全く別の何かを指している可能性だってある。


 じゃが。


 一つだけ、どうしても気になることがある。


(ところで)


『なんだ』


(お主、竜神じゃったりせんよな?)


『我は獣だ』


(じゃよな)


『竜ではない』


(そこは妙にきっぱり否定するんじゃな)


『我は雷葬獣だ』


(はいはい)


 変なところに誇りがあるらしい。


「でも」


 リーナが考え込むように口元へ指を添えた。


「その教えと、国家転覆がどう繋がるんでしょう」


「そこなんだよ」


 マルタも難しい顔をする。


「天に近き場所で供物を捧げる。地下じゃ、ホムンクルスまで造っていた」


「そのホムンクルスを供物にしようとしていた?」


 セレナが言う。


「可能性はある」


「それとも」


 リーナが眼鏡を押し上げる。


「国を転覆させて王城を奪い、そこを『天に近き場所』にしようとした?」


「それも考えられる」


「あるいは――その両方」


「かもしれない」


 マルタはそこで、はっきりと首を振った。


「でも、全部推測だよ」


「…………」


「そもそも国家転覆を企てていた連中と、天竜教の信徒全体が同じ目的で動いていたのかも分からない。教義を利用している奴がいるのかもしれないし、逆に国家転覆そのものが宗教上の目的なのかもしれない」


(分からんことだらけじゃな)


 ただ。


 ――天竜教。


 この名前だけは、覚えておいた方がよさそうじゃ。


 地の底から這い出る黒いもの。


 黒雷石。


 天に住まう竜神。


 王都地下の研究者たち。


 そして、孤児院の土地を欲しがる正体不明の買い手。


 今はまだ、どれも一本の線では繋がっていない。


 繋がっているように見えるだけで、実際には全く別の話なのかもしれん。


 じゃが。


 散らばっていた点が、少しずつ増えているのも事実だった。


(焦る必要はない)


 一つずつ。


 確かめればいい。


 そうすれば、本当に繋がっているものだけが、いつか線として残る。


「今日は、このくらいにしよう」


 マルタが椅子から立ち上がった。


「私も流石に疲れたよ」


「そうね。お風呂、沸いてるよ」


「そりゃありがたい」


「し~しょ~! い~っ~しょ~に~は~い~ろ~!」


「嫌だ」


「な~ん~で~!」


「狭い」


「つ~め~た~い~!」


 いつもの声が孤児院に響く。


 わしはセレナの膝の上で、そのやり取りを眺めながら小さく息を吐いた。


(……まあ、考えるのは明日でもいいか)


 今夜くらいは。


 皆が無事に帰ってきたことを喜んでも、罰は当たらんじゃろう。


 そう思っていた。


 この時のわしらは、まだ知らなかった。


 あの、グレゴリー町長は


 もう二度と、わしらと話すことはないということを。

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