↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
74/96

第74話 百十歳、交渉を持ち越します

「ただ――」


 アルベルトが、静かに口を開いた。


「一つ、確認しておきたいことがございます」


 リーナが銀縁の眼鏡の奥から相手を見る。


「……何でしょう?」


 アルベルトの視線は、リーナではなくセレナへ向けられていた。


「先ほど提示された金貨三十七枚。その出所は、どちらなのでしょうか?」


「え……?」


 セレナの表情が、ほんの僅かに固まる。


(……そこへ来たか)


「以前、孤児院へ伺った際には」


 アルベルトは机の上で指を組んだ。


「失礼ながら、皆様には金貨三十枚を用意することさえ難しいものと認識しておりました」


 その通りだった。


 あの時のセレナは、こちらが頭を抱えたくなるほど正直に懐事情を話している。


 金貨三十枚など、とても用意できないと。


「それが、短期間のうちに三十七枚」


 アルベルトの口調は柔らかい。


 責めているようには聞こえない。


 だからこそ、厄介だった。


「もちろん、正当な経緯で得られた資金であれば、私が口を挟むことではございません」


 そこで彼は、僅かに声を落とした。


「ですが……もしかすると皆様は、何か危険なことに首を突っ込んでおられるのでは?」


「そ、そんなこと――!」


 セレナが身を乗り出す。


「お姉ちゃん」


 その前に、リーナの手がすっと伸びた。


「…………」


 セレナは唇を噛み、言葉を飲み込む。


(まあ……)


 わしは心の中で、そっと目を逸らした。


(危険なことに首を突っ込んでおるのは、事実なんじゃがな)


 エルフの禁域。


 虚喰らい。


 雷葬獣。


 古代の鎧。


 王都へ向かえば、ネクロマンサーに地下施設。


 人工生命に、得体の知れぬ研究者ども。


(首どころか、全身突っ込んどる)


『お前が一番危険だ』


(お主にだけは言われたくない)


『なぜだ』


(分からんならいい)


「グレゴリー町長」


 アルベルトが、今度は町長へと向き直る。


「事情の分からぬまま、その資金を土地へ変えさせることは……少し待たれた方がよろしいのでは?」


「ううむ……」


 グレゴリー町長が腕を組む。


 その顔には、はっきりと迷いが浮かんでいた。


 先ほどから、町長自身も同じことを心配していたのだ。


 そこを突かれれば、当然こうなる。


「リーナ……」


 セレナが不安そうに隣を見る。


「…………」


 リーナはしばらく黙っていた。


 やがて。


 くいっ。


 眼鏡を押し上げる。


「そうですね」


「え?」


「今日、この場ですべてを決着させる必要もないでしょう」


(ほう)


 引いた。


 いや。


 違うな。


(仕切り直すつもりじゃ)


「では」


 リーナがアルベルトを見る。


「次のお話し合いは、いつにいたしましょう?」


「そうですね……」


 アルベルトは少し考えた。


「二ヶ月後では、いかがでしょう」


「長いですね。一ヶ月で」


 即答だった。


「それでは、こちらの準備期間として少々短い」


「でしたら」


 リーナが微笑む。


「間を取って、一ヶ月半」


「…………」


「…………」


 二人の視線がぶつかる。


(今度は日数を値切り始めおったぞ)


「……分かりました」


 先に頷いたのはアルベルトだった。


「では、およそ四十五日後に」


「ええ」


 リーナも頷く。


 ただし。


 右手は出さない。


「握手はしませんよ」


「もちろんです」


 アルベルトも手を差し出さなかった。


「握手は、すべてのお話が済んだ後にいたしましょう」


「…………」


「…………」


(怖い怖い)


 見えるわけではない。


 じゃが。


 この二人の視線の間では間違いなく、火花が散っておる。


『火は見えないぞ』


(比喩じゃ)


『人間は分かりにくい』


(わしも時々そう思う)


     ◇


「それでは、本日はこれで失礼いたします」


 アルベルトが席を立った。


 グレゴリー町長へ丁寧に一礼し、続いてセレナたちにも頭を下げる。


「次回、またお会いいたしましょう」


 リーナも軽く頭を下げた。


 やがて扉が閉じる。


 ――パタン。


 しん、と応接室が静まり返った。


 数秒。


「セレナちゃん!」


「ひゃっ!?」


 突然、グレゴリー町長が机へ身を乗り出した。


「いったいどうしたんだい、あんな大金!」


「え、えっと……」


「三十七枚だよ!? 金貨三十七枚!」


(分かっとる)


「僕が知っている孤児院の懐事情と、まるで違うじゃないか!」


「あのね、町長」


 セレナが困ったように視線を泳がせる。


「マルタさんが……用意してくれたの」


「…………」


 町長の動きが止まった。


「マルタさんが?」


「うん」


「……あの、マルタさんが?」


「たぶん町長が思ってるマルタさん」


(どのマルタじゃ)


 グレゴリー町長は顎へ手を当てた。


「マルタさんが……」


 ぶつぶつ。


「いや……あの人なら……いや、しかし……」


(知っとるんじゃな)


 さすがは二つ名のマルタ。


 王都だけではなく、この町にまで名前が通っているらしい。


「セレナちゃん」


 やがて、グレゴリー町長が顔を上げた。


「少し、時間をくれないか」


「時間?」


「ああ」


 その顔から、先ほどまでの慌ただしさが消える。


「マルタさん本人に、直接確認したい」


「…………」


「本当にその金を、君たちが使って構わないものとして用意したのか。それだけは確認しておきたいんだ」


「町長……私たちのこと、疑ってるの?」


 セレナの声が、不安そうに揺れる。


「違う違う」


 町長は慌てて首を振った。


「そうじゃないよ」


 そして。


 少し困ったように笑った。


「分かっている」


「…………」


「セレナちゃんが、あの孤児院を大切にしていることも」


 一つ。


「子供たちを大事にしていることも」


 もう一つ。


「悪いことをして金を集めるような子じゃないこともね」


 セレナの強張っていた表情が、ほんの少しだけ緩んだ。


「でも」


 グレゴリー町長は、白くなった髪を掻いた。


「僕も町長なんだ」


 一拍。


「半端な仕事をするわけにはいかない」


「…………」


「町の土地を売るんだよ。確認できることは確認する。疑問があるなら、そのまま判を押したりはしない」


 それから、穏やかに笑った。


「分かるだろう?」


(……誠実な人じゃのう)


 わしは小さく息を吐いた。


 前世。


 経営者として、色々な人間を見てきた。


 調子だけはいい者。


 利益しか見ない者。


 いざとなれば責任から逃げる者。


 そして。


 必要以上に責任を背負い込む者。


 この町長は、きっと最後の種類なのだろう。


(ここまで言われれば)


 これ以上、押す気にはなれん。


 自分たちに都合が悪いからといって、真面目に仕事をしようとしている人間を困らせる。


 そんな真似はしたくない。


 良い人を、必要以上に困らせたくない。


 そんな倫理観くらいは、大抵の人間が持っているものじゃ。


「……分かりました」


 セレナが深く頭を下げた。


「お願いします」


「うん」


 グレゴリー町長は、にっこり笑った。


「なに。マルタさんから確認さえ取れれば、一ヶ月半後の話し合いでは、僕はセレナちゃんたちを優先するつもりだよ」


「え……」


 セレナが目を見開く。


「本当?」


「ああ」


 町長は軽く手を振った。


「もちろん、町にとって不利益になるような条件では困るけどね」


 そこで、いたずらっぽく笑う。


「同じ程度の条件なら、ずっとあそこを守ってきた人たちに持っていてもらいたい。僕だって、そのくらいの情はあるさ」


「町長……」


「だから、安心してよ」


 その言葉に。


 セレナはようやく笑った。


「ありがとうございます」


 リーナも。


 カラリンも。


 ガルドも。


 揃って頭を下げる。


 わしもセレナの腕の中で。


 できる限り深く。


「あぅ」


(頼むぞ)


     ◇


 その日の夜。


 グレゴリーは、一人で書斎の机に向かっていた。


 ランプの明かりが、紙の上を淡く照らしている。


「さて……」


 手にしたペンをインク壺へ浸す。


『マルタさんへ』


 少し考えてから。


 その下へ文字を続けた。


『突然の手紙で申し訳ない』


『今日は、セレナちゃんたちのことで、少し確認したいことが――』


 ――ギィ。


「…………?」


 ペン先が止まった。


 玄関の方から。


 音がした。


「……おかしいな」


 グレゴリーは顔を上げる。


 戸締まりはしたはずだ。


 窓も。


 裏口も。


 玄関も。


 きちんと確認した。


「…………」


 机の横。


 壁に掛けてあった短剣へ手を伸ばす。


 鞘から抜き。


 もう片方の手でランプを持った。


 年老いた細い腕。


 けれど。


 短剣の握り方に迷いはなかった。


 これでも昔は。


 一介の冒険者として、それなりに腕を鳴らしたものだ。


 何十年も前の話とはいえ。


 身体がすべてを忘れたわけではない。


「誰か」


 廊下へ出る。


「いるのか?」


 返事はない。


 ランプを前へ掲げ、一歩進む。


 ――ギシ。


 床板が鳴った。


「…………」


 玄関。


 誰もいない。


 扉も閉じている。


 鍵も。


 掛かったままだった。


「……?」


 眉をひそめる。


 気のせいだったのだろうか。


 そう思った。


 その時。


「――馬鹿な男だ」


「っ!」


 背後。


 聞き覚えがあるような。


 けれど。


 すぐには思い出せない声。


 グレゴリーが振り返る。


 よりも。


 早く。


 背中に。


 熱が走った。


「――っ!」


 一瞬。


 何をされたのか分からなかった。


 次の瞬間。


 遅れて。


 焼けるような激痛が全身を駆け抜ける。


「ぐっ……!」


 身体が前へ崩れかける。


 それでも。


「っ、がぁ!」


 歯を食いしばり。


 振り返りざま。


 短剣を振り抜いた。


 ――シュッ!


「……っ」


 僅かな手応え。


 刃先が。


 何者かの腕を浅く掠めた。


 その拍子に。


 ランプが手から滑り落ちる。


 ――ガシャン!


 床へ転がったランプの炎が。


 揺れる。


 その明かりが。


 ほんの一瞬だけ。


 侵入者の顔を照らした。


「…………」


 グレゴリーの目が。


 大きく見開かれた。


「エド……」


 震える唇。


「ガ……?」


 その名前を聞いた瞬間。


 侵入者の表情が。


 僅かに歪んだ。


「……その名前で呼ぶな」


「…………?」


 グレゴリーには。


 意味が分からなかった。


 力が抜ける。


 膝が。


 床につく。


「お……まえ……」


 短剣を握る手が。


 震える。


「だれ……だ……」


 返事は。


 なかった。


 視界が。


 少しずつ暗くなる。


 最後に見えたのは。


 床へ落ちたランプの炎。


 そして。


 その向こう。


 机の上に残された。


 書きかけの手紙。


『マルタさんへ』


『突然の手紙で申し訳ない』


『今日は、セレナちゃんたちのことで、少し確認したいことが――』


 その先に。


 文字が続くことはなかった。


 その夜。


 グレゴリー町長の命の灯は。


 誰にも知られることなく。


 静かに消えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。