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第73話 百十歳、我が家を賭けて交渉します

 そして――交渉当日。


 話し合いの場として指定されたのは、この町を治める町長の屋敷だった。


 孤児院の建物そのものは、セレナのもの。


 だが。


 その下にある土地は、町の所有地。


 長年、セレナが安く借り受ける形で使ってきたものだ。


 その土地を町が売りに出し。


 すでに。


 買いたいという者まで現れている。


(さて)


 わしはセレナに抱かれながら、屋敷の扉を見上げた。


 金はある。


 少なくとも。


 以前のように。


 金貨三十枚という数字を聞いただけで、どうにもならん状況ではない。


 だが。


(問題は、金だけではないんじゃよな)


 誰が。


 何のために。


 あの土地を欲しがっているのか。


 それが分からない。


 そして。


 わしらはもう知っている。


 あの土地の地下には。


 黒雷石の原石が眠っている。


 相手が。


 それを知っているのか。


 知らないのか。


 今日。


 少しでも。


 見極めなければならない。


     ◇


「やあ、セレナちゃん」


 応接室へ入ると。


 一人の老人が、わしたちを待っていた。


 痩せぎすの身体。


 深く刻まれた皺。


 髪はすっかり白くなっており。


 そして。


 頭頂部は――。


(……寂しいのう)


 七十は越えているだろう。


(苦労しておるようじゃ)


 妙な親近感を覚えた。


 わしも前世では。


 一時期。


 頭頂部が寂しくなったことがある。


 あの頃は。


 積極的に帽子を被って誤魔化していた。


(夏場は蒸れるんじゃよな、あれ)


『何を考えている』


(男の人生についてじゃ)


『そうか』


 雷葬獣。


 納得するな。


「グレゴリー町長。お久しぶりです」


 セレナが丁寧に頭を下げる。


「久しぶりだねえ。元気そうで何よりだ」


 グレゴリー町長も。


 親しげに笑った。


 どうやら。


 二人は以前から面識があるらしい。


「しかし……」


 その視線が。


 セレナの後ろへ向かう。


 リーナ。


 カラリン。


 そして。


 二メートルを優に超える巨体。


 深緑の鱗に。


 背中の巨大な大剣。


 ガルド。


「随分と大所帯のようだけど……?」


「ご紹介します」


 すっ。


 リーナが一歩前へ出た。


 銀縁の眼鏡を。


 くいっ。


「秘書のリーナです」


「…………」


(いつから秘書になったんじゃ……?)


「本日はよろしくお願いいたします」


「これはこれは。ご丁寧に」


 グレゴリー町長も。


 つられて頭を下げる。


「それから」


 リーナが後ろへ手を向ける。


「警備として同行しております、ガルドとカラリンです」


「ガルドだ」


「カ~ラ~リ~ン~で~す~」


 二人も。


 軽く頭を下げる。


(警備……)


 間違ってはいない。


 ただ。


 土地の交渉に。


 巨大な大剣を背負ったリザードマンを連れてくるのは。


(相手から見れば、だいぶ怖いじゃろうな)


 当のガルドには。


 威圧しているつもりなど。


 欠片もなさそうだが。


「そして、この子が――」


「ああ!」


 突然。


 グレゴリー町長の顔が。


 ぱっと明るくなった。


「ああ、この子が!」


(なんじゃ)


 身を乗り出してくる。


「噂のレオンくんだね!」


(噂?)


「いやあ、かわいいな!」


 ぶんぶん。


 こちらへ手を振ってくる。


「…………」


 わしは。


 少し考え。


 にこっ。


「あぅ!」


 こちらも手を振った。


「おお!」


 グレゴリー町長。


 大喜び。


「手を振ってくれた!」


(ふっ)


 第一印象は大切じゃ。


 前世でも。


 商談の最初は笑顔。


 相手に好かれて。


 損をすることなど。


 そうそうない。


『今の笑顔は本心ではないのか』


(営業用じゃ)


『それは嘘と違うのか』


(全然違う)


『分からん』


(大人になれば分かる)


『我はお前より遥かに長く生きている』


(…………)


 そうじゃった。


     ◇


「さあ、座ってくれ」


 グレゴリー町長が席を勧める。


「先方の代理人も、そろそろ来る頃だよ」


「代理人……」


 セレナの声が。


 僅かに硬くなる。


 わしたちが席についた。


 その直後。


 ――コン、コン。


「どうぞ」


「失礼いたします」


 聞き覚えのある声。


 セレナの表情が変わった。


 扉が開く。


 仕立てのいい濃紺の上着。


 磨かれた革靴。


 派手ではない。


 だが。


 金を扱う人間だと分かる装い。


 そして。


 相手を不快にさせない程度に整えられた。


 穏やかな笑顔。


(……やはり、お主か)


 男は。


 胸元へ手を添え。


 丁寧に頭を下げた。


「お久しぶりです、セレナ様」


「……アルベルトさん」


 ローデン商会。


 アルベルト・ローデン。


 以前。


 孤児院へ直接やって来た商人だ。


 立ち退きに応じるなら。


 金貨五枚。


 さらに。


 町外れの建物を一年間。


 無償で貸す。


 そんな条件を提示してきた。


「レオン様も、お元気そうで」


(…………)


 様?


 以前。


 そんな呼び方をされていたか?


 わしが見つめると。


 アルベルトは。


 何事もなかったかのように。


 微笑んだ。


「あぅ」


(相変わらず食えん男じゃ)


     ◇


「それにしても――良かった!」


 全員が揃うなり。


 グレゴリー町長が。


 満面の笑みを浮かべた。


「…………」


「…………」


 セレナと。


 わし。


 揃って顔をしかめる。


(何がいいものか)


 こっちは。


 我が家を守るために来たんじゃぞ。


「僕としてもね」


 グレゴリー町長は。


 そんなわしたちの様子にも気づかず。


 嬉しそうに続ける。


「あんな森の中の孤児院に、セレナちゃんや子供たちを住まわせたままでいいのかって、前から気になっていたんだ」


「……町長」


「町から離れているだろう?」


 少し。


 表情が真面目になる。


「何かあっても、すぐに助けを向かわせられない」


 それは。


 間違っていない。


 以前。


 孤児院で避難訓練をした時も。


 何かあれば。


 基本的に。


 自分たちで逃げるしかなかった。


「そこへ、このアルベルトさんが」


 グレゴリー町長。


 アルベルトへ手を向ける。


「ぜひとも、あの土地を買い取りたいと申し出てくれてね」


 アルベルトが。


 静かに頭を下げる。


「しかも聞けば、セレナちゃんたちが立ち退いてくれるなら、町外れの建物を一年間、無償で貸してくれるそうじゃないか」


「はい」


「それだけじゃない。新しい生活のために、金貨五枚まで支払ってくれる」


「以前お伝えした条件に変更はございません」


「ほら!」


 グレゴリー町長が笑う。


「こんなありがたい話はないよ」


(…………)


 どうやら。


 本気で言っているらしい。


「いやあ」


 ぺしっ。


 グレゴリー町長が。


 自分の頭頂部を軽く叩く。


(叩くな!)


 思わず。


 わしの心が叫ぶ。


(残っている者たちまで離れていったらどうする!)


『また髪か』


(大事な話じゃ)


「このところ、外も物騒だろう?」


 グレゴリー町長は続ける。


「町を囲う外壁も、そろそろ本格的に修繕しないといけない。古くなった建物も増えてきた」


 指を折る。


「それに、冒険者にも定期的に周辺を見回ってもらいたいと思っている。何か起きてからじゃ遅いからね」


 そこで。


 困ったように笑った。


「でも、どれもこれもお金がかかる」


「…………」


「だからといって税を上げれば、町のみんなが困る」


(……なるほど)


 少し。


 見方が変わった。


 この爺さん。


 土地を売って。


 私腹を肥やそうとしているわけではない。


 町長として。


 町を守ろうとしている。


 外壁。


 建物。


 冒険者。


 住民の安全。


 そこへ。


 町が所有する土地を。


 金貨三十枚で買いたいという者が現れた。


 しかも。


 現在そこに暮らしているわしらには。


 別の住居。


 さらに。


 当面の生活費まで用意する。


(町長から見れば)


 町に金が入る。


 わしらも安全な場所へ移れる。


 買い手も土地を手に入れる。


(三方良し、というわけか)


 少なくとも。


 表面上は。


「どうだろう、セレナちゃん」


 グレゴリー町長が。


 真っ直ぐセレナを見る。


「この話を受けて、引っ越してくれないか?」


「…………」


 セレナは。


 すぐには答えなかった。


(厄介じゃな)


 悪人なら。


 簡単だった。


 欲に目が眩んだ相手なら。


 もっと簡単だった。


 だが。


 この男は。


 本気で。


 自分の判断が。


 町と。


 わしら。


 両方のためになると思っている。


 前世の商談でも。


 こういう相手が。


 一番難しかった。


(アルベルトより先に)


 まず。


(この同志を説得せんといかんらしいのう)


     ◇


「町長」


 口を開いたのは。


 セレナではなく。


 リーナだった。


「一つ、確認させてください」


「うん?」


 銀縁の眼鏡。


 くいっ。


「私どもが金貨三十枚を用意した場合」


 一拍。


「同じ条件で、私どもが土地を購入することは可能でしょうか?」


「それは……」


 グレゴリー町長が。


 アルベルトを見る。


 少し考え。


 頷いた。


「もちろんだよ。まだ正式に売買が成立したわけじゃない。今まで長く使ってきたセレナちゃんたちが同じ条件を出せるなら、僕としてもそちらを優先したい」


(よし)


 これで。


 一つ。


 確認できた。


「でしたら」


 リーナ。


 迷わない。


「金貨三十枚で購入いたします」


「…………」


 グレゴリー町長。


 固まる。


「え?」


「金貨三十枚です」


「いやいや」


 町長が身を乗り出す。


「セレナちゃん、本当にそんなお金が――」


「承知いたしました」


 町長の言葉を。


 静かに遮ったのは。


 アルベルトだった。


「ただ」


 笑顔は。


 崩れない。


「私も依頼人より、少々であれば購入金額を上げて構わないと申し付けられております」


(ほう)


 やはり。


 上限を決めて来ておるな。


「でしたら」


 アルベルト。


 指を組む。


「金貨三十五枚では、いかがでしょう」


「さ、三十五枚!?」


 グレゴリー町長。


 目を剥く。


 五枚。


 一気に上乗せ。


 町にとっては。


 かなり大きい。


「…………」


 リーナ。


 少しだけ。


 考える。


 そして。


「三十七枚」


「…………」


 アルベルトの笑みが。


 ほんの一瞬。


 止まった。


(お)


「私どもは」


 リーナ。


 眼鏡を押し上げる。


「金貨三十七枚を提示いたします」


「……三十七枚、ですか」


「はい」


「失礼ながら」


 アルベルト。


 初めて。


 リーナを。


 じっくりと見る。


「それほどの資金を、まだお持ちだったとは」


「さて」


 リーナ。


 僅かに笑う。


「どうでしょう?」


(上手い)


 あるとも。


 ないとも。


 言わない。


 実際。


 わしらには。


 まだ余裕がある。


 だが。


 それを。


 わざわざ教えてやる必要はない。


「待った!」


 ばんっ。


 突然。


 グレゴリー町長が。


 机を叩いた。


「もういい!」


「町長?」


「セレナちゃん」


 町長。


 先ほどまでとは違う。


 厳しい顔。


「意固地になる気持ちは分かる」


「…………」


「あの孤児院を大切にしていることも知っている」


「はい」


「でも」


 一拍。


「駄目だ」


 はっきり。


 言い切った。


「もし、それだけの資金を持っていることが公になれば、これまで受けてきた補助だって見直されるかもしれない」


「…………」


「今後の負担だって、これまでと同じで済むとは限らない。税金の問題だって出てくる」


 グレゴリー町長。


 セレナを見る。


「これからも、子供たちを育てていくんだろう?」


「はい」


「だったら」


 声を落とす。


「君たちにとって一番大切なのは、子供たちだ」


「…………」


「あの建物そのものじゃないだろう?」


 セレナ。


 黙る。


(……正論じゃ)


 町長は。


 わしらを追い出したいのではない。


 本当に。


 心配している。


 金貨三十七枚。


 それだけあれば。


 どれだけ。


 子供たちの生活を支えられる。


 食事。


 服。


 薬。


 冬の備え。


 孤児院の修繕。


 何も知らない人間から見れば。


 それほどの金を。


 一つの土地へ使うなど。


 意地になっているようにしか見えない。


「恐れながら、町長」


 そこで。


 リーナが。


 静かに口を開いた。


「ん?」


「事情が変わったのです」


「事情?」


「はい」


 背筋を伸ばす。


 銀縁の眼鏡。


 くいっ。


「ご存じの通り、あの森の奥には、古くからエルフたちが関わってきた場所が存在しております」


(…………)


 本当じゃな。


「今回、私とセレナが故郷へ戻ったことで」


 リーナ。


 セレナへ手を向ける。


「これまで表に出てこなかった問題が、いくつも明らかになりました」


(これも本当)


「そして現在」


 今度は。


 自分の胸へ手を置く。


「セレナと私が間に入ることによって、エルフ側との微妙な均衡が保たれております」


(…………ん?)


 少し。


 怪しくなってきたぞ。


「微妙な……均衡?」


 グレゴリー町長の顔。


 僅かに引きつる。


「左様でございます」


 リーナ。


 止まらない。


「現在は平穏です」


 眼鏡。


 くいっ。


「しかし」


 一拍。


「事情を知らない第三者へ土地の権利が移った場合、今後どのような問題へ発展するか」


 さらに。


 くいっ。


「私どもにも予測できません」


(そりゃ予測できんじゃろうな)


『あの女は何を言っている』


(静かにしとれ)


「いや、しかし――」


 グレゴリー町長が。


 口を挟もうとする。


「加えて」


 リーナ。


 止まらない。


「そのような土地を」


 すっ。


 視線。


 アルベルトへ。


「金貨三十枚」


 一つ。


「さらに、三十五枚」


 二つ。


「相場以上の金額を提示してまで、購入しようとする方がいらっしゃる」


 アルベルトの笑顔。


 変わらない。


「しかも」


 リーナ。


 眼鏡の奥から。


 まっすぐ。


 アルベルトを見る。


「依頼人が誰なのか」


 一拍。


「何のために土地を必要としているのか」


 もう一拍。


「私どもには、一切知らされておりません」


「…………」


「恐れながら」


 リーナの声が。


 少しだけ。


 低くなる。


「その状況で土地をお渡しする方が、無責任ではありませんか?」


「…………」


 グレゴリー町長が。


 黙った。


(上手いのう)


 リーナは。


 黒雷石のことを。


 一言も言っていない。


 虚喰らいも。


 雷葬獣も。


 禁域で起きたことも。


 話していない。


 だが。


 完全な嘘でもない。


 事実を並べ。


 隙間を。


 相手に想像させている。


(こやつ)


 百年。


 何をして生きてきた。


「ですので」


 リーナ。


 最後に。


 銀縁の眼鏡を。


 くいっ。


「私どもとしては」


 一拍。


「何としてでも、あの土地を守らなければならないのです」


 しん。


 応接室。


 静かになる。


「…………」


 グレゴリー町長。


 完全に。


 言葉を失っている。


「…………」


 セレナも。


 リーナを見る。


「…………」


 ガルド。


 相変わらず。


 無言。


「り~い~な~」


 カラリン。


 小さな声。


「べ~ら~べ~ら~」


(そこは褒めてやれ)


 わしも。


 リーナを見る。


(……どこからどこまで本気なんじゃ?)


 わしにも。


 分からん。


 ただ。


 少なくとも。


 町長の表情は。


 明らかに変わっている。


 単なる。


 孤児院の引っ越し。


 そう思っていた話が。


 それだけではないのかもしれない。


 そう。


 考え始めている。


(成功……か?)


 そう思った。


 その時。


「なるほど」


 アルベルトが。


 静かに呟いた。


 リーナ。


 そちらを見る。


「大変、参考になりました」


「……何がでしょう?」


「いえ」


 アルベルト。


 穏やかに微笑む。


「以前」


 視線。


 セレナへ。


「孤児院でお話しした時には」


 そして。


 わしへ。


「皆様は、あの土地そのものに特別な価値があるとは、考えていらっしゃらないように見えました」


(…………)


 わしの胸が。


 僅かに。


 ざわつく。


「ですが」


 アルベルト。


 リーナを見る。


「今は」


 一拍。


「金貨三十七枚を出してでも、守らなければならないと仰る」


「…………」


「つまり」


 微笑む。


「王都へ行かれている間に」


 アルベルトの目。


 細くなる。


「何かを知った」


(――やられた)


 わし。


 すぐに理解した。


 リーナは。


 町長を説得するため。


 こちらの事情を。


 それらしく。


 並べた。


 だが。


 アルベルトが見ていたのは。


 その内容ではない。


 わしらの。


 変化。


 以前。


 土地の価値など。


 知らなかった。


 金貨三十枚など。


 払えるはずもなかった。


 それが今は。


 三十七枚を提示してまで。


 守ろうとしている。


 その変化そのものが。


 情報になる。


(こいつ……)


 やはり。


 ただの使いではない。


 リーナの眼鏡の奥。


 目が。


 僅かに細くなった。


「……それが何か?」


「いいえ」


 アルベルト。


 微笑む。


「何も」


 それ以上。


 追及しない。


 それが。


 逆に。


 気味が悪い。


「ただ」


 アルベルトが。


 ゆっくりと。


 椅子へ深く座り直す。


「どうやら私も」


 一拍。


「依頼人と、もう一度お話をする必要がありそうです」


(…………)


 金貨三十五枚。


 それが。


 こいつの上限だったのか。


 それとも。


 まだ。


 上があるのか。


 分からない。


 ただ。


 一つだけ。


 確かなことがある。


 アルベルトの依頼人は。


 金貨三十枚を出してでも。


 あの土地を欲しがっていた。


 そして。


 わしらは。


 金貨三十七枚を出してでも。


 あの土地を守ろうとしている。


 なら。


 次に問うべきは。


 金額ではない。


(お主らは)


 わしは。


 アルベルトを見つめた。


(あそこに何があると知っておる?)


 そして。


 何のために。


 欲しがっている。


 百十歳。


 我が家を賭けた交渉。


 どうやら。


 金貨の枚数を競うだけでは。


 終わってくれそうになかった。

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