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第69話 二つ名のマルタ、弟子に一本取られます

「ここに来て、まだ迷っているようだな」


 王がそう言って、手にした王杖を床へ打ちつけた。


 コツン――。


 決して大きな音ではない。


 それなのに、荘厳な王の間にその音はよく響いた。


「マルタよ。この王を出し抜こうと考えていたな?」


「…………」


 マルタは答えなかった。


 いや。


 答えられなかった。


(……そこまでお見通しかい)


 ホムンクルスの設計図を売る。


 金を受け取る。


 そして、自分は王宮に仕えずに帰る。


 最初から、そのつもりだった。


 王宮には優秀な魔術師も錬金術師もいる。


 設計図さえ渡せば、自分など必要ない。


 そう思わせるつもりだったのだ。


「私一人ならば、それも可能だったのだろう」


「……ほう」


 思わぬ言葉に、マルタは顔を上げた。


 王は怒っていなかった。


 むしろ、どこか楽しそうですらある。


「だが、私には優秀な臣下がいる」


 王の視線が横へ向いた。


 大臣ガイ。


 そして、その隣に立つ現代王国の賢者――アマンダ。


 アマンダは相変わらず涼しい顔をしている。


「無謀だったな、マルタよ」


(言ってくれるじゃないか)


 だが、反論はできない。


 設計図だけを売って逃げようとしたマルタの策を、アマンダは真正面から潰した。


 設計図があっても意味はない。


 材料を集める者。


 加工する者。


 そして、それらすべてを一つにまとめ上げる者。


 それが必要だと。


 そして最後に。


 ――そのすべてを解決できる人物が、そこにおります。


 そう言って、アマンダはマルタを指した。


(まったく……)


 逃げ道がない。


 ここまで来て有耶無耶にすれば、それこそ自分の名が廃る。


 腹を括って士官するしかない。


 そこまで考えたところで。


 マルタは、ふと思った。


(……まあ)


 それも。


 悪くはないか。


 王宮には優秀な人材がいる。


 研究設備も揃っている。


 希少な素材も、今までより手に入りやすくなるだろう。


 もちろん。


 会議。


 報告書。


 貴族との付き合い。


 考えただけで頭が痛くなるものも山ほどある。


(そこだけは、本当に嫌だけどねえ)


 それでも。


 脳裏に浮かんだのは、一人のゴブリンだった。


『し~しょ~』


『お~う~さ~ま~の~と~こ~ろ~で~、は~た~ら~け~ば~?』


 あの時。


 何を馬鹿なことを。


 そう思った。


 だが。


 あの子は本気だった。


 友達であるセレナを助けるため。


 孤児院を守るため。


 自分なりに必死で考えて、師匠へ頼んできた。


(カラリン)


 マルタの口元が、わずかに緩んだ。


(あんたの策)


(乗っからせてもらうよ)


 マルタは姿勢を正した。


「陛下」


「なんだ」


「このマルタ、恐れ入りながら――」


 一度、深く頭を下げる。


「王国に仕えさせていただきたくございます」


「おお……」


 王の間のどこかから、小さなどよめきが聞こえた。


 二つ名のマルタが王国へ正式に仕える。


 その意味を理解している者からすれば、大事件なのだろう。


 人によっては喉から手が出るほど欲しい地位なのかもしれない。


(まあ、悪くはない)


 そう思うことにした。


「よい」


 王も満足そうに頷いた。


「歓迎しよう」


「ありがたき幸せ。ただ――お願いがございます」


「なんだ」


 来た。


 ここからが本来の目的である。


「私に、支度金として金貨五十枚を頂戴したくございます」


「そんなことか」


 王はほとんど考えなかった。


「後で届けさせる」


(……そんなこと、か)


 金貨五十枚。


 普通の人間なら人生が変わるほどの大金である。


 だが。


 二つ名のマルタを王宮へ迎え入れる支度金として考えれば、王にとっては本当に「そんなこと」なのだろう。


(よし)


 これで。


 最低限の仕事は果たした。


 孤児院を買い戻すために必要なのは、あと金貨二十七枚。


 残りは修繕にでも使えばいい。


 あの孤児院なら。


 金などいくらあっても困るまい。


「下がれ、マルタ」


 王が王杖を傍らへ置いた。


「いくら貴様であっても、貴様一人に時間を割き続けることはできん」


「はっ。この度は私めに貴重なお時間を頂戴賜り、光栄の極みにございます」


 マルタは恭しく礼をした。


「それでは、失礼つかまつります」


 立ち上がる。


 王の間を後にする途中。


 マルタは一度だけ、アマンダを睨みつけてやろうと思った。


 だが。


 やめた。


(今日は)


(素直にあんたが上だと認めよう)


 青は藍より出でて藍より青し。


 弟子が師を越える。


 昔。


 自分の後ろを必死についてきた娘が。


 今では王の隣に立ち。


 自分の策を見抜き。


 逃げ道まで塞いだ。


 悔しい。


 悔しいが。


 不思議と悪い気分ではない。


(……立派になったもんだ)


 少しだけ。


 清々しい気すらした。


     ◇


「マルタ様」


 玉座の間を出てすぐ。


 兵士から呼び止められた。


「なんだい?」


「アマンダ様より、客間でお待ちいただくよう言い伝えられております」


「……ほう」


 何の用だ。


 まさか、久しぶりに旧交を温めようなどという話でもあるまい。


「忙しいんだけどねえ」


 マルタは小さくぼやいた。


 カラリンたちのことも心配だ。


 上手くやっているだろうか。


 カラリン。


 セレナ。


 レオン。


 ガルド。


 あの面子なら、そう簡単にどうこうなるとは思えないが。


 何しろ。


 最近は想定外のことばかり起こる。


「必ず引き留めるようにと」


「…………」


(逃がす気がないね)


「……分かったよ」


 今は。


 抵抗する気も起こらなかった。


     ◇


 客間へ戻ると。


 再び茶と菓子が用意された。


 マルタは椅子へ腰掛け、茶を一口飲む。


「……美味い」


 思わず口から漏れた。


(茶と菓子だけなら、王宮勤めも悪くないね)


 そんなことを考えていると。


 扉が開いた。


「マルタ様」


「……賢者アマンダ」


 アマンダが入ってくる。


 王の前にいた時と変わらない。


 背筋を伸ばし。


 表情は冷静。


 その立ち姿だけで、王国の賢者としての威厳が伝わってくる。


「人払いを」


「はっ」


 アマンダが一言告げると、使用人たちはなるべく音を立てないように客間を出ていった。


 二人きりになる。


 マルタは改めてアマンダを見た。


「偉くなったもんだね」


「おかげさまでございます」


「……誰のおかげだい」


「さて」


「可愛げまでなくなったね」


 アマンダの口元が、ほんの少しだけ動いた。


 笑ったのか。


 気のせいか。


「それで?」


 マルタは椅子へ深く腰掛けた。


「何の用だい。このあたしを士官させたんだ。そっちの狙いは済んだだろ?」


「そうですね。そのことで、少しお話がございます」


 アマンダが向かいの椅子を手で示した。


 座っても?


 ということらしい。


「どうぞ」


「失礼いたします」


 アマンダが腰掛ける。


「まず」


 静かな声だった。


「士官は、今日明日という話ではございません。荷物をまとめる時間も必要でしょうし、研究道具などもあるでしょう」


「そうだね」


「いつから王宮へ入れるのか、手紙でお知らせください」


「いつまでに?」


「明日中に」


「早いね」


「必要ですので」


 マルタは。


 少し意地悪く笑った。


「出さなければ?」


「その場合は」


 アマンダは平然としていた。


「私か、私直属の者がマルタ様のもとへ伺うことになるかと」


「…………」


 マルタは黙った。


 ようは。


 逃げても迎えに行く。


 そういうことだ。


「随分な特別待遇だ」


「はい」


「分かったよ。是非とも手紙を出すことにしよう」


「ありがとうございます」


(まったく)


(誰に似たんだか)


 そう思って。


 すぐ気づいた。


(……あたしか)


 余計なことまで教えたものだ。


「それと」


 アマンダが一枚の紙を差し出した。


「こちらを」


「なんだい?」


「先ほど陛下からお約束いただいた、金貨五十枚でございます」


「…………」


 マルタは紙を持ち上げた。


 王都換金証書と読める。


「これを換金所へ持っていけば、金貨五十枚と交換できます」


「便利なもんだ」


「それから」


 もう一枚。


 アマンダが差し出した。


「こちらは、私からの餞別です」


「餞別?」


 マルタは受け取った。


 数字を見る。


 そして。


 目を細めた。


「……金貨百枚?」


「はい」


「おい」


「なんでしょう」


「これはなんだい」


「ですから、餞別です」


「百枚だよ?」


「存じております」


「そういうことじゃない」


 マルタは証書を机へ置いた。


「何を考えてる?」


 アマンダの表情は変わらない。


「これから入り用になるでしょう」


「……どういう意味だい」


「聞くところによれば」


 アマンダの眼差しが。


 少しだけ鋭くなった。


「何やら厄介なことに巻き込まれているとか」


「…………」


 マルタの背中を。


 冷たいものが流れた。


(どこまで知ってる)


 罪人護送。


 襲撃。


 消えた老人。


 王都地下。


 黒雷石。


 そして。


 孤児院。


 まさか。


 全てを。


「下手な勘繰りはやめてくださいね」


「…………」


「私も全てを把握しているわけではございません」


 アマンダは静かに言った。


「ただ、師匠ほどの方がこれほど積極的に動きを見せている。何かあると考えるのが自然でしょう」


「それだけかい?」


「さて」


「……本当に可愛げがなくなったね」


「師匠の教育の賜物です」


 言い返せない。


 アマンダは静かに。


 金貨百枚の証書を。


 指先でマルタの方へ押した。


「お持ちください」


「…………」


「一つ」


 そこで。


 アマンダの表情が。


 ほんの少しだけ。


 柔らかくなった。


「貸しです」


「…………」


「師匠」


 その瞬間。


 マルタには。


 昔のアマンダが見えた。


 王国の賢者ではない。


 王の側に立つ女でもない。


 分からないことがあれば。


 何度でも質問してきた。


 失敗すれば。


 悔しくて泣いた。


 少し褒めれば。


 隠そうとしても。


 嬉しさが顔に出ていた。


 あの頃の。


 賢者の弟子。


 アマンダ。


「…………」


 マルタは。


 小さく息を吐いた。


「高くつきそうな貸しだねえ」


「忘れないでいただければ結構です」


「それが一番怖いんだよ」


 それでも。


 マルタは証書を懐へしまった。


 金貨百五十枚。


 これだけあれば。


 孤児院を買い戻せる。


 それどころか。


 修繕もできる。


 子供たちに。


 しばらく腹いっぱい食べさせることもできる。


「ゴブリンにエルフ」


 不意に。


 アマンダが呟いた。


「相変わらず師匠は、面白い人生を送っていますね」


「好きでやってるわけじゃないよ」


「昔からそう仰っていました」


「昔から好きでやってないんだよ」


「そういうことにしておきましょう」


「……あんたねえ」


 アマンダが。


 少しだけ笑った。


 今度は。


 見間違いではなかった。


「さて」


 アマンダが立ち上がる。


「お話は以上です」


「もういいのかい」


「はい」


 そして。


 突然。


 声を張った。


「マルタ様がお帰りです。送って差し上げて」


 パンッ。


 手を叩く。


 すぐに使用人が入ってきた。


「…………」


 マルタは呆れた。


「追い出し方まで上手くなったね」


「恐縮ですわ」


「褒めてないよ」


 マルタは立ち上がる。


 そして。


 扉へ向かう。


 だが。


 その前に。


 一度だけ。


 振り返った。


「アマンダ」


「はい」


「何を企んでいる?」


 使用人たちの動きが止まった。


 空気が。


 僅かに張り詰める。


 アマンダは。


 マルタを真っ直ぐに見た。


 その眼光は鋭い。


 強い。


 かつての弟子ではない。


 現代王国の賢者。


 アマンダ。


 そのものだった。


「企むなどと物騒な」


「じゃあ、何を考えてる?」


 アマンダは。


 ゆっくりと答えた。


「私の思うところは二つ」


「…………」


「この国の繁栄と安寧」


 その言葉に。


 迷いはない。


「それだけですわ」


「…………」


 マルタは。


 しばらくアマンダを見つめた。


 嘘ではない。


 そう思う。


 だが。


 全てでもない。


 そんな気がした。


(……まったく)


(厄介な女になったもんだ)


「……そうかい」


 今は。


 それ以上聞いても無駄だろう。


「世話になったね」


「恐縮ですわ」


 マルタは。


 今度こそ客間を後にした。


     ◇


「……よろしかったのですか?」


 マルタが去った後。


 アマンダへ声を掛けたのは。


 彼女直属の側近兵だった。


「何がです?」


「あのまま帰してしまって」


 側近兵は。


 窓の外を見る。


 王城を出て。


 大通りを歩いていく。


 マルタの背中。


「あれほどの人物です。再び気が変わる可能性もあるのでは?」


「構いません」


「しかし」


「無理に縛れば逃げます」


 アマンダは。


 あっさりと言った。


「昔から、そういう人ですから」


「それほど扱いにくい方なのですか?」


「扱おうなどと思わないことです」


「……は?」


 アマンダは。


 少しだけ笑った。


「こんな言葉があります」


「言葉?」


「マルタを怒らせるなら」


 一拍。


「城を一つ敵に回す覚悟をしろ」


「城を……?」


 側近兵が息を呑む。


「それほどの戦闘能力を?」


「物理的な話ではありません」


 アマンダは。


 静かに首を振った。


「あの人が恐ろしいのは、単純な魔術の威力ではありません。膨大な知識と技術。そして、必要な人間を見極め、それぞれの能力を一つの目的へ向けて動かす力」


 窓の向こう。


 マルタが。


 少しずつ小さくなっていく。


「あの人一人が持つものを合わせれば、小さな城塞都市一つが抱える力に匹敵する」


 アマンダは。


 目を細めた。


「あるいは」


「それ以上」


「…………」


 側近兵は。


 言葉を失った。


「だからこそ」


 アマンダは続ける。


「王宮は何度断られても招聘を続けた。そして、だからこそ、無理に縛ることもしなかった」


「では」


 側近兵が尋ねる。


「今回、士官を受け入れたのは……」


「師匠が自分で選んだのです」


 アマンダの声が。


 少しだけ柔らかくなった。


「それで十分です」


「……なるほど」


 側近兵が頷く。


「ならば、もう心配はないのですね」


「いいえ」


「え?」


 アマンダは。


 窓の外を見たままだった。


「だからこそ」


「慎重に行かなければなりません」


「なぜです?」


 その問いに。


 すぐには答えなかった。


 かつて賢者と呼ばれ。


 数え切れないほどの技術を身につけ。


 人間も。


 エルフも。


 ゴブリンも。


 種族など気にせず関わり。


 そして。


 静かに隠居していても。


 何の不思議もない年齢になった今ですら。


 また。


 大きな何かの中心へ。


 引き寄せられている。


 アマンダは。


 遠ざかる師の背中を見ながら。


 ほんの僅かに。


 笑った。


「老いてなお」


「物語は」


「あの人を離してくれないのですから」

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