第68話 二つ名のマルタ、王に売り込みます
一方、その頃。
レオンたちが王都の地下深くで黒雷石を巡る騒動に巻き込まれていることなど知る由もなく、マルタは王城の客間で一人、出された茶をすすっていた。
「……相変わらず、いい茶を出すねえ」
香りを確かめるように一口。
それから菓子を一つ摘まむ。
これも悪くない。
いや、悔しいがかなり美味い。
「茶と菓子だけなら、ここで働くのも悪くないんだけどねえ」
もちろん、本気ではない。
王都へ到着したマルタは、レオンたちと別れたあと、その足で真っ直ぐ王城へ向かった。
城門で用件を尋ねられ。
受付で名前を告げた。
ただ、それだけだった。
紹介状もなければ、謁見の予約もない。
普通なら、ここから何枚もの書類を書かされ、担当部署へ回され、身元を確認され、下手をすれば数日待たされる。
それが王への謁見というものだ。
ところが。
「お名前をお願いいたします」
「マルタ」
「家名もお願いいたします」
「マルタ=ソフィーリア」
「…………」
受付の兵士が固まった。
「……マルタ=ソフィーリア様?」
「そうだけど」
「少々お待ちください!」
兵士が消えた。
ものすごい勢いで。
そして、ものの数分もしないうちに別の兵士が現れ、そのまま城内へ通された。
待たされたのは、この客間で茶を一杯飲む時間だけ。
(……面倒なことになってるねえ)
本人としては、もっと雑に扱ってもらった方がありがたい。
なにしろマルタは、今年だけでも王宮から届いた招聘を三度断っている。
それ以外にも、王立魔術院。
王立錬金術院。
宮廷薬師。
あちらこちらから声を掛けられていた。
その全てを断った。
理由は簡単だ。
(会議と報告書なんて、死んでも御免だよ)
研究は好きだ。
薬を作るのも好きだ。
魔術を研究するのも。
錬金術で訳の分からない物を作るのも。
裁縫も。
人形作りも。
面白そうなら何だってやる。
だが。
それについて何十枚も報告書を書けと言われた瞬間、楽しさは半分になる。
さらに会議など始まれば、残り半分まで消し飛ぶ。
だから断った。
断り続けた。
その結果。
なぜか価値が上がった。
(世の中、分からないもんだねえ)
欲しがられるほど逃げたくなる。
逃げるほど欲しがられる。
まるで猫だ。
そんなことを考えていると、客間の扉が叩かれた。
「マルタ=ソフィーリア様」
「はいよ」
「陛下がお呼びです」
「もうかい?」
「はい」
マルタは残っていた茶を飲み干した。
「せめて菓子をもう一つ――」
兵士が困った顔をする。
「……冗談だよ」
本当は食べたかった。
マルタは椅子から立ち上がる。
年齢を考えれば、そろそろ「よっこいしょ」の一つくらい口から出てもよさそうなものだが、その足腰は未だ頑健そのものだった。
杖もいらない。
腰も曲がっていない。
兵士の後ろを、普段と変わらぬ足取りで歩いていく。
長い廊下。
高い天井。
巨大な窓。
壁には歴代の王たちを描いた肖像画が並んでいる。
(変わらないねえ)
昔。
何度か歩いたことがある。
その頃とは王も変わった。
兵士も変わった。
大臣も。
城で働く者たちも。
だが。
城そのものは。
まるで時間から取り残されたように変わらない。
「こちらです」
兵士が足を止めた。
目の前には巨大な扉。
その両脇を近衛兵が守っている。
扉が開く。
その向こうに広がっていたのは、王国の権威そのものを形にしたような空間だった。
高い天井。
磨き抜かれた床。
巨大な柱。
壁には王国旗。
左右には、一定の間隔を空けて近衛兵が並んでいる。
そして。
最奥。
数段高くなった場所に、玉座があった。
そこに座る男。
この国の王。
その傍らには、大臣ガイ。
そして。
もう一人。
マルタの視線が止まった。
(……賢者アマンダ)
長い法衣を身に纏った女が、王のすぐ傍らに立っていた。
王国において「賢者」とは、単に魔術に秀でた者を指す言葉ではない。
魔術。
錬金術。
薬学。
魔物。
古代文明。
それら多岐にわたる知識を修め、数々の実績を残し、その上で王国が定める極めて厳しい試験を突破した者。
その中でも、ほんの一握りだけに与えられる称号。
現代王国の賢者。
アマンダ。
彼女は高い位置から、王の間へ入ってきたマルタを冷静に観察していた。
顔色一つ変えない。
驚きも。
懐かしさも。
警戒も。
何一つ表へ出さない。
(……大した威圧感を放つようになったじゃないか)
マルタの口元が僅かに緩んだ。
昔は。
もっと分かりやすい娘だった。
褒めれば喜び。
失敗すれば悔しがり。
分からないことがあれば、答えが出るまで食らいついてきた。
それが今では。
王の隣に立っても見劣りしない。
(あたしが賢者なんて呼ばれてた頃は――)
「マルタよ」
重い声が響いた。
思考を引き戻される。
マルタは玉座へ視線を戻した。
「遂に、我がもとへ来ることを決意したか」
国王の声は低く、よく通った。
威圧するために声を張っているわけではない。
ただ普通に話しているだけで、人を黙らせる重みがある。
(相変わらず王様が板についてるねえ)
善政を敷き、国民からも一定の支持を得ている王だ。
マルタも、その点について異論はない。
だからこそ。
最低限の礼儀くらいは払う。
マルタは王の前まで進むと、片膝をついた。
「王国の至高なる統治者、国王陛下にお目通り叶いましたこと、深き敬意を表します」
「よい」
即座に返ってきた。
「そのようなものは」
(だったら最初から言わせるんじゃないよ)
もちろん、口にはしない。
「して」
王が僅かに身を乗り出した。
「いつから仕える?」
(早いね!)
挨拶。
終了。
世間話。
なし。
条件確認。
なし。
いきなり就職日を聞いてきた。
(どれだけあたしが来るのを待ってたんだい)
だが。
焦る必要はない。
むしろ。
これは想定していた。
マルタには分かっている。
王宮が何度断られても自分を欲しがる理由。
そして。
今、最も欲しているもの。
「陛下」
「なんだ」
「恐れながら、一つ確認させていただきとうございます」
「許す」
マルタは顔を上げた。
「陛下が、このマルタに求めておられるもの」
一拍。
「ずばり――ホムンクルスでございましょう」
ざわり。
王の間の空気が、ほんの僅かに揺れた。
近衛兵たちは動かない。
だが、大臣ガイの眉が僅かに反応した。
(やっぱりね)
図星だ。
マルタは確信した。
「だとすれば」
王は表情を変えなかった。
「なんだ?」
「こちらを」
マルタは懐へ手を入れた。
その瞬間、左右の近衛兵が僅かに身構える。
「そんなに警戒しなくても、王様を取って食いやしないよ」
「マルタ」
「失礼」
つい素が出た。
取り出したのは、一束の紙。
丁寧にまとめられた設計図だった。
「ここに、ホムンクルスの設計図がございます」
「ほう」
初めて。
王が明確な興味を示した。
「実際に稼働するものか?」
「もちろん」
マルタは胸を張る。
「学習し、自ら判断し、外部からの命令がなくとも行動する。従来の人造生命とは一線を画すものが、すでに完成しております」
大臣ガイの表情が変わった。
一瞬。
本当に一瞬だった。
だが、明らかな動揺。
それを必死に押し隠している。
対して。
アマンダは。
(……何もなしかい)
凪いでいる。
そう表現してもいいほどだった。
目の前に歴史を変えかねない研究成果が現れたというのに。
眉一つ動かさない。
(まあ)
マルタは心の中で笑った。
(そうするよう教えたのは、あたしだけどね)
「陛下」
マルタは続ける。
「この設計図さえあれば、わざわざこの老骨が王宮へ仕える必要はないかと存じます」
「…………」
「設計図をお渡しいたします。あとは王宮の優秀な方々にお任せすればよろしい」
最初から。
そのつもりだった。
ライカ自身を売る気など毛頭ない。
あの子は研究成果ではない。
もう。
家族だ。
だから売るのは。
自分が積み上げてきた知識。
その一部。
それだけでいい。
研究成果を王宮へ売る。
金を得る。
孤児院を救う。
そして。
王宮からの招聘については。
(これがあるんだから、あたしはいらないだろって煙に巻く)
完璧だ。
我ながら。
実に美しい。
――本来なら。
最初からこの手を使うつもりだった。
そこへ。
『し~しょ~』
あの間延びした声が蘇る。
『お~う~さ~ま~の~と~こ~ろ~で~は~た~ら~け~ば~?』
あの時は。
思わず。
何を言っているんだ、この馬鹿弟子は。
そう思った。
だが。
カラリンは真剣だった。
友達の孤児院を守るため。
小さな頭で。
必死に考えて。
自分の師匠なら王宮に雇ってもらえるのではないかと。
それを思いついて。
自信満々に提案してきた。
(……まったく)
マルタは心の中で苦笑する。
(親馬鹿ならぬ、師匠馬鹿になっちまったもんだ)
ふと。
昔の光景が蘇った。
◇
『な……なんでも……します……』
最初に会った時。
あの子には。
カラリンという名前すらなかった。
ゴブリンの社会から飛び出し、人間たちの暮らす場所へやって来たはいいものの。
誰にも相手にされず。
仕事も貰えず。
食べる物すらなく。
ぼろぼろの服を着ていた。
『なんでも……します……』
痩せた身体。
汚れた顔。
怯えた目。
そして。
目の前にいた女が何者なのかも知らず。
ただ。
助けてくれそうだからという理由だけで。
マルタの足元へ頭を擦りつけてきた。
『おねがい……します……』
何でもします。
何でもしますから。
そんなことを。
何度も。
何度も。
あの頃は。
喋り方も。
今とは違った。
(……あんなだったのがねえ)
今では冒険者だ。
人間の町で仕事をして。
酒場にも入って。
精霊たちと話し。
仲間もいる。
そして。
友達までできた。
耳を奪われ。
故郷を追放され。
それでも孤児たちを守り続けたエルフ。
セレナ。
あの二人が友達になった。
種族も。
生まれも。
何もかも違うのに。
友達を助けたいからと。
あのゴブリンが。
師匠である自分に。
堂々と意見までしてきた。
(成長したもんだよ)
だから。
少しくらい。
弟子のわがままに付き合ってやってもいい。
そう思った。
◇
「マルタよ」
「…………」
「マルタ」
「…………」
「マルタ=ソフィーリア」
「ん?」
マルタは我に返った。
王がこちらを見ている。
「陛下の御前で物思いとは、随分な余裕だな」
「……失礼いたしました」
(いかんいかん)
まだ隠居して昔話に浸るような歳では――
(いや、歳だけなら十分か)
ともかく。
今は交渉中だ。
マルタは背筋を伸ばした。
「それで」
王が設計図を見る。
「この設計図をどうするつもりだ」
「恐れながら陛下」
来た。
マルタは内心で笑う。
「こちらを王国で買い取っていただきたく存じます」
「なるほど」
王は即座に尋ねた。
「いくらだ」
マルタは迷わなかった。
「金貨千枚」
王の間が。
静まり返った。
だが。
驚愕ではない。
むしろ。
その程度か。
そんな空気だった。
「なるほど」
王も頷く。
「安いくらいであろうな」
(だろうね)
マルタ自身も分かっている。
自律思考し。
学習し。
成長する人造生命。
それが本当に再現可能なら。
金貨千枚など。
国家からすれば安い。
「どう考える」
王が顔を動かした。
「賢者アマンダ」
その名が呼ばれた瞬間。
空気が変わった。
マルタの目が。
僅かに細くなる。
アマンダが一歩前へ出た。
相変わらず。
何を考えているのか分からない顔。
「恐れながら、陛下」
静かな声だった。
「その設計図のみを購入することには反対いたします」
(……ほう)
マルタは何も言わない。
「なぜだ?」
王が問う。
「設計図が真正のものであることを前提として申し上げます」
アマンダの視線が。
初めて。
マルタの手にある紙へ落ちた。
「設計図があったとしても、我々だけで完成へ至ることは困難でしょう」
「理由は」
「複数ございます」
アマンダは淡々と答える。
「まず材料」
「必要となる素材を正確に選別し、集められる者が必要です」
「次に加工」
「希少素材の性質を損なわず、設計通りに加工できる職人が必要となります」
「さらに術式」
「魔術、錬金術、薬学、人体構造、魔力回路。それら複数分野を理解し、一つの生命として統合できる者が必要です」
王が顎へ手を添える。
「王立魔術院では足りぬか」
「足りません」
即答だった。
「錬金術院」
「同様です」
「宮廷薬師」
「一分野のみであれば」
「ならば」
王の目がアマンダへ向く。
「貴様ならばどうだ」
王の間が。
さらに静かになった。
現代王国の賢者。
アマンダ。
この国でも指折りの知識と技術を持つ人物。
その女は。
僅かに頭を下げた。
「恥ずかしながら」
一拍。
「私でも、完成は難しいかと存じます」
大臣ガイが僅かに目を見開いた。
近衛兵たちにも。
ほんの少しだけ動揺が走る。
マルタだけが。
目を細めていた。
(……そこまで言えるようになったか)
昔なら。
意地でも「できます」と言っただろう。
負けず嫌いだった。
何でも自分でやりたがった。
だが。
今のアマンダは。
自分にできること。
できないこと。
それを正確に判断し。
一国の王を前に。
堂々と「できない」と言える。
(大したもんじゃないか)
マルタは。
少しだけ嬉しくなった。
――直後。
「ですが」
アマンダが続けた。
その一言で。
マルタの嫌な予感がした。
「それらの問題を全て解決できる人物が」
アマンダの顔が。
こちらへ向く。
「そこにおります」
(……おい)
「薬学」
(待ちな)
「錬金術」
(やめな)
「魔術」
(おい)
「人形術」
(アマンダ)
「その他、複数分野において第一級の知識と技術を持ち、それらを一つへ統合することのできる人物」
アマンダは。
ほんの少しも表情を変えず。
言い切った。
「二つ名のマルタ」
「…………」
「彼女を士官させるという方向から、どうか目を背けられませんように。陛下」
(こいつ……!)
王が。
ゆっくりとマルタを見る。
その目が。
先ほどより。
明らかに楽しそうになっている。
「アマンダ」
「はい」
「貴様の知識と実力があってもか」
「はい」
アマンダは迷わない。
「設計図を読み解くことは可能でしょう」
「部分的な再現も」
「ですが」
そこで初めて。
アマンダの視線が。
真正面からマルタとぶつかった。
「彼女と同じものを作れと言われれば」
静かな声。
「私にはできません」
「そうか」
王が頷いた。
「ならば仕方ないな」
(何が仕方ないんだい)
「悪いな、マルタ」
嫌な予感しかしない。
「設計図のみを買うことはできん」
「…………」
「貴様ごと来い」
王の間が。
静まり返った。
マルタの頬を。
一筋の汗が流れた。
(……さて)
困った。
本当に困った。
金貨千枚。
国家であっても無視できない額。
それだけ吹っかければ。
設計図を買うか。
あるいは値切るか。
どちらにしても、マルタ本人への招聘から話を逸らせると思っていた。
なのに。
(設計図じゃなくて、あたしが欲しいってか)
マルタは。
ゆっくりと。
玉座の隣を見る。
アマンダは。
相変わらず。
何の感情も見せずに立っていた。
凪いだ水面のような顔。
昔。
感情を簡単に読まれるな。
交渉の席では、相手に考えを悟らせるな。
そう教えたのは。
確かに自分だ。
(……まったく)
立派になった。
立派になりすぎた。
そして。
その時だった。
ほんの僅かに。
本当に。
ほんの僅かに。
アマンダの口元が。
上がった。
「…………」
他の誰も。
気づかなかっただろう。
王も。
大臣も。
近衛兵たちも。
だが。
マルタには分かった。
長い付き合いだ。
見間違えるはずがない。
(こいつ……)
笑った。
間違いなく。
笑いやがった。
(最初から分かってて、あたしの逃げ道を潰しやがったね……!)
元賢者。
二つ名のマルタ。
数え切れないほどの修羅場を潜り。
魔物を退け。
難病を治し。
誰にも作れなかった人造生命まで完成させた女。
そんなマルタが。
今。
かつて自分が教えた女を前にして。
久しぶりに。
本気で思っていた。
(……さて、どうするかね)
どうやら。
金貨二十七枚を手に入れるだけの話では。
済まなくなってきたらしい。




