第66話 百十歳、土へ還る命を見届けます
その手の中で、黒雷石が銀色の光を放った。
「返せ!」
仮面の者の一人が叫んだ。
先ほどまでの無気力さが嘘のようだった。
「それは我々のものだ!」
「回収しろ!」
「試作体は後回しだ!」
数人が一斉に盗人へ向かって駆け出す。
ガルドが前へ出ようとした。
だが。
それより早く。
カラリンが片手を床へ向けた。
「こ~ろ~べ~」
あまりにも気の抜けた声だった。
次の瞬間。
仮面の者たちの足元で、石床が僅かに盛り上がった。
「なっ――」
「ぐっ!」
「うわっ!」
先頭の男がつまずき、その後ろにいた者を巻き込む。さらに床そのものが波打つように動き、残った者たちの足を次々と掬った。
ものの数秒で。
仮面の者たちは全員、仲良く床へ転がっていた。
(相変わらず恐ろしいことを、随分と可愛らしくやるのう)
「今!」
セレナが駆ける。
鞭が仮面の者の腕へ絡みつき、背中側へ捻り上げる。
同時にガルドも動いた。
一人。
二人。
仮面の者たちを次々とうつ伏せにし、近くに落ちていた拘束具を使ってまとめて動けなくしていく。
「痛い! 腕が折れる!」
「折れてない」
「そういう問題じゃ――痛い痛い痛い!」
「動くからだ」
ガルドは容赦がなかった。
やがて。
通路には奇妙な光景が出来上がった。
拘束されて転がる仮面の者たち。
そして。
そのすぐ近くには。
同じように床へ倒れた試作体たち。
黒雷石からの供給を失ったことで、彼らの身体は急速に弱っていた。
「ハッ……ハッ……」
「グ……」
「ァ……」
苦しそうな呼吸だけが。
通路へ響く。
先ほどまでの緊張が。
一気に別のものへ変わっていった。
「……ねえ」
セレナが呟いた。
誰に尋ねるでもなく。
床に倒れた試作体たちを見つめながら。
「黒雷石を戻せば……この子たちは助かるの?」
返事はなかった。
仮面の者たちは口を閉ざしている。
盗人も。
黒雷石を持ったまま。
何も言えない。
セレナが目を伏せた。
その瞳には。
すでに。
諦めに近いものが混じっていた。
わしにも。
分かってしまったからだ。
黒雷石を元の場所へ戻せば。
彼らは。
おそらく死なずに済む。
だが。
(それを……助かると言ってよいのかのう)
管に繋がれ。
黒雷石から力を与えられ。
誰かの実験材料として。
ここから一歩も出られず。
ただ。
命を繋ぐ。
それは。
生きていると言えるのだろうか。
何より。
元の姿に戻れる保証など。
どこにもない。
「……こ……」
声がした。
試作体四十七号だった。
人間の面影が残る左目が。
セレナを見ている。
「ころ……して……」
セレナの肩が震えた。
「…………」
「おね……が……い……」
別の試作体も。
僅かに顔を上げる。
「もう……いや……」
「いた……い……」
「ころ……して……」
その言葉が。
次々と。
通路へ落ちていく。
「そんな……」
セレナが唇を噛んだ。
その時だった。
「心得た」
ガルドが言った。
そして。
背中へ。
手を伸ばした。
「…………え?」
大剣の柄を。
握る。
(ちょっと待て)
わしは。
嫌な予感がした。
(まさか)
ガルドの怪力。
あの巨大な大剣。
そして。
目の前には。
動くことすらできない試作体たち。
(まさか一思いに粉砕するつもりか!?)
いやいやいや!
確かに本人たちが頼んだ!
頼んだが!
(それはあんまりじゃろう!!)
「あぅ! あぅ!」
思わず声が出る。
「ガルド、待って!」
セレナも同じことを考えたらしい。
だが。
「だ~い~じょ~う~ぶ~」
カラリンが。
わしらを止めた。
「カラリン?」
彼女は。
ガルドを見ていた。
いつもの。
のんびりした表情ではない。
「ノ~ー~ム……」
そこで。
カラリンの声が。
僅かに震えた。
「か~わ~い~そ~う~って~……い~っ~て~る……」
頬を。
一筋の涙が伝った。
「も~う~……や~す~ま~せ~て~あ~げ~よ~う~って~……」
わしらは。
カラリンの視線を追った。
そして。
ガルドを見る。
大剣が。
ゆっくりと。
鞘から抜かれた。
その瞬間だった。
「…………!」
わしにも。
見えた。
何かが。
大剣の周囲を漂っている。
光。
いや。
光というだけでは足りない。
小さな輝きが。
一つ。
二つ。
十。
百。
数え切れないほどの光が、大剣を中心に静かに舞っている。
それは。
蛍の群れにも。
夜空の星にも見えた。
ガルドは。
剣を振り上げなかった。
誰かへ刃先を向けることもなかった。
ただ。
身体の前で。
静かに構えた。
その姿には。
力を誇示するようなところが。
一つもない。
洗練されていた。
いや。
違う。
(これは……武芸じゃない)
わしには。
そう思えた。
もっと。
静かで。
もっと。
厳かなもの。
神事。
祈り。
あるいは。
弔い。
「……綺麗」
セレナが。
思わず呟いた。
わしも。
同じことを思っていた。
前世。
まだ身体が自由に動いていた頃。
仕事で訪れた山奥で。
一度だけ。
満天の星空を見たことがある。
人工の明かりなど。
何一つない。
空いっぱいに星が広がり。
その中を。
流星群が横切っていった。
百十年生きた中でも。
忘れられない光景だった。
今。
目の前にある光は。
それに負けないほど。
美しかった。
ガルドが。
大剣の刀身へ。
そっと顔を近づけた。
目を閉じる。
そして。
深々と。
頭を下げた。
「よく耐えた」
低く。
静かな声だった。
床に倒れた試作体たちが。
僅かに顔を上げる。
「もう」
ガルドが。
目を開く。
「耐えなくていい」
大剣を。
ゆっくりと下ろす。
「土へと還り」
刃が。
床へ触れた。
「眠りなさい」
その瞬間。
世界が。
光に包まれた。
◇
暖かかった。
眩しいはずなのに。
目を閉じたいとは思わない。
大剣から溢れた光が石床へ広がり。
そこから。
試作体たちへ。
優しく。
染み込んでいく。
「……あ……」
試作体四十七号が。
声を漏らした。
苦しみではない。
その身体が。
少しずつ。
崩れていく。
だが。
血は流れない。
肉が裂けることもない。
灰色の毛も。
獣の腕も。
人間の肌も。
その全てが。
ボロボロと。
柔らかな土へ変わっていく。
「……あ、あ……」
一人が。
笑った。
初めて。
人間らしい表情だった。
「やっと……」
土へ還りながら。
目を閉じる。
「終われる……」
別の者が。
セレナを見る。
「あり……が……」
そして。
ガルドへ。
「……とう……」
最後に。
試作体四十七号が。
ゆっくりと。
空を見上げるように顔を上げた。
ここは。
地下なのに。
空など。
どこにもないのに。
その表情は。
何かを。
見ているようだった。
「…………」
身体が。
静かに。
土へ還る。
光が消えた時。
そこに。
試作体と呼ばれていた者たちは。
もういなかった。
残っていたのは。
柔らかな土。
そして。
静寂だけ。
ガルドは。
大剣を床から離した。
刀身の周囲を舞っていた光が。
一つ。
「また土から生まれて」
また一つと。
「あなたの生命に」
消えていく。
「良き光が差しますように」
最後の光が。
ガルドの肩へ触れ。
消えた。
「…………」
誰も。
すぐには言葉を発せなかった。
そんな中。
「我々の……」
声がした。
床に拘束された。
仮面の者だった。
目の前に残された土を。
呆然と見つめている。
「我々の成果が……」
その言葉を聞いた瞬間。
わしの胸の中にあった感動へ。
別の感情が。
静かに混ざった。
(……成果、じゃと?)
こやつらは。
最後まで。
あの者たちを。
命とは呼ばなかった。




