第64話 百十歳、怪力というものを知ります
通路の先に現れた巨大な金属扉を前にして、わしらはしばらく動けずにいた。
古代の遺構には似つかわしくない、明らかに後から取り付けられた扉。その向こうには攫われた老人がいて、さらに黒雷石の気配まであるという。
そして何より気になるのは、先ほどから扉の向こうで響いている音だった。
――ドンッ。
重い何かがぶつかるたび、分厚い扉が僅かに震える。
続いて聞こえてくるのは、人とも獣ともつかない低い唸り声だ。
ただ怒っているようには聞こえない。苦しんでいるような、何かを必死に訴えているような、耳に残る嫌な声だった。
「……何がいるの?」
セレナが呟いた。
「俺に聞かないでくれよ」
盗人が困った顔をする。
「まだ何も言ってないわよ」
「そろそろ俺に聞かれる流れかなって」
(学習してきたのう)
もっとも、今度ばかりは盗人を責めることもできない。
彼が知っているのは古い地図に記された地下道までだ。この先にある施設は、その地図が作られた後に何者かが造ったものらしい。
『レオン』
雷葬獣の声が頭の奥へ響いた。
(爺さんは?)
『この先だ』
(生きとるか)
『動いている。だが、先ほどより弱くなっている』
胸の奥がざわついた。
老人の身体は、ただでさえ限界に近かった。
稼働率。
継続可能時間。
あの男は自分の状態を、まるで機械を点検するかのように口にしていた。
百年以上動き続けてきた身体へ、今この瞬間にも何かが行われているとしたら。
(急がんとな)
「ガルド」
セレナが呼びかけた。
「開けられそう?」
「見る」
ガルドが前へ出る。
その背中には、巨大な大剣。
(おっ)
わしは密かに期待した。
今度こそ。
あの剣を抜くのではないか。
スケルトンの大群を相手にしても抜かなかった。
石壁を壊す時ですら、「拳でいい」の一言で済ませた。
だが、目の前にあるのは分厚い金属扉だ。
さすがにこれは拳ではどうにもならんじゃろう。
どうやら同じことを考えたのは、わしだけではなかったらしい。
セレナの視線がガルドの背中へ向く。
カラリンも目を輝かせながら大剣を見ている。
盗人まで、妙に期待した顔をしていた。
「つ~い~に~?」
カラリンが小さく呟く。
「……あの剣、そんなにすごいの?」
盗人が尋ねる。
「ノ~ー~ム~が~い~る~」
「よく分からないけど、すごそうだな」
ガルドが扉の前へ立つ。
わしらの視線が。
一斉に。
大剣へ集まった。
ところが。
「…………」
ガルドは柄に手をかけなかった。
それどころか。
剣を見ることすらしない。
(あれ?)
ガルドは扉の中央へ移動すると、そこに取り付けられている巨大な錠前をじっと見た。
子供の頭ほどもある。
太い金具で扉へ固定されており、どう見ても簡単に壊せる代物ではない。
ガルドが。
それを掴んだ。
「…………?」
太い指が金属の塊を包み込む。
次の瞬間。
腕に力が入った。
――ガキンッ!!
聞いたことのない音がした。
「…………」
何が起きたのか。
一瞬。
分からなかった。
ガルドの手には。
先ほどまで扉についていたはずの錠前が握られていた。
壊したのではない。
金具ごと。
引きちぎっている。
「開いたぞ」
ガルドが言った。
「…………」
セレナが口を開けたまま固まる。
「…………」
盗人も固まっている。
「…………」
カラリンまで固まっていた。
(いやいやいやいや)
わしは心の中で盛大に首を振った。
(それは“開けた”とは言わんじゃろ!)
「……ねえ、ガルド」
ようやくセレナが口を開く。
「剣は?」
「使わん」
「どうして?」
ガルドは天井を見上げた。
「地下だ」
「うん」
「崩れる」
「…………」
「危ない」
あまりにも正論だった。
(正論なんじゃが!)
確かに、これだけ深い地下で巨大な剣を振り回し、ノームの力まで使えば何が起こるか分からない。
壁を壊した拍子に天井まで崩れれば、老人を助けるどころではなくなる。
実に冷静。
実に合理的。
だったら、必要な部分だけを壊せばいい。
その結果が。
錠前を素手で引きちぎる。
(普通はできんのじゃよ!)
『なぜ皆、驚いている』
雷葬獣が尋ねてきた。
(お前さんまでそっち側か!)
『錠を外しただけではないのか』
(力ずくでな!)
『開いたのなら問題ない』
(……お前さん、ガルドと気が合いそうじゃのう)
ガルドはわしらが何に驚いているのか理解していないらしい。
引きちぎった錠前を床へ置くと、両手で金属扉を押した。
ギィィィィ……。
重苦しい音を立てながら、扉がゆっくり開いていく。
その向こうから。
冷たい空気が流れてきた。
同時に。
あの匂いも。
甘い薬品。
そして。
何かが腐ったような臭い。
先ほどより。
遥かに濃い。
セレナの表情から、先ほどまでの呆れが消えた。
「……行こう」
その一言で。
わしらも気を引き締め直した。
◇
扉の向こうへ足を踏み入れた瞬間、わしは思わず周囲を見回した。
これまで歩いてきた地下道とは、まるで違う。
床は綺麗に整えられ、壁の大部分が金属板で補強されている。天井には何本もの管が走り、等間隔に取り付けられた白い魔法灯が、奥へ続く通路を照らしていた。
左右には同じ形の扉がいくつも並んでいる。
どれも古代の遺構には見えない。
(完全に施設じゃな)
誰かが。
この場所を。
今も使っている。
「王都にこんな場所が……」
セレナが呟いた。
「俺も知らない」
盗人も、今度は冗談を言わなかった。
「こんなところまで知ってたら、俺もっとすごいもの盗んでるよ」
「今それ言う?」
「緊張すると喋りたくなるんだよ」
「静かに」
ガルドが言う。
「はい」
(すっかり扱い方を覚えられとる)
その時。
――ガンッ!
すぐ近くで大きな音が響いた。
「っ!」
セレナが反射的にわしを抱く腕へ力を込める。
左側。
一番近い扉。
その向こうからだった。
――ガンッ!
もう一度。
何かが内側からぶつかっている。
「さっき聞こえた音……」
セレナが呟く。
ガルドが前へ出る。
「いる」
「何が?」
「分からん」
わしにも分からない。
だが。
雷葬獣には。
何か感じ取れるらしい。
『レオン』
(なんじゃ)
『先ほど言ったものだ』
(何のことじゃ)
『生き物の気配が混ざっていると言っただろう』
雷葬獣の声が低くなる。
『この中だ』
わしは扉を見る。
(人と獣が?)
『そうだ』
セレナも。
何か異様なものを感じているのだろう。
弓へ手を伸ばしかけ。
そこで止まった。
今は。
わしを抱いている。
「カラリン」
「う~ん?」
「レオンをお願い」
「あぅ」
またか。
「ま~か~せ~て~」
すっかり慣れた手つきで、わしはセレナからカラリンへ渡される。
(最近、わしの受け渡しが随分と手際よくなっとらんか?)
『良いことではないか』
(荷物みたいで複雑なんじゃよ)
セレナは弓を構えた。
ガルドが大剣を背負ったまま、扉の前へ立つ。
その瞬間。
――ドンッ!!
扉が大きく膨らんだ。
「下がれ!」
ガルドが叫ぶ。
わしらが後退する。
次の瞬間。
扉が。
内側から。
吹き飛んだ。
◇
何かが通路へ転がり出てきた。
大きい。
ガルドほどではないが、人間より遥かに大きな身体。
四つん這いになったその姿を見た時、最初は巨大な獣だと思った。
灰色の体毛。
太い腕。
床を削るほどの爪。
狼か。
熊か。
だが。
そいつが顔を上げた瞬間。
「……嘘」
セレナが息を呑んだ。
わしも。
すぐには理解できなかった。
顔の右半分は。
獣だった。
前へ突き出した口。
牙。
黄色い目。
だが。
左半分には。
人間の面影が残っている。
人の目。
頬。
肌。
身体も同じだった。
獣の毛皮の間から人間の皮膚が覗いている。
右腕には鋭い爪。
左手には。
人間に近い五本の指。
何より。
首には太い金属製の輪が取り付けられていた。
そこから伸びる何本もの管は、途中で乱暴に引きちぎられている。
「なに……これ……」
セレナの声が震えた。
怪物が。
ゆっくり。
こちらを見た。
「グ……」
喉から。
低い声が漏れる。
「グ、ァ……」
ガルドが。
わしらを庇うように前へ出た。
だが。
大剣には。
手をかけない。
地下だから。
その判断は変わらないらしい。
両手を空けたまま。
怪物を見据える。
「来る」
怪物が身体を低くした。
飛びかかってくる。
誰もがそう思った。
セレナが矢をつがえる。
ガルドが腰を落とす。
しかし。
怪物は。
動かなかった。
「…………?」
よく見ると。
震えている。
怒りではない。
恐怖。
そして。
黄色い右目ではなく。
人間の左目から。
涙が流れていた。
「た……」
掠れた声。
セレナの弓が。
僅かに下がる。
「今……喋った?」
「た……す……」
怪物の口が。
必死に動く。
「たす……け……」
盗人の顔から。
血の気が引いた。
カラリンも。
いつもの間延びした声を出さない。
ガルドだけが。
静かに怪物を見つめていた。
「人だ」
ガルドが言った。
短い。
だが。
その言葉が。
妙に重かった。
その時。
「――処分対象、脱走」
通路の奥から。
冷たい声が響いた。
わしらが老人を追うべき方向。
そこから。
数人の人影が姿を現す。
全員が灰色の外套を纏い、顔の上半分を白い仮面で覆っている。
先頭の一人が。
通路へ倒れた怪物を見る。
「試作体四十七号」
その声には。
驚きも。
怒りも。
ない。
「拘束設備の破壊を確認」
手にした杖が。
怪物へ向けられる。
「回収不能と判断」
怪物が。
怯えるように身体を縮めた。
「処分する」
「待って!」
セレナが叫んだ。
仮面の男が。
そこで初めて。
わしらへ顔を向けた。
「……侵入者?」
視線が。
ガルドへ。
セレナへ。
盗人へ。
カラリンへ。
そして。
カラリンに抱かれている。
わしへ。
そこで。
止まった。
「…………」
仮面の男が。
僅かに首を傾げる。
「その赤子……」
嫌な。
沈黙。
わしの胸の奥で。
雷葬獣が強く反応した。
『レオン!』
(なんじゃ!?)
『下がれ!』
雷葬獣の警告と。
男の声が。
重なった。
「魔力反応が――」
仮面の奥から。
わしを見つめる。
「黒雷石と一致する」
その言葉を聞いた瞬間。
仮面の者たちの視線が。
一斉に。
わしへ向いた。




