第61話 百十歳、二つ名のマルタを知ります
「王都の地下の地図……?」
セレナが聞き返すと、若い盗人は兵士に両腕を掴まれたまま頷いた。
「ああ。下水道じゃない。もっと古いやつだよ。今は使われてない通路で、昔の城壁の下とか、王城の地下とか、そういうところまで繋がってる」
先ほどまでの軽薄そうな笑みは残っているものの、その目はいつになく真剣だった。
「どうしてそんなものを知ってるのさ」
マルタが問いかける。
「前にも言っただろ。俺が盗んだのは宝石だけじゃないって」
「それが地図?」
「正確には、宝石を盗みに入った屋敷で見つけたんだよ。鍵付きの棚に大事そうにしまってあったからさ」
「それで盗んだの?」
「泥棒だからね」
「威張るんじゃないよ」
マルタが呆れたように額を押さえた。
(筋金入りじゃな)
とはいえ、今ばかりはその盗癖が役に立つかもしれない。
雷葬獣によれば、攫われた老人は王都の地下へ運ばれている。そして黒雷石もまた、同じく地下から気配を発している。
そこへ、王城の下へ続く古い地下道を知る盗人が現れた。
さすがに偶然で片づけるには出来すぎていた。
「その地図は?」
セレナが尋ねる。
「捕まった時に没収された」
「じゃあ、地図を見せてもらえば――」
「それだけじゃ無理だと思うよ」
盗人は首を振った。
「通りの名前なんかほとんど書いてなかった。古い建物とか壁の傷とか、地下の柱とか、そういうのが目印になってたからな」
「それを覚えてるの?」
「一度見た道は忘れない」
盗人は自分のこめかみを指先で軽く叩く。
「特に逃げ道はね」
(そこだけ妙に格好いいのう)
犯罪者でなければ褒めてやりたいところだ。
「入口は?」
「二つ覚えてる。一つは古い排水路。もう一つは、倉庫区画の地下だ」
マルタが腕を組む。
「そこから王城の下まで行ける?」
「途中までは。ただ、地図自体が途中で切れてた」
「十分だよ」
マルタは即答すると、盗人を押さえている兵士へ向き直った。
「この男を借りる」
「駄目です」
こちらも即答だった。
「だろうね」
「罪人ですよ」
「見れば分かる」
「でしたら――」
「責任者は?」
兵士が言葉に詰まる。
「所長は現在、襲撃についての報告を――」
「呼んできな」
「しかし」
「急ぎなんだよ」
有無を言わせない声音だった。
兵士は少し迷ったものの、結局、別の兵士へ目配せした。
ほどなくして建物の奥から一人の男が姿を現した。
五十代ほどだろうか。制服の襟元まできっちり整えているが、額にはびっしりと汗が浮かんでいる。
「何事です?」
「こいつを借りたい」
マルタが盗人を指差す。
「……罪人を?」
「ああ」
「認められるわけがないでしょう!」
予想通りの反応だった。
「この男はこれから正式に収監される予定です。まして、つい先ほど国家反逆罪の罪人が何者かに奪われたばかりなんですよ!」
「だからだよ」
「何?」
マルタの声が低くなる。
彼女は空になった護送馬車をちらりと見てから、所長へ視線を戻した。
「目の前で国家反逆罪の老人がいなくなった」
「…………」
「これって、あんたらの責任になるんじゃないかい?」
所長の頬が僅かに引きつった。
図星らしい。
地方から正式な手続きを経て護送されてきた国家反逆罪の罪人が、王都へ到着し、まさに引き渡されようというところで攫われた。
どう考えても「襲撃されたので仕方ありませんでした」で済む話ではない。
(わしが上司でも、まず責任者を呼び出すじゃろうな)
場合によっては、始末書程度では済まないだろう。
「……確かに、こちらにも責任はあります」
所長は苦い顔をした。
「ですが、だからといって別の罪人を外へ出すなど――」
「私たちなら」
マルタが遮った。
「それを帳消しにできるかもしれないよ」
「帳消し……?」
「攫われた老人を連れ戻す。ついでに襲撃者の正体まで突き止められれば、あんたらはただ失態を報告するだけじゃなくなる」
マルタの口元が、僅かに持ち上がった。
「襲撃を受けた直後、即座に追跡隊を編成した。そのために地下道を知る罪人を案内役として利用した――そう報告できるだろ?」
「…………」
所長は黙り込んだ。
迷っている。
実に分かりやすい。
(ああいう顔は前世で何度も見たのう)
規則を破った時の責任と、何もしなかった時の責任。
どちらを取るか、頭の中で必死に天秤へかけているのだ。
「しかし……」
所長は額の汗を拭った。
「もし、上からこの判断について何か言われたら――」
「その時は」
マルタが胸を張った。
「“二つ名のマルタが責任を取る”と言いな」
「…………」
所長の動きが止まった。
「二つ名の……マルタ?」
「ああ」
数秒。
所長はマルタの顔をまじまじと見つめた。
やがて。
「まさか……薬師のマルタ?」
「そう呼ぶ奴もいるね」
「錬金術師のマルタ……?」
「それも私」
「魔術師の……」
「私」
「裁縫師」
「それも」
「人形師……?」
「はいはい」
「語り手の――」
「だから全部私だよ!」
(多いわ!)
思わず心の中で突っ込んでしまった。
二つ名のマルタ。
薬師。
錬金術師。
魔術師。
裁縫師。
人形師。
語り手。
長く生きてきた中で様々な分野に手を出し、そのたびに何かしらの功績を残してきた結果、二つ名が増えすぎてしまったらしい。
そして、いつの頃からか。
個々の呼び名を覚えるのが面倒になったのか、それらをまとめて――二つ名のマルタ。
そう呼ばれるようになった。
(略せておらん気もするがのう)
「本物……」
所長が呆然と呟く。
「今年だけで、王宮から三度の招聘を断ったという……」
「数えるんじゃないよ」
「王立魔術院からの誘いも断り――」
「断ったね」
「王立錬金術院からも――」
「断った」
「宮廷薬師長が一度会いたいと――」
「しつこいから逃げた」
「し~しょ~、に~げ~た~の~?」
「カラリンは黙ってな!」
どうやら、わしが思っていた以上に有名人だったらしい。
所長の態度が明らかに変わっている。
先ほどまで目の前にいたのは、護送隊に同行してきた口の悪い魔術師。
だが今は。
王都の上層部が何度も招聘し、それでも首を縦に振らなかった人物が目の前にいる。
「……本当に責任を取っていただけるのですか?」
「取るよ」
マルタはあっさり答えた。
「だから、こいつを貸しな」
「貸すって言い方やめてもらえる?」
盗人が小さく抗議する。
誰も相手にしなかった。
所長は長い間、盗人とマルタを交互に見ていた。
やがて、観念したように深く息を吐く。
「……拘束具は外しません」
「構わないよ」
「緊急追跡の案内役としての一時同行です。逃亡した場合は即座に捕縛してください」
「もちろん」
「それと、この件について上から追及された場合は――」
「私の名前を出しな」
マルタがにやりと笑う。
「二つ名のマルタが勝手にやったってね」
所長はしばらく天を仰いだあと、部下へ向き直った。
「罪人一名を、緊急追跡の案内役として一時同行させる!」
「所長!?」
「責任は私が取る!」
「いや、そこは私じゃないのかい?」
「書類上は私です!」
「大変だねぇ、役人ってのは」
「あんたが言うな!」
(……意外と気が合うんじゃないか、この二人)
◇
「ちょっと待って」
盗人の同行が決まったところで、別の声が飛んできた。
灰色の髪の女罪人だった。
すでに施設の入口近くまで連れていかれていたが、足を止め、こちらを見ている。
「そいつだけ連れて地下へ行くなら、気をつけた方がいい」
「そいつって俺?」
「あんた以外に誰がいるの」
「言い方きついなあ」
女は盗人を無視して、セレナへ視線を向けた。
「王都の地下では、人が消える」
セレナの表情が変わった。
「消える?」
「浮浪者、密輸屋、逃亡犯。時々、兵士も」
「犯罪に巻き込まれたということではないの?」
「違う」
女は静かに首を振った。
「殺されるだけなら、どこかに死体が出る。川に流されることもある。埋められることもある。でも、あそこへ消えた人間は何も残らない」
「なぜ知っている」
ガルドが尋ねる。
「知ってる人間がいたから」
「誰だ」
「言えない」
「またそれかよ」
盗人が呆れた声を上げる。
「あんたは黙ってて」
「はいはい」
女は相変わらず淡々としている。
だが。
(怖がっとるな)
わしにはそう見えた。
「一つだけ覚えておいて」
女が言った。
「地下で、壁に黒い三角形が描かれた場所を見つけても、その先には行かないこと」
「黒い三角形?」
「見つけたら引き返して」
「どうして?」
セレナが尋ねる。
女は答えようとして。
僅かに言葉を詰まらせた。
「その先は――人が入る場所じゃない」
それ以上。
何も言わなかった。
◇
「さて」
マルタが両手を叩いた。
「一度整理しようか」
指を一本立てる。
「攫われた老人を探す」
二本目。
「黒雷石を探す」
そして三本目。
「孤児院を買い戻す金を用意する」
「し~しょ~の~お~し~ご~と~」
「言い方!」
カラリンが楽しそうに笑う。
セレナの表情は真剣だった。
「孤児院の期限もあるものね」
「ああ。そっちは私がやる」
「一人で?」
「交渉なら一人の方が早い」
「じゃあカラリンも――」
「いらない」
「え~」
「絶対いらない」
「し~しょ~、さ~み~し~く~な~い~?」
「むしろ助かるよ!」
「ひ~ど~い~」
「お前がいると話が増えるんだよ!」
(まあ、それは否定できんのう)
マルタは大きく息を吐いてから、改めてセレナを見る。
「セレナ。あんたとカラリンは老人を追いな」
「マルタは王城へ?」
「ああ」
遠くに見える王城へ、マルタが視線を向ける。
「こっちはこっちで、今日中に話を通してくる。世界が危ないからって、孤児院の期限が延びるわけじゃないからね」
「……そうね」
セレナは静かに頷いた。
わしらには、どちらも捨てることができない。
世界。
黒雷石。
老人。
そして。
孤児院で待っている子供たち。
(人手が足りん時は、仕事を分けるしかない)
前世でも同じだった。
一人ですべてを抱え込めば、結局すべてが遅れる。
できる者へ任せる。
今は、それしかない。
「私も行く」
セレナが言った。
「老人を探す方へ」
「ああ」
「レオンも一緒に」
「当然だろ」
(やっぱり当然なんじゃな)
「カ~ラ~リ~ン~も~」
「お前も行きな」
「し~しょ~、が~ん~ば~っ~て~」
「……お前もね」
ほんの少しだけ。
マルタの声が柔らかくなった。
その横で。
ガルドが静かに一歩前へ出る。
「俺も行く」
セレナが瞬きをした。
「え?」
「地下へ」
「でも、護送の仕事はもう終わったんでしょう?」
「終わった」
「だったら、どうして……?」
ガルドは答えなかった。
代わりに、セレナの腕に抱かれているわしへ視線を向ける。
太い指がこちらを指した。
「守る」
「…………」
セレナの目が少しだけ大きくなった。
「でも、もう王都には着いたわよ?」
「まだ危ない」
ガルドは短く答える。
「だから守る」
セレナの顔が、ゆっくりとほころんだ。
「……ありがとう」
「うむ」
(律儀な男じゃのう)
だが。
正直、助かる。
地下に何が待っているのか分からない以上、ガルドほどの戦力が同行してくれるのはありがたい。
しかも、彼の大剣にはノームが宿っている。
石や鉱物に親和性を持つ精霊。
黒雷石を探す上でも、何か役に立つかもしれない。
◇
「それじゃ、私は王城へ行くよ」
マルタが杖を肩へ担ぐ。
「今日中に話だけでも通してくる。三十枚、きっちり引っ張ってきてやるさ」
「二十七枚よ」
セレナが訂正する。
「三枚はあるから」
「分かってるよ」
「三十枚もらってもいいんじゃない?」
盗人が横から口を挟む。
「多い方が嬉しいだろ?」
「罪人は黙ってな」
「はい」
妙に素直だった。
「マルタ」
セレナが呼び止める。
「孤児院のこと、お願い」
「ああ」
「私たちは老人を探す」
「無茶はするんじゃないよ」
「それ、マルタに言われたくない」
「何だって?」
セレナが笑う。
マルタも呆れながら、僅かに口元を緩めた。
そして。
ここで道が分かれる。
マルタは王城へ。
わしらは王都の地下へ。
「行くぞ」
ガルドが言った。
盗人が拘束された両手を持ち上げる。
「案内役なんだから、これ少しくらい緩くしてくれない?」
「駄目だ」
「即答だね」
カラリンが盗人の横へ並んだ。
「に~げ~た~ら~?」
「逃げないって」
「ほ~ん~と~?」
「本当本当」
「に~げ~た~ら~、つ~ち~に~う~め~る~」
「笑顔で怖いこと言うなよ!」
(頼もしいのう)
わしはセレナの腕の中から、遠くにそびえる王城を見上げた。
あの下のどこかに。
黒雷石がある。
老人がいる。
そして、おそらく。
わしらがまだ知らない何かも。
『レオン』
不意に雷葬獣の声が頭の奥へ響いた。
(何じゃ)
『老人の気配が動いた』
胸の奥がざわつく。
(どちらへ?)
短い沈黙。
そして。
『下だ』
雷葬獣の声が低くなる。
『さらに深くへ向かっている』
わしは足元の石畳へ目を落とした。
その向こうなど、もちろん見えるはずもない。
王都の華やかな街並み。
大勢の人々。
商人たちの呼び声。
行き交う馬車。
そのすべての下に。
もう一つ。
誰にも見えない王都が広がっている。
(急いだ方がよさそうじゃな)
わしらは盗人を先頭に、地下への入口を目指して歩き始めた。
そして、その時のわしはまだ知らなかった。
この王都が。
地上に見えているものだけで出来ているわけではないことを。




