第60話 百十歳、目の前で攫われます
「対象を確保しろ」
先頭の男がそう命じた瞬間、黒装束の襲撃者たちは一斉に動き出した。
狙いは明らかだった。
セレナでも、マルタでも、ガルドでもない。
彼らの視線は最初から最後まで、たった一人――あの老人に注がれている。
「させるか!」
真っ先に飛び出したのは、引き渡し所の兵士だった。
剣を抜き、老人と襲撃者の間へ割って入る。だが黒装束の一人が軽く腕を振ったかと思うと、銀色の細い針が空気を裂いた。
「ぐっ……!」
兵士の肩に針が突き刺さる。
たったそれだけだった。
兵士の身体が不自然に硬直し、次の瞬間には膝から崩れ落ちていた。
「麻痺毒かい!」
マルタが舌打ちしながら杖を振るう。
突風が巻き起こり、襲撃者たちの黒い外套を激しくはためかせた。二人ほどが大きく体勢を崩し、後方へ押し戻される。
「セレナ!」
「分かってる!」
セレナはすぐに弓へ手を伸ばした。
しかし、そこで一瞬だけ動きを止める。
わしを抱いているからだ。
「カラリン!」
「は~い~!」
セレナの腕から、わしの身体が素早くカラリンへと渡される。
「レオンお願い!」
「ま~か~せ~て~」
(毎度のことながら、わしの受け渡しだけは随分と手慣れてきたのう)
そんな呑気なことを考えられたのも、そこまでだった。
自由になったセレナは即座に矢を番えた。
狙いを定める。
放つ。
――ヒュンッ!
矢は一直線に飛び、老人へ手を伸ばしていた襲撃者の肩を正確に射抜いた。
「っ!」
男がよろめく。
セレナはもう次の矢を番えていた。
だが。
「防壁!」
黒装束の一人が板状の器具を掲げた。
その瞬間、老人の周囲に透明な膜のようなものが広がる。
――キィン!
セレナの放った二本目の矢が、何もない空中で弾かれた。
「なに!?」
「魔力障壁だよ!」
マルタの声が飛ぶ。
「用意がいいじゃないか!」
あまりにも準備が整いすぎている。
老人を狙うことが、最初から決まっていたかのように。
だが。
そんな障壁など、ガルドには関係がなかった。
「退け」
低い声が響く。
次の瞬間。
巨体が地面を蹴った。
「っ!?」
襲撃者が反応するより早く、ガルドの拳が障壁へ叩き込まれる。
――ドンッ!
空気そのものが震えた。
透明な障壁が大きくたわみ、その向こうに立っていた男まで数歩分押し込まれる。
(……魔法の壁って、殴って動かすものじゃったか?)
「出力を上げろ!」
「無理だ! このままじゃ持たない!」
「時間を稼げ!」
襲撃者たちの声に焦りが混じる。
ガルドは構わず二撃目を叩き込んだ。
――ドンッ!
障壁の表面に、光の亀裂が走る。
「あと一発だ!」
マルタが叫んだ。
「そのまま壊しな!」
「分かった」
ガルドが三撃目の拳を振り上げる。
だが、その瞬間。
「投射!」
一人の襲撃者が、老人の足元へ黒い棒状のものを投げ込んだ。
――カチッ。
小さな音。
それだけだった。
「……っ」
老人の身体が大きく震えた。
これまで何をされてもほとんど表情を変えなかった男が、初めて苦痛らしき声を漏らす。
右手が激しく震え。
肩が揺れ。
脚から力が抜けたように、その場へ膝をついた。
――ギギギギ……。
身体の内側から、今まで聞いたことのないほど大きな異音が響く。
「爺さん!」
元監視員が叫んだ。
『レオン』
雷葬獣の声も鋭くなる。
(分かるか!?)
『力を乱されている』
(黒雷石か?)
『違う』
雷葬獣は少し迷うように間を置いた。
『あれは、あの者そのものに効いている』
「…………」
その言葉で、わしは理解した。
(こいつら……知っとる)
老人が人間ではないことを。
いや。
それだけではない。
(身体の仕組みまで知っとるんじゃないか?)
そうでなければ、こんな都合よく老人だけを機能不全に追い込む道具など用意できるはずがない。
「対象機能低下を確認!」
「拘束器を!」
二人の襲撃者が前へ出る。
手には黒い金属製の鎖が握られていた。
表面には、びっしりと細かな文字が刻まれている。
「近づくな!」
セレナが矢を放つ。
しかし、再び障壁に弾かれる。
「くっ!」
「邪魔だよ!」
マルタが杖を突き出した。
今度こそまとめて吹き飛ばすつもりなのだろう。
だが。
襲撃者たちは地面へ四本の短い杭を突き立てた。
――ガンッ!
直後。
マルタの周囲で渦巻いていた風が、老人の近くへ届く寸前で不自然に弱まった。
「……は?」
マルタの表情が変わる。
「私の魔法を抑えた?」
「魔力抑制具だ!」
引き渡し所の兵士が叫ぶ。
「軍用の……いや、違う。あれは……」
男は途中で言葉を止めた。
(軍の物ではない?)
気になる反応だったが。
今は考えている余裕などない。
「ふんっ!」
ガルドの三撃目が障壁へ突き刺さった。
――バキィン!
澄んだ破砕音。
透明な壁が光の破片となって砕け散る。
「取った」
ガルドが老人へ手を伸ばした。
だが。
わずかに遅かった。
「固定完了!」
すでに黒い鎖が老人の身体へ巻きついていた。
「引け!」
襲撃者たちが鎖を引く。
老人の身体が石畳の上を滑った。
ガルドはその腕を掴んだ。
「離せ!」
反対側では、襲撃者たちが鎖を引く。
巨大なガルドと数人の黒装束。
老人を挟んでの引っ張り合い。
(こんな場面、前世でも見たことないぞ)
だが。
笑える状況ではなかった。
老人の右肩から。
――ギギッ。
嫌な音がした。
「……稼働率」
老人が掠れた声で呟く。
「低下……継続」
「爺さん!」
元監視員が駆け寄ろうとする。
「来るな!」
老人が叫んだ。
これまでの彼からは想像できないほど強い声だった。
その場にいた全員が、一瞬だけ動きを止める。
老人はガルドを見る。
「離せ」
「断る」
「このままでは」
また。
ぎしり。
関節が嫌な音を立てた。
「腕部が破損する」
「…………」
ガルドの黄金色の瞳が、わずかに揺れる。
老人はさらに言葉を続けた。
「その子を守れ」
「…………」
今度はガルドが、カラリンに抱かれているわしを見る。
(わし!?)
「あぅ!?」
思わず声まで出た。
(今はお前さんの方が危ないじゃろうが!)
だが。
老人の目は真剣だった。
壊れかけている自分より。
わしの安全を。
優先している。
「放せ!」
襲撃者たちがさらに鎖を引いた。
老人の肩から、また金属の軋むような音が響く。
ガルドが低く舌打ちした。
「……チッ」
そして。
手を離す。
「ガルド!」
セレナが叫ぶ。
「壊れる」
それだけだった。
老人の身体が一気に襲撃者側へ引き寄せられる。
「確保!」
「撤退!」
「逃がすか!」
セレナが駆け出した。
走りながら矢を放つ。
今度は障壁がない。
矢は一人の脚を射抜き、男が地面へ転がった。
「ぐっ!」
だが、別の襲撃者が老人を肩へ担ぎ上げる。
「走れ!」
「待ちな!」
マルタが再び杖を向ける。
しかし、魔力抑制の杭がまだ残っている。
思うように風が集まらない。
「くそっ……!」
「つ~ち~よ~!」
カラリンも片手を地面へ向けた。
逃走方向の石畳が盛り上がり、土と石の壁が形成されていく。
だが。
襲撃者の一人が白い球を地面へ叩きつけた。
――ボンッ!
爆発ではない。
大量の白煙が噴き出した。
「また煙!」
「下がりな!」
マルタの怒声が響く。
「毒が混じってるかもしれない!」
瞬く間に視界が白く染まる。
何も見えない。
その中へ。
ガルドが迷わず突っ込んだ。
「ガルド!」
セレナが叫ぶ。
返事はない。
代わりに。
煙の向こうから激しい音が響く。
何かを殴る音。
金属が壊れる音。
男たちの叫び声。
そして。
――ドンッ!
地面が揺れた。
マルタが杖を振り、ようやく煙を吹き散らす。
白い幕が少しずつ薄くなり。
視界が戻る。
「…………」
そこに。
ガルドはいた。
立っている。
だが。
老人はいない。
襲撃者たちも。
消えていた。
「ガルド!」
セレナが駆け寄る。
ガルドの左肩には、細い黒い針が一本刺さっていた。
「大丈夫!?」
「問題ない」
「問題あるでしょ!」
ガルドは無造作に針を引き抜き、地面へ捨てた。
「効かん」
(本当かのう……)
いつもの無表情なので、強がっているのか本当に効いていないのか分からない。
ただ。
そんなことを気にしている場合ではない。
「……いない」
セレナが周囲を見回す。
老人の姿は。
どこにもなかった。
「くそっ!」
元監視員が拳を地面へ叩きつける。
「俺の護送中に……!」
「自分を責めるんじゃないよ」
マルタが珍しく、即座に言った。
「あれは普通の襲撃じゃない」
「でも……」
「最初から、あの爺さんしか見てなかった。それに」
マルタは地面へ落ちていた黒い板状の物体へ目を向ける。
直接触れず。
魔力で浮かせた。
「これは……」
「転移具か?」
元監視員が問う。
「いや」
マルタの眉が寄る。
「短距離跳躍用の魔道具だ。遠くまでは飛べない」
「じゃあ追える?」
セレナが食い気味に尋ねた。
「座標が残っていればね」
マルタは板を裏返し。
小さく舌打ちする。
「消されてる」
「そんな……」
セレナの手が強く握られる。
「目の前にいたのに……」
「相当慣れてるね、あいつら」
マルタは続けて、地面へ刺さったままの杭へ目を向けた。
一本を慎重に浮かせる。
しばらく眺めたあと。
表情が変わった。
「どうしたの?」
「これ……王国軍の制式品じゃない」
「え?」
セレナが目を丸くする。
「でも、さっき兵士の人が軍用って」
「似てるだけだよ。意図的に似せて作ってある」
マルタは杭を睨みつける。
「少なくとも、そこらの魔道具屋で買える代物じゃない」
「王都の中で、こんなものを作れる人がいるってこと……?」
「そこから先はまだ考えない方がいい」
マルタは静かに言った。
「証拠がない」
(その通りじゃな)
疑うことは簡単だ。
だが。
誰がやったのか。
何のためにやったのか。
そこを間違えれば、わしらの方が利用されかねない。
重要なのは。
老人を欲しがる理由だ。
(百年以上動き続けとるホムンクルス)
古代の賢者と関わりがあり。
黒雷石の場所を知る。
(……価値がありすぎる)
研究者。
国家。
犯罪者。
誰にとっても。
喉から手が出るほど欲しい存在なのではないか。
『レオン』
雷葬獣の声が響いた。
(何じゃ)
『老人は、まだ近い』
わしは思わず息を呑んだ。
(分かるのか!?)
『弱い。だが、あの古い気配が残っている』
(どこじゃ)
短い沈黙。
そして。
『下だ』
「…………」
(また地下か)
『そうだ』
雷葬獣の声が低くなる。
『黒雷石と、同じ方向だ』
その言葉に。
背筋を冷たいものが走った。
わしは足元の石畳を見る。
その下。
王都の地下。
そこに。
老人がいる。
そして。
黒雷石もある。
(偶然……ではなさそうじゃな)
別々だったはずのものが。
少しずつ。
一つの場所へ集まり始めている。
その時だった。
「おい!」
引き渡し所の方から大きな声がした。
振り返る。
若い盗人が、二人の兵士に両腕を掴まれながら、こちらへ身を乗り出していた。
「そいつら!」
「黙って中へ行け!」
「ちょっと待てって!」
盗人は必死に抵抗する。
「俺、知ってるかもしれない!」
セレナが振り返った。
「何を?」
「あの連中が逃げた先!」
「…………!」
兵士たちの動きが止まる。
マルタが目を細めた。
「どういうことだい」
盗人は一度、周囲を見回した。
いつもの軽い笑みは浮かべている。
だが。
目は笑っていなかった。
「俺さ」
少し声を落とす。
「王都の貴族から宝石を盗んだって言っただろ?」
「ああ」
「盗んだのは」
そこで一度。
言葉を切る。
「宝石だけじゃないんだ」
(……そういうことか)
以前。
この男は確かに言っていた。
ただの宝石泥棒ではない。
それ以上の何かを盗んだ。
「何を盗んだの?」
セレナが尋ねる。
「地図」
「地図?」
「王都の地下のだ」
空気が変わった。
「普通の下水道じゃない」
盗人はさらに声を潜める。
「もっと古い道だ。使われなくなった地下通路。王城の下まで続いてる」
胸の奥が。
どくん。
強く脈打つ。
『レオン』
(分かっとる)
雷葬獣も。
同じものを感じている。
「その地図」
マルタが盗人を真っ直ぐ見た。
「覚えてるのかい?」
盗人は、にやりと笑った。
そして。
自分のこめかみを人差し指で軽く叩く。
「泥棒を舐めないでくれよ」
口元の笑みが深くなる。
「逃げ道は、一度見たら忘れない」
王都の地下。
攫われた老人。
黒雷石。
そして。
王城へ続く古い通路。
今まで別々に見えていた糸が。
ようやく。
一つの場所へ集まり始めていた。




