第59話 百十歳、王都の門をくぐります
遠くに見えていた王都の城壁は、近づくにつれて想像以上の大きさになっていった。
白い石を幾重にも積み上げた外壁は、首が痛くなるほど見上げなければ頂上が見えない。一定の間隔で建てられた監視塔には兵士の姿があり、槍を手に街道を行き交う人々へ目を光らせている。
城門へ続く道も、これまで通ってきた街道とは比べものにならないほど広かった。
荷馬車、旅人、商人、騎士。立派な装飾を施された貴族らしき馬車まで、絶え間なく王都へ吸い込まれていく。
(なるほど。王都というだけはあるのう)
前世で大都市をいくつも見てきたわしでも、素直に感心してしまう。
高層ビルもなければ自動車もない。もちろん鉄道もない。
それなのに、これだけの人間と物資を一つの都市へ集め、動かしているのだ。
商売人だった頃の癖なのか、ついつい人の流れより先に物流へ目が向いてしまう。
(これだけ荷馬車が出入りしとるなら、食料だけでも相当な量じゃろうな。宿も飯屋も商店も、さぞ繁盛しとるじゃろう)
『何を考えている』
雷葬獣の声が頭の奥へ響いた。
(商売じゃ)
『これから世界を救うのではないのか』
(世界を救うにも金は要る)
『そうなのか』
(大抵のことはな)
そんな会話をしていると、すぐ近くから深いため息が聞こえてきた。
「はぁ……」
見ると、マルタが見るからに嫌そうな顔で王都を睨んでいる。
ここまで王都が近づくにつれ、彼女の機嫌は目に見えて悪くなっていた。
「し~しょ~」
カラリンが隣から顔を覗き込む。
「な~ん~で~そ~ん~な~か~お~し~て~る~の~?」
「王都だからだよ」
「き~ら~い~?」
「嫌いというより、面倒なんだ」
マルタは王城を見上げ、心底うんざりしたように眉を寄せた。
「貴族は肩書きを気にする。役人は形式を気にする。学者は自分の説を聞かせたがる。その全部が私を見つけると寄ってくる」
「に~ん~き~も~の~」
「嬉しくない人気だよ」
セレナがくすりと笑った。
「でも今回は、自分から行くんでしょう?」
「…………」
「マルタ?」
「分かってるよ」
マルタは不機嫌そうに顔を背けた。
「孤児院のためだろ」
(ありがたい話じゃ)
本人にしてみれば、できることなら今すぐ引き返したいのだろう。
だが、マルタが王都から何度も届いていた招聘を受けなければ、孤児院を買い戻すための資金を一気に用意する方法はほとんどない。
黒雷石だけではない。
わしらには、残り数日という期限付きの問題も残っている。
(世界も孤児院も、待ってはくれんからのう)
そんなことを考えているうちに、馬車は城門前の長い列へ入った。
◇
王都へ入るには、当然ながら検問があった。
一般の旅人たちは身分証や通行証を見せ、荷物を簡単に調べられている。
だが、わしらは少々事情が違う。
「王都監獄への護送だ!」
元監視員が御者台から書類を掲げると、門兵たちの表情がすぐに引き締まった。
「罪人三名?」
「ああ。地方収容所からの移送だ。護送命令書はここにある」
兵士が書類を受け取り、内容へ目を走らせる。
その間にも、別の兵士たちが鉄格子付きの護送馬車へ近づいていった。
最初に確認されたのは、若い盗人だった。
「…………」
「どうも」
盗人は愛想よく片手を上げる。
「手を出すな」
「挨拶しただけだろ」
「罪人が馴れ馴れしくするな」
「王都の兵士は固いねぇ」
次に兵士の視線が向いたのは、灰色の髪をした女だった。
両腕には重い魔力封じの拘束具。
それを見た兵士の顔が、わずかに強張る。
「魔封じか」
「近づきすぎるな」
元監視員が忠告する。
「五人殺してる」
「……分かっている」
兵士はさりげなく一歩距離を取った。
そして最後。
老人。
「…………」
門兵が老人を見る。
老人も門兵を見る。
何も起こらない。
ただ。
静かすぎる。
「こいつが国家反逆罪?」
「ああ」
「ずいぶん年寄りだな」
「俺もそう思ったよ」
兵士は手元の書類へもう一度視線を落とした。
「何をした?」
「それがな」
元監視員が困ったように眉を寄せる。
「引き継ぎの書類に詳細がないんだ」
「ない?」
「ああ。罪状だけだ」
門兵の表情が変わった。
「国家反逆罪で、詳細がない?」
「俺に聞かれても困る」
(やはり妙じゃな)
わしも胸の中で同意する。
国家反逆罪など、どう考えても軽い罪ではない。
それなのに。
何をしたのか分からないまま護送させる。
危険人物なのか。
思想犯なのか。
王族へ何かしたのか。
何もない。
(この爺さん、本当に何もかもおかしいのう)
門兵は何度か書類を読み返したものの、最終的には通行印を押した。
「問題ない。だが護送馬車は中央通りを使うな。北側の監獄用通路へ回れ」
「了解」
城門がゆっくりと開いていく。
そして。
わしらはついに、王都の中へ入った。
◇
「あぅ……」
思わず声が漏れた。
精神的には「おお」と言ったつもりだったのだが、残念ながら今の身体ではこうなる。
城壁の内側は、外から見ていた以上に巨大だった。
広い石畳の通りの両脇には、三階建てや四階建ての建物が隙間なく並んでいる。一階部分の多くは店になっているらしく、店先には色とりどりの商品が並べられていた。
パン屋からは焼きたての香り。
肉屋からは炙った脂の匂い。
武器屋の前には剣や槍。
少し離れた場所には、見たことのない器具を並べた魔道具店まである。
呼び込みの声。
客の笑い声。
馬車の車輪。
どこか遠くで鳴る鐘。
様々な音が混ざり合い、街そのものが生き物のように動いていた。
「すごい……」
セレナも目を丸くしている。
「し~しょ~」
カラリンはさらに目を輝かせた。
「お~み~せ~い~っ~ぱ~い~」
「寄らないよ」
「ま~だ~な~に~も~い~っ~て~な~い~」
「顔に書いてある」
「け~ち~」
「誰がケチだ!」
(いつも通りじゃな)
そんな二人とは対照的に、ガルドは街の華やかさへほとんど興味を示していなかった。
建物を見る。
人の流れを見る。
護送馬車を見る。
そして。
わしを見る。
一定の間隔で視線を動かしている。
(警戒しとるんじゃな)
昨日、あれだけ派手に襲われたのだ。
当然といえば当然である。
それでも。
王都だ。
兵士も多い。
人も多い。
普通なら、少しくらい安心してもよさそうなものだが。
『正しい』
雷葬獣がぽつりと言った。
(何がじゃ)
『あの大きい者だ』
(ガルドか)
『ここは危険だ』
わしの気持ちが、わずかに引き締まった。
(何か分かるのか?)
『分からぬ』
(またそれか)
『だが、嫌な気配がする』
(どこからじゃ)
少しの沈黙。
やがて。
『下だ』
「…………」
一瞬。
意味が分からなかった。
(下?)
『地面の下』
反射的に石畳を見る。
もちろん。
何も見えない。
その下。
さらに。
深いところ。
『我の力がある』
(黒雷石か)
『おそらく』
胸の奥が強く脈打った。
どくん。
いつもとは違う。
雷葬獣と繋がっている場所が。
確かに。
何かに反応している。
(本当にあるんじゃな)
老人の言葉。
雷葬獣自身が残していた手掛かり。
――王の下。
わしは自然と、遠くにそびえる王城へ目を向けた。
白い尖塔。
高い城壁。
王都の中央。
最も高い場所。
(あの下か?)
『そこまでは分からぬ』
(本当にそこだけは便利にならんのう)
『近づけば分かるかもしれぬ』
(そう願うわい)
◇
護送馬車はしばらく大通りを進んだあと、北側の道へ入った。
華やかな店は次第に減っていき、代わりに兵舎や倉庫、役所らしき大きな石造りの建物が増えていく。
同じ王都とは思えないほど、空気が違った。
「もうすぐだ」
元監視員が前を見たまま言う。
「何が?」
セレナが尋ねる。
「引き渡し所。そこで俺たちの護送は終わりだ」
「じゃあ、ガルドも?」
セレナが振り返る。
「終わりだ」
「……そう」
ほんの少しだけ。
声に寂しさが混じった。
ガルドがそれに気づいたのかどうかは分からない。
ただ。
わしを見た。
「王都に着いた」
(そうじゃな)
「守った」
「…………」
何となく。
少しだけ誇らしげに見えた。
たぶん気のせいではない。
「ありがとう」
セレナが笑う。
「本当に助かったわ」
「仕事だ」
「それでもよ」
「そうか」
相変わらず短い返事。
だが。
以前よりも少しだけ柔らかく聞こえた。
その時。
護送馬車の中から声が飛んできた。
「なあ」
盗人である。
「俺たち、ここでお別れ?」
「そうだ」
元監視員が答える。
「寂しいなあ」
「俺は嬉しいよ」
「冷たい」
「お前を好きになる要素がどこにあった」
「結構喋ったじゃん」
「お前が勝手に喋ってただけだ!」
盗人が楽しそうに笑う。
それから女罪人へ顔を向けた。
「姉ちゃんも寂しい?」
「…………」
「無視?」
「黙れ」
「はいはい」
そして最後。
老人を見る。
「爺さんは?」
「…………」
「やっぱ無視か」
老人は、王都へ入ってからほとんど口を開いていない。
いや。
もともと無口ではある。
だが。
今日は何かが違う。
建物。
道。
兵士。
時折。
地面。
何かを確認しているように、ゆっくりと視線を巡らせている。
(場所を探っとる?)
『そう見える』
雷葬獣も同じように感じたらしい。
老人の右手が、僅かに震えた。
――ギ。
小さな金属音。
(こやつ……)
わしの中に、一つの考えが浮かぶ。
王都へ来ることそのものが。
老人の目的だったのではないか。
捕まったのは偶然。
そう思っていた。
だが。
追われていて。
自力では王都へ近づけない。
なら。
捕まる。
罪人として護送される。
(いやいや)
わしはすぐに考えを振り払った。
さすがにそれは考えすぎだ。
とはいえ。
あの老人を見ていると。
完全には否定できない。
◇
王都北部にある引き渡し所は、見るからに物々しい場所だった。
高い石壁。
分厚い鉄門。
監視塔。
王都へ着いたからといって逃がすつもりなど一切ない。
そんな意思が、建物そのものから伝わってくる。
「止まれ!」
門の前で兵士が声を上げる。
元監視員が護送書類を掲げた。
「地方護送隊だ! 罪人三名!」
「確認する!」
兵士たちが近づいてくる。
書類。
牢。
拘束具。
一つずつ慎重に確認していく。
「まず一人目」
若い盗人が馬車から降ろされた。
手枷と足枷が追加される。
「いやいや、逃げないって」
「黙れ」
「信用ないなあ」
「犯罪者だからな」
「ああ、それ言われると弱い」
連れていかれる。
次。
灰色の髪の女。
彼女の番になると。
兵士の人数が増えた。
「魔力封じは外すな。距離を取ったまま移動させろ」
「分かっている」
女は抵抗しなかった。
大人しく歩いていく。
ただ。
セレナの横を通り過ぎる時。
一瞬。
視線を向けた。
「…………」
何か言いたそうだった。
だが。
結局。
何も言わずに施設の中へ消えていった。
「最後」
兵士が書類へ目を落とす。
「国家反逆罪の男」
老人がゆっくりと立ち上がる。
牢を出る。
そして。
地面へ足をつけた。
その瞬間。
『レオン』
雷葬獣の声が、鋭く響いた。
(何じゃ)
『来る』
普段とは違う声音だった。
(何が)
『敵だ』
直後。
――ドンッ!
腹の底まで響く大きな音がした。
「っ!?」
兵士たちが一斉に振り返る。
引き渡し所の外壁近くから、白い煙が一気に噴き上がった。
「襲撃だ!」
「門を閉めろ!」
「罪人を中へ!」
怒号が飛び交う。
兵士たちが剣を抜く。
セレナは反射的にわしを胸元へ抱き寄せた。
「レオン!」
(分かっとる!)
煙の中。
人影が動いた。
一つ。
二つ。
三つ。
いや。
まだいる。
全員、顔を隠している。
動きも。
明らかに普通ではない。
「何者だ!」
兵士が叫ぶ。
返事はない。
次の瞬間。
一人の襲撃者が腕を振った。
銀色の小さな何かが飛ぶ。
「ぐっ……!」
兵士の首へ突き刺さった。
その身体が崩れ落ちる。
「毒だ!」
マルタが叫ぶ。
「煙も吸うんじゃないよ!」
杖を振る。
風が巻き起こる。
白煙が。
一気に吹き飛ばされていく。
視界が開いた。
そこで。
わしは気づいた。
襲撃者たちは。
セレナを見ていない。
マルタも。
カラリンも。
ガルドすら。
見ていない。
ただ。
一人。
老人だけを。
見ている。
(やはり……)
狙いは。
こいつ。
先頭の襲撃者が。
感情のない声で命じた。
「対象を確保しろ」
その言葉を聞いた瞬間。
老人の瞳が動いた。
これまで。
何をされても。
ほとんど表情を変えなかった男。
その顔に。
初めて。
はっきりとした感情らしきものが浮かんだ。
恐怖ではない。
警戒。
老人の右手が震える。
――ギ。
乾いた音が鳴った。
「……捕獲部隊」
老人が低く呟く。
そして。
襲撃者たちの装備へ視線を走らせる。
「識別」
一瞬の沈黙。
「王都地下――」
言葉は。
最後まで続かなかった。
襲撃者たちが。
一斉に。
老人へ殺到した。




