第58話 百十歳、王都を目前にします
ネクロマンサーたちの襲撃を退けてからしばらくの間、護送隊の空気はどこか重かった。
街道を進む馬車の車輪は、相変わらず石を踏むたびにごとごとと音を立てている。馬の蹄も一定の調子で乾いた道を叩き、森にはいつの間にか鳥の声も戻っていた。
先ほどまでスケルトンやレイスがひしめいていたことなど、まるで嘘のようだった。
だが、人の気持ちはそう簡単には元へ戻らない。
わしを抱いたセレナは、何度目か分からないほど後ろの護送馬車へ視線を送っていた。
(また見とるのう)
『気になるのだろう』
雷葬獣の声が頭の中へ響く。
(そりゃあ、気にもなるじゃろ)
女罪人を助けに来たはずの連中が、あの老人を見た途端に目的を変えた。
しかも、雷葬獣の話では、その時だけ老人の気配まで変化したという。
普通ではない。
それだけは、もう疑いようがなかった。
(あの爺さん、一体何者なんじゃろうな)
『分からぬ』
(お前さんでもか)
『分からぬものは分からぬ』
(潔いのう)
わしは小さく息を吐いた。
前世でも、仕事をしていれば分からないことなど山ほどあった。
取引先の本音。競合の狙い。社員の不満。新規事業の見通し。
分からないからといって、立ち止まるわけにはいかない。
『お前の記憶では、こういう時はどうする』
(まず情報を集める)
『それから』
(相手が何を欲しがっているか考える)
『それから』
(こちらが何を持っているのか確かめる)
『それから』
(必要なら交渉する)
『なるほど』
雷葬獣は感心したようにしばらく黙った。
そして。
『では、あの老人は何を欲しがっている』
(それが分からんから困っとるんじゃ)
『そうか』
(そうじゃ)
どうにも、役に立つような立たないような会話である。
「レオン?」
不意にセレナの声が降ってきた。
顔を上げると、彼女が心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「さっきから難しい顔してるけど、どうしたの?」
(赤ん坊の顔で、そこまで分かるもんかのう)
「お腹痛い?」
(違う)
「眠い?」
(違う)
「お腹すいた?」
(お前さん、そればっかりじゃな)
セレナはしばらくわしの顔を眺め、やがて何かを納得したように頷いた。
「……やっぱり怖かったのね」
(違うと言っとるじゃろう)
「よしよし」
頭を撫でられる。
どうせ言葉は通じない。
わしは諦めて、その手を甘んじて受け入れることにした。
◇
次の宿場へ着いたのは、日が西へ傾き始めた頃だった。
前日の宿場よりも規模は小さく、街道沿いに数軒の宿と厩舎、それに雑貨屋と鍛冶場が並んでいる。外れには兵士の詰所もあり、王都へ向かう旅人たちの休憩地として使われているらしい。
「今日はここまでだ」
元監視員が御者台から降りながら言った。
「馬も休ませないと明日がもたん。こっちも同じだ」
「王都まで、あとどれくらい?」
セレナの問いに、男は街道の先へ目を向けた。
「順調なら、明日の昼過ぎには見えてくる」
「明日……」
セレナが小さく呟く。
わしも、同じ言葉を胸の中で繰り返した。
(いよいよじゃな)
王都へ向かう理由は一つではない。
マルタが王都の役職を受ける代わりに、孤児院を買い戻すための金を引き出せるかどうか。
そして、黒雷石。
あの老人が言った。
――王の下。
雷葬獣が示した手掛かりとも一致している。
王都へ行けば、きっと何かが分かる。
そう思う一方で、胸の奥に引っかかるものもあった。
ネクロマンサー。
灰色の髪の女。
古びた老人。
そして。
わしらがまだ知らない、何か。
「とりあえず、矢を補充するよ」
マルタの声に、わしは現実へ引き戻された。
「あ、そうだった」
セレナが背中の矢筒を覗き込む。
先ほどの戦いでかなり使ったらしく、残りは心許ない。
「私、買ってくる」
「私も行くよ」
「し~しょ~も~?」
「何があるか分からないからね」
マルタが呆れたように息を吐く。
するとカラリンが、すぐ隣に立つガルドを見上げた。
「ガ~ル~ド~も~い~く~?」
「行かん」
「な~ん~で~?」
「馬車を守る」
迷いのない返事だった。
セレナが少しだけ笑う。
「ガルドって、本当に真面目ね」
「仕事だ」
「さっき敵を全部殴ってたけど」
「仕事だ」
「大剣は使ってなかったけど」
「必要なかった」
(そこだけは一貫しとるのう)
◇
セレナたちが矢を買いに行っている間。
わしはなぜか、ガルドの膝の上にいた。
(どうしてこうなった)
セレナは当然、わしをカラリンへ預けようとした。
ところが。
「わ~た~し~も~い~く~」
と言い出したのである。
結局。
セレナ。
マルタ。
カラリン。
三人まとめて買い物へ。
その結果。
「ガルド、レオンお願い」
「分かった」
即答。
そして今に至る。
ガルドは宿場の外れに停められた護送馬車の脇へ腰を下ろし、わしを太い腿の上へ置いた。
改めて見ると、本当に大きい。
わしの身体など、片脚の上だけで余裕で収まる。
横に置かれた手も、とにかくでかい。
下手をすれば、片手だけでわしを包めそうだ。
(昨日の頭突きを思い出すと、ちと怖いのう)
だが。
「落ちるな」
そう言ってわしの身体へ添えられた手は、驚くほど慎重だった。
(わしに言われても困る)
「小さい」
(知っとる)
「弱い」
(今の身体はのう)
ガルドはしばらくわしを見下ろしていたが、やがていつもの低い声で言った。
「だから守る」
「…………」
わしは思わず彼の顔を見上げた。
黄金色の瞳。
深緑の鱗。
感情の読みにくい表情。
それでも、その言葉が本心なのだということだけは不思議と伝わってくる。
(変わった男じゃな)
その時だった。
「なあ」
護送馬車の中から声がした。
若い盗人である。
「ちょっといいか?」
ガルドが振り返る。
「何だ」
「水」
「さっき飲んだ」
「いや、あれ昼だぞ」
「そうか」
ガルドはあっさりと立ち上がった。
もちろん、わしは片腕へ移される。
そのまま水袋を手に取り、鉄格子越しに盗人へ飲ませてやる。
「助かる」
水を飲み終えた盗人は口元を拭い、妙な顔でガルドを見た。
「……あんた、意外と優しいんだな」
「そうか」
「もっと、罪人は黙って飢えろとか言うタイプかと思ってた」
「死なれると困る」
「理由が現実的!」
盗人は思わず笑った。
だが。
その笑みは、すぐに消えた。
視線の先。
老人。
「なあ、爺さん」
「…………」
「さっきの連中」
老人は動かない。
「あんたを見て、何て言ってた?」
「…………」
「俺、聞こえたんだけどさ」
盗人は少し声を落とした。
「ホムンクルスって」
わしの意識が、その言葉へ引き寄せられた。
ガルドも老人を見る。
だが、老人は何も答えない。
「知ってる言葉か?」
盗人がもう一度尋ねる。
しばらくして。
老人はゆっくりと口を開いた。
「古い言葉だ」
「意味は?」
「人が作った人」
盗人が黙る。
わしも黙った。
ガルドはもともと黙っている。
妙な静けさが馬車の周囲へ降りた。
「それって……」
盗人が慎重に続ける。
「あんたのことか?」
老人は答えなかった。
その代わり。
右手が、僅かに震えた。
――ギ。
小さな音。
金属同士が擦れたような音だった。
盗人の表情が凍る。
「……今の何?」
老人は何も言わない。
だが。
ガルドの黄金色の瞳が、僅かに細くなった。
(お前さんにも聞こえたよな)
もちろん返事はない。
その時。
老人がわしを見た。
「…………」
(今度は何じゃ)
「お前は」
老人の低い声が響く。
「何だ」
(それはこっちの台詞じゃ)
老人はわしの顔を見るのではなく。
胸元へ。
じっと視線を向けていた。
「お前から」
一度。
言葉を切る。
「古い力を感じる」
『こいつ』
雷葬獣の声が低くなった。
(どうした)
『我を感じている』
(何じゃと)
老人の目は。
わしの胸。
雷葬獣との繋がりが生まれた、その場所へ向けられていた。
「黒雷石」
老人が呟く。
盗人が息を呑む。
「やはり」
老人の目が僅かに細められた。
「お前が――」
その先。
言わせなかった。
ガルドの巨体が、老人とわしの間へ割り込む。
「見るな」
「…………」
老人がガルドを見上げる。
「その子を見るな」
もう一度。
ガルドは言った。
「守る」
老人はしばらく彼を見た。
そして。
その言葉の意味を確かめるように。
「守る」
小さく繰り返す。
「そうか」
静かに目を閉じた。
「なら」
低い声。
「王都まで守れ」
「言われなくても守る」
それきり。
老人は再び口を閉ざした。
(……何なんじゃ、この爺さんは)
分からないことが、一つ分かるたび。
分からないことが二つ増える。
どうにも嫌な相手だった。
◇
「ただいま!」
しばらくして、セレナたちが戻ってきた。
セレナの背には新しい矢束。
そして、カラリンの手には。
「な~ん~か~か~っ~た~」
大きな紙袋。
元監視員が眉を寄せる。
「何だそれ」
「お~か~し~」
「何しに行ったんだよ!」
「買い物」
「矢を買いに行ったんだろ!」
「か~っ~た~よ~?」
確かに。
矢もある。
「ついでだよ」
マルタが平然と口を挟む。
「旅には甘いものが必要さ」
「し~しょ~が~い~ち~ば~ん~か~っ~た~」
「余計なこと言うんじゃないよ」
(平和じゃな)
一瞬だけ。
そんなことを思う。
セレナがガルドからわしを受け取った。
「ありがとう、ガルド」
「問題ない」
「いい子にしてた?」
「していた」
「本当?」
「うむ」
(そこは普通に答えるんじゃな)
セレナがわしの頬を軽くつつく。
「偉いね」
(百十歳じゃからな)
「何かあった?」
何気ない問いだった。
わしは少し身構える。
ガルドが老人を見る。
そして。
「水を飲ませた」
「それだけ?」
「それだけだ」
(言わんのか)
意外だった。
だが。
ガルドはほんの一瞬だけ、わしを見た。
そして。
小さく顎を引いた。
(……なるほど)
今は言わない。
そういうことらしい。
(見かけによらず、気の回る男じゃ)
◇
その夜。
わしは、なかなか眠れなかった。
老人の言葉が頭から離れない。
――人が作った人。
――古い力。
――黒雷石。
――王都まで守れ。
(ホムンクルス、か)
前世では何度も聞いた言葉だ。
錬金術。
人工生命。
人造人間。
物語の中では珍しくもない。
だが。
この世界では。
実際に存在する。
(ライカもそうじゃ)
マルタが作った。
完成したホムンクルス。
成長し。
笑い。
怒り。
家族になった。
ならば。
(あの爺さんも……?)
『違う』
雷葬獣が言う。
(何がじゃ)
『あの者は、あの娘とは違う』
(ライカか?)
『名は知らぬ』
(まあ、そうじゃな)
『だが』
雷葬獣の声が僅かに低くなる。
『あの老人からは、古い者たちの匂いがする』
(古い者?)
『我を縛った者たちだ』
眠気が一気に吹き飛んだ。
(古代の賢者か)
『そうだ』
「…………」
そう考えると。
妙に辻褄が合う。
百年以上。
黒雷石。
古い言葉。
人造生命。
雷葬獣。
(もしかして……)
あの老人は。
古代の賢者と何か関係がある。
いや。
もっと直接的な。
(……まさかな)
そう思いながらも。
否定しきれない。
わしは宿の窓から見える月を眺めた。
明日。
王都。
そこへ。
老人も行く。
(嫌な予感しかしないのう)
『同感だ』
(お前さんまで言うな)
◇
翌朝。
護送隊は早い時間に宿場を出た。
しばらく進むと、道は次第に広くなり。
森も少なくなっていく。
行き交う人の数も増えた。
商人。
旅人。
兵士。
何台もの荷馬車。
「近いね」
マルタが言う。
「王都?」
「ああ」
セレナが前を見る。
表情には。
僅かな緊張。
(そりゃそうじゃろうな)
王都へ行けば。
孤児院を救えるかもしれない。
黒雷石も見つかるかもしれない。
その一方で。
何が待っているか。
まだ分からない。
「そろそろ見えるぞ」
元監視員が言った。
「ど~こ~?」
カラリンが身を乗り出す。
「前だ」
「ま~だ~み~え~な~い~」
「もう少し」
馬車が坂道を登っていく。
そして。
頂上を越えた。
「…………」
セレナが息を呑んだ。
わしも。
思わず目を見開く。
広大な平原。
その向こう。
巨大な白い城壁が。
地平線を横切るように立っていた。
いくつもの塔。
無数の屋根。
高く伸びた尖塔。
さらにその中心。
高台に建つ。
巨大な王城。
(……でかいのう)
前世では。
東京も見た。
大阪も見た。
海外の大都市も見た。
それでも。
この世界へ来てから。
これほど巨大な街を見るのは初めてだった。
「王都……」
セレナが小さく呟く。
元監視員が少しだけ笑った。
「ようこそ」
馬車は。
ゆっくりと坂を下り始める。
王都へ向かって。
その背後。
護送馬車の中。
老人が。
静かに顔を上げた。
遠く。
王城を見る。
「…………」
そして。
誰にも聞こえないほど小さく。
「確認」
呟く。
右手が僅かに震えた。
――ギ。
乾いた金属音。
「黒雷石」
老人の視線が。
王城の下方へ向く。
「位置――変わらず」
しばらくの沈黙。
やがて。
その目が。
ゆっくりと閉じられた。
「第一命令」
低い声。
「黒雷石を探せ」
そして。
再び目を開く。
「第二命令」
王都の城壁が。
少しずつ。
近づいてくる。
「――守れ」




