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第6話 百十歳、異世界の商売を見ます

 翌朝。


 わしは、いつもより少し早く目を覚ました。


(……今日は静かじゃな)


 孤児院の朝は、基本的に騒がしい。


 ミナが走り回り。


 ロイが注意し。


 リリがその横で淡々と飯を食う。


 だいたいそんな感じだ。


 だが今日は。


 妙に静かだった。


(何かあるな)


 そう思った直後。


 部屋の扉が開く。


「レオン」


 セレナだった。


(お)


 いつもと違う。


 弓。


 矢筒。


 鞭。


 それに大きな革袋。


 明らかに出かける格好だ。


「今日は町へ行くわよ」


(町?)


 思わず目を開く。


 異世界へ来てから。


 森。


 孤児院。


 魔物。


 見たのはそれくらい。


 町。


 文明。


 商売。


(これは見ておきたい)


「あぅ!」


「……ずいぶん嬉しそうね」


(そりゃそうじゃ)


 わしは元経営者。


 知らない土地へ行けば。


 まず見るのは人。


 次に物。


 そして金の流れだ。


 商売人というものは。


 世界が変わっても。


 たぶん変わらん。


     ◇


「先生、私も行きたい!」


 食堂。


 ミナが手を挙げる。


「今日はダメ」


「なんで!」


「買い物が多いから」


「手伝う!」


「余計に増える」


「ひどい!」


(妥当な判断じゃな)


 ロイはパンを食べながら言う。


「俺が行こうか?」


「今日は薪をお願い」


「分かった」


 リリは。


 わしをじっと見る。


「レオンも行くの?」


「そう」


「ずるい」


(赤ん坊に嫉妬するな)


 セレナがわしを抱き上げる。


「一人で置いておくわけにもいかないから」


(それだけか)


「あと、昨日から妙に外を見たがってるし」


(気づいとったか)


 やはりこの女。


 観察力が高い。


「じゃあ行ってくる」


「いってらっしゃーい!」


「気をつけて」


「おみやげ!」


 ミナだけ目的が違う。


     ◇


 孤児院から町までは。


 歩いて一時間ほどだった。


 当然。


 わしは歩いていない。


 セレナの腕の中。


(楽ではある)


 ただ。


 赤ん坊として抱かれて移動するのは。


 何となく落ち着かない。


(百十歳にもなって抱っこされる日が来るとはな)


 いや。


 今世ではゼロ歳か。


 考えると訳が分からなくなる。


 森を抜ける。


 道が広くなる。


 人が増える。


 荷車。


 馬。


 農民らしい服の男。


 大きな籠を背負った女。


 腰に剣を下げた者。


 長い槍を持った者。


(なるほど)


 武器を持っている人間が多い。


 前世なら。


 街中で剣をぶら下げて歩いていたら。


 確実に警察案件だ。


(治安は……良くはなさそうじゃな)


 警備会社をやっていた頃の癖で。


 どうしてもそこを見る。


 街道の見通し。


 人の密度。


 死角。


 門の配置。


 衛兵。


(門番は二人)


 鉄の胸当て。


 槍。


 ただし。


(一人、周囲を全然見とらんな)


 欠伸している。


(警備員なら教育やり直しじゃ)


 もう一人は。


 通行人の荷物を確認している。


(こっちは悪くない)


 職業病である。


「何見てるの?」


 セレナが聞く。


「あぅ」


(警備体制じゃ)


「町、珍しい?」


(まあな)


 セレナは軽く笑った。


「そりゃそうか」


 わしたちは門をくぐった。


     ◇


(……ほう)


 初めて見る異世界の町。


 思っていたより。


 ずっと賑やかだった。


 石造りの建物。


 木造の家。


 道の両側には露店。


 野菜。


 果物。


 肉。


 布。


 革製品。


 工具。


 武器。


 パン。


 焼いた肉の匂い。


(腹が減る)


 赤ん坊の胃は。


 どうにも燃費が悪い。


「泣かないでよ」


(まだ泣いとらん)


 セレナが店を見ながら歩く。


 わしは。


 その腕の中から。


 必死に町を見る。


(まず金)


 客が硬貨を渡す。


 店主が受け取る。


 銅色。


 銀色。


 別の店では。


 もっと小さな銅貨。


(最低でも三種類)


 さらに。


 豪華な服を着た男が。


 金色の硬貨を出した。


(四種類か)


 面白い。


 前世で金の仕組みを知っていたからこそ。


 こういう部分が気になる。


 問題は。


(価値が分からん)


 銅貨一枚で何が買える。


 銀貨一枚で何日食える。


 そこが分からないと。


 金策も何もない。


 わしが町中を見回していると。


「まず食料ね」


 セレナが一軒の店へ入る。


「いらっしゃい」


 店主。


 五十代くらいの女。


「いつもの?」


「今日は少し多めに」


「子供増えた?」


「……一人」


「また拾ったの?」


(また?)


 わしは反応する。


 店主がわしを見る。


「あらまあ!」


(来た)


「かわいい!」


(またそれか)


「男の子?」


「たぶん」


(たぶんって何じゃ)


「名前は?」


「レオン」


「へえ、いい名前」


(どうも)


「しかしセレナ」


 店主が少し呆れた顔をする。


「自分だって余裕ないでしょうに」


「分かってる」


「分かってない顔だねえ」


「…………」


(仲がいいのか?)


 少なくとも。


 町の人間すべてが。


 セレナを避けているわけではないらしい。


 これは重要だ。


 昨日の手紙。


 耳の傷。


 謎の過去。


 だが。


 今の町では。


 普通に付き合いがある。


「小麦」


「はいよ」


「豆」


「はい」


「干し肉」


「どのくらい?」


「いつもの半分」


 店主の手が止まる。


「また節約?」


「仕方ないでしょ」


(…………)


 わしはセレナを見る。


 やはり。


 金がない。


 明らかだ。


 店主が袋を用意する。


「全部で銀貨一枚と銅貨七枚」


(お)


 わしは集中した。


 セレナが財布を出す。


 銀貨一枚。


 銅貨七枚。


(食料一回分がこの程度)


 ただし。


 これが何日分か。


 孤児院の人数は約十人。


(数日分か?)


 店主が。


 少しだけ干し果物を袋に入れた。


「これはサービス」


「いい」


「子供用」


「……ありがとう」


(なるほど)


 値引き。


 おまけ。


 関係性。


 前世でも変わらない。


(商売は人じゃな)


 少し安心した。


 世界が変わっても。


 商売の本質は同じらしい。


     ◇


 次は。


 日用品。


 石鹸。


 布。


 針。


 糸。


 油。


(石鹸……高いな)


 セレナが一つだけ買った。


 銅貨五枚。


 食料と比較すると。


 結構高い。


(清掃事業をやっとった身としては気になる)


 もし。


 石鹸の原料が手に入るなら。


 自作。


 いや。


 そこまで簡単ではない。


(待て待て)


 すぐ前世知識で事業を始めようとするな。


 わしは決めた。


 今度は仕事ばかりしない。


(……しかし)


 孤児院を救うには。


 金が必要。


(結局仕事するんじゃないか?)


 嫌な予感がする。


 人生二周目。


 太く短く。


 遊んで暮らす予定だった。


 なのに。


 転生数日で。


 経営再建を考えている。


(性分というやつは恐ろしいな)


     ◇


 その後も。


 セレナについて店を回る。


 わしは。


 頭の中で。


 物価を記録していった。


 パン一個。


 小銅貨二枚。


 野菜。


 種類によって小銅貨一枚から三枚。


 干し肉。


 高い。


 石鹸。


 さらに高い。


 矢。


 意外と安い。


(矢は消耗品だから大量生産されとるのか)


 武器屋の前。


 セレナが足を止める。


(買うのか?)


「矢を二十」


「はいよ」


 店主が束を出す。


「最近多いね」


「森の魔物が増えてる」


「また?」


「昨日も群れがいた」


「物騒だな」


(昨日の奴らか)


 店主が矢を渡す。


「銀貨一枚」


(高い)


 食料と同じ程度。


 矢二十本。


(この世界、戦うにも金がかかるな)


 当然だ。


 戦闘は無料ではない。


 武器。


 防具。


 消耗品。


 治療。


 食料。


(冒険者という仕事も大変じゃな)


 前世のスポーツ用品店と似ている。


 競技をするにも。


 道具。


 靴。


 消耗品。


 全部金がかかる。


(……スポーツ店の経験も使えるかもしれんな)


 武器屋の壁。


 弓。


 革の防具。


 靴。


(靴……)


 わしは思わず見る。


(動きにくそうじゃな)


 重い。


 硬い。


 足首。


 曲げにくそう。


(もっと軽くできるじゃろ)


 競技用シューズを扱っていた経験が。


 頭の中で勝手に動き出す。


(いや待て)


 また仕事を始めそうになっている。


(わしは何しに転生したんじゃ)


     ◇


「疲れた?」


 町の広場。


 セレナがベンチに座る。


「あぅ」


(いや)


 むしろ。


 面白い。


 人。


 金。


 商品。


 流通。


 全部。


 知らないものばかり。


 百十歳で。


 ここまで。


 新鮮な気持ちになるとは思わなかった。


(転生も悪くないな)


 セレナがパンを買う。


 一つ。


 わしを見る。


「あなたはまだ無理ね」


(分かっとる)


 そして。


 一口食べる。


「…………」


(何じゃ)


 セレナ。


 微妙な顔。


(まずいのか?)


「硬い」


(なるほど)


 パン。


 保存性重視。


 前世でいう。


 柔らかい食パンとは違う。


(食文化も違う)


 改善。


 できる。


(……また考えた)


 我ながら。


 呆れる。


     ◇


 そこへ。


 声。


「セレナ?」


 セレナの身体が。


 僅かに固まった。


(ん?)


 わしも。


 声の方向を見る。


 一人の男。


 二十代後半くらい。


 背が高い。


 淡い金髪。


 青い瞳。


 上等な服。


 腰には細身の剣。


 護衛らしい男も二人。


「やっぱりセレナじゃないか」


 男は。


 笑顔で近づいてくる。


 だが。


 セレナは。


 笑わない。


「……人違いです」


「いや」


 男の目。


 セレナの顔。


 そして。


 耳。


 一瞬。


 耳の傷を見る。


 男の笑顔が。


 少しだけ消えた。


(…………)


 わしは。


 その変化を見逃さなかった。


「随分久しぶりだな」


「知りません」


「そうか」


 男は。


 それ以上近づかなかった。


 だが。


 視線だけは。


 セレナから外れない。


「まさか、こんな場所にいるとは思わなかった」


「…………」


「皆、君は死んだと思っている」


 セレナの目が。


 一気に冷たくなる。


「それなら」


 低い声。


「死んだことにしておいてください」


(…………)


 空気が変わった。


 広場の喧騒。


 人の声。


 馬車。


 全部。


 遠く感じる。


 男は。


 少し困ったように笑う。


「まだ怒ってるのか」


「帰って」


「セレナ」


「帰って」


 二度目。


 声。


 低い。


 昨日。


 魔物へ向けた声に近い。


 護衛の男たちが。


 少し緊張する。


(強いと知っとるのか)


 金髪の男が。


 ため息をついた。


「分かった」


 一歩下がる。


「ただ」


 懐から。


 何かを出す。


 深い緑色の封筒。


(…………)


 昨日と同じ。


 銀色の紋章。


「これ」


 セレナの顔が。


 完全に変わった。


「受け取っただろ?」


「……あなたが?」


「違う」


 男は首を振る。


「俺は届けに来たわけじゃない」


「…………」


「でも」


 男の表情から。


 笑みが消える。


「無視しない方がいい」


 セレナ。


 無言。


「今回は」


 男は。


 小さく。


 続ける。


「本当に、面倒なことになる」


 そして。


 わしを見る。


「その子は?」


 セレナが。


 わしを抱く腕に。


 少しだけ力を入れた。


「関係ない」


「そう」


 男は。


 それ以上聞かなかった。


「じゃあ」


 立ち去る。


 数歩。


 進んで。


 止まる。


「セレナ」


 振り返らないまま。


「今度こそ」


 一拍。


「逃げ切れると思わない方がいい」


 そう言って。


 男は去っていった。


     ◇


 セレナは。


 しばらく。


 何も言わなかった。


(…………)


 わしも。


 黙っている。


 喋れないだけだが。


 ただ。


 分かった。


 昨日の手紙。


 あの男。


 耳の傷。


 過去。


 全部。


 繋がっている。


「……帰るわよ」


 セレナが立ち上がる。


(買い物は?)


「今日はもういい」


 声が。


 少し。


 震えている。


 昨日。


 魔物に囲まれても。


 この女は。


 眉一つ動かさなかった。


 なのに。


 あの男との会話だけで。


 これほど動揺している。


(相当じゃな)


 わしは。


 セレナの胸元を見る。


 そこには。


 昨日の。


 緑色の封筒。


(過去、か)


 人間。


 どれだけ遠くへ行っても。


 過去から。


 完全に逃げることは。


 難しい。


 わしにも。


 よく分かる。


 戦争。


 家族。


 焼け跡。


 百年以上経っても。


 忘れたことはなかった。


(……無理に聞く必要はない)


 話す気になった時に。


 聞けばいい。


 それより。


 今は。


 孤児院だ。


(あと一ヶ月)


 今日。


 町を見て。


 少し分かった。


 この世界の物価。


 商品。


 商売。


 生活。


(そして)


 孤児院には。


 金がない。


 だが。


 ゼロではない。


 人がいる。


 場所がある。


 森がある。


 セレナの技術がある。


 子供たちにも。


 それぞれ。


 できることがある。


(なら)


 商売は作れる。


 ただし。


(まずは)


 わし。


 赤ん坊。


「…………」


(……喋れん)


「あぅ」


「どうしたの?」


(仕事の話をしたいんじゃ)


「お腹?」


(違う)


「眠い?」


(違う)


「おむつ?」


(違う!!)


「おぎゃああああ!」


 セレナが。


 少しだけ笑った。


「はいはい」


(なぜそうなる!!)


 でも。


 さっきまで。


 張り詰めていた顔が。


 少しだけ。


 柔らかくなった。


(…………まあ)


 今はそれでいいか。


     ◇


 帰り道。


 わしは。


 今日見たものを。


 頭の中で整理した。


 金。


 食料。


 武器。


 日用品。


 町。


 人。


 商売。


 孤児院。


 期限。


 一ヶ月。


(やるなら)


 大きなことからではない。


 小さなこと。


 前世でも。


 そうだった。


 最初の仕事は。


 小さな建物の清掃。


 客は一人。


 売上も少ない。


 でも。


 そこから始まった。


(この世界でも同じじゃ)


 まず。


 何が売れる。


 何ができる。


 何が必要とされている。


 そこから。


 調べる。


(しかし)


 わしは。


 自分の手を見る。


 ぷにぷに。


(調査能力ゼロじゃな)


 赤ん坊というものは。


 本当に。


 何もできない。


 だが。


 何もできないなら。


 できるようになるまで。


 考えればいい。


 百十年。


 そうやって生きてきた。


(焦るな)


 時間はある。


 いや。


 孤児院には。


 一ヶ月しかない。


(…………)


 わしは。


 思わず眉をひそめた。


 セレナが。


 わしを見る。


「そんな顔もできるのね」


(できるわ)


「本当に変な子」


(お互い様じゃ)


 森。


 孤児院。


 町。


 新しい世界。


 知らないものばかり。


 それでも。


 一つだけ。


 昔から。


 変わらないものがある。


 人は。


 困っている。


 そして。


 そこに。


 必要なものがある。


 必要なものを。


 必要な人へ。


 届ける。


(商売というのは)


 結局。


 それだけだ。


 わしは。


 少しだけ。


 楽しくなってきた。


(さて)


 孤児院を。


 どう立て直すか。


 まずは。


 それを考えよう。


 ただし。


 今度は。


 仕事に人生全部を使うつもりはない。


(ほどほどにな)


 わしは。


 そう心に決めた。


 その時。


 セレナが。


 ぽつりと言った。


「……レオン」


(ん?)


「あなた」


 前を向いたまま。


 少しだけ。


 間を置く。


「変なところで」


 そして。


 小さく笑った。


「安心するのよね」


(…………)


 それは。


 何となく。


 嬉しかった。


 前世で。


 会社を作った。


 人を雇った。


 多くの人間と関わった。


 だが。


 人生二周目。


 まだ何もできないわしが。


 誰かを。


 少しでも安心させられた。


(悪くない)


 太く短く。


 好きに生きる。


 その人生。


 案外。


 悪くないスタートかもしれない。


 そう思った。


 直後。


 腹が鳴った。


(…………)


「あぅ」


「お腹空いた?」


(今度は合っとる)


「帰ったらご飯ね」


(それでいい)


 やはり。


 まずは。


 飯だった。

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