第5話 百十歳、まずは掃除から始めます
一ヶ月。
あと一ヶ月で。
この孤児院は、なくなるかもしれない。
(さて)
どうするか。
わし――レオン。
前世、神崎源一郎。
享年百十歳。
清掃業から会社を興し、警備、施設管理、スポーツ用品まで色々やってきた。
そんなわしにとって。
潰れかけの施設を立て直すこと自体は。
そこまで珍しい話ではない。
(問題は……)
わしは自分の手を見る。
ぷにぷに。
「あぅ」
(赤ん坊なんじゃよなあ)
これに尽きる。
金の計算。
できる。
改善案。
いくらでもある。
営業。
やったことがある。
事業計画。
何十年も作ってきた。
だが。
「おぎゃあ」
喋れない。
歩けない。
文字も書けない。
(どうしろというんじゃ)
人生百十年。
最大級の難題である。
◇
朝。
わしは籠の中から孤児院を観察していた。
まず。
建物。
古い。
これは仕方ない。
次。
備品。
少ない。
これも金がないなら仕方ない。
次。
掃除。
(……甘い)
ここは見過ごせない。
床の隅。
埃。
窓枠。
黒ずみ。
棚。
物が乱雑に積まれている。
暖炉の周辺。
灰が散っている。
(セレナは悪くない)
十人近い子供たちを一人で見ている。
食事。
洗濯。
薪。
買い出し。
外仕事。
さらに。
弓まで教えている。
完璧を求める方が無茶だ。
だが。
(だからこそ、仕組みにせんといかん)
前世。
会社を大きくして痛感した。
一人の優秀な人間が全部やる組織は。
必ず潰れる。
人に頼るのではなく。
仕組みで回す。
それが大事だ。
(まずは掃除じゃ)
清掃業から始めた男として。
ここは譲れない。
「レオン?」
ミナが覗き込んできた。
(お)
ちょうどいい。
「起きてる?」
「あぅ」
「遊ぶ?」
(違う)
わしは右手を伸ばす。
床を指差す。
「あぅ!」
「床?」
(そうじゃ)
ミナが床を見る。
「何?」
(埃!)
「あぅ! あぅ!」
指を差す。
床。
ミナ。
床。
ミナ。
「……床で遊びたいの?」
(なぜそうなる!)
わしは必死に首を振る。
「違うの?」
(違う!)
今度は。
近くにあった布を見る。
(あれじゃ)
「あぅ!」
布。
床。
布。
床。
ミナが目を細める。
「……拭く?」
(それじゃ!)
「あぅ!」
思わず声が大きくなる。
「え?」
ミナが布を拾う。
床を拭く。
「こう?」
(そう!)
「あぅあぅ!」
「なんか喜んでる」
そこへ。
ロイがやってきた。
「何してるの?」
「レオンが床拭けって」
「は?」
(理解が早いな)
ロイがわしを見る。
わしは床を指差す。
「あぅ」
「……本当に?」
「でしょ?」
ロイはしゃがむ。
床を見る。
「別に汚くないけど」
(汚い!)
「あぅ!」
「怒った」
「だから言ったじゃん」
(お前らの基準が甘いんじゃ!)
◇
数分後。
なぜか。
掃除が始まった。
「ここも?」
「あぅ!」
「こっち?」
「あぅ!」
「ここは?」
「あー!」
「それは違うっぽい」
(そこはもう綺麗じゃ)
ミナ。
ロイ。
リリ。
三人が。
わしの指示で掃除をしている。
(何じゃこれ)
我ながら。
妙な光景だ。
赤ん坊一人。
子供三人。
そして。
赤ん坊が監督。
「なんでレオンに指図されてんだろ」
ロイがぼやく。
(気にするな)
「でも楽しいよ!」
ミナは雑巾を振り回している。
(振り回すな!)
「あぶない」
リリが冷静に言う。
(リリが一番まともじゃな)
「じゃあ次どこ?」
(窓じゃ)
わしは窓を指差す。
「窓?」
「あぅ」
「えー」
ミナが露骨に嫌そうな顔をする。
(仕事とはそういうもんじゃ)
「やりたくない」
(分かる)
分かるが。
やれ。
前世。
社員に何度言ったか分からない。
好きな仕事だけして。
会社は回らない。
「じゃあロイやって」
「なんで俺」
「男だから」
「関係ないだろ!」
(関係ない)
リリが。
「じゃあ三人でやればいい」
と言った。
(…………)
賢い。
この娘。
将来有望じゃな。
◇
「……何してるの?」
低い声。
(まずい)
全員が止まった。
振り返る。
そこに。
セレナが立っていた。
「…………」
腕を組んでいる。
ミナ。
ロイ。
リリ。
全員が固まる。
「えっと」
ミナが。
わしを指差す。
「レオンが」
(売るな!)
「…………レオン?」
セレナがわしを見る。
(まずい)
わしは赤ん坊。
無罪。
のはずだ。
「あぅ」
可愛らしく首を傾げてみる。
セレナの目が細くなる。
(通じんか)
「この子が掃除しろって」
ロイが言う。
(お前まで売るのか)
「赤ちゃんが?」
「うん」
「…………」
セレナが。
わしを見る。
床を見る。
窓を見る。
棚を見る。
そして。
少し驚いたような顔をした。
「……綺麗」
(当然じゃ)
「昨日より全然いい」
ミナが胸を張る。
「私たちがやった!」
(わしの指示じゃ!)
「へえ」
セレナが。
わしを見る。
「あなた、掃除好きなの?」
(仕事じゃったからな)
「あぅ」
「……変な赤ちゃん」
(お互い様じゃ)
◇
掃除。
終わり。
次。
(整理整頓)
これが大事だ。
物が少ないから。
管理しやすい。
はずなのだが。
この孤児院。
何でも。
とにかく空いている場所へ置く。
癖がある。
薪。
工具。
衣類。
食器。
全部。
決まった場所はあるが。
雑だ。
(探す時間は無駄じゃ)
前世。
清掃現場でも。
警備でも。
施設管理でも。
何度も言った。
必要な物が。
必要な時に。
すぐ使える。
それだけで。
仕事の効率は。
大きく変わる。
「あぅ」
わしは棚を指差す。
「今度は何?」
ロイ。
(そこじゃ)
下段。
上段。
指を動かす。
「……並べる?」
(そう)
段ごとに。
用途別。
分ける。
何度も身振りで伝える。
「これはこっち?」
「あぅ」
「これは?」
「あー」
「違うって」
ミナが笑う。
「レオン細かい!」
(当然じゃ)
小さな改善。
それが。
一年後。
十年後。
大きな差になる。
わしは。
それを知っている。
◇
昼。
全員で食卓を囲む。
わしはまた。
薄い粥。
(そろそろ肉が食いたい)
無理だろうが。
「先生」
ロイがパンを食べながら言う。
「今日さ」
「うん」
「掃除したら、薪置き場の奥からこれ出てきた」
机の上に。
小さな袋を置く。
(ん?)
セレナが開ける。
中には。
金属の硬貨。
「……これ」
セレナが驚く。
「前に失くしたと思ってたお金」
「どれくらい?」
「結構ある」
ミナの目が輝く。
「お肉買える!?」
「全部食費にする気?」
「ダメ?」
「ダメ」
(まあ多少は食わせてやれ)
セレナは。
袋を見る。
整理された棚を見る。
綺麗になった床を見る。
そして。
わしを見る。
「…………」
(何じゃ)
「まさかね」
(何がじゃ)
「いや」
セレナは首を振る。
「何でもない」
(またそれか)
この女。
何でもないことが。
多すぎる。
◇
午後。
新たな問題が起きた。
「先生!」
外から。
ミナの声。
「大変!」
セレナが立ち上がる。
「どうしたの?」
「屋根!」
「屋根?」
外へ。
セレナが出る。
わしも。
ロイに抱かれて出る。
(落とすなよ)
「分かってるって」
(聞こえとるのか?)
見上げる。
屋根。
一部。
木板が。
大きくずれている。
(あれは危ない)
雨。
雪。
風。
まずい。
「昨日の風ね」
セレナが言う。
「直せる?」
ロイ。
「応急処置なら」
(ほう)
セレナが。
梯子を持ってくる。
登ろうとする。
その瞬間。
「あぅ!」
わしは声を上げた。
「ん?」
(待て)
梯子。
古い。
片側。
木が割れている。
(それ使うな!)
「あぅ! あぅ!」
梯子を指差す。
「これ?」
「あぅ!」
セレナが。
梯子を見る。
「……あ」
割れている部分に気づいた。
「危なかった」
ロイも顔をしかめる。
「これ登ったら折れてたかも」
(じゃろうな)
セレナが。
わしを見る。
「…………」
(またか)
目が。
少し変わった。
「レオン」
(ん?)
「あなた」
一歩。
近づいてくる。
「本当に赤ちゃん?」
(まずい)
沈黙。
「あぅ」
わしは。
渾身の笑顔を作った。
「…………」
セレナ。
無言。
「…………」
わし。
笑顔。
「…………」
セレナ。
ため息。
「まあいい」
(助かった)
「変な子」
(それで済ませてくれ)
◇
夕方。
掃除。
整理。
危険箇所の確認。
一日で。
孤児院は。
少しだけ変わった。
本当に。
少しだけ。
でも。
それでいい。
会社もそうだった。
いきなり大企業になったわけではない。
一日目。
一件。
次の日。
もう一件。
それを。
積み重ねた。
(立て直しとは、そういうもんじゃ)
いきなり。
大金を手に入れる。
それも。
一つの方法だろう。
だが。
金だけで。
組織は良くならない。
働き方。
考え方。
習慣。
そこから。
変えないと。
同じことを繰り返す。
(まずは土台じゃ)
そして。
わしには。
もう一つ。
気になることがある。
昨日の男。
土地。
一ヶ月。
(なぜ一ヶ月なんじゃ)
ただの借金取りなら。
もっと。
単純な話でいい。
だが。
『この土地を買いたいという方が現れた』
あの言い方。
(何かある)
土地そのもの。
この孤児院の場所。
あるいは。
セレナ。
(……まあ)
今のわしが考えても。
情報不足だ。
経営も。
事件も。
まず情報。
前世で。
嫌というほど学んだ。
(焦るな)
百十年も生きたんだ。
今さら。
一日二日で慌てる必要はない。
そう思った時だった。
セレナが。
外から戻ってきた。
手には。
一通の封筒。
(ん?)
見たことのない。
深い緑色の紙。
中央に。
銀色の紋章。
セレナは。
それを見て。
完全に動きを止めた。
「先生?」
ミナが呼ぶ。
「…………」
「どうしたの?」
「何でもない」
また。
その言葉。
だが。
今回は。
明らかに違った。
セレナの顔から。
血の気が引いている。
(誰からじゃ)
彼女は。
封筒を握り潰すように。
強く掴んだ。
そして。
誰にも見せないように。
懐へ入れる。
「みんな」
声だけは。
いつも通り。
「今日は早く中に入りなさい」
「なんで?」
「いいから」
ロイが。
何か言おうとして。
やめた。
子供たちが。
一人ずつ。
家へ入る。
わしは。
セレナを見る。
「…………」
彼女は。
森の奥を見ている。
その視線。
昨日。
魔物を殺した時より。
鋭い。
(……なるほど)
どうやら。
この孤児院。
金の問題だけでは。
済まなさそうじゃ。
◇
その夜。
全員が寝静まった後。
セレナは。
一人。
外へ出た。
わしは。
窓の隙間から。
その背中を見る。
月明かり。
銀色の髪。
そして。
切り落とされたような。
両耳の傷。
セレナは。
懐から。
あの緑色の封筒を出す。
長い間。
見つめる。
やがて。
「……今さら」
小さく。
呟いた。
「私に、何の用があるっていうの」
封筒を。
握りしめる。
(…………)
聞こえたのは。
それだけ。
だが。
一つ。
分かった。
この手紙は。
セレナの。
昔に関係している。
そして。
彼女は。
その昔を。
ひどく嫌っている。
(さて)
孤児院の再建。
土地の問題。
謎の手紙。
謎だらけの先生。
それから。
わしの訳の分からん力。
(…………)
人生二周目。
もっと。
のんびりする予定だったんじゃがな。
わしは。
小さく欠伸をする。
「ふぁ……」
(まあ、いいか)
太く短く。
好きに生きる。
そう決めた。
なら。
面倒事も。
込みで楽しめばいい。
わしは。
目を閉じる。
そして。
思った。
(明日は、掃除当番表でも作りたいのう)
ただし。
わしはまだ。
文字を書けない。
(…………)
「おぎゃああああ!」
「レオン!?」
(不便すぎるわ!!)




