第4話 百十歳、家族ができます
チュン、チュン。
鳥の鳴き声が聞こえる。
(……朝か)
目を開ける。
見知らぬ天井。
木造。
ところどころ黒ずんでいる。
(…………)
一瞬。
自分がどこにいるのか分からなかった。
だが。
すぐに思い出す。
(そうじゃった)
死んだ。
百十歳で。
神に会った。
異世界へ転生した。
森に放り出された。
魔物に食われかけた。
謎の力で魔物を吹き飛ばした。
弓と鞭を使う女に拾われた。
そして――。
(レオン、か)
新しい名前をもらった。
神崎源一郎。
百十年間使った名前。
今のわしは。
レオン。
(まだ慣れんな)
「ふぁ……」
欠伸が出る。
(しかし)
よく寝た。
前世の晩年は、眠りが浅かった。
二時間、三時間で目が覚める。
トイレへ行く。
また寝る。
また目が覚める。
百歳を超えれば、朝までぐっすりなど夢のまた夢だった。
(赤ん坊の身体というのも悪くないな)
身体が軽い。
どこも痛くない。
腰も痛くない。
膝も痛くない。
肩も上がる。
(……まあ、立てんが)
「あぅ」
手を伸ばす。
天井へ向かって、小さな指が開く。
(これが若さか)
若すぎる。
極端じゃ。
せめて十歳くらいから始めさせてくれても良かっただろうに。
そんなことを考えていると。
――ドタドタドタ!
(ん?)
足音。
こちらへ近づいてくる。
嫌な予感。
――バンッ!
「レオン!」
(やはり来たか)
扉を勢いよく開けたのはミナだった。
「起きてる!」
(起こされたんじゃ)
その後ろからリリも顔を出す。
「レオン、おはよう」
(おはよう)
「あぅ」
「返事した!」
「すごい!」
(挨拶くらいするわ)
ミナが籠の中を覗き込む。
「ねえ、抱っこしていい?」
(やめろ)
「ダメ」
後ろから声がした。
ロイだ。
「落とすだろ」
「落とさないよ!」
「この前、皿落とした」
「あれは皿が悪い!」
(皿に謝れ)
「コップも落とした」
「あれは床が悪い!」
(床にも謝れ)
「じゃあリリが抱っこする」
「もっとダメ」
「むぅ」
朝から騒がしい。
(この家に静寂という言葉はないのか)
だが。
不思議と。
嫌ではない。
◇
「朝ご飯よ」
しばらくして。
あの女が現れた。
昨日と同じ銀色の髪。
切れ長の緑色の瞳。
そして。
両耳に残る、不自然な古い傷。
「みんな食堂へ」
「はーい!」
子供たちが走っていく。
「走らない」
「はーい!」
速度が変わらない。
(聞いとらんな)
女がため息をつく。
そしてわしを見る。
「あなたもね」
(待っとったぞ)
俺を抱き上げる。
(…………)
やはり。
抱き方は上手い。
昨日も思った。
この女。
ぶっきらぼうなのに。
子供の扱いには慣れている。
食堂へ行く。
長い木製のテーブル。
子供たちが並んでいる。
パン。
野菜の入ったスープ。
少量の果物。
(質素じゃな)
だが。
皆、美味そうに食べている。
「いただきます!」
声が揃う。
(…………)
懐かしい。
前世。
社員寮を作ったばかりの頃。
金がなくて。
若い社員たちと同じテーブルを囲み。
安い飯を食った。
会社が大きくなってからは。
高級料理も随分食べた。
だが。
(不思議なもんじゃ)
思い出すのは。
豪華な料理より。
あの頃の飯だ。
「先生」
ミナがパンをかじりながら言った。
「ん?」
「そういえば、レオンに先生の名前教えた?」
(お)
わしは反応する。
それじゃ。
昨日から気になっていた。
「教えてない」
「じゃあ教えてあげなよ」
「赤ちゃんよ?」
「でもレオン頭良さそう」
(分かるか)
「昨日からずっと人の話聞いてるもん」
(…………)
この娘。
意外と鋭い。
女がわしを見る。
少しだけ目を細める。
(おい)
変なことに気づくな。
前世の記憶持ちなんぞ説明できんぞ。
しかし。
女は特に追及しなかった。
「私の名前は――」
一瞬。
間があった。
「セレナ」
(セレナ)
「セレナ先生!」
ミナが笑う。
「私たちは先生って呼んでるけどね」
「先生!」
リリも続く。
ロイだけは黙々とパンを食べている。
(セレナ、か)
ようやく名前を知った。
「覚えた?」
セレナがわしを見る。
「あぅ」
「本当に返事してるみたい」
(してるんじゃ)
その時だった。
食堂の奥。
一人の少年が持っていた木のスプーンを落とした。
カラン。
「あ」
少年が拾おうとする。
セレナが振り返った。
銀色の髪が揺れる。
その瞬間。
髪の間から。
耳の傷がはっきり見えた。
「…………」
ロイの表情が、一瞬だけ変わった。
(ん?)
俺は見逃さなかった。
ロイはすぐに視線を逸らす。
(何じゃ?)
昨日。
あの傷を見ても。
子供たちは何も言わなかった。
それどころか。
誰一人として。
セレナの耳について触れない。
(……そういうことか)
知らないのではない。
聞いてはいけないと知っている。
百十年。
生きていれば。
言葉にされない決まりというものを何度も見てきた。
ここにもある。
セレナの耳について。
触れない。
それが。
この家の決まりなのだ。
(ますます気になるのう)
だが。
聞けるようになったとしても。
本人が話す気になるまでは聞かない方がいい。
人間。
百年以上生きても。
話したくない過去の一つや二つはある。
わしにもあった。
◇
朝食が終わった。
子供たちはそれぞれ仕事を始める。
皿洗い。
掃除。
薪運び。
洗濯。
(ほう)
役割分担されている。
「ロイ、薪」
「分かってる」
「ミナは洗濯」
「えー!」
「昨日サボったでしょ」
「……はーい」
「リリは私と皿洗い」
「うん!」
(なかなかしっかりしとる)
セレナ。
見た目以上に。
この孤児院をきちんと回している。
ただ。
わしには気になるところがある。
(掃除が甘い)
職業病が疼く。
床。
窓。
棚。
暖炉。
(そこ! 埃が残っとる!)
「あぅ!」
ミナが振り返る。
「どうしたの?」
(そこじゃ!)
「あぅ! あぅ!」
「遊んでほしいの?」
(違う!)
「あとでねー」
(掃除じゃ!)
もどかしい。
自分でやりたい。
しかし。
手を見る。
(…………)
雑巾すら持てん。
前世では何千人という従業員に指示を出していた男が。
今は。
埃一つ取れない。
(赤ん坊、不便すぎるじゃろ)
早く成長したい。
心の底からそう思った。
◇
昼過ぎ。
孤児院の外。
セレナが弓を手にしていた。
(お)
わしは窓際に置かれた籠の中から眺める。
ロイが弓を持っている。
「肩に力入れすぎ」
「こう?」
「違う」
セレナが後ろから姿勢を直す。
「腕で引かない」
「じゃあどこで?」
「背中」
「背中?」
「そう」
(ほう)
わしは少し感心した。
前世。
スポーツ用品店をやっていた関係で。
アーチェリーの選手や指導者とも付き合いがあった。
セレナの指導は。
意外なほど理にかなっている。
「足」
「え?」
「広すぎる」
ロイが直す。
「呼吸」
吸う。
吐く。
「今」
――ヒュッ。
矢が飛ぶ。
木に立てかけた的。
中央から少し外れる。
「やった!」
「喜ぶのは早い」
「当たったじゃん!」
「敵は待ってくれない」
「先生厳しい……」
(…………)
スポーツではない。
やはり。
セレナが教えているのは。
生き残るための弓だ。
次に。
セレナ自身が弓を持つ。
矢をつがえる。
(昨日も見たが)
構えた瞬間。
空気が変わる。
――ヒュッ。
中心。
次。
――ヒュッ。
一本目の矢のすぐ横。
三本目。
――ヒュッ。
ほぼ同じ場所。
(…………)
やはり。
尋常ではない。
「先生すげえ……」
ロイが呟く。
「これくらい普通」
(嘘つけ)
前世のわしでも分かる。
普通なわけがない。
「昔はもっと――」
セレナが言いかけた。
止まる。
「……何でもない」
(昔?)
ロイも何も聞かない。
セレナが矢を回収する。
その時。
「先生!」
ミナの声。
孤児院の入口から走ってくる。
「人が来た!」
「誰?」
「町から!」
セレナの表情が変わる。
「何人?」
「二人!」
「服装は?」
「えっと……一人は商人みたいな人! もう一人は――」
ミナが少し考える。
「剣持ってる!」
セレナの目が細くなる。
「ロイ」
「うん」
「みんなを中へ」
「分かった」
空気が変わった。
(…………)
わしも感じる。
ただの来客ではないらしい。
◇
しばらくして。
孤児院の前。
二人の男が立っていた。
一人は太った中年男。
上等な服。
指には指輪。
見るからに金を持っていそうだ。
もう一人。
剣を腰に下げた若い男。
護衛だろう。
俺は窓の近くから様子を見る。
「久しぶりですね、セレナさん」
中年男が笑う。
「何の用?」
セレナは笑わない。
「いやいや。そんな怖い顔をしないでください」
「用がないなら帰って」
「相変わらずだ」
男が苦笑する。
そして。
懐から紙を取り出した。
「例の件ですよ」
セレナの顔から。
僅かに表情が消えた。
「期限はまだ先のはず」
「事情が変わりましてね」
「…………」
男が孤児院を見る。
「この土地を買いたいという方が現れた」
(…………)
わしの中で。
前世の記憶が反応した。
土地。
買収。
期限。
(なるほど)
何となく。
話が見えてきた。
「一ヶ月です」
男が言う。
「それまでに支払えなければ――」
笑う。
「ここを出ていってもらいます」
沈黙。
セレナは何も言わない。
中年男は紙を渡す。
「では」
男たちが去っていく。
セレナは。
しばらくその場から動かなかった。
◇
その夜。
わしは考えていた。
(なるほどのう)
どうやら。
この孤児院。
金に困っているらしい。
建物を見れば分かる。
食事を見ても分かる。
それでも。
セレナは十人近い子供を養っている。
(そして一ヶ月)
このままなら。
ここを失う。
(…………)
わしには関係ない。
昨日来たばかりだ。
セレナとも。
子供たちとも。
家族でも何でもない。
だから。
放っておけばいい。
前世の俺なら。
どうしただろう。
(…………)
いや。
考えるまでもない。
助けただろう。
損得を計算し。
どうすれば立て直せるか考え。
仕事を増やし。
金を作る。
でも。
わしは決めた。
今度の人生では。
仕事ばかりしない。
(そうじゃ)
太く短く。
好き勝手に生きる。
だから。
(…………)
だからこそ。
やりたいと思ったなら。
やればいい。
わしは。
この場所が。
少し気に入った。
それだけで十分じゃないか。
(よし)
決めた。
この孤児院。
立て直してみるか。
問題は。
ただ一つ。
俺は自分の手を見る。
ぷにぷに。
(…………)
「あぅ」
百十年間。
清掃業。
警備業。
施設管理。
スポーツ用品。
色々な商売をしてきた。
会社を一から作った。
倒産危機も乗り越えた。
そんなわしが。
人生二周目。
最初に挑む仕事は――。
潰れかけの孤児院の再建。
ただし。
最大の問題がある。
(まず喋れるようにならんと何もできん!!)
「おぎゃああああ!」
わしの叫びが。
夜の孤児院に響き渡った。
「レオン!?」
(神ぃぃぃ! せめて三歳くらいから転生させろぉぉぉ!!)




