第55話 百十歳、異世界の種族仲を知ります
翌朝。
わしが目を覚ました頃には、宿場の空はすでに白み始めていた。
階下からは食器を並べる音が響き、外では馬のいななきや、出立の準備をする旅人たちの声が聞こえてくる。
こういう場所の朝は早いらしい。
「ん……」
隣で眠っていたセレナが小さく身じろぎした。
その腕は、相変わらずわしを抱き込んだままだ。
(……寝相だけは、百年前から変わっておらんのではなかろうな)
もちろん、セレナの幼い頃など知るはずもない。
そもそも彼女は百年以上を生きるエルフだ。
わしより年上である。
だというのに、こうして眠っている姿を見ると、とてもそうは思えなかった。
穏やかな寝顔。
そして、その横に残る耳の傷。
それを見た途端、ここ数日の出来事が脳裏をよぎる。
セレナの母。
長老会。
禁域。
リーナ。
雷葬獣。
虚喰らい。
古代の鎧。
そして、黒雷石。
(……朝から考えることではないのう)
そう思った、その時だった。
「……お腹すいた」
セレナが目を閉じたまま呟いた。
「…………」
わしはそっと天井を見上げる。
(平和じゃ)
◇
朝食を済ませると、罪人たちは再び護送馬車へと戻された。
「いやぁ、よく寝た」
若い盗人が大きく伸びをする。
両手には手枷。
これから王都へ送られる身だというのに、実に呑気なものである。
「牢でよくそんなに眠れるな」
元監視員が呆れたように言う。
「どこでも寝られるのが俺の長所なんでね」
「だったら、その長所をもっとまともな人生に使え」
「それは難しい相談だな」
「なんでだ!」
朝から元気である。
一方、灰色の髪の女罪人は昨夜と何も変わらなかった。
重い魔封じの枷をつけられたまま、誰とも目を合わせず、無言で馬車の奥へと入っていく。
そして最後に。
老人。
「…………」
やはり妙だった。
牢から出された時も。
馬車へ乗り込む時も。
疲労らしいものがほとんど見えない。
(……あやつ、本当に一睡もしておらんのではなかろうな)
昨夜、雷葬獣が言った言葉が頭をよぎる。
生命の気配が薄い。
生きている。
動いている。
考えている。
それなのに、どこか違う。
そんな老人が、ふと顔を上げた。
わしを見る。
「…………」
(見るな見るな)
反射的にセレナの胸元へ顔を埋める。
「あら?」
セレナが首を傾げた。
「どうしたの、レオン?」
(何でもない)
「眠い?」
(違う)
「お腹すいた?」
(さっき食べた)
「じゃあ、甘えたい?」
(どうしてそうなる)
しかし、セレナは嬉しそうだった。
(……まあ、よいか)
◇
馬車の出発準備が整うまで、わしらは宿の前で待つことになった。
元監視員は馬具の具合を確かめ。
マルタは欠伸をし。
カラリンはというと――
「…………」
なぜかガルドの周囲を、うろうろしていた。
右へ。
左へ。
後ろへ。
そしてまた右へ。
ガルドはしばらく気にしていなかったが、さすがに三周目に入ったところで振り返った。
「何だ」
「な~ん~で~も~な~い~」
「そうか」
ガルドは再び前を向く。
カラリンもまた、その背中をじっと見る。
(いや、絶対に何かあるじゃろ)
わしでなくても分かる。
セレナも同じことを思ったらしく、苦笑しながら声をかけた。
「カラリン、気になるなら聞けばいいじゃない」
「ん~」
カラリンの視線の先にあるのは、ガルドの背中。
正確には、そこに背負われた巨大な大剣だった。
二メートルを優に超えるガルドが背負っているにもかかわらず、なお大きく見える。
刃は幅広く、厚い。
剣というより、巨大な鉄塊に近い。
「ガ~ル~ド~」
「何だ」
「そ~れ~」
カラリンが大剣を指差す。
「み~せ~て~」
「駄目だ」
即答だった。
「け~ち~」
「違う」
「じゃ~あ~な~ん~で~?」
「重い」
ガルドは淡々と言う。
「お前では持てない」
「…………」
カラリンの頬がふくらんだ。
「も~て~る~も~ん~」
「無理だ」
「も~て~る~」
「無理だ」
「も~て~る~!」
「無理だ」
「し~しょ~!」
「私に振るんじゃないよ」
マルタは欠伸をしながら、ちらりと大剣を見る。
「たぶん無理だね」
「し~しょ~ま~で~!」
カラリンが大袈裟に肩を落とす。
だが。
どうやら彼女が気になっていたのは、剣の重さそのものではなかったらしい。
「で~も~」
カラリンの表情が、ふと変わる。
さっきまでのふざけた様子が消え、大剣をじっと見つめた。
「こ~れ~」
ゆっくりと首を傾げる。
「な~ん~か~い~る~」
「……何?」
セレナも剣を見る。
マルタも目を細めた。
そして。
ガルドの黄金色の瞳が、ほんの僅かに見開かれた。
「見えるのか」
「み~え~る~よ~」
カラリンは嬉しそうに答え、大剣へ顔を近づけた。
「ち~い~さ~い~」
その視線が、刃の表面を追う。
わしには何も見えない。
だが、カラリンには確かに何かが見えているらしい。
「つ~ち~の~こ~」
(……土?)
カラリンは少し考え。
そして。
「ノ~ー~ム~?」
その言葉に、マルタが反応した。
「ノーム?」
「う~ん~」
カラリンが頷く。
「い~る~よ~」
ガルドはしばらく彼女を見つめた後、静かに大剣の柄へ手を添えた。
「そうだ」
短い返事。
「この剣には、ノームが宿っている」
「へぇ……」
マルタが興味深そうに大剣を見る。
「精霊宿りの武器かい」
「珍しいの?」
セレナが尋ねると、マルタは鼻で笑った。
「珍しいなんてもんじゃないよ。精霊ってのは、呼べば何でも武器に宿ってくれるわけじゃない。ましてノームみたいな気難しい精霊なら尚更さ」
「き~む~ず~か~し~く~な~い~よ~?」
「お前を基準にするな」
「え~」
(やはり、カラリンの精霊との距離感は普通ではないらしい)
マルタはさらに大剣を観察する。
触れはしない。
ただ、その造りを確かめるように目を細めた。
「この鍛え方……」
ぽつりと呟く。
「ガルド」
「何だ」
「誰が作った?」
「ドワーフだ」
――ぴくっ。
「…………」
わしは見逃さなかった。
セレナの口元が。
ほんの一瞬だけ。
見事に引きつった。
(ん?)
「ド~ワ~ー~フ~!」
カラリンが嬉しそうな声を上げる。
「す~ご~い~!」
「そうか」
ガルドはいつも通りの反応。
一方。
「ドワーフ……」
セレナは小さくその言葉を繰り返した。
(やはり、何かあるのう)
そこで、わしの中に前世の記憶がぼんやりと浮かんだ。
昔読んだ本だったか。
映画だったか。
あるいはゲームだったか。
もう記憶は曖昧だ。
だが。
(たしか、ファンタジーの世界ではエルフとドワーフは仲が悪い……などと聞いたことがあったのう)
もちろん、それは前世の創作物の中の話だ。
この世界まで同じとは限らない。
限らないのだが。
セレナの顔が、あまりにも分かりやすすぎる。
(……まさか本当にそうなのか?)
「セレナ」
マルタがにやりと笑う。
「何だい、その顔」
「何のこと?」
「今、ドワーフって聞いて嫌そうな顔しただろ」
「してないわよ」
「したねぇ」
「してない!」
「し~た~」
「カラリン!」
「し~た~よ~」
「裏切り者!」
「な~ん~で~」
セレナがそっぽを向く。
「別に嫌いじゃないわよ」
「じゃあ、何なんだい」
「…………」
少しだけ間が空いた。
「……面倒なのよ」
「ドワーフが?」
「そう」
即答だった。
「頑固で」
「うん」
「声が大きくて」
「うん」
「お酒ばっかり飲んで」
「それは偏見じゃないか?」
「それに!」
セレナの勢いが増す。
「エルフを見ると、すぐ『細っこい枝みたいな身体しやがって』とか言うのよ!」
(ずいぶん具体的じゃな)
どうやら。
実体験らしい。
「セレナ」
ガルドが呼ぶ。
「何?」
「この剣を作ったドワーフも」
「うん」
「同じことを言っていた」
「…………」
セレナが固まる。
「何て?」
「エルフは面倒だ、と」
「…………」
数秒の沈黙。
「誰よ、そいつ!」
「知り合いだ」
「だから誰!」
「ドワーフだ」
「それは分かってるわよ!」
カラリンが腹を抱えて笑い始める。
マルタまで肩を震わせていた。
(仲が悪いというより)
わしは心の中で呟く。
(単に似た者同士なんじゃなかろうか)
◇
ひとしきりセレナが騒いだ後。
話題は再びガルドの大剣へと戻った。
「それにしても」
マルタが腕を組む。
「ドワーフが鍛えて、ノームが宿った大剣か。相当な代物だね」
「そうだ」
「そうだ、じゃないよ。下手すりゃ国宝級だ」
「知らん」
「興味ないのかい?」
「使えればいい」
(実にガルドらしい)
価値があるから持っているわけではない。
必要だから使っている。
それだけらしい。
「こ~の~こ~」
カラリンはまだノームとやらを眺めている。
「な~に~が~で~き~る~の~?」
しばらく何かに耳を傾け。
「ふ~ん~」
と頷いた。
「い~し~」
「石?」
セレナが聞き返す。
「う~ん~」
カラリンは大剣を指差す。
「い~し~の~こ~え~」
「声?」
「わ~か~る~ん~だ~っ~て~」
その言葉に、マルタが納得したように頷いた。
「なるほどね」
「何が?」
「ノームは大地の精霊だからさ。鉱石や地脈との相性がいいんだよ」
「へぇ……」
「特にドワーフとは昔から相性がいいって話さ」
「昔から?」
「ああ」
マルタは指を一本立てる。
「石を見つけるのがノーム」
二本目。
「掘るのがドワーフ」
三本目。
「鍛えるのもドワーフ」
そして、ガルドの大剣を顎で示した。
「ノームが気に入れば、こうして武器に宿ることもある」
「へぇ……」
セレナが素直に感心する。
マルタがすぐさまにやりと笑った。
「何だい。ドワーフを褒めたら死ぬんじゃなかったのかい」
「そんなこと言ってない!」
また始まりそうだ。
だが。
わしは別の言葉に引っかかっていた。
(石……)
ノーム。
鉱石。
ドワーフ。
加工。
頭の片隅に。
あの場所が浮かぶ。
孤児院の地下。
そこに眠る。
黒雷石の原石。
(…………)
掘り出すだけなら、問題はない。
問題は。
使えないこと。
古の賢者が持っていた、黒雷石を加工する技術。
それが失われている。
マルタにもできない。
リーナにもできない。
今のわしらには。
どうしようもない。
(ドワーフ……ノーム……)
わしは、ガルドの背にある大剣を見つめる。
精霊が宿るほどの武器を鍛える技術。
そして。
石の声を聞ける精霊。
(……覚えておいて損はなさそうじゃ)
前世でもそうだった。
人脈というものは。
いつ。
どこで。
役に立つか分からない。
(もっとも)
わしはセレナを見る。
まだマルタと言い合いをしている。
(ドワーフとの交渉役をセレナに任せるのは、少々危険そうじゃがのう)
◇
「出るぞー!」
元監視員の声が響いた。
準備が整ったらしい。
わしらは再び王都へ向けて出発した。
宿場の門を抜けると、朝の冷たい風が頬を撫でる。
昨日より街道は細くなり。
左右には深い森が広がっていた。
「次の宿場までは?」
セレナが尋ねる。
「順調なら夕方前だ」
元監視員は御者台から前を見たまま答える。
「ただ、この辺りは魔物も出る。油断はするなよ」
「東ほど多いの?」
「そこまでじゃない」
「なら大丈夫ね」
「だから油断するなって」
その横を。
ガルドが無言で歩いている。
背には、先ほど話題になった大剣。
大きなマントが風に揺れる。
わしはセレナに抱かれたまま、街道の先を眺めていた。
木々の間から差し込む朝日。
遠くで鳴く鳥。
風に揺れる枝。
昨日と何も変わらない。
はずだった。
「…………」
(妙じゃな)
『ああ』
雷葬獣の声がすぐに返る。
(お前さんも感じるか)
『森が騒がしい』
(騒がしい?)
わしは耳を澄ませる。
むしろ。
静かだ。
さっきまで聞こえていた鳥の声が消えている。
虫の音まで。
妙に少ない。
『だからだ』
「…………」
ガルドが突然、足を止めた。
「どうしたの?」
セレナが問いかける。
「待て」
短い言葉。
それだけで。
元監視員もすぐに馬車を止めた。
カラリンが首を傾げる。
「な~に~?」
ガルドは答えない。
黄金色の瞳を細め、森の奥を見つめている。
やがて。
鼻先が僅かに動いた。
「臭う」
「何が?」
セレナ。
「土」
「土?」
「違う」
ガルドの声が低くなる。
「骨だ」
「…………え?」
次の瞬間。
――カラ。
森の奥から。
何かがぶつかるような音がした。
――カラ。
――カラカラ。
一つ。
二つ。
三つ。
次第に数が増えていく。
木でもない。
石でもない。
乾いた音。
マルタが杖を握った。
「……随分と趣味の悪い歓迎だね」
森の暗がり。
白いものが見えた。
腕。
肋骨。
頭蓋骨。
錆びた剣。
盾。
一体。
また一体。
また一体。
木々の間から、骨の兵士たちが姿を現す。
「スケルトン……!」
セレナが息を呑む。
元監視員が手綱を強く握った。
「全員、構えろ!」
その声と同時。
ガルドが一歩、前へ出た。
「ガルド?」
セレナが呼ぶ。
だが。
ガルドは振り返らない。
ただ。
目の前に広がる骨の群れを見据える。
右手が。
背中の大剣の柄へ伸びた。
誰もが。
抜くと思った。
だが。
ガルドは。
その手を離した。
「…………」
そして。
静かに言った。
「スケルトンごときには――」
太い脚が。
地面を踏む。
――ズン。
土が僅かに沈んだ。
「こいつは役不足だな」
ガルドの尻尾が。
ゆっくりと。
持ち上がった。




