第54話 百十歳、罪人と同じ夜を過ごします
太陽が山の向こうへ沈み切る少し前、わしらを乗せた護送馬車は、ようやく今夜の宿場へと辿り着いた。
「着いたぞー!」
御者台から元監視員の声が響き、それまで単調に続いていた車輪の音が、ゆっくりと止まっていく。
(……やっとか)
正直、助かった。
町を出たばかりの頃は、馬車での旅も異世界らしくて悪くないなどと思っていたのだが、半日も揺られ続ければ話は変わってくる。
尻が痛い。
背中も痛い。
ついでに首まで凝っているような気がする。
もっとも、生後間もない赤子の身体が本当に凝っているのかは分からない。
(身体は赤子でも、中身は百十歳じゃからのう……)
どうにもこの身体と精神は、妙なところで噛み合わない。
「レオン、お疲れさま」
セレナがわしを背中から降ろして抱き上げた。身体が自由になった途端、思わず全身から力が抜ける。
「あぅ~……」
「あら。そんなに疲れた?」
(疲れたとも)
「今日はいっぱい揺られたもんね」
優しく頭を撫でられる。
(子供扱いするでない)
そう思ったところで、自分が正真正銘の赤子であることを思い出した。
……まあ、今だけは甘んじて受け入れるとしよう。
◇
宿場と聞いていたから、わしはもっと小さなものを想像していた。
だが、実際に来てみればちょっとした集落ほどの規模がある。
中央を王都へ続く街道が真っ直ぐに貫き、その両脇には旅籠や食堂、馬小屋、雑貨屋が軒を連ねている。旅人向けなのだろう、武器や防具を扱う店まであった。
宿場全体は背の高い木柵で囲われ、出入口には門番まで配置されている。
行き交う人々も多い。
商人。
冒険者。
旅人。
荷馬車。
様々な人間が入り混じり、夕暮れ時だというのに活気があった。
(前世で言えば、道の駅と宿場町を足したようなものか)
もっとも。
前世の道の駅には、まず存在しなかったであろう施設もある。
「罪人を降ろすぞ!」
元監視員の声を合図に、護送馬車の周囲へ兵士たちが集まった。
後部の鉄格子が開き、まず若い男が降ろされる。
「はぁ~……やっと出られた」
両手に枷をつけられているというのに、大きく伸びまでしている。
「余計なことをするなよ」
「分かってるって」
相変わらず軽い男だ。
次に降ろされたのは、灰色の髪をした女。
五人を殺したという女罪人だった。
両腕には通常の手枷だけでなく、魔力を封じるための黒い拘束具が何重にも巻かれている。
彼女は何も言わない。
兵士たちに囲まれても表情一つ変えず、ただ指示された方向へ歩いていく。
そして最後。
あの老人が姿を現した。
「…………」
国家反逆罪。
そして、黒雷石を知る男。
(……王の下)
夕方、老人が口にした言葉が頭から離れない。
雷葬獣が告げたものと、まったく同じだった。
王都でもない。
王城でもない。
――王の下。
偶然だと片づけるには、あまりにも出来すぎている。
『レオン』
頭の奥に雷葬獣の声が響いた。
(分かっとる)
『近づくな』
(分かっとると言っとるじゃろ)
『ならばよい』
それきり、雷葬獣は黙った。
(……妙に心配性になったものじゃ)
『お前の影響だ』
(聞こえとったんかい)
◇
罪人たちは、宿場の一角に建てられた石造りの建物へ連れていかれた。
普通の旅人が泊まる場所ではない。
護送中の罪人を一時的に収容するための牢らしい。
窓は高い位置に小さなものが一つだけ。扉は分厚い鉄製で、建物の周囲にはさらに柵まで設けられている。夜間も兵士が交代で見張りにつくという。
「ずいぶん厳重なのね」
セレナが感心したように言う。
「主要街道だからな」
元監視員が、牢の扉に掛けられた錠を確認しながら答えた。
「王都へ送られる罪人も多いんだ。普通の宿に泊めて、朝になったら逃げてましたじゃ洒落にならん」
「それもそうね」
「特に今回は、面倒なのが三人もいるしな」
「聞こえてるぞー」
早速、牢の中から若い盗人の声が飛んできた。
「聞こえるように言ったんだ!」
「もうちょっと優しくしてくれよ」
「黙れ!」
(元気な奴じゃのう)
少なくとも、あの盗人に関しては牢へ入れられること自体に慣れているようにしか見えない。
……常習犯ではなかろうな。
◇
罪人たちの収容を終えると、わしらは牢の隣にある宿へ入った。
木造二階建ての旅籠で、一階は食堂も兼ねているらしい。
旅人たちの話し声と食器の触れ合う音が重なり、その奥から肉を焼く香ばしい匂いが漂ってくる。
(おお……)
途端に腹が反応した。
ぐぅ。
「…………」
セレナがわしを見る。
(見るでない)
「お腹すいた?」
「あぅ」
「ふふっ」
(だから笑うな)
「レオンもご飯にしようね」
セレナが席へ向かおうとすると、先に場所を確保していたカラリンが大きく手を振った。
「し~しょ~! こ~こ~!」
「見りゃ分かるよ。そんな大声を出さなくても聞こえる」
「お~な~か~す~い~た~」
「それも今日何回目だい」
「あ~れ~は~ひ~る~ま~え~」
「まだ言うのかい」
マルタが呆れ果てている。
その向かい側には、ガルドが座っていた。
「…………」
何というか。
椅子が小さい。
いや。
椅子は普通なのだろう。
ガルドが大きすぎるのだ。
二メートルを優に超える巨体をどうにか椅子へ収めているせいで、まるで大人が子供用の椅子に無理やり座っているように見える。
背負っていた大剣は壁際へ立て掛けられていた。
「ガルド」
セレナが恐る恐る声をかける。
「何だ」
「それ……壊れない?」
「何が」
「椅子」
ガルドが自分の下を見る。
――ギシ。
絶妙なタイミングで椅子が鳴った。
「大丈夫だ」
――ギシギシ。
「本当に?」
「……多分」
(多分なんじゃな)
◇
夕食は、肉と野菜をじっくり煮込んだスープに黒パン、それから鳥肉を焼いたものだった。
決して豪華ではない。
だが、一日中街道を移動してきた身には、その温かさが何よりありがたい。
(うまい)
もっとも。
わしの場合。
「はい、あーん」
(自分で食える)
「あーん」
(…………)
「あーん」
(……仕方ない)
大人しく口を開ける。
「えらいねー」
(百十歳じゃぞ)
「お~い~し~い~?」
向かいからカラリンまで覗き込んでくる。
「あぅ」
「か~わ~い~い~」
(やめんか)
そんなわしらを眺めながら、マルタがスープを啜った。
「平和だねぇ」
「何よ」
「昨日まで世界がどうとか言ってた連中とは思えないよ」
「食べる時くらい忘れたいの」
「そりゃそうだ」
マルタが肩をすくめる。
「腹が減ってちゃ世界も救えないからね」
「そ~う~そ~う~」
「お前は食べすぎだ」
「せ~い~ちょ~う~き~」
「だからどこがだい」
また、いつものやり取りが始まった。
セレナが笑う。
カラリンが笑う。
マルタは呆れた顔をしながら、それでもどこか楽しそうだ。
ガルドはそんな会話には加わらず、黙々と鳥肉を食べている。
(……平和じゃのう)
ほんの少しだけ。
黒雷石のことも。
孤児院のことも。
地下に眠る虚喰らいのことも。
忘れていられる。
こういう時間を守るために、わしらは動いているのかもしれない。
そんなことを思った。
――カン。
外から、小さな金属音が聞こえた。
「…………」
思わず窓へ目を向ける。
「レオン?」
セレナが気づいた。
「あぅ」
窓の向こうにあるのは、罪人たちが収容された牢。
そして、その中には。
あの老人がいる。
(……やはり気になるのう)
『近づくなと言った』
(分かっとるわい)
雷葬獣はどうにも、わしを信用していないらしい。
◇
「気になるなら見てくればいい」
不意にマルタが言った。
「え?」
セレナが顔を上げる。
「牢だよ。さっきから何回そっちを見てると思ってるんだい」
「別に……」
「行きたいんだろ?」
図星だったらしい。
セレナが少しだけ視線を泳がせる。
「……ちょっと」
「なら見てきな。ただし、話はするんじゃないよ」
「見るだけ?」
「あの監視員の言うことは正しい」
マルタは窓の外へ視線を向けた。
「こっちが欲しい情報を持ってると分かった時点で、相手はそれを利用できる。まして国家反逆罪なんて大層な罪状がついてる奴だ。何を考えてるか分かったもんじゃない」
「……分かった」
「それと、レオンは置いていきな」
(何?)
セレナも驚いたようだった。
「どうして?」
「気づいてないのかい?」
マルタの視線が、わしへ落ちる。
「あの爺さん。さっきからこいつばかり見てる」
「…………」
セレナの顔から笑みが消えた。
どうやら。
気づいていたらしい。
「私も……そう思った」
「なら尚更だ」
セレナは少し迷ったあと、わしをマルタへ預けた。
「レオン、ちょっと待っててね」
「あぅ」
仕方あるまい。
わし自身、あの老人には興味がある。
だが、今は近づかない方がいいという判断も理解できる。
◇
夜の宿場は、昼間の喧騒が嘘のように静かだった。
街道沿いに並ぶ松明だけがぱちぱちと燃え、ときおり馬小屋から馬の鼻を鳴らす音が聞こえてくる。
セレナは牢から少し離れた場所で足を止めた。
「どうした?」
見張りをしていた元監視員が声をかける。
「ちょっとだけ様子を見に来たの」
「近づくなよ」
「分かってる」
「話しかけられても答えるな」
「分かってるって」
「本当に?」
「もう!」
セレナが頬を膨らませると、元監視員は小さく笑った。
「ならいい」
牢の中は三つの独房に分けられていた。
一番手前。
若い盗人は床へ寝転び、天井を見ながらぼやいている。
「腹減ったー」
「飯食っただろ!」
「少ない!」
「罪人が贅沢言うな!」
「人権!」
「何だそれは!」
「知らねえ!」
セレナは呆れた顔をした。
その隣。
女罪人は壁へ背を預け、目を閉じていた。
眠っているのか。
起きているのか。
外からでは分からない。
そして、一番奥。
「…………」
老人は。
座っていた。
壁に背を預けることもなく、妙に真っ直ぐな姿勢で。
目も開いている。
何をするでもなく。
ただそこにいる。
「…………」
セレナが見る。
老人も見る。
目が合った。
しばらく。
どちらも何も言わなかった。
やがてセレナが小さく息を吐く。
「……戻る」
「ああ」
元監視員へそう告げ、踵を返した。
その瞬間。
「――――」
背後で。
老人の唇が僅かに動いた。
声は聞こえない。
何を言ったのかも分からない。
それでもセレナの足が、一瞬だけ止まった。
「セレナ」
元監視員の声。
「……うん」
振り返らず。
今度こそ宿へ戻った。
◇
その夜。
わしは、なかなか眠れなかった。
隣ではセレナが穏やかな寝息を立てている。
カラリンもすっかり眠っていた。
マルタも静かだ。
ガルドだけは部屋にいない。
「俺は外でいい」
そう言って、護送馬車の近くで夜を過ごすことを選んだ。
(律儀な奴じゃ)
わしは暗い天井を眺めながら、胸の奥へ意識を向ける。
(雷葬獣)
『何だ』
(あの老人のことじゃ)
『…………』
(もう一度聞くぞ。本当に、百年前の声と同じなのか?)
返事が来るまで、少し時間がかかった。
『……分からぬ』
(分からぬ?)
『声は似ている』
(どれほどじゃ)
『非常に』
やはり。
偶然とは思えない。
だが。
『しかし、違う』
(何がじゃ)
『百年前、我が感じたものと……あの老人から感じるものが違う』
(どういうことじゃ)
『分からぬ』
(またそれか)
思わず心の中でため息をつく。
すると雷葬獣は、珍しく言葉を選ぶように沈黙した。
『あれは……妙だ』
(何が?)
『生命の気配が薄すぎる』
思わず目を開いた。
(病でも患っておるのか?)
『違う』
(ならば何じゃ)
『分からぬ。生きている。動いている。考えている。それなのに……』
そこで言葉が途切れる。
『我にも説明できぬ』
雷葬獣ほどの存在が、説明できない。
それ自体が。
妙に不気味だった。
(何か思い当たることはないのか?)
再び沈黙。
やがて。
『あれを見ていると』
雷葬獣が静かに言った。
『古い時代を思い出す』
(古い時代?)
『我をここへ繋いだ者たち』
胸の奥が、小さく脈打った。
(……古の賢者)
雷葬獣は答えなかった。
肯定も。
否定も。
ただ。
その沈黙だけが残った。
(黒雷石。王の下。百年前の声。そして古の賢者か……)
王都へ向かう理由が。
また一つ増えた気がした。
(まったく)
孤児院を救う金を工面するために向かっているだけだったはずなのだが。
(また面倒事が増えそうじゃのう)
その時。
隣で眠っていたセレナが寝返りを打った。
その腕が。
無意識に。
わしを抱き寄せる。
「ん……レオン……」
(…………)
寝言らしい。
わしは小さく息を吐いた。
(まあ、よい)
今考えても。
答えは出ない。
明日も長い。
王都までは、まだ道半ばなのだから。
わしは目を閉じた。
セレナの体温を感じながら。
今度こそ。
ゆっくりと眠りへ落ちていった。
◇
同じ頃。
宿場の牢では。
ただ一人。
眠っていない者がいた。
「…………」
一番奥の独房。
老人は、壁に背を預けることもなく、昼間と変わらぬ姿勢で座っていた。
隣の牢からは、若い盗人の寝息が聞こえる。
外では見張りの兵士が欠伸をしている。
それでも老人は微動だにしない。
やがて。
ゆっくりと右手を持ち上げた。
皺に覆われた指先が。
微かに震えている。
老人は手を握った。
震えは。
止まらない。
もう一度。
強く。
握り込む。
――ギ……。
人の身体から発せられるには。
あまりにも不自然な音が。
小さく響いた。
老人は表情を変えない。
ただ、自らの手を見つめる。
「……稼働率」
ぽつり。
誰に聞かせるでもなく。
呟いた。
「二十七パーセント」
しばらく。
沈黙。
「継続可能時間……算出不能」
老人はゆっくりと目を閉じた。
眠るためではない。
百年以上。
何度も。
何度も。
繰り返してきたものを。
確認するために。
「第一命令」
暗闇の中。
老人の声だけが響く。
「黒雷石を探せ」
そして。
「第二命令」
閉じていた瞼が開いた。
「――守れ」
その目が向いているのは。
牢の外。
隣の宿。
その中で眠っている。
一人の赤子。
「対象――」
そこで老人は。
ほんの僅かに。
言葉を止めた。
「利用価値、有り」
それを最後に。
老人は口を閉ざした。
呼吸する音すら聞こえない暗闇の中。
ただ、その両目だけが。
夜が明けるまで。
一度も。
閉じられることはなかった。




