第53話 百十歳、罪人の言葉が気になります
王都へ続く街道を、護送馬車は一定の速さで進んでいた。
町を出た直後こそ石畳だった道も、しばらくすると乾いた土の街道へ変わる。車輪が小石を踏むたび、馬車全体が大きく揺れ、その振動が背中から尻まで容赦なく伝わってきた。
(……尻が痛いのう)
赤子の身体というものは、こういう時に実に不便だ。
前世なら、長距離移動など車に乗ってしまえば大した問題ではなかった。冷暖房もある。座席も柔らかい。眠ければ眠ればいいし、仕事があれば電話一本で済ませられる。
それに比べて、この世界の馬車ときたら。
揺れる。
跳ねる。
遅い。
(文明とは偉大なものじゃったんじゃな……)
百年以上生きてきて、今さらそんなことを思い知らされるとは思わなかった。
「レオン、大丈夫?」
セレナが胸に抱いたわしを気遣う。
「あぅ」
「揺れるよね。もう少ししたら休憩するって言ってたから、我慢してね」
(仕方あるまい)
セレナが再び前を向く。
そのすぐ横を、大きな影が歩いていた。
ガルドだ。
二メートルを優に超える巨体。背には人間なら両手で扱うであろう大剣を軽々と背負い、馬車に合わせて悠々と歩いている。
いや、あれは歩いているというより、本人にとっては散歩に近いのかもしれない。
「…………」
そんなガルドを、カラリンがさっきからちらちらと見ていた。
一度。
二度。
三度。
「何だ」
ついにガルドが気づいた。
「お~っ~き~い~」
「それは聞いた」
「な~ん~せ~ん~ち~?」
「知らん」
「は~か~っ~た~こ~と~な~い~?」
「ない」
「に~め~え~と~る~あ~る~?」
「あるかもしれん」
「わ~」
カラリンが、心底感心したように目を丸くする。
「す~ご~い~」
「そうか」
そこで会話が終わった。
(……寡黙じゃのう)
悪い奴には見えない。
ただ、とにかく言葉が少ない。
「ねえ」
今度はセレナが話しかけた。
「ガルドは王都まで何度も行ったことあるの?」
「ある」
「護衛で?」
「多い」
「リザードマンの集落は、この辺り?」
「違う」
「どこ?」
「南」
「遠い?」
「遠い」
セレナがしばらく黙る。
そして。
「……会話を続ける気、ある?」
「ある」
「本当に?」
「本当だ」
(あるらしい)
どうやら、答える意思がないのではない。
単純に、必要以上の言葉を使わない性格なのだ。
そう思えば、むしろ分かりやすい。
◇
「し~しょ~」
「何だい」
「お~な~か~す~い~た~」
「さっき食べただろ」
「あ~れ~は~あ~さ~ご~は~ん~」
「まだ昼前だよ」
「せ~い~ちょ~う~き~」
「どこがだい」
マルタが呆れたようにカラリンを見る。
(いつもの調子じゃな)
こういう他愛もないやり取りを聞いていると、つい昨日まで世界が滅ぶかもしれない場所にいたことすら、遠い出来事のように思えてくる。
だが、だからこそ。
守らねばならないのだろう。
孤児院。
子供たち。
セレナ。
マルタ。
カラリン。
リーナ。
ライカ。
ロイ。
ミナ。
リリ。
そして、雷葬獣。
(やることが多すぎるのう)
黒雷石を探す。
孤児院を買い戻す。
虚喰らいを封じる方法を探す。
百年前の事件も調べなければならない。
内通者。
謎の声。
王の下。
(会社を立ち上げた頃より忙しいぞ)
『忙しいとは何だ』
頭の奥で、雷葬獣の声が響いた。
(ん?)
『仕事が山積みということじゃ』
『ならば一つずつ潰せ』
(……まともなことを言うではないか)
『お前の記憶から拾った』
(わしの言葉かい)
どうも最近。
雷葬獣の話し方が、少しずつわしに似てきている気がする。
(やめてほしいのう)
『なぜだ』
(百十歳の爺さんが二人になる)
『我はもっと長く生きている』
(そういう問題ではない)
◇
「止まるぞ!」
御者台から、あの元監視員の声が飛んできた。
馬車が徐々に速度を落とし、街道脇の木陰へ入る。
近くには小さな川も流れており、休憩場所としてはちょうどいい。
「一刻ほど休む!」
兵士たちは慣れた動きで散っていく。
馬に水を飲ませる者。
車輪を確認する者。
檻の錠前を点検する者。
それぞれが自分の役目を理解している。
(流石じゃな)
セレナもわしを背中から降ろし、木陰へ敷いた布の上にそっと座らせた。
「はい。ずっと背中で疲れたでしょ」
「あぅ」
(助かる)
わしは小さな腕を上げ、背筋を伸ばした。
「ん~」
思わず声が漏れる。
「かわいい」
セレナの頬が一瞬で緩んだ。
(見るでない)
「もう一回やって」
(やらん)
「あぅ」
「ふふっ」
(なぜ笑う)
その時、わしの上へ大きな影が落ちた。
見上げる。
ガルドだった。
近くで見ると、さらに大きい。
大木がそのまま立っていると言われても納得できそうなほどだ。
「何?」
セレナが少しだけ警戒する。
ガルドはわしを見下ろした。
「赤子を近くで見たことがない」
「え?」
「少ない」
「リザードマンにも赤ちゃんはいるでしょ?」
「いる」
「じゃあ」
「人間の赤子は少ない」
「なるほど」
ガルドがゆっくりしゃがみ込む。
それでもなお、目線は高い。
「…………」
「…………」
(何の時間じゃ)
しばらく互いに見つめ合ったあと、ガルドが大きな手を上げた。
セレナが僅かに身構える。
だが、その手は本当にゆっくりと近づいてきた。
そして。
――ぽん。
わしの頭へ、驚くほど優しく触れた。
「小さいな」
(見れば分かる)
「柔らかい」
(赤子じゃからな)
今度は指一本で、慎重に頭を撫でる。
「壊れそうだ」
(物騒な言い方をするでない)
だが、その手つきは怖いほど慎重だった。
巨大な身体。
鋭い爪。
黄金色の目。
それなのに、わしへ触れる指先だけは、まるで割れ物を扱うかのように優しい。
「……子供好きなの?」
セレナが尋ねた。
「嫌いではない」
「そう」
「小さいものは」
ガルドが一度言葉を切る。
「守るべきだ」
「…………」
セレナが少しだけ目を細めた。
そして、柔らかく笑う。
「気が合いそうね」
(勝手に決めるでない)
ガルドがわしを見る。
「レオン」
「あぅ」
「守る」
(急じゃな)
「王都まで」
(そこまでなら頼んだ)
どうやら。
本当に悪い奴ではなさそうだった。
◇
「飯だぞー!」
元監視員が御者台から降り、簡素な食事を配り始めた。
硬いパン。
干し肉。
水。
護送任務の途中である以上、贅沢はできないのだろう。
「罪人にも?」
セレナが尋ねる。
「ああ。死なせるわけにはいかないからな」
兵士の一人が三人分の食事を檻の中へ差し入れる。
わしは、つい中へ目を向けた。
三人。
一人目は、二十代ほどの細身の男。
髪は乱れているが顔立ちは悪くない。
罪人だというのに、妙に余裕のある表情をしていた。
二人目は女。
二十代後半ほど。
灰色の髪。
両手には普通の手枷だけでなく、黒い金属製の帯のようなものまで何重にも巻かれている。
「あれは……」
マルタが小さく呟いた。
「魔封じだね」
「強い魔法使いなの?」
セレナが声を落として聞く。
「分からない。でも、あれだけ重ねてるなら普通じゃない」
そして。
三人目。
昨日、黒雷石を知っていると言った老人。
彼だけは、差し入れられたパンにも干し肉にも手をつけない。
ただ。
こちらを見ていた。
(気色悪いのう)
わしが目を逸らすと、セレナが小さく笑った。
「気になる?」
「あぅ」
「私も」
セレナが老人を見る。
「黒雷石のこと」
「聞くなよ」
背後から声が飛んできた。
元監視員だった。
セレナが少し気まずそうな顔をする。
「分かってるわ」
「本当に?」
「本当」
「顔に書いてあるぞ」
「何が?」
「聞きたいって」
「……ちょっとだけ」
「駄目だ」
即答だった。
「罪人の言葉を信用するな」
「でも」
「でもじゃない」
男の顔が、仕事のものへ変わる。
「情報を持ってるかもしれない。それは分かる。だが、向こうはもう、お前が何を欲しがってるのか分かった」
セレナが黙る。
「そうなったら、主導権は向こうにある」
(なるほど)
それは商売でも同じだ。
欲しいと悟られた瞬間、値段は上がる。
こちらが焦れば焦るほど、不利になる。
(この男、案外商売もできるかもしれんな)
「必要なら、王都に着いてから正式に尋問される。それまで待て」
「……分かった」
今度はセレナも素直に頷いた。
◇
「へぇ」
檻の中から、軽い声が聞こえた。
若い男だ。
「随分、真面目な御者だな」
「黙って食え」
「こわ」
若い男は笑う。
罪人とは思えないほど気楽な態度だった。
「お前は何をしたんだ?」
ガルドが突然尋ねる。
「聞いていいの?」
セレナが元監視員へ確認する。
「罪状は聞いて構わん」
男は若い罪人を指した。
「そいつは窃盗だ」
「窃盗?」
「王都貴族の屋敷から宝石を盗んだ」
「宝石だけじゃねえけどな」
「余計なことを言うな」
「はいはい」
セレナが次に女を見る。
「あの人は?」
「殺人」
空気が少し重くなった。
女の表情は変わらない。
「何人?」
「五人」
「…………」
セレナも、カラリンも黙った。
(五人)
ただの罪人ではない。
しかも、あれだけの魔封じ。
相当危険な人物なのだろう。
「そして」
元監視員が老人を見る。
「そいつは国家反逆罪」
(ほう)
予想以上に重い。
「何をしたの?」
セレナが聞く。
「詳しくは俺も知らん。王都から届いた移送命令書には、それしか書いてない」
「国家反逆……」
マルタが老人をじっと見る。
「ただの爺さんじゃなさそうだね」
「くくく」
老人が初めて笑った。
「ただの爺さんだとも」
(嘘をつけ)
◇
休憩が終わり。
再び馬車は王都へ向けて動き始めた。
太陽は少しずつ西へ傾いていく。
道はまだ長い。
「今日中に宿場へ着く?」
セレナが御者台へ声をかける。
「順調なら日没前だ」
「護送中も宿に泊まるの?」
「罪人用の牢がある宿場がある」
「そんなものまであるのね」
「街道だからな」
(なるほど)
前世で言えば、宿泊施設と駐車場と拘置所を一緒にしたようなものか。
(物騒なサービスエリアじゃのう)
◇
夕方。
空が橙色へ染まり始めた頃。
わしはセレナの膝の上で、少しずつ眠気に負けかけていた。
最初は苦痛だった馬車の揺れも、慣れてくると逆に心地よい。
「あぅ……」
「眠い?」
「あぅ」
「もう少しだからね」
セレナが小さく笑った。
その時。
「坊主」
小さな声。
誰にも聞こえないほど低い。
わしは目を開く。
声は。
檻の中からだった。
老人。
「…………」
こちらを見ている。
そして。
ゆっくり。
「王の下」
(――!)
一瞬で眠気が吹き飛んだ。
老人が笑う。
「探してるんだろ」
声はぎりぎり。
わしにだけ届く。
セレナは気づいていない。
マルタも前を見ている。
カラリンは眠そうに舟を漕いでいた。
(王の下……)
同じだ。
雷葬獣が言った。
『一つは、王の下』
まったく同じ言葉。
「黒雷石は」
老人の口元が歪む。
「王の下にある」
(なぜ)
なぜ知っている。
王都でもない。
王城でもない。
王の下。
あまりにも同じすぎる。
「知りたければ」
老人がさらに声を落とした。
「話をしようじゃないか」
その瞬間だった。
『レオン』
雷葬獣の声が頭の奥へ響く。
いつもより低い。
明らかに。
警戒している。
『そいつから離れろ』
(何?)
『今すぐだ』
(なぜじゃ)
少し間があった。
『……その声』
(声?)
『我は知っている』
(何じゃと)
胸の奥が、ひとつ大きく脈打つ。
わしは老人を見る。
老人は、なおも笑っている。
『百年前』
雷葬獣の声。
重い。
『禁域で』
一拍。
『セレナとリーナを呼んだ声に』
そこで。
雷葬獣が言葉を切った。
『似ている』
(――なに?)
馬車は走り続ける。
夕陽が沈み始める。
誰も。
何も知らないまま。
ただ。
老人だけが。
わしを見ていた。
まるで。
百年前から。
この瞬間を待っていた。




