第52話 百十歳、恩人に恩人を探されます
「よう! また会ったな!」
不意に、頭上から聞き覚えのある声が降ってきた。
「……え?」
セレナが足を止める。
声のした方へ顔を向ければ、護送馬車の御者台から一人の男が身を乗り出していた。
日に焼けた顔。
短く刈られた髪。
頬に残る、まだ新しい傷痕。
その姿を認めた瞬間、セレナの目が大きく見開かれた。
「あ、あんたは……!」
「お~」
カラリンも珍しく、すぐに反応した。
「か~ん~し~い~ん~さ~ん~」
(……まさか)
わしも思わず目を丸くする。
忘れるはずもない。
冒険者の昇級試験。
そこでワイバーンの襲撃を受け、死の淵を彷徨った監視員。
腹を裂かれ、全身を血に染め。
誰が見ても助からないと思えるほどの重傷を負っていた男だ。
それが。
今は何事もなかったかのように御者台から降りてくる。
「もう動けるの?」
セレナが駆け寄る。
「大丈夫なの? あんな怪我だったのに」
「ほ~ん~と~に~?」
カラリンも男の身体を上から下まで眺めている。
「む~り~し~て~な~い~?」
「ははは!」
男は豪快に笑った。
「大丈夫だ。見ての通りさ」
そう言って両腕を広げてみせる。
確かに。
多少動きに硬さは残っているものの、歩くことにも支障はなさそうだった。
「医者にも驚かれたよ。あれだけの傷で、後遺症らしい後遺症もほとんどないんだからな」
「でも……」
セレナはまだ信じられないようだった。
「あの傷……本当に死んでもおかしくなかったのよ」
「ああ」
男の笑みが少しだけ消えた。
「俺もそう思う」
自分の腹へ手を当てる。
服の下には、今も大きな傷痕が残っているのだろう。
「だからこそ」
男は姿勢を正した。
そして。
セレナとカラリンへ向かって。
深々と頭を下げた。
「ありがとう」
「…………」
「…………」
二人とも。
目を瞬いた。
「いや」
男は頭を下げたまま続ける。
「あの時は本当に世話になった」
「ちょ、ちょっと」
セレナが慌てる。
「頭を上げてよ」
「そ~う~だ~よ~」
「お前たちがいなかったら、俺は今ここにいない」
「違うわ」
セレナが小さく首を振った。
「私たちじゃない」
「う~ん~」
カラリンも頷く。
「あ~の~と~き~は~」
そこで二人が。
ちらり。
こちらを見る。
(見るでない)
わしは咄嗟に視線を逸らした。
嫌な予感がする。
「助けたのは……」
セレナが言いかける。
「分かってる」
男が顔を上げた。
「え?」
「俺の傷を治したのは、お前たちじゃないんだろ?」
「…………」
「目を覚ましたあとに聞いたよ」
男は穏やかに笑う。
「見知らぬ青年が現れて、俺を助けてくれたってな」
(…………)
忘れていた。
いや。
正確には。
忘れようとしていた。
あの日。
黒雷石の力が暴走し。
赤ん坊の姿ではどうにもならなくなったわしは。
一時的に。
前世の姿を取った。
神崎源一郎。
もちろん。
本名を名乗るわけにもいかず。
咄嗟に。
縮めて。
ゲン。
などという。
今思い出しても苦しい偽名を名乗ったのだ。
(あれは仕方なかったんじゃ)
状況が。
状況だった。
「だから」
男は続ける。
「俺の命を直接救ってくれたのは、その人だ」
そして。
セレナたちを見る。
「でも、お前たちも俺を助けようと必死に戦ってくれたんだろ?」
「…………」
「それも聞いた」
セレナの表情が。
少しだけ気まずそうなものになる。
「私は……」
目を逸らす。
「結局、何もできなかったから」
「び~りょ~く~な~が~ら~」
カラリンまで。
しゅん。
と肩を落とした。
(お前さんはもう少し胸を張ってもよいと思うぞ)
男はそんな二人を見て。
しばらく黙っていた。
やがて。
ふっと。
優しく笑う。
「それが嬉しかったんだ」
「……え?」
「死ぬと思った」
あっさりとした言葉だった。
「ワイバーンにやられて、身体も動かなくなって。自分でも分かったよ。ああ、これは駄目だってな」
セレナの顔から笑みが消える。
「でも」
男は続ける。
「お前たちが戦ってるのは見えてた」
「…………」
「逃げてもよかったはずなのにな」
あの時。
セレナも。
カラリンも。
ワイバーンを相手に。
逃げなかった。
「だから」
男は自分の胸を軽く叩いた。
「俺も諦めちゃいけないと思えた」
一度。
息を吐く。
「死の淵に立たされながらも、最後まで希望を捨てずに済んだのは」
真っ直ぐ。
二人を見る。
「君たちのおかげだ」
「…………」
セレナの頬が。
僅かに赤くなった。
「いや……」
「…………」
「その……」
嬉しい。
でも。
自分たちは何もできなかった。
そんな感情に挟まれたのだろう。
なんとも言えない。
ふにゃふにゃとした顔になっている。
カラリンも。
「え~へ~へ~」
照れているのか。
申し訳ないのか。
よく分からない顔で笑っていた。
(似た者同士じゃな)
◇
「そうだ」
男が何かを思い出した。
「俺を助けてくれたっていう青年なんだが」
「…………」
セレナの表情が固まる。
(やめろ)
「確か名前は――」
(やめるんじゃ)
「ゲン?」
セレナの口から。
先にその名が出た。
「ぶっ」
思わず。
吹き出した。
「……レオン?」
「…………」
(しまった)
セレナが。
ゆっくり。
こちらを見る。
その顔。
完全に。
笑いを堪えている。
「そうそう!」
男は気づかず頷いた。
「ゲンって名前だった!」
(掘り返さんでくれ)
「その御仁にも、ぜひ礼を言いたいんだが……」
「うーん」
セレナが。
わざとらしく首を傾げる。
「難しいかもしれないわね」
「そうなのか?」
「ええ」
そして。
わしを背負ったまま。
僅かに顔だけこちらへ向けた。
「ゲンは神出鬼没でね」
(…………)
「今頃、どこで何をしているのかしらね」
口元。
笑っている。
「ねー、レオン?」
(こやつ……)
絶対に。
楽しんでいる。
その顔は。
我が子を慈しむ母のようでもあり。
悪戯を見抜いた弟をからかう姉のようでもあり。
秘密を教えてもらえず拗ねる娘のようでもあった。
(……どの立場なんじゃ、お前さんは)
だが。
ここで下手に反応すれば。
墓穴を掘る。
幸い。
今のわしには。
どんな大人でも使えない。
最強の逃げ道がある。
「…………」
目を閉じた。
(寝たふりじゃ)
「あら?」
セレナの声。
「寝ちゃった?」
(寝た)
「さっきまで起きてたのに」
(赤ん坊とはそういうものじゃ)
「ふふっ」
(絶対バレとるな)
男は。
そんなわしらを見て。
楽しそうに笑った。
「おねむみたいだな」
(うむ)
純粋な人間は好きじゃぞ。
◇
「そういえば」
セレナが話題を変えた。
「今回はまた監視員として?」
「ああ、いや」
男は首を振る。
「今回は監視員じゃない」
「じゃあ、どうしてここに?」
「御者だよ」
「……御者?」
「どこも人手不足でな」
男が護送馬車を親指で示す。
「馬を扱えるってだけで駆り出された」
「怪我明けなのに?」
「馬車を走らせるくらいなら問題ないさ」
「本当に?」
「大丈夫だって」
笑う。
(なるほど)
前世で言えば。
ドライバー不足というやつか。
(異世界まで世知辛いのう)
魔物。
黒雷石。
世界の危機。
そんな大問題が起きていても。
人手不足という。
妙に現実的な問題は。
きっちり存在するらしい。
◇
「ん?」
男が。
不意に首を傾げた。
(…………)
その視線。
こちら。
正確には。
わしの胸元。
「そういえば……」
(何じゃ)
男の眉が寄る。
「坊主が前に着けてた」
一拍。
「黒い石のペンダントは?」
(…………!)
眠気など。
一瞬で吹き飛んだ。
もちろん。
寝たふりなので。
目は開けない。
(まずい)
黒雷石は。
もうない。
雷葬獣との接続が完全なものとなった時。
砕け。
銀色の光となって。
わしの中へ消えた。
それを。
どう説明する。
「ゲンが持っていっちゃったのよ」
(早い!)
セレナ。
一切。
迷わなかった。
「ゲンが?」
「ええ」
「そうなのか」
「元々、あの人の物だったみたい」
(そういう設定になったのか)
「なるほどなぁ」
(信じるんかい)
疑う様子すらない。
この男。
良い奴すぎて。
逆に心配になってくる。
「あれは不思議な石だったな」
男が。
記憶を探るように。
顎へ手を添える。
「確か」
一拍。
「俺を癒してくれたのも、その石の力なんだっけ?」
その時だった。
「――黒雷石?」
「…………」
空気が。
変わった。
◇
声。
護送馬車の中。
セレナ。
カラリン。
同時に。
そちらを見る。
わしも。
今度こそ。
目を開けた。
鉄格子。
その向こう。
三人。
罪人。
その一番奥。
一人の老人が。
こちらを見ていた。
みすぼらしい服。
伸び放題の白髪。
頬は痩け。
両手には。
太い鉄の枷。
どこにでもいる。
落ちぶれた老人。
そう見える。
なのに。
目だけが。
妙に。
鋭かった。
「今……」
セレナが呟く。
「何て言ったの?」
老人の口元が。
僅かに。
上がった。
「黒雷石」
「…………」
「そう言ったんだろ?」
セレナとカラリンが。
顔を見合わせる。
「知ってるの?」
セレナが。
馬車へ。
一歩。
近づいた。
その瞬間。
「近づくな!!」
「っ!」
怒号。
あまりの大声に。
セレナの足が止まった。
カラリンも。
肩を跳ねさせる。
声の主は。
先ほどまで。
朗らかに笑っていた。
男。
元監視員だった。
「忘れるな」
その顔には。
もう。
笑みなどない。
厳しい。
仕事をする人間の目。
「そいつらは罪人だ」
「でも……」
「自分が助かるためなら、何だってする」
「…………」
「嘘を吐く」
「同情を誘う」
「こっちが欲しがってる情報を見つければ、それを餌にもする」
セレナが。
黙る。
「近づくな」
一つ。
「耳を貸すな」
二つ。
「気にするな」
三つ。
そして。
「いいな?」
「…………」
セレナは。
もう一度。
老人を見た。
「……分かった」
「う~ん~」
カラリンも頷く。
(なるほど)
先ほどまで。
良い人。
そうとしか思っていなかった。
だが。
この男。
やはり。
冒険者の昇級試験を任されるだけはある。
何人もの。
冒険者を見てきた。
そして。
おそらく。
罪人も。
何人も見てきたのだろう。
「悪かったな」
男が。
少しだけ表情を緩める。
「俺も喋りすぎた」
そして。
馬車へ向かう。
「行くか」
◇
「くくく……」
老人の笑い声。
男の足が。
止まる。
「俺は知っているぞ」
「…………」
セレナの肩が。
僅かに動いた。
「その石」
老人が。
鉄格子の向こうから。
こちらを見る。
「黒雷石が――」
一拍。
「どこにあるのかをな」
(…………!)
聞き捨てならない。
今。
わしらが。
最も必要としている情報。
黒雷石。
しかも。
雷葬獣によれば。
その一つが。
王の下にある。
わしらが今から向かう。
王都。
偶然なのか。
それとも――。
「本当なの?」
セレナが。
反射的に。
振り返る。
老人の笑みが。
深くなった。
「知りたいか?」
その瞬間。
――パァンッ!!
「っ!」
鋭い音が。
空気を裂いた。
御者台。
いつの間にか。
男が戻っている。
その手。
長い鞭。
先端が。
檻のすぐ手前。
地面を叩いていた。
土煙が。
小さく舞う。
「次は檻に当てるぞ」
「…………」
老人。
黙る。
男も。
それ以上。
何も言わない。
手綱を握る。
「出るぞ!」
兵士たちが。
それぞれの位置へつく。
ガルドも。
大剣を背負ったまま。
馬車の横へ。
ゆっくりと歩き出した。
「セレナ」
マルタが呼ぶ。
「行くよ」
「……うん」
それでも。
セレナは。
一度。
老人を振り返った。
◇
――ガラガラ。
車輪が回り始める。
ゆっくりと。
護送馬車が。
町の西門へ向かって動き出した。
人々。
建物。
露店。
少しずつ。
後ろへ流れていく。
(黒雷石の在り処を知っている……)
偶然。
そう片づけるには。
あまりにも。
出来すぎている。
王都へ向かう。
その護送馬車。
そこに。
黒雷石を知る罪人が乗っている。
(何者じゃ)
気になる。
だが。
あの男の言うことも。
正しい。
罪人。
何の罪を犯したのか。
それすら。
わしらは知らない。
そんな相手の言葉を。
都合よく。
信じるわけにはいかない。
『気をつけろ』
頭の奥。
雷葬獣。
(分かっとる)
『あの老人』
(知っとるのか?)
『いや』
(なら何じゃ)
少し。
沈黙。
『分からぬ』
(…………)
『だから気をつけろ』
(随分と雑な忠告じゃな)
返事は。
なかった。
◇
町の門を抜ける。
王都へ続く。
長い街道。
馬車が。
速度を上げた。
わしは。
セレナの背中から。
もう一度だけ。
護送馬車を見る。
鉄格子。
その奥。
「…………」
老人。
こちら。
見ている。
目が。
合った。
「…………」
そして。
老人は。
笑った。
声は。
聞こえない。
けれど。
口が。
ゆっくり。
動いた。
何かを。
言った。
(……何じゃ?)
読めない。
だが。
その直後。
胸の奥。
雷葬獣と繋がった場所が。
――トクン。
小さく。
脈打った。
「レオン?」
「あぅ」
セレナが振り返る。
「どうしたの?」
(何でもない)
そう。
思いたかった。
けれど。
老人の目は。
まだ。
わしを見ている。
まるで。
最初から。
わしが振り返ることまで。
知っていたように。
(……嫌な爺さんじゃのう)
こうして。
わしらを乗せた護送馬車は。
王都へ向けて。
走り始めた。
孤児院を救うため。
金貨三十枚を手に入れるため。
そして。
世界のどこかへ散らばった。
黒雷石を探すため。
だが。
この時のわしは。
まだ知らなかった。
王都へ辿り着くまでに。
この老人の言葉を。
無視できなくなる時が来ることを。




