第46話 百十歳、何千年前の主と呼ばれます
『――神崎源一郎を、殺せ』
無機質な声が響いた瞬間、古代の鎧が剣を振り上げた。
刃を包む銀雷が一気に膨れ上がり、地下空間を白く染める。
『伏せろ!』
雷葬獣の声が頭の奥で轟いた。
考えるより先に、セレナがわしを抱き込む。
直後。
轟音と共に、銀色の閃光が頭上を薙ぎ払った。
「っ……!」
背後の岩壁が弾け飛ぶ。
砕けた石片が雨のように降り注ぎ、地下空間全体が大きく揺れた。
セレナはわしを胸元へ押しつけたまま、身を起こす。
「レオン、怪我は!?」
「あぅ!」
(わしは大丈夫じゃ!)
視線を前へ向ける。
古びた鎧は、剣を振り抜いた姿勢のまま微動だにしていなかった。
兜の内側には顔がない。
ただ、深い闇の中で赤い光だけが揺れている。
『対象、生存』
感情のない声が響く。
『処理を継続する』
(処理て。人をゴミみたいに言いおって)
しかし、悪態をついている余裕はなかった。
鎧が再び剣を持ち上げる。
「セレナ!」
マルタの怒鳴り声が飛んだ。
「坊やをこっちへ!」
「嫌!」
「そのままじゃ、お前が戦えないだろ!」
「でも、この子が狙われてるのよ!」
「だから守るんだよ!」
マルタが杖の石突きを地面へ叩きつけた。
淡い光が広がり、わしらを包むように半球状の結界を作る。
「中へ入れ!」
セレナは一瞬だけ迷った。
それでも、今ここで自分まで動けなくなれば逆に危険だと分かったのだろう。
わしを抱いたまま結界の中へ飛び込む。
「ここなら――」
マルタが言いかけた時だった。
古代の鎧が間合いを詰める。
速い。
あれだけ巨大な鎧が、音もなく距離を消した。
そして。
剣が振り下ろされる。
――ゴォンッ!
光の膜が大きく歪んだ。
波紋が幾重にも走り、マルタの顔が引きつる。
「……一発でこれかい」
(頼むぞ)
「分かってるよ!」
(聞こえたのか?)
たぶん、わしの顔を見ただけだろう。
◇
「レオン」
セレナがわしを地面へ下ろした。
そのまま目の前へ膝をつき、両肩を掴む。
「絶対に、ここから出ないで」
「あぅ」
「いい?」
「あぅ」
「本当に?」
(今は従う)
「あぅ」
ようやくセレナが立ち上がった。
背中から弓を外し、矢を番える。
わしを抱いていた時には取れなかった姿勢。
今は両手が自由だ。
弦を引き絞る音が、張り詰めた地下空間に小さく響く。
「……私の子に」
(子ではない)
「勝手な名前をつけて」
(そこか)
「殺すなんて言って」
セレナの瞳が鋭くなる。
「好き勝手しないで」
矢が放たれた。
狙いは兜の隙間。
赤い光。
寸分違わぬ一射だった。
だが。
鎧は剣を僅かに傾けただけで、それを弾いた。
――キンッ。
「……硬い」
「し~しょ~!」
カラリンが杖を掲げる。
「う~ご~き~と~め~る~!」
「やってみな!」
「う~ん!」
杖の先が地面を叩く。
「つ~ち~!」
石床が大きく隆起した。
岩が腕のように伸び、鎧の両脚へ絡みつく。
さらに腰。
腕。
剣。
「や~っ~た~!」
「まだだよ!」
マルタの声と同時だった。
鎧が一歩踏み込む。
ただ、それだけ。
――バキン!
拘束していた岩がまとめて砕け散った。
「え~……」
(いや、強すぎるじゃろ)
◇
『レオン』
雷葬獣の声が響く。
(なんじゃ)
『あれは強い』
(見れば分かる)
『我を殺すために作られたものだ』
(なら、お前の弱点も知っとるということか)
ほんの僅かな沈黙。
『……おそらく』
(嫌な答えじゃな)
そして。
その予想は、すぐに当たった。
『守護獣、識別』
鎧の赤い光が、雷葬獣へ向けられる。
『個体名――雷葬獣』
『抑制機構に異常を確認』
『第十三接続体との同調を検知』
雷葬獣が低く唸った。
『来るぞ』
鎧の剣へ銀雷が集まる。
だが。
先ほどの攻撃とは違った。
雷は刃に留まらず。
細い線となって地面へ流れ始める。
(何をする気じゃ)
『離れろ!』
雷葬獣が跳ぶ。
同時に。
鎧が剣を岩床へ突き立てた。
――ガキンッ!
銀色の術式が地下空間へ一気に広がった。
◇
「何、これ……」
セレナが足元を見る。
古い紋様。
楔と雷葬獣を繋いでいた道。
そこへ、別の銀光が侵食するように入り込んでいく。
『まずい』
(何がじゃ)
『我を縛る制御術式だ』
(つまり?)
『力を止められる』
次の瞬間。
雷葬獣の全身を包んでいた銀雷が、ふっと消えた。
「……え?」
セレナが息を呑む。
山のような巨体が揺れ。
片膝が地面へ落ちる。
――ズン。
『ぐ……』
(雷葬獣!)
『大丈夫だ』
(全然そう見えんぞ!)
『我を殺すための装置だと言っただろう』
(威張るところではない!)
だが。
本当にまずいのは、その次だった。
地下深く。
――ドクン。
虚喰らいが反応した。
雷葬獣の力が弱まったことを。
確かに。
感じ取った。
◇
地面の亀裂から、黒い霧が滲み出す。
「マルタ!」
「見えてる!」
杖が振られ。
白い炎が黒霧へ走った。
――ギィィィ……!
耳障りな悲鳴。
霧は焼ける。
それでも消えない。
別の裂け目からも。
さらに別の場所からも。
黒いものが滲み始める。
「増えてる!」
「雷葬獣が押さえられなくなってるんだよ!」
「じゃあ、あの鎧を止めないと!」
「そういうことだ!」
(何という欠陥設計じゃ)
雷葬獣が危険になった時に殺すための装置。
それ自体は分かる。
だが。
今やその雷葬獣が、世界の底から這い出そうとする虚喰らいを押さえている。
つまり。
安全装置を作動させれば。
もっと危険なものが出てくる。
(設計した奴を連れてこい!)
『死んでいる』
(分かっとるわ!)
◇
「リーナ!」
「分かってる!」
リーナが駆け出した。
右腕へ銀雷が集まり、細い剣を形作る。
わしの雷とは違う。
百年使い続けた者の雷。
迷いがない。
身体の一部のように扱っている。
「止まって!」
雷剣が鎧の脇腹へ叩き込まれた。
――バチィィン!
銀光が弾ける。
しかし。
「……っ」
通らない。
装甲の表面が僅かに焦げただけだ。
『旧式楔を確認』
赤い視線がリーナへ向く。
『権限なし』
「知ってる!」
二撃。
首。
三撃。
膝裏。
どれも弾かれる。
「リーナ、離れな!」
マルタが叫ぶ。
巨大な剣が横薙ぎに振るわれた。
リーナはぎりぎりで身体を沈める。
刃が頭上を通過し。
風圧だけで白金の髪が激しく舞った。
(あれをまともに受けたら終わりじゃな)
◇
『レオン』
(今度はなんじゃ)
『我の力を呼べ』
(お前、止められとるんじゃないのか)
『我からは出せぬ』
一拍。
『だが、お前からなら出せる』
(……何じゃと)
自分の手を見る。
小さい。
赤ん坊の手。
(立つことすらまともにできんぞ)
『知っている』
(なら無茶を言うな)
『無茶を言っている』
(開き直るな!)
だが。
言いたいことは分かった。
もう黒雷石はない。
石を媒介にする必要もない。
雷葬獣とわしは、直接繋がっている。
なら。
今のわし自身が。
新しい道だ。
(……やるしかないか)
『そうだ』
◇
胸の奥へ意識を向ける。
――トクン。
わしの鼓動。
少し遅れて。
雷葬獣。
――トクン。
二つが重なる。
(来い)
何も起きない。
(雷)
まだ。
何も。
焦るな。
今まで。
雷が出たのはいつだった。
ロイが危なかった時。
セレナたちを助けたかった時。
瀕死の監視員を救いたかった時。
いつも。
力そのものが欲しかったわけではない。
(必要だった)
それだけだった。
『力を求めるな』
(……?)
『何をしたい』
雷葬獣の声が静かに響く。
『それだけを思え』
「…………」
目の前の鎧を見る。
倒したい?
違う。
壊したい?
それも違う。
(雷葬獣を助ける)
あいつを縛っている。
地面を走る銀色の道。
(切れ)
ただ。
それだけ。
◇
胸が熱くなった。
――パチッ。
指先で、小さな銀色の火花が弾ける。
「レオン?」
セレナが振り返る。
目を見開いた。
「何してるの!?」
(集中が切れる!)
「レオン!」
「セレナ!」
マルタが叫ぶ。
「止めるんじゃない!」
「でも、この子――!」
「坊やがやろうとしてるんだ!」
「赤ちゃんなのよ!」
(それはわしが一番よく知っとる!)
火花が。
一本の細い雷へ変わる。
弱い。
こんなものでは。
鎧を倒すどころか。
傷すらつけられない。
(それでいい)
倒す必要はない。
狙うのは。
一つ。
◇
――バチンッ!
雷が走った。
誰も。
すぐには何が起こったか分からなかった。
銀雷は鎧へ向かわない。
地面を這い。
剣から術式へ流れ込んでいる。
細い銀線。
そこへ。
吸い込まれるように落ちた。
――パキン。
小さな音。
それだけ。
だが。
次の瞬間。
地下へ流れていた銀光が。
すべて消えた。
『制御経路、断絶』
鎧の赤い光が揺れる。
『異常』
『異常』
『第十三接続体による上位干渉を確認』
(上位?)
雷葬獣がゆっくりと顔を上げた。
失われていた雷が。
再びその巨体へ戻っていく。
『……なるほど』
(何がじゃ)
『あの装置より』
一拍。
『お前の権限の方が高い』
(だから何の権限なんじゃ)
◇
鎧の動きが止まった。
剣が下がる。
赤い光が激しく明滅する。
『命令競合』
『最終命令――帰還者抹殺』
『管理者保護』
『矛盾』
『矛盾』
『矛盾』
マルタがすぐに動いた。
「今だ!」
カラリンが杖を振り下ろす。
「つ~ち~!」
岩が盛り上がり。
今度こそ鎧の両脚を固定する。
セレナも弓を引いた。
「どこを狙う!?」
「胸だ!」
マルタが叫ぶ。
「あのコアの様な物を――」
(待て)
胸元。
鎧に埋め込まれたコアの様な物。
黒雷石……?
微かに脈打っている。
――トクン。
『待て!』
雷葬獣の声も同時だった。
「あぅ!」
必死に声を上げる。
セレナの指が止まった。
「……レオン?」
(壊すな)
必要な楔。
雷葬獣の力。
あれも。
戻すべきものだ。
『そうだ』
雷葬獣が告げる。
『あれも我の一部だ』
◇
「射つんじゃない!」
マルタが叫ぶ。
「でも、どうするの!?」
「分からない!」
「分からないの!?」
「今考えてるんだよ!」
その時。
鎧の赤い光が。
ぴたりと止まった。
『矛盾解消不能』
『緊急権限を移行』
顔。
ない。
それでも。
視線が。
わしへ向いたのが分かった。
『第十三接続体』
(わしか)
『管理者認証を要求』
「…………」
誰にも。
意味が分からない。
わしにも。
分からない。
なのに。
胸の奥が。
妙に熱かった。
(……何じゃ)
初めて聞く言葉。
初めて見る装置。
何千年も前の仕組み。
なのに。
どうすればいいか。
身体だけが。
知っている。
右手を上げる。
掌を。
鎧へ向ける。
「レオン?」
セレナが不安そうにわしを見る。
わしにも。
自分が何をしているのか分からない。
それでも。
手を下ろす気にはならなかった。
◇
胸の奥から。
銀色の光が滲む。
そして。
頭の中へ。
一つの言葉が浮かんだ。
知らない。
はずなのに。
知っている。
(…………)
わしは口を開いた。
当然。
赤ん坊の口から出たのは。
「あぅ」
だけだった。
だが。
鎧は。
違うものを聞いたらしい。
『認証音声、受理』
(何も言っとらんぞ)
『魂紋照合』
胸の奥が。
強く光った。
『一致』
一拍。
『管理者――神崎源一郎』
「…………」
また。
その名前。
『認証完了』
◇
鎧が。
静かに剣を引いた。
そして。
わしの前へ。
片膝をつく。
その姿は。
まるで。
騎士が主へ忠誠を示すようだった。
『――お帰りなさいませ』
「…………」
(何じゃと)
『管理者』
赤い光が。
静かになる。
『我が主』
◇
何が起きたのか。
本当に。
分からなかった。
わしは。
前世。
日本で生まれた。
百十年。
神崎源一郎として。
生きた。
この世界へ来た記憶など。
一度もない。
なのに。
何千年も前の装置が。
わしを知っている。
名前まで。
知っている。
さらに。
管理者。
主。
と呼ぶ。
(どうなっとる)
『レオン』
雷葬獣の声がした。
(なんじゃ)
今までになく。
静かな声だった。
『我も』
一拍。
『思い出し始めた』
(何をじゃ)
雷葬獣は。
わしを。
じっと見ている。
『その魂』
少し。
間を置く。
『初めてではない』
「…………」
(何を言っとる)
『遥か昔』
巨大な銀の瞳が細くなる。
『我は、お前に会っている』
◇
意味が。
頭へ入ってこなかった。
(何千年前の話じゃ)
『分からぬ』
(わしは百十年しか生きとらん)
『知っている』
(なら、おかしいじゃろ)
『だから』
雷葬獣の声が。
ほんの僅かに震えた。
『我も今、恐れている』
「…………」
何千年。
地の底を押さえ続けてきた怪物が。
恐れている。
わしを。
ではない。
今。
浮かび上がり始めた。
この事実を。
(帰還者……)
古代の鎧は。
確かに。
そう言った。
帰還者。
戻ってきた者。
(転生じゃない?)
初めて。
この世界へ来たのではない。
もし。
本当に。
帰ってきた。
のだとしたら。
◇
地下。
深く。
深く。
――ドクン。
虚喰らいが脈打った。
だが。
今度は。
暴れていなかった。
怒ってもいない。
むしろ。
どこか。
楽しそうだった。
そして。
雷葬獣とは違う声が。
頭の奥へ。
ゆっくりと染み込んでくる。
『――ようやく』
背筋が凍る。
『――思い出し始めたか』
(…………)
『――神崎源一郎』
地の底。
赤い二つの光が。
静かに開いた。
『――なら』
一拍。
『――次は』
低い。
愉快そうな声。
『――お前が』
『――なぜ』
『――私を封じたのか』
わしは。
言葉を失った。
(わしが……?)
何千年も前。
この世界で。
虚喰らいを。
封じた?
知らない。
記憶などない。
あるはずがない。
なのに。
雷葬獣も。
古代の守護者も。
虚喰らいも。
全員が。
同じ一点を指している。
――帰ってきた。
胸の奥。
わしの鼓動が。
大きく。
一度。
鳴った。
――トクン。
すると。
暗闇の底から。
――ドクン。
虚喰らいが。
答える。
まるで。
何千年もの時を越えた。
再会を。
喜ぶように。




