第43話 百十歳、百年越しの少女と再会します
『――なぜ、お前が生きている』
雷葬獣の声が、頭の奥で低く震えた。
その声に宿った感情を、わしはすぐには理解できなかった。
驚き。
警戒。
そして、ほんの僅かな――恐れ。
(……お前が、怯えるのか?)
地の底から這い上がろうとする得体の知れない何かを、何百年、あるいは何千年もの間、一人で押さえ続けてきた存在だ。
身体を黒い根に食い破られようと。
楔を失おうと。
雷葬獣がここまで露骨に動揺したことはなかった。
それが今。
森の奥から現れた、たった一人の人物を前にして。
巨大な銀の瞳を見開いている。
黒い外套。
深く被られたフード。
そこから覗く顔は見えない。
けれど、胸元だけは違った。
布の隙間から、淡い青白い光が漏れている。
(黒雷石……)
間違いない。
十二の楔の一つだ。
そう思った瞬間。
わしの胸元でも。
――トクン。
黒雷石が脈打った。
すると。
黒衣の人物の胸元でも。
――トクン。
同じ鼓動が返ってきた。
「……ようやく」
声がした。
若い女にも聞こえる。
少年のようにも聞こえる。
妙に中性的な声だった。
フードの奥から向けられた視線が、真っ直ぐわしを捉える。
「見つけた」
一拍。
「第十三の器」
(……十三?)
聞き間違いではない。
黒雷石は十二。
楔も十二。
そう聞いている。
そこへ。
第十三。
(また知らん話が増えたのう)
最近、こればかりである。
◇
「それ以上、近づかないで」
セレナの声が、張り詰めた空気を切った。
わしを素早く背負い、弓を構えている。
矢尻は、寸分違わず黒衣の人物の額へ向けられていた。
「レオンに何の用?」
「レオン……」
黒衣の人物が、その名を確かめるように口にする。
「それが、今の名前?」
(今の?)
背中を冷たいものが走った。
セレナも同じ言葉に引っかかったらしい。
「どういう意味?」
「私は、その子を知らない」
返答はあっさりしていた。
「じゃあ、どうして――」
「でも」
言葉を遮り。
黒衣の人物は、わしの胸元を指差した。
「それは知ってる」
――トクン。
わしの黒雷石が脈打つ。
呼応するように、相手の石も淡く光った。
「……共鳴してる?」
マルタが目を細めた。
「楔同士が反応してるのかい」
「違う」
即座に否定された。
「石じゃない」
黒衣の人物は、わしから一度も目を離さない。
「その中にいるものが、互いを見つけてる」
「…………」
(中に、いる?)
妙な言い方だった。
これまで黒雷石には、雷葬獣の力の一部が封じられていると聞いていた。
だが。
今の言い方では。
まるで一つ一つの楔の中に、意思を持つ何かが存在しているように聞こえる。
「第十三の器って何なの?」
セレナが問い詰める。
「十二の楔とは違うの?」
「違う」
「じゃあ何?」
黒衣の人物は少しだけ間を置いた。
「管理者」
「管理者?」
「十二の楔を繋ぎ、雷葬獣と地上を結ぶもの」
そして。
また。
わしを見る。
「本来なら、人間がなるものではない」
セレナの腕が、僅かに強くなる。
「レオンがそうだっていうの?」
「まだ違う」
「まだ?」
「器があるだけ」
「…………」
セレナの目が一気に冷えた。
「この子を、物みたいに言わないで」
「物ではない」
「じゃあ何?」
「鍵」
「同じよ」
(まあ、わしもあまり気分は良くないのう)
器。
鍵。
管理者。
勝手に好きな名前を付けられているが。
わしにも神崎源一郎という立派な前世の名前があり。
今はレオンという名前まである。
(せめて本人の了承くらい取れ)
赤ん坊なので無理だが。
◇
『レオン』
雷葬獣の声が低く響いた。
(なんじゃ)
『そやつから離れろ』
(危険なのか?)
返答まで。
僅かな間があった。
『……分からぬ』
(分からんのかい)
『だが』
銀色の瞳が細くなる。
『そやつは、死んだはずだ』
「…………」
思わず、黒衣の人物を見る。
(死んだ?)
雷葬獣はこいつを知っている。
しかも。
過去に死んだと認識していた。
なら。
何者だ?
「顔を見せな」
突然。
マルタが言った。
黒衣の人物が初めて、わし以外へ視線を向ける。
「何?」
「そんな格好で人にあれこれ話すのは失礼だろう」
「嫌だと言ったら?」
「剥ぐ」
(怖いのう)
「し~しょ~な~ら~や~る~よ~」
横からカラリンが補足する。
「カラリン」
「は~い~」
だが。
黒衣の人物は怒らなかった。
むしろ。
ほんの少しだけ笑ったように見えた。
「……変わらないね」
「何?」
「昔から」
一拍。
「口より先に杖が出る」
その瞬間。
マルタの顔から。
表情が消えた。
「……あんた」
黒衣の人物は何も答えず。
ゆっくりとフードへ手をかけた。
◇
黒い布が、肩へ落ちる。
最初に現れたのは、淡い白金色の髪だった。
長く。
柔らかく。
月明かりでも浴びているかのような髪が、肩を滑り落ちる。
次に。
耳。
尖っている。
セレナほど長くはないものの、明らかに人間のものではない。
(エルフ……?)
そして。
顔。
若い。
見た目だけなら、二十歳を少し過ぎた程度だろう。
整った顔立ち。
けれど。
どこかに幼さが残っている。
「…………」
その顔を見た瞬間だった。
セレナの身体が。
硬直した。
「……え?」
弓を構えた指先が震え始める。
(セレナ?)
彼女の顔から。
ゆっくりと血の気が失われていく。
「嘘……」
声が。
掠れていた。
「セレナ?」
マルタが振り返る。
だが。
セレナの目には、もう彼女しか映っていない。
「そんな……」
一歩。
後ろへ下がる。
「どうして……」
白金髪の女は。
そんなセレナを見て。
少しだけ目を細めた。
そして。
ひどく懐かしいものを口にするように。
「やっぱり覚えてるんだ」
一拍。
「お姉ちゃん」
――カラン。
セレナの手から弓が落ちた。
◇
乾いた音が。
やけに大きく森へ響いた。
「……何で」
セレナの声が震える。
「何で……その呼び方……」
女は答えない。
「だって」
セレナは、まるで幽霊を見るような目で彼女を見つめている。
「あなた……」
一歩。
近づく。
そして。
百年以上。
心の奥へ仕舞い込んでいた名前を。
恐る恐る呼んだ。
「……リーナ?」
白金髪の女は。
ほんの少し。
懐かしそうに笑った。
「久しぶり」
それだけで。
十分だった。
(……こいつが)
わしは息を呑んだ。
以前。
セレナから聞いた。
妹のように可愛がっていた少女。
原因不明の病に倒れ。
その命を救うため。
セレナが禁域へ足を踏み入れることになった。
あの少女。
そして。
セレナが追放された夜。
黒雷石と共に。
忽然と姿を消した少女。
(リーナ……)
百年以上前。
消えたはずの少女が。
ほとんど年を取らない姿で。
今。
目の前に立っている。
◇
「……生きてたの?」
セレナの声は、あまりにも弱かった。
「うん」
「どうして……」
一つ。
息を吸う。
「どうして何も言ってくれなかったの……?」
返事はない。
「百年以上よ」
声が少しずつ大きくなる。
「母さんも生きてた」
「あなたも生きてた」
「みんな生きてたのに」
唇が震えた。
「私だけ……」
そこで。
言葉が止まる。
「私だけ」
小さく。
絞り出す。
「何も知らなかった……」
リーナは。
ただ。
黙って見つめていた。
「何で消えたの?」
「…………」
「どうして楔を持ってるの?」
「…………」
「リーナ」
一歩。
さらに。
近づく。
「最初の楔を抜いたのは――あなたなの?」
初めて。
リーナの表情が変わった。
僅かに。
目を伏せる。
そして。
「うん」
静かに答えた。
「私」
セレナの呼吸が止まる。
「百年前」
リーナは胸元の黒雷石へ触れた。
「最初の楔を抜いたのは、私」
◇
「どうして……」
セレナは。
本当に分からないという顔をしていた。
「何でそんなことをしたの?」
「必要だったから」
「何に!」
「生きるため」
短い答え。
だが。
その言葉には。
百年分の重さがあった。
「お姉ちゃんが取ってきてくれた銀葉草」
セレナの身体が僅かに強張る。
「あれだけじゃ、私は助からなかった」
「……何?」
「病気じゃなかったから」
今度は。
マルタが反応した。
「どういう意味だい」
薬師の目だった。
「症状は?」
「高熱」
「食欲がなくなって」
「魔力が減って」
「最後は、立てなくなった」
マルタの眉間に皺が寄る。
「その症状だけなら、病はいくらでも――」
「違う」
リーナは静かに遮る。
「私の中に、何かがいた」
全員。
動きを止めた。
「何が?」
マルタが尋ねる。
リーナの視線が。
ゆっくりと。
足元へ向かう。
地面。
そのさらに奥。
「――これ」
――ドクン。
大地の下で。
重い鼓動が響いた。
◇
「百年前」
リーナが続ける。
「私はもう、あれに触れられてた」
「今なら、そうだと思う」
「だから」
一度。
自分の胸へ手を置く。
「病気だったんじゃない」
「喰われ始めてた」
セレナの顔が青ざめる。
「じゃあ、銀葉草は……」
「症状を少し抑えただけ」
リーナは目を閉じた。
「そして、その夜」
「私は声を聞いた」
(……声?)
「誰の声だい」
マルタが聞く。
「その時は分からなかった」
リーナは黒雷石を握る。
「でも、ずっと雷葬獣だと思ってた」
――トクン。
わしの胸元が反応する。
同時に。
頭の中。
『違う』
雷葬獣。
だった。
(何?)
『我ではない』
「…………」
わしだけが。
その矛盾に気づく。
「声は言った」
リーナが続ける。
「生きたいなら」
一拍。
「禁域へ来いって」
わしは。
一瞬。
何も考えられなかった。
そして。
セレナの身体も。
止まっていた。
「……リーナ」
「何?」
「私も」
セレナの唇が震える。
「私も声を聞いたの」
今度は。
リーナの顔が変わった。
「あなたを助けたいなら」
「東の禁域へ行け」
「そこに銀葉草があるって」
「…………」
「誰かに教えられた」
リーナの瞳が大きく見開かれる。
「それ」
声に初めて。
明らかな動揺が混じった。
「初めて聞いた」
静寂。
(……仕組まれておった)
わしには。
もう。
そうとしか思えなかった。
病に倒れたリーナ。
彼女を救おうとするセレナ。
それぞれへ。
別々に。
同じ禁域へ行けと。
何者かが囁いた。
「誰かが」
マルタが低く言う。
「百年前」
「二人とも禁域へ誘い込んだ」
――ドクン。
地下の鼓動。
まるで。
その言葉を聞いていたかのようだった。
◇
「でも」
セレナはリーナから目を逸らさない。
「それでも分からない」
「何で楔を抜いたの?」
「生きたかったから」
「それだけじゃ分からない!」
リーナは。
長い間。
何も言わなかった。
やがて。
「禁域の中心へ行った」
静かに語り始める。
「お姉ちゃんが追放された夜」
「私はもう一度、あそこへ行った」
「一人で?」
「うん」
「どうして……」
「声が呼んでたから」
「そんな怪しい――」
そこまで言って。
セレナは言葉を飲み込んだ。
自分も。
同じことをしている。
責められるはずもなかった。
「そこで雷葬獣に会った」
『…………』
頭の中で。
雷葬獣は黙っている。
「何て言われたの?」
「逃げろって」
「……え?」
「何も触るな」
「戻れ」
「二度とここへ来るな」
リーナの唇に。
少しだけ苦い笑みが浮かんだ。
「でも」
一拍。
「もう遅かった」
「何が?」
「私の中にいたものが」
胸元。
黒雷石。
「楔を欲しがった」
――ドクン。
地下。
鳴る。
「気づいた時には」
リーナは石を握り締めた。
「一本」
「私の手の中にあった」
◇
(自分で抜いた……?)
いや。
本人はそう思っている。
だが。
もし。
すでにあれに喰われ始めていたとしたら。
楔を抜いたのは。
本当に。
リーナ自身の意思だったのだろうか。
「そのあと、どうした?」
マルタが尋ねる。
「逃げた」
「里から?」
「うん」
「なぜ?」
リーナは。
セレナを見る。
「私が残っていたら」
一拍。
「また楔を抜くかもしれないと思った」
「…………」
「それに」
ほんの僅か。
表情が歪む。
「中にいたものが」
「お姉ちゃんを欲しがってた」
「……私を?」
「だから逃げた」
百年前。
追放されたセレナ。
同じ夜。
自分から里を去ったリーナ。
一人は。
罪を背負わされ。
一人は。
自分の中にいる何かから。
大切な人を守るため。
姿を消した。
(随分と)
皮肉なすれ違いじゃ。
◇
「じゃあ……」
セレナが尋ねる。
「百年間」
「あなたは何をしてたの?」
リーナは。
少しだけ。
笑った。
「戦ってた」
「誰と?」
答えの代わりに。
――ドクンッ!
地の底が鳴った。
地面が大きく揺れる。
「来る」
リーナの顔から。
全ての感情が消えた。
「何が?」
「下が」
直後。
足元へ。
亀裂が走った。
「下がりな!」
マルタの怒声。
全員が動く。
その次の瞬間。
――ドォン!!
地面が弾けた。
◇
黒い何かが。
噴き上がった。
霧。
液体。
影。
そのどれにも見えて。
どれとも違う。
形がない。
なのに。
見ただけで身体の奥が拒絶する。
(……これか)
雷葬獣が。
『指先にも満たない』
そう言ったもの。
「レオン!」
セレナがわしを抱いて飛ぶ。
だが。
黒い影が。
生きているように追ってくる。
「し~しょ~!」
「分かってる!」
マルタが杖を振り抜いた。
白い光の壁が立ち上がり。
黒い影と激突する。
――ジュウウウウッ!
「っ……!」
マルタの顔が歪む。
「重い……!」
「し~しょ~!」
「来るんじゃない!」
カラリンを制する。
その時。
一人。
前へ出た者がいた。
「離れて」
「リーナ!?」
セレナが叫ぶ。
だが。
リーナは止まらない。
胸元。
黒雷石。
握る。
瞬間。
青白い雷が。
全身を走った。
(…………!)
わしと。
同じ。
いや。
違う。
明らかに。
慣れている。
雷は暴れない。
迷わない。
右腕へ集まり。
一本の。
細い剣。
形を作った。
銀雷の刃。
「――消えて」
振り抜く。
――バチィィィッ!!
黒い影が。
真っ二つに裂けた。
――ギィィィィィッ!!
人でも。
獣でもない。
耳を塞ぎたくなる悲鳴。
黒い影は大きくのたうち。
地面の裂け目へ。
吸い込まれるように消えていった。
◇
「…………」
わしは。
リーナを見ていた。
(黒雷石を)
使える。
わしだけではない。
しかも。
あの動き。
少しや二度。
使った人間のものではない。
(百年間)
こいつは。
ずっと。
これと戦ってきたのか。
「質問はあと」
リーナが息を整えながら言った。
「急がないと」
「何が?」
「もう一つ」
一拍。
「楔が壊れる」
――ピシ。
「…………」
嫌な音がした。
胸元。
黒雷石。
七本の銀線。
その横。
新しい。
細い光。
「嘘……」
セレナの声が震える。
――ピシ。
亀裂は。
ゆっくりと伸び。
やがて。
八本目の線になった。
――トクンッ!
◇
次の瞬間。
『――伏せろ!』
雷葬獣の声が。
頭の中で。
轟いた。
「っ!」
セレナがわしを抱え込み。
全員。
地面へ身を伏せる。
直後。
禁域の中央。
――ドォォォォォン!!
地面が持ち上がった。
木々。
岩。
土。
まとめて跳ね上がる。
そして。
雷葬獣の巨体が。
大きく沈んだ。
『ぐ……っ』
(雷葬獣!)
『来るな!』
(何がじゃ!)
『下が』
銀の牙を。
噛み締める。
『さらに近づいた』
◇
「……早すぎる」
リーナが呟いた。
「何が?」
セレナが問い返す。
「八本」
リーナは地面を睨んだ。
「楔が八本失われたら」
一度。
息を吸う。
「向こうが、地上を認識する」
「向こうって?」
「名前がある」
「何?」
「私たちは」
そこで。
マルタが反応した。
「私たち?」
「…………」
リーナは答えない。
だが。
やがて。
地下を見つめながら。
静かに告げた。
「地下にいるあれを」
「私たちは」
一拍。
「《虚喰らい》と呼んでる」
(虚喰らい……)
名前。
ようやく。
付いた。
だが。
名前が分かったところで。
少しも。
安心できなかった。
◇
「第十三の器」
リーナがわしを見る。
「その子が必要」
「ダメ」
セレナが即答した。
「まだ何も言ってない」
「何を言ってもダメ」
「セレナ」
マルタが窘める。
「話くらい聞きな」
「この子を使う話なら嫌」
「お姉ちゃん」
リーナが。
静かに呼んだ。
「私も」
一拍。
「その子を殺すつもりはない」
「…………」
セレナの目が。
僅かに揺れた。
「でも」
リーナは雷葬獣を見る。
「その子じゃないと」
「雷葬獣を解放できない」
「解放?」
マルタが目を細める。
「封印を解くつもりかい」
「違う」
「なら何だ?」
「雷葬獣は」
リーナが説明する。
「地下を封じるため」
「自分の力を十二の楔へ分けた」
(…………)
「けれど」
「力を分散したままでは」
「虚喰らいを押さえ切れない」
なるほど。
ようやく。
わしにも理解できた。
古の賢者たちは。
雷葬獣が強すぎるから。
その力を制御するため。
十二の楔へ分けた。
同時に。
その楔を。
地上へ力を巡らせる。
要石。
アンテナとして。
使った。
安全装置。
だった。
だが。
皮肉にも。
今はその安全装置そのものが。
雷葬獣の力を縛っている。
「第十三の器は」
リーナがわしを見る。
「十二に分けられた力の制御権を」
一つへ戻すもの」
「戻したら?」
セレナの声が硬い。
「雷葬獣が」
一拍。
「本来の力を使える」
◇
「ただし」
(来たのう)
こういう話には。
大抵。
それがある。
「代償がある」
セレナの目が。
さらに冷たくなる。
「何」
「第十三の器は」
リーナがわしを見る。
「雷葬獣と直接繋がる」
「だから?」
「痛み」
「力」
「記憶」
「雷葬獣が感じるものが」
一拍。
「全部、流れ込む」
セレナの腕が。
また。
強くなる。
「普通の人間なら」
リーナは。
淡々と。
続けた。
「壊れる」
「ダメ」
即答。
「それで終わり」
「お姉ちゃん」
「何」
「百年前も」
その言葉だけで。
セレナの動きが止まった。
「お姉ちゃんは」
リーナが静かに続ける。
「私の話を聞かずに」
「一人で禁域へ行った」
「…………」
「私を守るために」
「今も」
その視線が。
わしへ落ちる。
「同じことをしようとしてる」
「…………」
「守るって言って」
「この子に」
一拍。
「選ばせてない」
◇
(……痛いところを突くのう)
セレナは。
わしを大切にしてくれる。
守る。
誰より。
守ってくれる。
だが。
時々。
全部。
自分で決める。
危険だから。
駄目。
赤ん坊だから。
駄目。
(まあ)
赤ん坊なのは。
否定できんが。
「あぅ」
わしは声を出した。
「レオン?」
セレナがわしを見る。
黒雷石を。
握る。
そして。
雷葬獣を指差した。
「あぅ!」
「…………」
(わしが決める)
伝わるか。
分からない。
それでも。
もう一度。
「あぅ!」
マルタが。
少しだけ笑った。
「セレナ」
「何」
「この坊や」
一拍。
「行く気みたいだよ」
「……マルタ」
「顔に書いてある」
(本当に便利な言葉じゃな)
◇
「ダメ」
セレナはもう一度言った。
けれど。
先ほどより。
声が弱い。
「危ないの」
「あぅ」
「死ぬかもしれないのよ」
「あぅ」
「…………」
わしは。
小さな手を伸ばし。
セレナの頬へ触れた。
(死ぬつもりなどない)
帰る。
孤児院へ。
ロイ。
ミナ。
リリ。
ライカ。
みんなが待っている。
そして。
(お前さんも連れて帰る)
勝手に。
一人で死のうとするのは。
もう許さん。
「あぅ」
「…………何よ」
セレナが額を。
わしの額へ寄せる。
「何言ってるか」
少しだけ。
笑う。
「分からないわよ」
(本当か?)
この女なら。
少しくらい。
分かっている気がした。
◇
――ドクン。
地下が鳴る。
時間は。
ない。
「お姉ちゃん」
リーナが手を差し出した。
「今度は」
静かな声。
「一人で守らなくていい」
「…………」
「私もいる」
マルタが鼻を鳴らす。
「あたしもね」
「わ~た~し~も~」
カラリンが杖を握り直す。
そして。
雷葬獣。
巨大な身体を。
少しだけ持ち上げる。
『我もいる』
(お前が一番重要じゃろ)
こんな状況なのに。
少しだけ。
可笑しかった。
◇
セレナは。
長く。
目を閉じていた。
そして。
ようやく。
ゆっくりと開く。
「……約束して」
リーナを見る。
「この子を死なせないで」
「約束する」
「絶対?」
「絶対」
「マルタも」
「分かったよ」
「カラリン」
「ぜ~っ~た~い~」
最後。
雷葬獣。
「あなたも」
『命に代えても』
「それは駄目」
『……?』
「あなたも生きるの」
一拍。
「全員で」
セレナは。
はっきりと言った。
「帰るから」
(うむ)
それでいい。
◇
リーナが。
わしの前へ膝をついた。
「第十三の器」
「……レオン」
セレナが睨む。
「うん」
リーナは。
少しだけ笑う。
「レオン」
わしの胸元へ手を伸ばす。
黒雷石へ触れる寸前。
止めた。
「これから」
その瞳が。
真っ直ぐ。
わしを見る。
「雷葬獣と君を、完全に繋ぐ」
(完全に……)
「一度繋がれば」
「石を捨てても」
「どれだけ離れても」
少しだけ。
言葉を選ぶ。
「雷葬獣の声が、ずっと聞こえるようになるかもしれない」
「…………」
わしは。
雷葬獣を見る。
『…………』
(毎日お前の声を聞くことになるのか?)
『不満か』
(少し)
『我もだ』
(何じゃと)
思わず。
笑いそうになった。
「レオン?」
「あぅ」
セレナが不思議そうにする。
(何でもない)
◇
リーナが。
自分の黒雷石へ手を置いた。
「始める」
「待って」
セレナ。
最後。
一つだけ。
「このまま」
わしを抱く。
「私が抱いててもいい?」
リーナは。
一瞬だけ目を丸くし。
すぐに。
優しく笑った。
「うん」
◇
「十二の楔よ」
リーナの声が。
森へ落ちる。
「散らされた雷よ」
――トクン。
遠く。
どこか。
一つ。
「守護の獣へ」
――トクン。
また。
一つ。
「失われた道を」
「今」
一拍。
「繋ぎ直せ」
地面を。
淡い銀光が走った。
一筋。
また。
一筋。
森の奥へ。
さらに。
もっと。
遠く。
見えない場所へ。
(十二の楔……)
世界中へ散らばった石。
そのすべて。
今。
一瞬だけ。
一つ。
繋がった。
『レオン』
(なんじゃ)
『来るぞ』
(何が)
返事は。
なかった。
だが。
次の瞬間。
分かった。
「――っ!!」
頭の中へ。
何かが。
叩き込まれた。
◇
森。
知らない森。
今より。
遥かに。
古い。
何千年。
前。
巨大な銀色の獣。
まだ。
身体に傷一つない。
雷葬獣。
その前に。
何人もの人間。
エルフ。
知らない種族。
立っている。
そして。
一人。
白い髪の老人。
背筋は真っ直ぐ。
老いている。
なのに。
目だけは鋭い。
『頼む』
老人が。
雷葬獣へ頭を下げる。
『我らでは』
一拍。
『もう抑えられぬ』
『お前しかいない』
雷葬獣は。
静かに。
地下を見た。
『ならば』
そして。
『我が残る』
老人が。
苦しそうに笑った。
『すまない』
『謝るな』
銀色の獣。
何でもないように。
答える。
すると。
老人は胸元へ手を当てた。
そこには。
黒雷石とは違う。
銀色に輝く。
大きな核。
『いつか』
老人は。
雷葬獣を見上げた。
『お前を』
一拍。
『一人にしない者を』
『必ず』
『送り届ける』
◇
「――っ!」
意識が戻った。
「レオン!」
セレナが叫んでいる。
呼吸。
上手く。
できない。
「あ……ぅ……」
(今のは……)
古の賢者。
雷葬獣。
約束。
(お前)
頭の中で呼ぶ。
(知っとったのか)
『……忘れていた』
(何?)
『今』
雷葬獣の声。
僅かに震える。
『思い出した』
◇
目の前。
リーナ。
青ざめていた。
「……嘘」
「リーナ?」
セレナが呼ぶ。
「どうしたの?」
「第十三の器……」
リーナは。
わしを見る。
その瞳に。
明らかな困惑。
「違う」
「何が?」
「この子」
一歩。
後ろへ下がる。
「第十三じゃない」
(なら何じゃ)
『……そういうことか』
(おい)
雷葬獣。
何か。
分かった。
らしい。
『賢者め』
そして。
巨大な獣。
初めて。
笑った。
『随分』
一拍。
『遅かったではないか』
(だから何の話じゃ!)
『レオン』
(なんじゃ)
『お前は』
銀色の瞳が。
真っ直ぐ。
わしを見る。
『我を制御するための器ではない』
「…………」
『我と』
一拍。
『共に戦うため』
『この時代へ送られてきた者だ』
その瞬間だった。
――パキン。
「……え?」
セレナが息を呑む。
胸元。
黒雷石。
砕けた。
◇
黒い石が。
粉々に崩れる。
けれど。
中には。
何もなかった。
代わりに。
銀色の光だけが。
わしの胸へ。
吸い込まれていく。
「レオン!」
「あ……」
熱い。
だが。
痛くない。
胸の奥。
何か。
新しいものが。
根を張る。
――トクン。
「…………」
今まで。
黒雷石から聞こえていた鼓動。
それが。
今度は。
自分の胸から鳴った。
そして。
遠く。
雷葬獣。
――トクン。
二つ。
鼓動。
完全に。
重なった。
◇
直後。
地下。
――ドクンッ!!
虚喰らいが。
怒り狂うように。
大地を震わせた。
だが。
今までと。
少し違う。
怖くない。
いや。
怖い。
それでも。
隣に。
いる。
そんな。
感覚。
『さて』
(ん?)
『何百年ぶりかのう』
(おい)
わしは思わず。
頭の中で突っ込む。
(喋り方がわしに似とるぞ)
『お前と繋がったせいだ』
(わしのせいにするな)
銀色の巨体が。
ゆっくりと。
起き上がる。
これまで。
十二の楔によって分けられていた。
力。
それが。
戻っている。
全身から。
銀雷が弾けた。
黒い根。
一瞬。
焼け落ちる。
――ズン。
一歩。
大地が沈む。
雷葬獣が。
地の裂け目を見下ろした。
『今度は』
一拍。
『一人ではない』
(ああ)
わしも。
小さな拳を握る。
セレナ。
マルタ。
カラリン。
リーナ。
そして。
雷葬獣。
(随分と大所帯になったもんじゃ)
人生二周目。
太く。
短く。
好きに生きる。
そのつもりだった。
まさか。
何千年も世界を守り続けてきた怪物と。
同じ鼓動を持つことになるとは。
(本当に)
人生というものは。
何が起きるか分からない。
その時。
地の裂け目。
遥か。
深い。
闇の中。
ぽつり。
一つ。
赤い光が灯った。
そして。
もう一つ。
「…………」
(目……)
だった。
虚喰らい。
今まで。
形すら見えなかった何かが。
初めて。
わしらを。
見た。
『来るぞ』
雷葬獣の声。
低い。
今度は。
すぐ隣。
聞こえる。
わしは。
セレナの腕の中で。
地の底を睨んだ。
(上等じゃ)
せっかく。
帰る場所まで。
できたんじゃ。
(こんなところで)
世界ごと。
喰われてたまるか。
次の瞬間。
――ドォォォォォォォン!!
大地が。
爆発した。




