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第40話 百十歳、災厄の正体に触れます

 長老会を出てから、わしらは一度も足を止めなかった。


 先頭を歩くのはマルタ。その少し後ろを、傷ついた杖を抱えたカラリンが続く。そして最後に、わしを背負ったセレナ。


 目指すのは、森のさらに奥。


 禁域。


 百年以上前、セレナが罪を着せられ、故郷も家族も失うきっかけとなった場所。


 そして今。


 森で起きている異変、そのすべてが集まりつつある場所でもある。


 ――トクン。


 胸元の黒雷石が、服越しにも分かるほど強く脈打った。


 表面に浮かんだ七本の銀色の線は、消えることなく淡い光を放ち続けている。


(急かさんでも分かっとる)


 指先で石を押さえる。


 すると、待っていたように頭の奥へ声が響いた。


『――急げ』


(だから、分かっとると言っとるじゃろうが)


 返事はなかった。


(都合の悪い時だけ黙りよって)


 だが。


 その声を聞くたびに、妙な違和感が強くなっている。


 最初に聞こえたのは。


『返せ』


 だった。


 その次は。


『来い』


 そして今は。


『急げ』


 命令のようにも聞こえる。


 けれど。


(……焦っとる)


 わしには、どうしてもそう思えた。


 古の時代。


 殺すことすらできず。


 森の奥へ封じるしかなかったという怪物。


 雷葬獣。


 もし、あの声の主が本当にそいつなら。


(そんな化け物が、何を恐れる?)


 答えは出なかった。


     ◇


「……ひどい」


 不意に、セレナが足を緩めた。


 わしも彼女の肩越しに森を見る。


 ほんの少し前まで、エルフの里は幻想的な光に満ちていた。


 淡く輝く花。


 空気の中を漂う精霊たち。


 長い時間を生きてきた巨木。


 だが。


 禁域へ近づくほど、その色が失われていく。


 葉は黒ずみ。


 花は萎れ。


 枝の先には、乾いた枯葉がぶら下がっている。


 何より。


 精霊の光が、ほとんど見えなくなっていた。


「さっき通った時は、ここまでじゃなかった」


 セレナの声が低い。


「進行が早すぎるね」


 マルタは足を止めずに答えた。


「七本目の楔が失われたから?」


「可能性はある」


「じゃあ、やっぱり――」


「決めつけるんじゃないよ」


 マルタが振り返った。


 皺の刻まれた顔には、いつもの飄々とした余裕がない。


「今分かってるのは、楔が失われるたびに森の異変が酷くなってる。それだけだ」


「同じことでしょ」


「違う」


 即答だった。


「原因と結果を取り違えれば、死ぬよ」


 セレナが黙る。


「楔が壊れたから森がおかしくなったのか。それとも、森で何かが起きてるから楔が壊れてるのか」


 マルタは杖で地面を軽く叩いた。


「そこすら、まだ分かってない」


(なるほどのう)


 さすが。


 長く生きているだけはある。


「し~しょ~」


 少し先を歩いていたカラリンが振り返った。


「何だい」


「い~ま~、ほ~め~ら~れ~た~?」


「誰に」


「レ~オ~ン~」


「喋れない赤ん坊の何が分かるんだい」


「あぅ」


(褒めとったぞ)


「ほ~ら~」


「何が、ほらだい」


(……こやつ、まさかわしの考えが少し分かっとらんじゃろうな)


 若干不安になる。


     ◇


 さらに進んだところで。


 マルタが突然、片手を上げた。


「止まりな」


 全員の足が止まる。


「どうしたの?」


「前を見な」


 マルタが杖を向ける。


 最初は何も分からなかった。


 だが、目を凝らして。


(……あれは)


 木の根元。


 影に紛れるように。


 黒い何かが生えていた。


 植物。


 そう呼んでいいのかも分からない。


 葉はなく。


 細い茎の先端だけが不自然に膨らみ。


 まるで肉のように。


 ゆっくり。


 脈打っている。


 ――ドクン。


(夢で見たやつじゃ)


 砕けた楔。


 その破片の間から生えていた。


 黒い芽。


「……これ」


 セレナの声も強張る。


「昔、禁域で見た気がする」


「あんたも?」


「少しだけ。でも、こんな場所にはなかった」


 マルタが膝をつく。


「触らないでよ」


「分かってる」


 杖の先を。


 慎重に。


 近づける。


 あと、指一本ほど。


 その瞬間。


 ――シュッ。


「っ!」


 マルタが素早く杖を引いた。


「何?」


「見な」


 杖先。


 黒い染みが浮かんでいる。


 じわり。


 じわり。


 そこから色が広がっていた。


「し~しょ~!」


「騒ぐんじゃない」


 マルタは鞄から小瓶を取り出し、透明な液体を垂らす。


 ――ジュッ。


 白煙。


 焦げた匂い。


 ようやく侵食が止まった。


「……魔力を吸われた」


「魔力?」


「ああ」


 マルタは杖を見つめたまま、さらに顔を険しくする。


「いや、それだけじゃないね」


「何?」


「術式そのものまで喰われかけた」


(喰う……)


 嫌な表現だった。


     ◇


「カラリン」


 マルタが呼ぶ。


「近づくんじゃないよ」


「…………」


「カラリン?」


 返事がない。


 見ると。


 カラリンは黒い芽をじっと見つめていた。


 杖を胸へ抱き。


 顔色を失っている。


「どうした」


「……い~る~」


「何が?」


 小さな声。


「せ~い~れ~い~」


 マルタの表情が変わった。


「どこに?」


 カラリンが震える指を上げた。


 指す。


 黒い芽。


「な~か~」


「……中?」


「う~ん~」


 セレナが眉を寄せる。


「どういうこと?」


「わ~か~ら~な~い~」


 カラリンの目に、じわりと涙が浮かんだ。


「で~も~」


 唇が震える。


「た~す~け~て~って~」


 一拍。


「ず~っ~と~、い~っ~て~る~」


     ◇


 誰も、すぐには動けなかった。


 精霊が。


 この黒い芽の中にいる。


 いや。


 捕まっている?


「壊せる?」


 セレナが尋ねる。


「待ちな」


 マルタが止めた。


「中に精霊がいるなら、下手に壊せば――」


 ――バチッ。


 全員の視線が。


 一斉に。


 わしへ向いた。


(いや、わしじゃない)


 正確には。


 胸元。


 黒雷石。


 七本の銀線が強く光り。


 表面を青白い電気が走っている。


「レオン……?」


「あぅ」


(知らんぞ)


 そして。


 次の瞬間。


 ――バチンッ!


「っ!」


 雷が。


 黒雷石から飛び出した。


 真っ直ぐ。


 黒い芽へ。


 ――バヂィッ!


「レオン!」


(だからわしじゃない!)


 雷を浴びた黒い芽が激しく震える。


 次の瞬間。


 ――ギィィィィィィッ!


 耳を塞ぎたくなるような。


 奇妙な悲鳴が森を裂いた。


 人でもない。


 獣でもない。


 もっと。


 別の。


 何か。


 黒い芽が。


 内側から焼け。


 崩れていく。


 その中から。


 小さな青い光が。


 ふわり。


 浮かび上がった。


「せ~い~れ~い~!」


 カラリンが声を上げる。


「待ちな!」


 マルタが腕を掴む。


 だが。


 青い光はカラリンの前へ飛んでくると。


 一度。


 嬉しそうに。


 くるり。


 回った。


「…………」


 そして。


 森の外へ。


 逃げるように飛び去っていった。


「……た~す~か~っ~た~」


 カラリンが小さく笑う。


「よ~か~っ~た~」


     ◇


 マルタは。


 焼け落ちた黒い芽を、しばらく黙って見ていた。


「……おかしいね」


「何が?」


「全部さ」


 そして。


 わしを見る。


 黒雷石を。


「この石には、雷葬獣の力が宿っている」


「そう聞いたわ」


「もし雷葬獣が森の異変を起こしてるなら」


 杖の先で焼け跡を示す。


「どうして、その力が森を蝕んでるものを壊す?」


「…………」


 セレナは答えられない。


「カラリン」


「う~ん~?」


「精霊は、この雷を怖がったかい?」


 カラリンは目を閉じた。


 少しして。


 首を振る。


「ぜ~ん~ぜ~ん~」


「黒い芽は?」


「こ~わ~い~」


「雷葬獣は?」


「…………」


 長い沈黙。


「分からない?」


 カラリンが。


 ゆっくり。


 首を横へ振った。


「ち~が~う~」


「違う?」


「う~ん~」


 杖へ耳を寄せる。


「こ~わ~い~の~」


 そして。


 その指が。


 静かに。


 地面へ向いた。


「ら~い~そ~う~じゅ~う~」


 一拍。


「じゃ~な~い~」


 ――ドクン。


「…………!」


 わしだけが。


 その音に反応した。


     ◇


(今のは……)


 黒雷石ではない。


 石は。


 動いていない。


 光ってもいない。


 それなのに。


 確かに。


 地面の下から。


 聞こえた。


 ――ドクン。


 重い。


 濁った。


 腹の底へ響くような鼓動。


 その直後。


 ――トクン。


 黒雷石が脈打った。


(……違う)


 二つ。


 ある。


 明らかに。


 違う鼓動。


 ――ドクン。


 地の底。


 ――トクン。


 黒雷石。


 一方が動くたび。


 もう一方が応える。


 呼び合っている?


(いや……)


 違う。


 もっと。


 こう。


(押し返しとる?)


 そんな。


 妙な感覚だった。


     ◇


『――急げ』


「…………」


 また。


 頭の奥へ声が響く。


『――もう』


 ザザッ。


 音が乱れる。


『――抑え――』


(おい)


『――きれ――』


 ――ブツン。


 途切れた。


「…………」


(今、何と言った?)


 抑え。


 きれない?


 何を?


「レオン?」


 セレナが顔を覗き込んでいる。


「どうしたの?」


「あぅ……」


(くそ。こういう時は本当に不便じゃ)


 仕方ない。


 わしは地面を指差した。


「あぅ!」


「地面?」


「あぅ!」


「何かあるの?」


 強く頷く。


 マルタがわしを見る。


 次に。


 地面。


 そして。


 黒雷石。


「……地下かい?」


「あぅ!」


「何か感じる?」


「あぅ!」


「雷葬獣?」


「…………」


 分からない。


 首を振る。


「違う?」


 もう一度。


 首を振る。


「分からない?」


「あぅ!」


「……本当に面倒な赤ん坊だね」


(わしだって好きで赤ん坊をやっとるわけではない)


     ◇


 そこから先。


 黒い芽は。


 急激に増えていった。


 一つ。


 二つ。


 十。


 数える意味すらなくなる。


 木の根元。


 岩の隙間。


 倒木の上。


 地面。


 あらゆる場所から。


 黒いものが這い出している。


 そして。


 増えれば増えるほど。


 森から。


 色が失われていった。


「……全部に精霊がいるの?」


 セレナが尋ねる。


 カラリンは。


 答えなかった。


 ただ。


 杖を。


 強く握り締める。


 その顔を見れば。


 十分だった。


(全部か……)


 一体。


 どれほど。


 捕まっている?


「一つずつ助けてたら間に合わないね」


 マルタが言った。


「でも!」


 カラリンが珍しく、強い声を出した。


「分かってる!」


 マルタも強く返す。


「だから元を断つんだよ!」


「…………」


「一つずつ壊してたら」


 黒い芽の群れを見る。


「その前に森全部が死ぬ」


 カラリンの目から。


 涙が落ちる。


 それでも。


「……う~ん~」


 頷いた。


     ◇


 そして。


 とうとう。


 見えてきた。


「……あれ」


 セレナの足が止まる。


 木々の向こう。


 巨大な黒い壁。


 禁域を覆う結界。


 百年以上前。


 彼女の人生を変えた場所。


「…………」


 セレナの呼吸が浅くなる。


「ここ……」


 掠れた声。


「ここよ」


 わしを支えている腕に。


 僅かに力が入る。


 マルタが振り返った。


「戻るかい?」


「…………」


 セレナの手が。


 切り落とされた耳へ伸びる。


 だが。


 触れる寸前。


 止まった。


 そして。


 その手を下ろす。


「行く」


 今度の声は。


 震えていなかった。


     ◇


 近づき。


 そして。


 全員。


 言葉を失った。


「…………」


 結界が。


 壊れている。


 人一人が通れる程度ではない。


 何本もの巨木が入るほど。


 巨大な裂け目。


 まるで。


 何かに。


 抉り取られたような。


「昨夜破られたって……」


 セレナが呟く。


「これを?」


 マルタは結界の縁ぎりぎりまで近づき。


 目を細めた。


「……妙だね」


「今度は何?」


「壊れ方だよ」


 杖で。


 裂け目を示す。


「外から破られたんじゃない」


「中から?」


「それも違う」


「じゃあ、どこからよ」


 マルタが。


 ゆっくり。


 地面を見る。


「下だ」


 セレナの表情が変わった。


「地面の下から」


 マルタの声が。


 低くなる。


「突き破ってる」


 ――ドクン。


(…………)


 また。


 あの。


 重い鼓動。


 今度は。


 さっきより。


 近かった。


     ◇


 ――トクン。


 黒雷石が応える。


 二つ。


 やはり。


 ある。


 一つは。


 この奥にいる。


 雷葬獣。


 そして。


 そのさらに下。


 もっと。


 深い場所。


 ――ドクン。


 別の。


 何か。


(雷葬獣だけではない)


 この森には。


 もう一つ。


 何かがいる。


 そして。


 わしらは今まで。


 その二つを。


 一つの災厄だと。


 勝手に思っていた。


     ◇


「入るよ」


 マルタが言った。


「待って」


 セレナが前へ出る。


「私が先に行く」


「馬鹿言うんじゃない」


「ここは私の森よ」


「追放されたんだろ」


「今それ言う?」


「事実だ」


「マルタ」


「セレナ」


「…………」


「…………」


(こんな時まで喧嘩するな)


「じゃ~ん~け~ん~す~る~?」


 カラリンが言った。


「しない!」


 二人。


 同時。


「ひ~ど~い~」


(息は合っとるんじゃよなあ)


 結局。


 マルタが先頭。


 その後ろにカラリン。


 そして。


 セレナとわし。


 その順になった。


     ◇


 一歩。


 禁域へ踏み込む。


 その瞬間だった。


 ――音が消えた。


「…………」


 風がない。


 葉も揺れない。


 虫も。


 鳥も。


 何もいない。


 ただ。


 地面。


 木々。


 岩。


 あらゆる場所から。


 無数の黒い芽が生えていた。


 ――ドクン。


 一斉に。


 脈打つ。


「っ……!」


 カラリンが口元を押さえた。


「どうした!」


 マルタが振り返る。


「せ~い~れ~い~……」


「何?」


「こ~こ~」


 顔。


 真っ青。


「ぜ~ん~ぶ~」


 杖を。


 震える手で握る。


「な~い~て~る~」


 ――ドクン。


 黒い芽が。


 また。


 一斉に脈打った。


 その時。


 黒雷石から。


 眩い銀色の光が溢れた。


 ――バチバチバチッ!


「レオン!」


「あぅっ!」


 熱い。


 だが。


 痛くない。


 これまでで。


 一番強い反応。


 そして。


『――来たか』


「…………」


 近い。


 今まで。


 遠くから。


 頭の奥へ響いていた声。


 それが。


 今は。


 すぐ耳元で囁かれたように。


 はっきり聞こえる。


『――急げ』


(分かっとる)


『――七つ』


(何?)


『――失われた』


(楔か)


『――残り』


 声が乱れる。


 ザザッ。


『――五つ』


「…………!」


 やはり。


 全部で十二。


 失われた楔。


 七。


 残り。


 五。


(全部なくなったら)


 何が起きる?


『――終わる』


 背筋が冷えた。


(何がじゃ)


『――すべて』


     ◇


 直後。


 ――ドクンッ!!


 地面が。


 大きく隆起した。


「離れろ!」


 マルタが叫ぶ。


 ――バキバキバキッ!


 根が裂け。


 土が弾ける。


 黒い芽たちが。


 一斉に。


 絡み合った。


 一本。


 二本。


 何十本。


 束になる。


 太く。


 巨大に。


 持ち上がっていく。


「何、これ……!」


 セレナが後退する。


 黒い塊は。


 やがて。


 四本の脚。


 長い腕。


 歪な胴体。


 そんな。


 生き物めいた形を取った。


 顔はない。


 ただ。


 胸の中央に。


 大きな裂け目。


 そして。


 そこから。


 無数の。


 青い光が見える。


「せ~い~れ~い~……!」


 カラリンの声が震えた。


「あ~れ~」


 一拍。


「ぜ~ん~ぶ~」


 涙。


 落ちる。


「せ~い~れ~い~で~で~き~て~る~」


     ◇


 黒い怪物が。


 ゆっくりと。


 こちらを向いた。


 顔はない。


 目もない。


 だが。


 分かる。


 見ている。


 わしを。


 いや。


(違う)


 胸元。


 黒雷石。


(こいつ)


 石を見とる。


 ――ズン。


 怪物が一歩進む。


 黒雷石が激しく光った。


 ――バチンッ!


 雷。


 怪物へ。


 走る。


 しかし。


 黒い腕が持ち上がった。


 ――バヂィィィィッ!


「っ!」


 雷を受けた腕。


 焼ける。


 崩れる。


 その傷口から。


 青い精霊が。


 何体も。


 飛び出した。


「効いてる!」


 セレナが叫ぶ。


 だが。


 足元。


 無数の黒い芽が。


 怪物へ伸びる。


 焼けた腕へ絡みつき。


 吸収され。


 そして。


「……嘘」


 元に戻った。


(再生するか)


 厄介じゃ。


     ◇


「カラリン!」


 マルタが叫ぶ。


「精霊だけ引き剥がせるか!」


「や~っ~て~み~る~!」


「セレナ!」


「分かってる!」


 弓。


 抜く。


「坊やを落とすんじゃないよ!」


「誰に言ってるの!」


(わしの扱いが若干雑ではないか?)


 怪物が。


 腕を振り上げる。


「来る!」


 ――ブンッ!


 セレナが跳ぶ。


 直後。


 地面。


 大きく抉れた。


(赤ん坊が参加する戦闘ではないと思うんじゃが!)


 だが。


 怖い。


 とは。


 不思議と。


 思わなかった。


 黒い怪物の胸。


 精霊。


 苦しんでいる。


(助けたい)


 そう。


 思った。


 瞬間。


 黒雷石が。


 熱を持った。


     ◇


 何かが。


 頭の中へ流れ込んでくる。


 雷槍を作った時とも。


 傷を癒した時とも。


 違う。


(……そうか)


 撃つ。


 のではない。


 広げる。


 細く。


 薄く。


 無数に。


 そして。


 壊していいものだけ。


 狙う。


(できる)


 なぜか。


 分かった。


 わしは小さな手を。


 怪物へ向けた。


「あぅ!」


 ――パチン。


 小さな音。


 次の瞬間。


 世界が。


 銀色に染まった。


     ◇


 無数の雷。


 細い。


 糸のような。


 銀線。


 それが。


 怪物の全身へ巻きつく。


「何!?」


 セレナが声を上げる。


「し~しょ~!」


「黙って見てな!」


 雷は。


 怪物そのものを焼かない。


 黒い部分だけを。


 正確に。


 貫いていく。


 一本。


 また一本。


 切り裂かれた場所から。


 青い精霊が。


 飛び出す。


 ――ギィィィィィィィィッ!!


 怪物が暴れる。


 だが。


 雷は止まらない。


 十。


 二十。


 百。


 青。


 緑。


 赤。


 金。


 無数の光が。


 黒い身体から解き放たれ。


 森へ舞い上がった。


「み~ん~な~……」


 カラリンが。


 泣きながら。


 空を見上げる。


 やがて。


 黒い怪物は。


 力を失ったように崩れ落ちた。


 最後に。


 中心から。


 小さな。


 黒い塊が。


 落ちる。


 ――ドクン。


「…………」


 そして。


 胸元。


 ――トクン。


(やはり)


 違う。


 黒雷石と。


 あれは。


 別のもの。


     ◇


 マルタが慎重に近づいた。


「触るんじゃないよ」


「分かってる」


 杖を近づける。


 だが。


 触れない。


「……これは」


「何?」


 セレナが尋ねる。


「魔力じゃない」


「え?」


「少なくとも」


 マルタの目が鋭くなる。


「あたしの知ってる魔力とは違う」


「じゃあ何なの?」


「分からない」


「…………」


「ただ」


 そして。


 地面。


 見る。


「こいつ」


 一拍。


「下から来てる」


 ――ドクン。


 まるで。


 答えるように。


 地の底が鳴った。


     ◇


 その時。


 黒雷石の七本の銀線が。


 一斉に光った。


『――来い』


(どこじゃ)


『――中心』


(お前のところか)


『――そうだ』


「…………」


 初めて。


 まともに。


 質問へ答えた。


(聞きたいことが山ほどあるぞ)


『――時間がない』


(それも何度も聞いた)


『――なら』


 一拍。


『――見ろ』


 次の瞬間。


 黒雷石から。


 一本の銀色の光が伸びた。


 森の奥へ。


 まるで。


 道を示すように。


「……案内してる?」


 セレナが呟く。


「そう見えるね」


 マルタが答える。


「信用するの?」


「しない」


 即答だった。


「でも行く」


「矛盾してない?」


「他に手掛かりがない」


(まったくもって正論じゃ)


     ◇


 解放された精霊たちの大半は。


 森の外へ。


 逃げるように飛び去っていった。


 だが。


 数体だけ。


 残っている。


 その光たちは。


 黒雷石から伸びる銀色の道と。


 同じ方向へ。


 進もうとしていた。


「せ~い~れ~い~た~ち~も~」


「そっちへ行けって?」


「う~ん~」


「何て言ってる?」


 カラリンが耳を澄ませる。


 そして。


 不思議そうに首を傾げた。


「ま~も~っ~て~」


「誰を?」


「わ~か~ら~な~い~」


「何を?」


「そ~れ~も~」


「…………」


「で~も~」


 精霊たちを見る。


「ま~も~っ~て~」


 もう一度。


「そ~う~い~っ~て~る~」


     ◇


 守って。


 誰を。


 何を。


 雷葬獣から?


 それとも。


 もっと。


 別の。


 何かから?


(分からん)


 ただ。


 一つ。


 確かなことがある。


 森を蝕む黒いものは。


 地下から来ている。


 そして。


 雷葬獣の力を宿す黒雷石は。


 それを。


 敵とみなしている。


(……やはり話が合わん)


 雷葬獣が災厄なら。


 なぜ。


 森を蝕むものを壊す?


 なぜ。


 精霊を助ける?


 そして。


 なぜ。


 あれほど。


 焦っている?


     ◇


「行こう」


 セレナが言った。


 わしを背負い直す。


「答えは」


 銀色の光の先を見る。


「この先にあるんでしょ」


「ああ」


 マルタが歩き出す。


 カラリンも続く。


 わしは。


 最後に。


 地面へ落ちた黒い塊を見る。


 ――ドクン。


 小さく。


 脈打つ。


 その瞬間。


 黒雷石が。


 ――トクン。


 応えた。


 けれど。


 今なら分かる。


 これは。


 互いを呼んでいる音ではない。


(やはり)


 一方が。


 上へ出ようとするたび。


 もう一方が。


 押し返している。


 そんな。


 関係。


     ◇


 銀色の光を追って。


 さらに禁域の奥へ進む。


 やがて。


 木々が途切れた。


「…………」


 全員。


 足を止める。


 そこには。


 巨大な穴があった。


 地面そのものが。


 ぽっかりと。


 口を開けている。


 底は見えない。


 ただ。


 黒い闇だけが。


 どこまでも続いていた。


 その周囲。


 巨大な黒い石が。


 円を描くように立っている。


「これ……」


 セレナの声が震えた。


「楔よ」


「…………」


 マルタが。


 一つずつ。


 数えていく。


「一」


「二」


「三」


「四」


「五」


 そこで。


 止まった。


「……五本」


 胸元。


 黒雷石。


 銀線。


 七。


 残った楔。


 五。


 合わせて。


 十二。


(数が合う)


     ◇


「し~しょ~」


 カラリンが。


 穴の縁。


 近くへ寄る。


「何だい」


「せ~い~れ~い~」


「いる?」


「…………」


 首を横へ振る。


「じゃあ何がある?」


 カラリンの顔が。


 青ざめる。


「わ~か~ら~な~い~」


 杖まで。


 震えている。


「で~も~」


 穴の底。


 見つめる。


「こ~こ~」


 一拍。


「せ~い~れ~い~た~ち~が~」


 喉を鳴らす。


「ぜ~っ~た~い~」


「ち~か~づ~き~た~く~な~い~って~」


 ――ドクン。


 穴の底。


 今までで。


 一番。


 大きな鼓動。


 地面が。


 揺れた。


 残る五本の楔が。


 一斉に。


 淡く光る。


 そして。


 暗闇。


 さらに。


 奥。


 ――ギラ。


「…………!」


 巨大な。


 銀色の光。


 目。


 だった。


     ◇


 次の瞬間。


 雷が走った。


 暗闇が。


 一瞬だけ。


 照らされる。


「…………」


 見えた。


 穴の底。


 巨大な。


 獣。


 身体を横たえ。


 まるで。


 穴そのものを塞ぐように。


 そこにいる。


 四肢。


 黒い。


 巨大な身体。


 銀色の雷を纏う角。


 全身へ巻きついた。


 無数の鎖。


 そして。


 そのさらに。


 下。


 黒い何かが。


 無数に。


 獣の身体へ絡みついている。


「……雷葬獣」


 セレナが。


 呟いた。


 ――トクン。


 胸元。


 黒雷石。


 脈打つ。


 巨大な銀色の目が。


 わしを捉えた。


『――来たか』


「…………」


 今度は。


 頭の中だけではなかった。


 空気が。


 震えた。


 森全体が。


 鳴った。


『――我を』


 一拍。


『――返せ』


 セレナの腕に力が入る。


 マルタが杖を構える。


 カラリンが一歩下がる。


 誰も。


 動けない。


 そして。


 わしはようやく理解した。


 黒雷石が。


 帰りたがっていた場所。


 それは。


 この獣のもと。


     ◇


 だが。


 まだ。


 分からない。


 石を返せば。


 どうなる?


 雷葬獣が自由になる?


 森が救われる?


 それとも。


 もっと。


 酷いことが起きる?


 ――ドクン。


 その時。


 雷葬獣の。


 さらに下。


 暗闇。


 何かが。


 脈打った。


 巨大な獣の身体が。


 僅かに沈む。


『――急げ』


 その声は。


 威嚇ではなかった。


 命令でもない。


 わしには。


 どうしても。


 そう聞こえなかった。


(……助けを)


 求めている?


 その瞬間。


 穴の底で。


 ――パキ。


 乾いた音。


 響いた。


 残る五本の楔。


 そのうちの一本へ。


 細い亀裂が走る。


 ――八本目が。


 壊れ始めていた。

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