第35話 百十歳、逃げる魔物を追います
翌朝。
わしらは冒険者ギルドを訪れていた。
朝のギルドは、相変わらず騒がしい。
掲示板の前で依頼書を睨む者。
朝から酒を飲んでいる者。
仲間を探して声を張り上げる者。
依頼を終え、泥だらけの装備のまま報酬を受け取っている者。
少し前までは物珍しくて仕方なかった光景も、何度か通えば見慣れてくる。
そして――。
「あ、レオンだ!」
(見つかった)
嫌な予感とともに声が飛んできた。
「おーい、レオン!」
「今日はセレナも一緒か!」
「レオンちゃん、こっち向いてー!」
(わしは見世物ではないぞ)
いつの間にか。
わしはこのギルドで妙に顔を知られるようになっていた。
一人の女冒険者が満面の笑みで近づいてくる。
「レオン、お姉ちゃん覚えてる?」
(知らん)
「今日もかわいいねえ」
頬へ伸びてくる手。
その指先がわしへ触れる――寸前。
「…………」
セレナが女を見た。
「……や、やっぱりまた今度ね」
(弱い)
女冒険者はそそくさと去っていった。
わしを背負ったセレナは、小さく鼻を鳴らす。
「まったく」
「ずいぶん人気者になったね、その坊や」
横を歩くマルタが笑った。
「笑い事じゃない」
「いいじゃないか。可愛がられるのは悪いことじゃない」
「限度があるの」
(わしとしては静かにしてほしいんじゃがな)
そんなことを考えていた時だった。
「あれぇ~?」
聞き覚えのある。
妙に間延びした声がした。
「セ~レ~ナ~?」
(……ん?)
振り返る。
大きな。
くたびれた三角帽子。
小さな身体。
自分の背丈ほどもある杖。
「カラリン?」
「ひ~さ~し~ぶ~り~」
カラリンだった。
彼女はとてとてとこちらへ歩いてきて。
わしを見つける。
「レ~オ~ン~も~ひ~さ~し~ぶ~り~」
「あぅ」
「げ~ん~き~だ~った~?」
(まあな)
そして。
カラリンの視線が。
マルタへ向いた。
「…………」
止まった。
珍しく。
完全に。
「……し~しょ~?」
(師匠?)
今。
こやつ。
何と言った?
「あ」
マルタが露骨に嫌そうな顔をした。
「見つかった」
「み~つ~け~た~」
カラリンの顔が。
ぱあっと明るくなる。
「し~しょ~!」
飛びついた。
「うわっ、やめな!」
「ひ~さ~し~ぶ~り~!」
「杖が当たってる! 杖が!」
「し~しょ~、ぜ~ん~ぜ~ん~あ~い~に~き~て~く~れ~な~い~」
「忙しいんだよ!」
「う~そ~」
「嘘じゃない!」
セレナ。
ぽかん。
わし。
ぽかん。
周囲の冒険者たちまで。
何人か。
ぽかん。
「……マルタ」
「何だい」
「師匠って?」
「聞いての通りだよ」
「あなた、薬師で錬金術師じゃなかった?」
「魔術師でもある」
「初耳なんだけど」
「言ってなかったかい?」
「聞いてない!」
(わしもじゃ)
カラリンが嬉しそうにマルタの腕へしがみついている。
「し~しょ~は~す~ご~い~ん~だ~よ~」
「余計なこと言うんじゃないよ」
「ま~じゅ~つ~も~れ~ん~き~ん~じゅ~つ~も~」
「カラリン」
「く~す~り~も~」
「黙りな」
「は~い~」
(素直じゃな)
カラリン。
しょんぼり。
だが。
まだ腕にはくっついている。
「……いつまで掴んでるんだい」
「ひ~さ~し~ぶ~り~だ~か~ら~」
「暑苦しい」
「ひ~ど~い~」
どうやら。
本当に。
師弟らしい。
◇
「それで?」
マルタが尋ねる。
「あんた、今日は何してるんだい」
「い~ら~い~を~み~に~き~た~」
「精霊は?」
カラリンの顔から。
少しだけ笑みが消えた。
「…………」
杖を見る。
「ま~だ~ちょ~っ~と~お~こ~って~る~」
「ちょっと?」
「け~っ~こ~う~」
「何やったんだい」
「わ~た~し~の~せ~い~じゃ~な~い~よ~」
「そういうことを言う奴は大体自分にも原因がある」
「う~」
カラリン。
セレナを見る。
「セ~レ~ナ~」
「何?」
「た~す~け~て~」
「無理」
「ひ~ど~い~」
(仲良くなっとるな)
だが。
マルタは笑っていなかった。
「カラリン」
「ん~?」
「最近、精霊がおかしくないかい?」
カラリンの表情が変わった。
「…………」
ゆっくり。
マルタを見る。
「し~しょ~も~き~づ~い~た~?」
「やっぱりか」
「う~ん~」
カラリンが杖を抱き締める。
「こ~こ~さ~い~き~ん~」
いつもの間延びした声。
だが。
その声は少し低かった。
「み~ん~な~お~び~え~て~る~」
セレナが眉を寄せる。
「精霊が?」
「う~ん~」
「何に?」
「わ~か~ら~な~い~」
カラリンは首を振った。
「で~も~」
杖へ耳を寄せる。
「も~り~の~ほ~う~を~い~や~が~る~」
(…………)
マルタとセレナの目が合った。
わしも。
胸元の黒雷石へ目を落とす。
――トクン。
やはり。
反応した。
◇
「カラリン」
マルタが言う。
「今日は危険な依頼を受けるんじゃないよ」
「え~」
「精霊の状態が戻るまでだ」
「で~も~」
「返事」
「……は~い~」
どうやら。
師匠には逆らえないらしい。
「あと」
「ん~?」
「後で杖を見せな」
カラリンの目が輝く。
「な~お~し~て~く~れ~る~?」
「見るだけだよ」
「や~っ~た~」
「直すとは言ってない!」
「し~しょ~だ~い~す~き~」
「だから抱きつくな!」
(随分慕われとるのう)
意外な一面だった。
◇
わしらは受付へ向かった。
マルタが一歩前へ出る。
「ギルド長はいるかい?」
受付嬢が顔を上げる。
そして。
マルタを見る。
目。
見開く。
「……マルタ様?」
(様?)
「久しぶりだね」
「お久しぶりです!」
受付嬢が姿勢を正した。
セレナも少し驚いている。
「ギルド長なら奥にいらっしゃいます。お呼びしますか?」
「頼むよ」
「少々お待ちください」
受付嬢が奥へ走っていく。
「…………」
セレナ。
マルタを見る。
「何だい」
「顔、利くのね」
「長く生きてりゃ知り合いくらい増えるさ」
(その説明で済むか?)
少しして。
奥の扉が開いた。
「誰が来たって?」
ギルド長。
そして。
マルタを見る。
「…………」
「…………」
しばらく。
二人。
無言。
先に口を開いたのは。
ギルド長だった。
「……まだ生きてたのか」
「会って早々それかい」
「お前なら百年後も生きてそうだ」
「縁起でもないこと言うんじゃないよ」
セレナが二人を見比べる。
「……知り合い?」
「昔からの腐れ縁だ」
ギルド長が答えた。
「こいつには昔、何度も酷い目に遭わされた」
「人聞きの悪いこと言うんじゃないよ」
「調合薬を飲まされて三日寝込んだ」
「効果はあっただろ」
「髪が緑になった」
「四日で戻った」
「舌まで緑だった」
「健康に問題はなかった」
「そういう問題じゃない!」
(何しとるんじゃ、この婆さん)
カラリンが。
横。
小さく。
「し~しょ~ら~し~い~」
「カラリン」
「は~い~」
セレナが呆れたようにマルタを見る。
「あなた……昔から変わってないのね」
「失礼だね」
ギルド長が鼻で笑う。
「むしろ昔より丸くなった」
「どこが」
「昔はもっと酷かった」
(どんな若者じゃったんじゃ)
◇
「それで」
ギルド長の顔から笑みが消えた。
「お前がわざわざここまで来たってことは」
「ああ」
マルタの表情も変わる。
「少し厄介なことになってる」
「何があった」
「最近の魔物の出現記録を見たい」
「期間は?」
「半年」
「地域は?」
「東部を中心に、この辺り全部」
ギルド長の眉が僅かに動いた。
「……魔物か」
「気づいてるんだろ?」
「ああ」
即答だった。
「妙な報告が増えてる」
「どんな?」
「本来なら山奥にいる連中が平地に降りてる。森からゴブリンやコボルトが溢れてくる。ハーピーの目撃情報も増えた」
セレナが口を挟む。
「私たちもワータイガーとワイバーンに遭遇した」
「聞いてる」
ギルド長の目が鋭くなる。
「お前らの昇級試験だろ」
「ええ」
「あの件は今でも異常事例として調査中だ」
マルタは小さく頷いた。
「なら話が早い」
「記録庫を使わせてほしい」
「いいぞ」
あっさり。
「…………」
セレナが目を瞬く。
「いいの?」
「マルタならな」
「随分信用されてるのね」
「信用じゃない」
ギルド長はマルタを見る。
「こいつが真面目な顔で調べものをしたいと言ってきた時は」
一拍。
「大体、本当にろくでもないことが起きてる」
「褒めてるのかい?」
「経験則だ」
(なるほど)
昔からの知り合い。
というのは。
伊達ではないらしい。
◇
案内されたのはギルドの地下だった。
石造りの階段を下り。
頑丈な扉を抜ける。
その先。
棚。
棚。
棚。
壁一面。
大量の記録。
(ほう)
思わず。
感心した。
年代。
地域。
種類。
きちんと分けられているらしい。
(管理は悪くない)
「何その顔」
セレナがわしを見る。
「あぅ」
(職業病じゃ)
「また何か考えてるでしょ」
(よく分かるのう)
ギルド長が半年分の記録を運んでくる。
「これで足りるか?」
「まずはね」
「まだ欲しいなら言え」
「助かるよ」
「珍しいな」
「何が」
「お前が礼を言うなんて」
「返すよ」
「もう遅い」
軽口。
でも。
どこか。
信頼。
感じる。
◇
調査は。
思った以上に時間がかかった。
「三月十二日」
セレナが記録を読む。
「北東街道付近でゴブリン十一体」
「場所は?」
「ここ」
マルタが地図へ印をつける。
「三月十四日。コボルト六体」
「ここだね」
「三月十八日。山麓でオークの集団」
また。
印。
地図。
点。
増える。
わしはセレナの膝の上から、その様子を眺めていた。
文字はまだ読めない。
だが。
地図なら。
ある程度。
分かる。
(……妙じゃな)
最初。
東。
そこから。
西。
少しずつ。
広がっている。
マルタも気づいた。
「もっと古い記録を」
ギルド長を見る。
「どこまで?」
「一年」
「分かった」
迷いなく。
追加。
持ってくる。
◇
さらに。
調べる。
そして。
最初に手を止めたのはセレナだった。
「……マルタ」
「何だい」
「これ」
地図。
指。
「最初の目撃情報」
五ヶ月以上前。
東部森林。
そこから。
少しずつ。
外へ。
魔物。
目撃。
増える。
「待ちな」
マルタが立ち上がる。
別の記録。
探す。
「魔物だけじゃない」
「何?」
「獣だ」
鹿。
猪。
鳥。
小動物。
人間に害がないため。
討伐記録には。
載らない。
でも。
別。
記録。
残る。
「四月二日」
ギルド長が読む。
「鹿の大群が西へ移動」
「四月五日」
セレナ。
「鳥の群れが森から離れた」
「四月九日」
マルタ。
「東部の猟師から報告。獲物が極端に減少」
「四月十三日」
また。
「ゴブリンの群れ」
わし。
地図。
見る。
(逃げとる)
これは。
移動。
ではない。
全部。
同じ場所。
離れる。
ように。
動いている。
「……線を引くよ」
マルタが言った。
出現地点。
移動方向。
逆。
辿る。
一本。
また一本。
線が。
増える。
やがて。
何本もの線が。
同じ地域へ。
集まり始める。
セレナの顔から。
ゆっくり。
血の気が引いた。
「……嘘」
線の先。
東。
深い。
森。
「エルフの森……」
「いや」
マルタが低い声で言った。
指先。
さらに。
奥。
「もっと深い」
そこは。
セレナ。
よく。
知っている。
「……禁域」
その言葉が落ちた瞬間。
――トクン。
黒雷石。
脈打った。
◇
誰も。
すぐには口を開かなかった。
魔物。
獣。
鳥。
精霊。
全て。
同じ場所から。
離れようとしている。
「……逃げてる」
セレナが呟いた。
「ああ」
マルタは地図を見たまま答えた。
「何かからね」
「雷葬獣……?」
「まだ決めつけるんじゃない」
「でも」
「可能性が高いのと、確定は別だ」
マルタはそう言う。
けれど。
その顔。
険しい。
自分でも。
疑っている。
のだろう。
◇
その時。
記録庫の扉が勢いよく開いた。
「ギルド長!」
一人の職員が飛び込んでくる。
「どうした」
「東部街道から緊急報告です!」
ギルド長が立ち上がる。
「魔物か?」
「いえ……」
職員の顔。
青い。
「村が」
「村?」
「一つ」
言葉。
詰まる。
「……消えました」
空気が。
止まった。
「消えた?」
「建物はあります」
「ならどういう意味だ」
「人がいないんです」
「避難したんじゃないのか?」
「違います」
職員が首を振る。
「荷物も残っています」
「家畜は?」
「いません」
「死体は?」
「ありません」
「争った跡」
「それも」
職員。
声。
震える。
「ほとんどありません」
「…………」
「人も」
「家畜も」
「犬も」
「鳥も」
一拍。
「何もいません」
マルタが立ち上がった。
「場所は」
「こちらです」
地図。
指。
置く。
その場所。
わしら。
今。
引いた。
線。
上。
だった。
「……まずいね」
マルタが呟く。
今まで。
見たことがない。
顔。
「何が?」
セレナが聞く。
「予想より早い」
「だから何が――」
――ピシ。
小さな音。
全員。
止まる。
(……ん?)
胸元。
黒雷石。
銀色。
線。
光る。
その横。
もう一本。
細い。
銀。
ゆっくり。
伸びる。
「レオン……」
セレナ。
顔。
青くなる。
「線が……」
マルタも。
見る。
一本。
二本。
三本。
四本。
五本。
そして。
「……六本目」
――トクン。
石が脈打った。
同時。
頭の奥。
声。
『――また』
(…………)
『――ひとつ』
低い。
遠い。
声。
『――失われた』
◇
わしは黒雷石を握った。
(またか)
昨夜。
夢。
見た。
黒い楔。
砕けた。
そして。
銀色の線。
増えた。
今。
また。
一本。
(やはり)
この線。
失われた楔。
数。
示している。
可能性。
高い。
「マルタ」
セレナが尋ねる。
「楔って、全部でいくつあるの?」
「分からない」
「古文書には?」
「数までは残ってなかった」
マルタが杖を取る。
「でも」
今度。
迷い。
ない。
「これ以上、ここで紙を眺めてても仕方ない」
「……森へ?」
「ああ」
セレナ。
顔。
上げる。
「エルフの森へ戻る」
◇
「待て」
ギルド長が立ち上がった。
「俺も人を出す」
「ダメだ」
マルタは即答した。
「村が一つ消えてるんだぞ」
「分かってる」
「なら――」
「人間が武装して大勢でエルフ領へ踏み込んだら、話がもっとややこしくなる」
「だからって一人で行かせられるか」
「一人じゃない」
マルタ。
セレナを見る。
「私も行く」
セレナ。
言った。
「セレナ」
「行く」
「お前は追放者だよ」
「知ってる」
「里へ入れば、どうなるか分からない」
「それも知ってる」
「なら――」
「それでも」
セレナは自分の耳へ触れた。
切り落とされた。
エルフの証。
「百年以上」
小さく。
息。
吐く。
「私は、あの森から逃げ続けた」
「…………」
「でも」
わしを抱き寄せる。
「もう」
その声に。
迷い。
ない。
「逃げたくない」
マルタは。
長い間。
セレナを見ていた。
やがて。
「……好きにしな」
小さく笑う。
「言っても聞かない顔になったね」
「誰に似たのかしら」
「少なくとも、あたしじゃない」
「あなたよ」
(そこは仲が良いんじゃな)
「ただし」
マルタ。
わし。
見る。
「坊やは置いていく」
「それは――」
――トクンッ!
「っ!」
黒雷石。
突然。
強く光った。
身体。
引っ張られる。
東。
森。
方向。
「あぅっ……!」
「レオン!」
セレナがわしを抱き締める。
石。
強く。
森。
向く。
まるで。
帰る場所を。
知っている。
ように。
「…………」
マルタ。
深く。
ため息。
「訂正」
「何?」
「坊やも連れていく」
「嬉しくない」
「奇遇だね。あたしもだよ」
(わしもじゃ)
◇
「し~しょ~」
小さな声。
振り返る。
いつから。
いた。
カラリン。
記録庫。
入口。
立っている。
「……聞いてたのかい」
「ちょ~っ~と~だ~け~」
「どこから」
「む~ら~が~き~え~た~と~こ~ろ~」
「ほとんど聞いてるじゃないか」
「え~へ~へ~」
「褒めてないよ」
カラリン。
ゆっくり。
近づく。
「し~しょ~」
「何だい」
「も~り~に~い~く~の~?」
「ああ」
「じゃ~あ~」
杖。
両手。
握る。
「わ~た~し~も~い~く~」
「ダメだ」
即答。
「な~ん~で~」
「精霊に嫌われて魔法もまともに使えない奴を連れていけるかい」
「き~ら~わ~れ~て~な~い~!」
「怒らせたんだろ」
「け~ん~か~ちゅ~う~な~だ~け~」
「もっと悪い!」
(精霊と喧嘩する魔術師って何じゃ)
カラリン。
頬。
膨らませる。
でも。
すぐ。
真面目。
顔。
「で~も~」
杖。
抱く。
「せ~い~れ~い~た~ち~」
小さく。
続ける。
「ず~っ~と~」
「た~す~け~て~って~い~っ~て~る~」
マルタの顔から。
笑み。
消える。
「……何だって?」
「こ~こ~さ~い~き~ん~」
カラリン。
目。
閉じる。
「ず~っ~と~」
「も~り~の~ほ~う~か~ら~」
そして。
ゆっくり。
目。
開く。
「た~す~け~て~」
「に~げ~て~」
「く~る~し~い~」
「そ~れ~ば~っ~か~り~」
誰も。
何も。
言えない。
マルタ。
カラリン。
杖。
見る。
「……カラリン」
「う~ん~?」
「その杖」
「貸しな」
カラリン。
目。
輝く。
「な~お~し~て~く~れ~る~?」
「違う」
マルタ。
杖。
受け取る。
「精霊と話す」
セレナが顔を上げる。
「できるの?」
「誰の師匠だと思ってるんだい」
マルタ。
杖。
床。
突く。
――コツン。
小さな音。
その瞬間。
空気。
変わった。
風。
ない。
地下。
なのに。
マルタの髪。
ゆっくり。
揺れる。
(…………)
初めて。
だった。
薬師。
錬金術師。
口の悪い婆さん。
そう。
思っていた。
でも。
今。
目の前。
立っている。
マルタ。
違う。
カラリン。
師。
一人。
魔術師。
マルタ。
目。
閉じる。
何か。
聞く。
ように。
沈黙。
続く。
やがて。
眉間。
深い。
皺。
刻まれる。
「……そうかい」
誰もいない。
場所。
向かって。
呟く。
「そこまで酷いのかい」
セレナが息を呑む。
「マルタ?」
返事。
ない。
しばらくして。
マルタ。
目。
開く。
「……今日中に準備するよ」
「何が分かったの?」
セレナ。
聞く。
マルタ。
答える。
「精霊たちは」
一拍。
「逃げてるんじゃない」
「え?」
「逃げられないんだ」
カラリン。
顔。
青くなる。
「森に」
マルタ。
杖。
強く。
握る。
「何かに捕まってる」
◇
わしの胸元で。
黒雷石が。
――トクン。
脈打った。
その時。
なぜか。
頭。
浮かんだ。
昨夜。
夢。
黒い森。
砕けた楔。
そして。
あの声。
『――かえせ』
(…………)
わしは。
黒雷石。
握る。
どうやら。
エルフの森へ行く理由が。
また一つ。
増えたらしい。
ただ。
一つだけ。
気になる。
精霊たちは。
『逃げて』
と。
言っている。
黒雷石は。
『帰せ』
と。
言っている。
なら。
どちらを。
信じればいい。
(……嫌な予感しかしないのう)
人生二周目。
太く短く。
好きに生きる。
そう決めた。
だが。
どうにも。
わしの第二の人生は。
のんびりさせてくれる気がないらしい。




