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第26話 百十歳、ゴブリンメイジと旅に出ます

 翌朝。


 孤児院の前には、見送りのために子供たちがずらりと並んでいた。


「先生、絶対帰ってきてね!」


 ミナが大きく手を振る。


「四日だからな。ちゃんと四日で帰ってこいよ」


 ロイはいつも通り少し生意気な口調だったが、その顔には明らかな心配が浮かんでいた。


「分かってるわよ」


 セレナは苦笑する。


 その背中には、幅広の布で固定されたわし。


 そして玄関先では、ライカが背筋を伸ばして立っていた。


「ココハ、ワタシニオマカセヲ」


「ええ。お願いね」


 セレナはそう言うと、孤児院を一度ゆっくりと見渡した。


 昨日までなら、もっと不安そうな顔をしていたかもしれない。


 だが今は違う。


 ロイたちは自分たちで動けるようになった。


 ライカもいる。


 掃除も洗濯も、《森守り》作りも、セレナがいなくても回り始めている。


(任せられる場所になった、ということじゃな)


 全部を背負わなければならない場所から、少しずつ変わり始めている。


「じゃあ、行ってくる」


「いってらっしゃーい!」


 子供たちの声を背に、セレナは歩き出した。


 わしも肩越しに手を振る。


「あぅ!」


「レオンもいってらっしゃーい!」


(こういうのも、悪くないのう)


 送り出してくれる人間がいる。


 帰る場所がある。


 前世では、随分と遠くなっていた感覚だった。


     ◇


 冒険者ギルドへ着くと、すでに商隊の準備はほとんど終わっていた。


 荷馬車が三台。


 商人が二人。


 荷の管理や馬の世話をする補助員が四人。


 その周囲では、ギルドの職員たちが最終確認に追われている。


「セレナさん、おはようございます」


 受付嬢がこちらに気づき、手を上げた。


「おはよう」


「装備確認が済んだら、今回の同行者をご紹介しますね」


(同行者か)


 今回の護衛は昇級試験を兼ねている。


 セレナだけではなく、もう一人の冒険者も同じ試験を受けると聞いていた。


 連携も評価されるらしい。


 セレナも気になるのか、周囲を見回している。


 剣士。


 槍使い。


 獣人。


 いかにも護衛向きの冒険者はいくらでもいる。


 だが。


「お~は~よ~」


 聞こえてきた声に、わしとセレナは同時に振り返った。


 そこにいたのは。


 小さな女だった。


 いや、少女にも見える。


 身長はセレナの腰ほどしかない。


 頭には大きな尖り帽子。


 長年使い込まれているのか、先端はくたびれたように折れ曲がり、よぼよぼと垂れている。


 そして、彼女の身体とほとんど同じ長さの杖を抱えていた。


(……これが同行者か?)


「こんかい~いっしょに~いく~カラリンで~す~」


 声は、驚くほどゆっくりだった。


 一言一言が眠たげに伸びる。


「……セレナよ」


「し~って~る~」


 カラリンが小さな手を差し出した。


 セレナが握り返す。


「よろしく」


「よ~ろ~し~く~」


 そこで。


 セレナの表情が変わった。


 握った手。


 爪。


 肌の色。


 それから、大きな帽子の影に隠れていた耳。


「……あなた、ランドマンじゃないわね」


(ランドマン?)


 わしには聞き慣れない言葉だった。


 後で知ったことだが、この辺りでは国、あるいはそれに属する土地で生まれた者を大まかにランドマンと呼ぶらしい。


 人間だけを指す言葉ではない。


 だが。


 少なくとも、この女は違う。


 カラリンは嬉しそうに口元を緩めた。


「ご~め~いと~う~」


 そして帽子を少し持ち上げる。


 隠れていた肌は。


 薄い緑色。


「わたし~ゴブリン~」


(……何?)


 わしは思わず身を乗り出した。


「あなた方が~よぶなら~ゴブリンメイジ~かな~?」


「ゴブリン……」


 セレナも驚いている。


「名前は~カラリン~。よろしくね~?」


 今度は。


 カラリンの目がわしへ向いた。


「そっちは~レオン~でしょ~?」


(知っとるのか)


「お~うわさは~かねがね~」


「……どんな噂?」


「ギルドの~アイドル~」


(やめろ)


「あぅ」


 カラリンはにこにこしながら、わしへ手を伸ばしかける。


 そして。


 セレナを見る。


「…………」


「……や~め~と~く~」


(賢い)


 どうやら、ギルド内の暗黙の了解まで噂になっているらしい。


     ◇


「今回、あなたも昇級試験なの?」


 出発準備をしながら、セレナが尋ねた。


「そ~だよ~」


「初めて?」


「は~じ~め~て~」


「…………」


 セレナの顔に、ほんの僅かな不安が浮かんだ。


(分かるぞ)


 何を聞いても返事が遅い。


 戦闘になった時、この速度で大丈夫なのか。


 わしも少し不安になった。


「だ~いじょ~ぶ~」


「何も言ってないけど」


「か~お~に~で~て~る~」


(意外と鋭いのう)


     ◇


 ほどなくして。


 商隊は町を出発した。


 三台の荷馬車が列を作り。


 その前後へ護衛が配置される。


 セレナは前方。


 カラリンは中央。


 そして最後尾には、ギルドから派遣された監視員がついた。


 今回の仕事は、ただの護衛ではない。


 昇級試験でもある。


 戦闘能力。


 判断力。


 連携。


 そういったものを記録する役目らしい。


(前世でいう実地試験みたいなものか)


 わしはセレナの背中から、ゆっくりと遠ざかっていく町を眺めた。


 旅の滑り出しは順調だった。


 初日は、何も起きなかった。


 途中で小さな魔物の姿を遠くに見かけた程度で、襲撃もない。


 二日目も同じ。


 街道沿いの村で水を補給し。


 昼には荷馬車を止めて短い休憩を取る。


 そんな穏やかな時間が続いた。


 ただ。


 一つだけ。


 気になることがあった。


 カラリンだ。


「何してるの?」


 セレナが尋ねる。


 カラリンは歩きながら、杖の先で地面を軽く叩いていた。


「お~は~な~し~」


「誰と?」


「つ~ち~」


「…………」


(本当に大丈夫か?)


 わしとセレナ。


 たぶん。


 同じことを考えた。


     ◇


 それでも旅は順調だった。


 そして。


 二日目の午後。


 目的地である交易都市まで、あと半日ほどとなった頃だった。


「――ハーピーだ!」


 荷馬車の上から鋭い声が飛ぶ。


 ギルドの監視員だった。


 セレナが即座に顔を上げる。


 三つの黒い影。


 上空を大きく旋回している。


 女性のような上半身。


 翼。


 鳥の脚。


 鋭い爪。


(あれがハーピーか)


 旋回する三体が、一気に高度を下げ始めた。


「来るぞ!」


 商人たちが慌てて荷馬車の陰へ身を隠す。


 セレナもすぐに弓へ手を伸ばした。


 今回の旅には、弓を持ってきている。


 相手は空中。


 鞭では届かない。


 弓を使うことを躊躇する理由はない。


 矢を一本抜き。


 弦へ掛ける。


 その時だった。


「ま~か~せ~て~」


「え?」


 横から聞こえた、あまりにも緊張感のない声。


 カラリンだった。


「大丈夫なの?」


「だ~いじょ~ぶ~」


 三体のハーピーが迫る。


 あと数秒。


 そう思った瞬間。


 カラリンは杖を空へ向けた。


 そして。


 いつもの調子で。


「ね~む~れ~」


 そう言った。


(…………それだけ?)


 あまりにも気の抜けた言葉だった。


 だが。


 次の瞬間。


 空気が僅かに揺らいだ。


 先頭を飛んでいたハーピーの翼が止まる。


 続いて二体目。


 三体目。


「……え?」


 セレナが声を漏らす。


 三体とも。


 突然。


 眠った。


 そのまま。


 地面へ落ちる。


 ドサッ。


 ドサドサッ!


 砂埃が上がる。


「…………」


 倒れたハーピーたちは。


 完全に眠っていた。


(強くないか?)


 わしは思わずカラリンを見る。


 出発前。


 返事が遅い。


 頼りなさそう。


 正直。


 少し不安だった。


(全然違うじゃないか)


     ◇


「い~ま~の~う~ち~に~」


 カラリンが言う。


「は~な~れ~て~」


 一行は少し距離を取る。


「殺さないの?」


 セレナが尋ねる。


「こ~ろ~す~ひ~つ~よ~う~な~い~」


(……似とるな)


 必要以上に傷つけない。


 その考え方。


 セレナ。


 近い。


 カラリンは眠っているハーピーたちのそばまで歩くと。


 杖を地面へ突き立てた。


「何するの?」


「ゆ~れ~ろ~」


 誰に言っているのかと思った。


 だが。


 その言葉に。


 地面が応えた。


 微かな振動。


 こちらへはほとんど伝わらない。


 しかし。


 眠るハーピー三体の身体だけが、細かく震え始めた。


 数秒。


 やがて。


 震えが止まる。


 カラリンは何事もなかったように杖を引き抜き、こちらへ戻ってきた。


「今のは?」


 セレナが尋ねる。


「き~お~く~を~」


 カラリンが少し考える。


「こんらん~させた~」


「記憶を?」


「う~ん。おきても~わたしたちのこと~ちゃんと~おぼえてない~」


「そんなことまでできるの?」


「せいれいに~おねがいした~だけ~」


(だけ、で済ませることか?)


 わしには、とてもそうは思えなかった。


     ◇


 しばらく。


 誰も何も言わなかった。


 商人も。


 補助員も。


 監視員も。


 そしてセレナも。


 全員。


 カラリンを見ていた。


「な~に~?」


「……いや」


 セレナが弓を下ろした。


「何でもない」


(分かるぞ)


 わしも同じ気持ちだった。


 このゴブリン。


 見た目も。


 喋り方も。


 どうにも頼りない。


 それなのに。


 実際にやったことは。


 空を飛ぶ三体を一瞬で眠らせ。


 その後の追跡まで防ぐために記憶を混濁させた。


 しかも。


 一体も殺していない。


(とんでもなく有能じゃないか)


 セレナとの相性。


 思った以上に。


 いいのかもしれない。


     ◇


 馬車が再び動き始める。


 しばらく歩いてから。


 セレナが隣のカラリンへ声をかけた。


「ねえ」


「な~に~?」


「さっきの魔法」


「う~ん」


「ゴブリンは、みんなあんなことできるの?」


「できな~い~よ~」


「じゃあ、あなたが特別?」


 カラリンは少し笑った。


「ちょっと~せいれいに~すかれてる~だけ~」


「精霊に……」


 その言葉に。


 セレナが少し考え込む。


 エルフ。


 森。


 精霊。


 彼女には、何か思うところがあるのだろう。


 だが。


 わしは。


 別のことが気になっていた。


(またじゃ)


 以前。


 街道へ出てきたゴブリンとコボルト。


 そして今度は。


 ハーピー。


 どれも。


 本来なら。


 もっと自然の濃い場所にいるはずの者たち。


 それが。


 人の使う街道まで。


 頻繁に出てきている。


「セレナ」


 後ろから監視員の声がした。


「何?」


「どうかしたか?」


 どうやら。


 セレナも同じことを考えていたらしい。


「最近」


 空を見上げる。


「多いと思わない?」


「何が?」


「魔物」


 監視員は少し考えてから頷いた。


「……確かに」


(やはり)


「ここ二ヶ月くらいで、街道での遭遇報告はかなり増えている」


「どれくらい?」


「倍近い」


「…………」


 セレナの表情が曇る。


 わしも胸元へ目を落とした。


 黒雷石は静かだった。


 あの奇妙な鼓動もない。


(関係あるのか?)


 分からない。


 だが。


 何かがおかしい。


 その感覚だけは。


 日に日に強くなっていた。


 その時。


 カラリンの足が止まった。


「どうしたの?」


 セレナが尋ねる。


 カラリンは答えない。


 いつもの眠たげな顔を。


 遠くに広がる森へ向けていた。


「……せいれいが~」


 声は。


 相変わらずゆっくり。


 だが。


 ほんの僅かに。


 今までとは違って聞こえた。


「精霊が?」


「こわがってる~」


 セレナの顔が強張った。


「何を?」


「わからな~い~」


 カラリンは森を見つめたまま。


 小さく首を傾げる。


 そして。


「でも~」


 そこで初めて。


 彼女の顔から笑みが消えた。


「にげろ~って~いってる~」


 風が街道を抜けていく。


 木々がざわめく。


 遠くの森は。


 それまでと何も変わらず。


 静かにそこにあった。


 なのに。


 わしには。


 その静けさが。


 ひどく不自然に思えた。

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