第24話 百十歳、ギルドの人気者になります
セレナが冒険者として登録してから、一週間ほどが過ぎた。
最初の護衛依頼を無事に終えた彼女は、それからもほとんど毎日のようにギルドへ顔を出し、次々と仕事をこなしていた。
商人の護衛に、街道の巡回。
薬草採取へ向かう者の付き添いや、村の近くに現れた魔物の追い払い。
駆け出しの冒険者に回される仕事だから、どれも大した依頼ではない――少なくとも、セレナにとっては。
森で暮らしてきた彼女は気配を読むことに長けているし、危険を察知する能力も高い。何より、弓を封じた状態でも十分すぎるほど強かった。
そして、いつしか彼女の戦い方そのものが、ギルドでちょっとした評判になり始めていた。
◇
「三人いるわね」
ある日のこと。
商人の護衛をしていたセレナが、不意に足を止めた。
背中に負われていたわしには何も見えない。街道の左右には背の高い草が生い茂っているだけで、人影らしいものはなかった。
(どこじゃ?)
そう思った直後。
茂みから三人の男が飛び出してきた。
「荷物を置いて――」
最後まで言わせなかった。
――パァン!
乾いた音が街道に響き渡る。
「ぐっ!」
先頭の男が短剣を取り落とした。
セレナの鞭が、その手首だけを正確に打ち抜いたのだ。
続けざまに鞭が地面を這う。
男の足首へ絡みついたかと思えば、次の瞬間には身体が宙に浮き、そのまま背中から地面へ叩きつけられていた。
「てめえ!」
残る二人が同時に動く。
セレナは慌てなかった。
一人目の剣を鞭で絡め取って軌道を逸らし、すれ違いざまに柄で顎を打つ。
もう一人が背後から迫った時には、身体を沈めて攻撃をかわし、その足元を鞭で払っていた。
ものの数十秒。
三人とも地面に転がっていた。
「……終わったわ」
(相変わらず見事じゃのう)
誰も死んでいない。
それどころか、大した出血すらしていなかった。
もちろん、セレナが本気で戦えばもっと早い。
森で初めて彼女を見た時。
弓から放たれた矢は、魔物の急所を寸分違わず射抜いていた。
それを封じている理由は、ただ一つ。
わしだ。
『赤ちゃんに血なんて見せられないでしょ』
本人は至極当然のように言っていた。
(戦争で嫌というほど見てきたんじゃがなあ……)
もっとも、それを説明する術はない。
それに。
自分のためにそこまで気を遣ってくれていると思えば、悪い気もしなかった。
◇
そんな戦い方を続けていたものだから、いつの間にかセレナには妙なファンがつき始めた。
「おい、セレナが戻ってきたぞ」
「今日も鞭だけだったらしい」
「見たかったなあ……」
「この前なんて四人相手に無傷だったぞ」
依頼を終えてギルドへ戻るたび、そんな声が聞こえてくる。
最初にここへ来た時とは大違いだった。
あの時は『子連れの追放エルフ』と笑われていたのに、今では彼女が入ってくるだけで何人もの冒険者が振り返る。
「セレナさん!」
若い男が駆け寄ってきた。
「今度、俺と一緒に依頼を――」
「嫌」
「まだ最後まで言ってない!」
「分かるもの」
「じゃ、じゃあ戦い方だけでも教えて――」
「嫌」
「そんな!」
(容赦ないのう)
セレナは昔からこうなのかと思ったが、どうやら違うらしい。
別の冒険者がこっそり教えてくれたところによると。
『あの冷たさがいい』
のだそうだ。
(世の中には色々な人間がおるのう……)
百十年生きても、まだ理解できないことはあるらしい。
◇
そして。
いつの間にかギルドで人気者になっていたのは、セレナだけではなかった。
「レオンちゃーん!」
(……来た)
ギルドの扉を開けた途端、一人の女性冒険者が満面の笑みで手を振ってきた。
「今日も来たのー!」
(わしは好きで来とるわけではないんじゃが)
セレナがマルタの言いつけを律儀に守っているせいで、わしは毎日背負われているだけだ。
だが。
それが良くなかった。
いや、良かったのか?
気づけばわしは、ギルド内で妙な人気を獲得していた。
「レオン、こっち見て!」
声がする。
振り向く。
大柄な男。
厳つい顔。
頬には大きな傷。
どう見ても歴戦の戦士。
その男が。
「べろべろばぁ~」
「…………」
(何をしとるんじゃ、お前は)
「笑わねえ!」
「下手なんだよ」
「じゃあお前やってみろよ!」
今度は別の男が頬を膨らませ、両目を寄せた。
(…………)
なんとも言えない顔である。
しかし。
大の大人が真剣に赤ん坊を笑わせようとしている。
その光景がおかしくて。
「きゃっ」
思わず笑ってしまった。
「笑った!」
「俺の勝ちだ!」
「くそっ!」
(何の勝負じゃ)
歓声まで上がった。
別の日には。
「ねえ、一回だけ」
女性冒険者がわしの前にしゃがみ込んだ。
「ほっぺ触っていい?」
(聞いても答えられんぞ)
「あぅ」
「いいって!」
(言っとらん)
指が伸びてくる。
ぷに。
「……柔らかい」
もう一度。
ぷにぷに。
「すっごい柔らか――」
「…………」
女性冒険者の動きが止まった。
その背後に。
セレナが立っている。
無言だった。
ただし。
恐ろしく冷たい目をしていた。
「あ……」
「…………」
「ご、ごめんなさい」
指が離れる。
(毎回これじゃな)
最近では、わしへ近づく冒険者たちの間に一つの暗黙の決まりまでできていた。
――レオンに触る時は、セレナの位置を確認しろ。
(何じゃその規則)
◇
「完全にギルドのアイドルですね」
受付嬢が笑いながら言った。
「やめてよ」
セレナは露骨に嫌そうな顔をする。
「この子を見るためだけに来てる人もいるんですよ?」
「ここ、冒険者ギルドよね?」
「冒険者だって癒やされたいんです」
「酒でも飲ませておけばいいでしょ」
「それとこれとは違います」
(わしを酒と比較するな)
受付嬢がわしの顔を覗き込む。
「ねえ、レオン?」
「あぅ」
「あー、かわいい」
手が伸びる。
だが。
途中で止まった。
セレナが見ていたからだ。
「……触りませんよ」
「そう」
「そんなに警戒しなくても」
「みんな触りすぎなのよ」
(母親か)
心の中で突っ込んでから。
ふと。
妙な気持ちになった。
母親。
前世では、遠い昔に失った存在。
今さら。
この歳になって――いや、生後何ヶ月かで。
誰かにこんなふうに扱われるとは思わなかった。
(……まあ)
悪くはない。
◇
そんな日々を過ごすうちに、セレナの評価は着実に上がっていった。
依頼を受ければ、必ず達成する。
護衛対象に怪我をさせない。
積み荷も守る。
そして、必要以上に相手を傷つけない。
これは想像以上に大きかった。
前世で警備会社を経営していたわしにはよく分かる。
警備というものは、敵を倒すことが目的ではない。
守ることが目的だ。
依頼人を守る。
財産を守る。
その上で、被害を最小限に抑える。
強いだけの人間と。
護衛が上手い人間は。
似ているようで、まるで違う。
(セレナは後者じゃな)
本人に自覚があるのかは知らないが。
だからこそ。
護衛依頼を中心に、セレナへの指名は日に日に増えていった。
そして。
冒険者登録から、およそ一週間が経った日のことだった。
◇
「セレナさん。少しいいですか?」
いつものようにギルドへ入ったところで、受付嬢に呼び止められた。
「何?」
「ギルド長から話があります」
セレナの眉が僅かに寄る。
「……私、何かした?」
(なぜ最初にそれが出てくる)
受付嬢が吹き出した。
「違いますよ。むしろ良い話です」
「良い話?」
「昇級試験を受けてみませんか?」
セレナが目を瞬かせた。
(昇級試験?)
「もう?」
「普通はもう少し時間が掛かります。ただ、セレナさんの場合は依頼の達成数も多いですし、依頼主からの評価も非常に高いので」
受付嬢が一枚の依頼書を差し出した。
「正式には試験というより、昇級対象者に任せる特別依頼です」
セレナが受け取る。
「内容は?」
「商隊の護衛」
「また護衛?」
「得意でしょう?」
「まあね」
その言葉に。
わしは少し驚いた。
以前なら。
『別に』
くらいで済ませそうなものだ。
(少し自信がついたか)
悪い変化ではない。
「ただし、今回は今までとは規模が違います」
受付嬢の表情が少し真面目になった。
「往復四日を予定しています」
「四日……」
セレナの顔から笑みが消えた。
「荷馬車は三台。商人が二名、補助員が四名。北東の交易都市まで向かい、荷物を受け取って戻ってくるところまでが依頼です」
「護衛は私一人?」
「もう一名つきます。ですが、その方との連携も含めて評価対象になります」
(なるほど)
単純に強ければいいわけではない。
四日間。
長距離。
複数の護衛対象。
もう一人の冒険者との連携。
確かに、今までとは勝手が違う。
「成功すれば?」
「一つ上の等級へ昇級です」
「何が変わるの?」
「受けられる依頼の種類が増えます。それから――」
受付嬢が少し笑う。
「報酬もかなり上がりますよ」
(そこじゃ)
思わず身を乗り出しかけた。
孤児院には金が必要だ。
《森守り》の売れ行きは悪くない。
ライカが加わったことで、生産量も増えている。
そこへセレナの冒険者としての収入まで増えれば。
土地の問題。
孤児院の食費。
建物の修繕。
子供たちの服。
できることが一気に増える。
(受けるべきじゃ)
わしなら即答する。
だが。
セレナは黙っていた。
「出発は?」
「明日の朝です」
「四日間、帰ってこられないのね」
「そうなります」
「…………」
セレナの指が、依頼書の端を撫でる。
何を迷っているのか。
考えるまでもなかった。
(孤児院じゃな)
ライカがいる。
ロイもいる。
最近では、セレナが町へ出ている間も問題なく回っている。
それでも。
一日と四日では違う。
あの孤児院を作ってから。
セレナが子供たちを置いて、そこまで長く離れたことはないのかもしれない。
「返事はいつまで?」
「今日中であれば」
「……分かった」
セレナは依頼書を返した。
「少し考えさせて」
◇
ギルドを出た後も、セレナは珍しく黙り込んでいた。
背負われているわしから見えるのは、銀色の髪と。
いつもより僅かに落ちた肩だけ。
(行きたいんじゃろうな)
報酬だけではない。
この一週間。
セレナは明らかに変わった。
孤児院。
森。
子供たち。
それだけだった世界から。
自分の足で外へ出始めた。
追放された過去を調べるために始めた冒険者だったのかもしれない。
だが。
今は少し。
それだけではなくなっている気がする。
わしは小さな手で、セレナの服を引いた。
「あぅ」
「ん?」
セレナが少しだけ振り返る。
「どうしたの?」
わしは町の外へ続く道を指差した。
「あぅ」
「……帰りたいの?」
「あぅ」
「そうね」
セレナの表情が少しだけ和らいだ。
「一度、みんなの顔を見てから決めようか」
(それがええ)
一人で抱えて決める必要はない。
前世のわしは。
それに気づくまで随分と時間が掛かった。
◇
孤児院へ着いた頃には、空が茜色に染まり始めていた。
煙突から細い煙が上がっている。
庭には洗い終えた服が並び。
その横ではロイが薪を運んでいた。
少し離れた場所では、リリとライカが出来上がった《森守り》を並べている。
そして。
真っ先にこちらへ気づいたのは。
やはりミナだった。
「先生ー!」
大きく手を振りながら走ってくる。
「レオンもおかえりー!」
「あぅ」
「今日はどうだった!?」
「ただいま」
セレナは笑って。
それから。
自分がいない間も変わらず回っている孤児院を見渡した。
ほんの一瞬だけ。
驚いたような顔をした。
それから。
少し寂しそうな。
でも。
どこか安心したような表情になる。
(……そうか)
わしには。
何となく分かった。
守ることと。
離れられないことは。
同じではない。
子供たちは少しずつ成長している。
孤児院も。
セレナ一人がいなければ何もできない場所ではなくなりつつある。
それはきっと。
喜ぶべきことなのだ。
「先生?」
ロイが近づいてきた。
「どうかした?」
「ううん」
セレナは首を振った。
「みんなに、ちょっと相談したいことがあるの」
その言葉に、子供たちが集まってくる。
ライカも。
少し遅れてこちらへ歩いてきた。
わしはセレナの背中から、その光景を眺めた。
四日間の護衛任務。
成功すれば昇級。
報酬も増える。
孤児院にとっては、大きな一歩になるかもしれない。
だが。
気になることもあった。
このところ、街道で魔物と遭遇する回数が明らかに増えている。
本来なら森や洞窟の奥にいるはずの者たちまで、人里近くに姿を見せ始めた。
そして。
今度の依頼は。
往復四日。
今までよりずっと遠くまで行く。
(……嫌な予感がするのう)
前世で百十年も生きたからといって。
未来が見えるようになったわけではない。
ただ。
長く生きていると。
何となく分かる時がある。
何かが起きる前というのは。
不思議なくらい。
色々なことが重なるものだ。
わしは遠くに見える森へ目を向けた。
夕日に照らされた森は。
今日も穏やかだった。
だからこそ。
その静けさが。
妙に気になった。




