第23話 百十歳、先生の初仕事についていきます
翌朝。
「……本当にレオンも連れていくの?」
ロイが、どこか呆れたような顔でセレナを見た。
「仕方ないでしょ。マルタに目を離すなって言われたんだから」
そう答えながら、セレナは背中に回した幅広の布をきつく結び直した。
その布の中で、わしは彼女の背中にぴったりと固定されている。
(まさかわしも冒険者ギルドへ同行することになるとはのう)
「あぅ」
声を漏らすと、セレナが肩越しにこちらを振り返った。
「苦しくない?」
(問題ない)
「あぅ」
「ならいいわ」
マルタが昨日言い残した、
『その坊やから目を離すんじゃないよ』
という言葉を、セレナは律儀に守るつもりらしい。
もっとも、ここ最近のわしを思い返してみれば、それも無理はない。
突然雷を出す。
黒雷石が脈打つ。
一度は原因不明の高熱まで出した。
(自分で言うのもなんじゃが、確かに目を離したくない赤ん坊じゃな)
「先生がいない間はどうするの?」
ミナが尋ねた。
その問いに答える前に、セレナは食堂の片隅へ視線を向ける。
そこには、昨日マルタが置いていったホムンクルスが立っていた。
長い髪を綺麗なポニーテールにまとめた、整った顔立ちの女性。
昨日までは名前すらなかったが。
「そうね。いつまでも名前がないのも呼びにくいし……」
セレナは少し考えてから言った。
「ライカ」
ホムンクルスがゆっくりと顔を上げる。
「ライカ?」
「そう。今日からあなたの名前はライカ」
数秒の沈黙。
やがて彼女は自分の胸へ手を添えた。
「ワタシハ……ライカ」
(ちゃんと理解したようじゃな)
「よろしくね、ライカ!」
ミナが嬉しそうに手を差し出す。
ライカは差し出された手をしばらく見つめていたが、やがてぎこちなく握り返した。
「ヨロシク、オネガイシマス」
まだ感情らしいものは薄い。
それでも昨日より、ほんの少しだけ人間らしく見えた。
◇
「ライカ。私が戻るまで、ここをお願い」
「ゴメイレイヲ」
「まず子供たちの面倒を見ること。それから、昨日教えた《森守り》の作業を続けて」
「コモリ。モリマモリ」
「掃除と洗濯も。薪が少なくなったらロイに伝えて。あと――知らない人が来ても勝手に中へ入れないこと」
「リョウカイシマシタ」
(……有能じゃな)
子守り。
《森守り》の生産。
掃除。
洗濯。
留守番。
マルタはさらりと置いていったが、今の孤児院にはこれ以上ない人材である。
(前世なら、これだけやらせたら人件費がえらいことになるぞ)
もっとも、ライカには給料という概念があるのかどうかすら分からない。
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃーい!」
「先生」
ロイが玄関まで追いかけてくる。
「無茶するなよ」
「分かってるわよ」
「本当に?」
「……分かってる」
(その間は何じゃ)
少しだけ不安になった。
◇
久しぶりに訪れた冒険者ギルドは、朝からひどく賑わっていた。
武器を背負った男たちが酒を飲み、掲示板の前では依頼書を取り合うように冒険者たちが集まっている。
以前《森守り》を売りに来た時にも思ったが、この場所には町の他の区画とは違う活気がある。
人間だけではない。
獣の耳を持つ者。
小柄だが腕の太い者。
肌の色も、背丈も、装備も様々だ。
(異世界へ来たんじゃなあと、こういう時に実感するのう)
その中へ、セレナが足を踏み入れた。
途端に。
いくつかの視線がこちらへ向いた。
最初に見られたのは銀色の髪。
次に、切り落とされた耳の傷。
最後に。
背負われたわし。
「おい、見ろよ」
酒場の方から声がした。
「追放エルフじゃねえか」
「しかも赤ん坊まで背負ってるぞ」
「子連れで冒険者か?」
笑い声が上がる。
(感じの悪い連中じゃな)
セレナは足を止めなかった。
振り返りもしない。
「おい、聞こえてんだろ!」
さらに大きな声が飛んできたが、完全に無視して受付へ向かう。
(ほう)
わしは少し感心した。
昔のことを言われれば、もっと反応するかと思っていた。
だが今のセレナにとって、そんな野次はどうでもいいらしい。
「冒険者登録をしたいんだけど」
受付の女性がセレナを見て。
次に。
背中のわしを見た。
「……お子さんも、ですか?」
「違うわよ」
(違うんか)
「この子は付き添い」
「付き添い……」
受付嬢の顔には明らかに困惑が浮かんでいた。
(まあ、赤ん坊を付き添い扱いする奴はそうおらんじゃろうな)
◇
登録そのものは、意外なほど簡単だった。
名前。
年齢。
得意な武器。
これまでの戦闘経験。
活動を希望する地域。
いくつかの質問に答えた後、受付嬢は小さな木札を取り出した。
「初回登録ですので、青札からになります。依頼達成数や実績に応じて階級が上がっていきます」
「分かった」
セレナが札を受け取る。
(これで正式に冒険者か)
昨日まで、彼女は孤児院の先生だった。
今ももちろんそうだ。
だが今日から。
冒険者という肩書きまで増えた。
「ちょうど今、初心者向けの依頼が一件ありますけど」
受付嬢が一枚の依頼書を取り出した。
「どんなもの?」
「商人の護衛です。町から南の集落まで荷馬車一台。半日ほどの距離ですね」
(護衛か)
わしの興味が少し強くなる。
前世では警備会社も経営していた。
もちろん、この世界のように魔物相手の護衛ではないが。
安全を確保しながら人や物を目的地へ届けるという意味では、まったく無関係でもない。
「報酬は銀貨三枚です」
(悪くない)
《森守り》を何十個も売るより、ずっと効率がいい。
「受けるわ」
「え?」
受付嬢は再びわしを見る。
「その……お子さんは?」
「連れていく」
「危険があった場合は?」
「その時は依頼を中断する」
セレナの答えに迷いはなかった。
受付嬢は何度かこちらとセレナを見比べた後、諦めたように依頼書へ印を押した。
◇
出発前。
セレナはギルドの預かり所へ向かうと、背負っていた弓と矢筒を外した。
(ん?)
「弓は使わないんですか?」
受付嬢も同じ疑問を持ったらしい。
「今日は鞭だけで行く」
「得意武器は弓だと……」
「この子がいるから」
セレナが肩越しにわしを見る。
「できるだけ血は見せたくないの」
(…………)
なんとも複雑な気分になった。
前世。
戦争。
焼けた町。
死体。
血。
百十年の人生の中で、嫌というほど見てきた。
それでも。
セレナにとって今のわしは。
ただの赤ん坊だ。
「あぅ」
「大丈夫よ」
優しく言われる。
「怖かったら目を閉じてなさい」
(だから、わしよりお前さんの方が心配なんじゃが)
当然。
伝わらない。
◇
依頼主はベルクという商人だった。
四十代ほどの、腹の出た気の良さそうな男である。
荷馬車には布や香辛料、日用品が積まれていた。
「おお、君が護衛……って」
ベルクの目がわしで止まる。
「赤ん坊?」
「気にしないでください」
「いや、気にはなるんだが……」
(もっともじゃ)
「弓は?」
「今日は鞭だけです」
「…………」
ベルクの顔に不安が浮かぶ。
(わしが依頼主でも同じ顔をする)
弓を得意とする冒険者が弓を置いてきた。
しかも赤ん坊を背負っている。
初仕事としては、随分と奇妙な護衛である。
◇
町を出てから、一時間ほどは何事もなかった。
街道の左右には畑が広がり、その向こうに深い森が続いている。
遠くには山。
青空には薄い雲。
吹き抜ける風も心地いい。
(いい景色じゃのう)
セレナの歩幅は一定で、背中の揺れも少ない。
思った以上に快適だった。
(これは寝られる)
百十歳にもなって、誰かの背中で昼寝をするとは。
人生とは本当に分からない。
瞼が落ちかけた。
その時。
セレナの足が止まった。
(ん?)
「ベルクさん」
「何だい?」
「馬車を止めて」
声が変わっていた。
先ほどまでの柔らかさが消え、森で魔物を狩る時の声へ戻っている。
ベルクも何かを感じたのか、すぐに馬を止めた。
街道に静けさが落ちる。
風が草を揺らす。
「……出てきなさい」
セレナが腰の鞭へ手をかけた。
数秒。
何も起こらない。
だが。
街道脇の茂みが揺れた。
ガサッ。
一体。
また一体。
犬に似た顔を持つ、小柄な人型。
(コボルトか)
さらに反対側。
緑色の肌をした小鬼たちが姿を現す。
(ゴブリンまで)
一体、二体。
数えていく。
合わせて七体。
「お、おい……」
ベルクの顔が青ざめる。
「こんなにいるのか?」
「馬車から降りないで」
セレナはそう言うと、ゆっくりと鞭を抜いた。
◇
最初に飛び込んできたのはゴブリンだった。
錆びた短剣を振り上げ、甲高い声を上げながら突っ込んでくる。
セレナは動かない。
ぎりぎりまで引きつけ。
半歩。
身体をずらした。
――パンッ!
乾いた音が街道へ響く。
鞭の先がゴブリンの手首を打ち、短剣が宙へ飛ぶ。
続けて足首へ絡ませ。
一気に引いた。
「ギャッ!」
ゴブリンが背中から地面へ転がる。
その横から二体目。
セレナは鞭を短く持ち直し、柄の部分で腹を打った。
「グッ……!」
崩れ落ちる。
(上手いのう)
殺していない。
血も、ほとんど出していない。
それでも確実に戦闘力を奪っている。
(本当に、わしに見せないためか)
ありがたいような。
申し訳ないような。
何とも言えない気持ちになる。
◇
コボルトはゴブリンより頭が回るらしい。
二体が左右へ別れた。
一体がセレナの注意を引きつけ。
もう一体が荷馬車へ向かう。
(連携しとる)
「ベルクさん!」
「えっ!?」
セレナが鞭を投げた。
まっすぐ飛んだ柄がコボルトの頭へ直撃する。
「キャンッ!」
倒れた。
その隙に。
正面から別のゴブリンが迫る。
(危ない)
だが。
セレナは慌てなかった。
伸びてきた腕を掴み、身体を捻る。
ゴブリンの体勢が崩れたところへ足を掛け、そのまま地面へ押さえ込んだ。
「動くな」
低い声。
「ギ……」
ゴブリンの動きが止まる。
(……強いのう)
弓がなくても。
十分に。
いや。
普通の冒険者より遥かに強いのではないか。
◇
戦いそのものは、十分も掛からなかった。
倒された者たちは気を失い。
動ける個体は森の方へ逃げていった。
「……すごいな」
ベルクが恐る恐る荷馬車から降りてくる。
「本当に一人で全部……」
だが。
セレナは喜んでいなかった。
倒れたゴブリン。
逃げていったコボルト。
そして。
周囲の平野。
順番に見つめている。
「……おかしい」
「何がだい?」
「ここ、森から離れすぎてる」
「そうなのか?」
セレナは頷いた。
「ゴブリンもコボルトも、基本的には森や洞窟を住処にする妖精族よ。もちろん平地まで出てくることはある。でも……」
もう一度、逃げていった方向を見る。
「最近、多すぎる」
(そういえば)
以前、武器屋でも似たような話を聞いた。
森の魔物が増えている。
矢の消費が増えている。
そして今日。
本来、森の奥にいるはずの者たちが。
街道まで出てきた。
「たまたまじゃないのか?」
ベルクが尋ねた。
「一度ならそう思う」
「じゃあ……」
セレナは答えず、倒れたゴブリンの装備を見た。
粗末な短剣。
汚れた腰布。
荷物らしい荷物はない。
「この子たち」
「何だ?」
「食料を狙ってない」
荷馬車の積み荷のほとんどは布と雑貨だ。
食べ物の匂いにつられて出てきたわけではない。
「なら、何で襲ってきたんだ?」
「分からない」
セレナの表情が曇る。
そして。
ゆっくりと森を見る。
「もしかしたら」
「もしかしたら?」
「襲いに来たんじゃなくて」
一拍。
「何かから逃げてきたのかもしれない」
(…………)
わしも森へ目を向けた。
◇
黒雷石。
セレナの追放。
昔。
森の奥にあった謎の封印。
増えている魔物。
平地まで出てきたゴブリンとコボルト。
一つ一つだけなら。
偶然。
そう片づけられるかもしれない。
だが。
最近。
どうにも。
偶然が重なりすぎている。
(何かが起きとる)
この世界全体なのか。
この森だけなのか。
まだ分からない。
ただ。
セレナも同じことを感じているらしい。
「急ぎましょう」
「え?」
「日が落ちる前に目的地へ着きたい」
「あ、ああ」
セレナは落とした鞭を拾い、腰へ戻した。
それから。
背中のわしを抱えている布を少し調整する。
「レオン」
(ん?)
「怖くなかった?」
(全然)
「あぅ」
「……そう」
セレナが少しだけ笑う。
「強い子ね」
(強いのはお前さんじゃ)
その言葉を返すことはできない。
代わりに。
わしは彼女の服を小さな手で掴んだ。
◇
再び荷馬車が動き始める。
車輪の音が一定の間隔で街道へ響く。
先ほどまでの戦闘が嘘だったかのように。
景色そのものは穏やかだった。
だが。
わしは何度も森へ目を向けてしまう。
(もし、本当に逃げてきたのなら)
ゴブリン。
コボルト。
本来の住処。
捨てる。
ほど。
(何から逃げた?)
その時だった。
――トクン。
「…………」
胸元。
黒雷石が。
小さく。
脈打った。
(またか)
わしは石を見下ろす。
銀色の線が。
ほんの僅かに光っている。
そして。
遠く。
森の奥。
突然。
何十羽もの鳥が。
一斉に飛び立った。
「……おい」
ベルクが呟いた。
「あれ……普通なのか?」
セレナは答えなかった。
ただ。
飛び立った鳥たちの向こう。
暗い森の奥を。
じっと見つめている。
鳥たちは。
同じ方向へ。
必死に羽ばたいていた。
まるで。
そこから一刻も早く離れなければならないとでもいうように。
(…………)
わしは。
胸元で脈打つ黒雷石へ手を添えた。
どうやら。
おかしなことが起き始めているのは。
わしたちの周りだけでは。
ないらしい。




