第22話 百十歳、ホムンクルスと出会います
黒雷石が最後に脈打ってから、食堂にはしばらく重たい沈黙が残っていた。
セレナはわしを抱いたまま、胸元に下がる石をじっと見つめている。先ほど確かに、自分の名を呼ぶ声を聞いたと言った。
「……セレナ、って」
もう一度、小さく呟く。
向かいに座るマルタは、いつになく険しい表情を浮かべていた。
「聞き間違いじゃないんだね?」
「違うと思う」
「声に聞き覚えは?」
セレナはすぐには答えなかった。
何かを探すように目を伏せ、やがてゆっくりと首を振る。
「分からない。ただ……懐かしい気がした」
(懐かしい、か)
わしは黒雷石へ目を落とす。
セレナが妹のように可愛がっていた少女。
彼女が消えた夜に、里から姿を消した黒雷石。
そして今、その石から聞こえたという声。
考えたくなる材料はいくらでもある。
だが、まだ答えを決めるには早い。
前世で何度も痛い目を見たが、人間というものは一度「こうに違いない」と思い込むと、都合のいい情報だけを集め始める。
(事実は事実。推測は推測じゃ)
そこを混ぜてはいけない。
マルタも同じことを考えたのだろう。しばらく黒雷石を見つめた後、椅子の背にもたれた。
「……もう少し調べる必要があるね」
「どうするの?」
「森へ戻る」
セレナが顔を上げた。
「里に?」
「ああ」
「入れるの?」
その問いに、マルタは少し得意げに鼻を鳴らした。
「こう見えても私は優秀な薬師だよ。ついでに錬金術師でもある」
(自分で言うのか)
「里の連中の中にも、まだ私の薬を必要としてる者がいる。だから月に一度だけ、特別に出入りを許されてるのさ」
セレナが半眼になる。
「追放された私と普通に会ってるのに?」
「それは黙ってる」
「最低」
「世渡り上手と言ってほしいね」
(こういう人間は強いのう)
規則には従う。
ただし、自分の都合が悪いところだけは器用にすり抜ける。
前世でも、こういう人間は妙に長生きしたものだ。
◇
「でも」
セレナが少し不安そうに言った。
「あなたがいない間、こっちはどうすればいいの?」
「何がだい?」
「孤児院のこともあるし……レオンのことも」
(わしか)
マルタの視線がわしへ向く。
そして、何かを思い出したように「ああ」と声を上げた。
「そうだ。ちょうどいいものがある」
(その言い方、嫌な予感しかしないのう)
マルタは足元に置いていた大きな鞄を引き寄せると、中をごそごそと探り始めた。
薬草。
色の濁った小瓶。
銀色の器具。
何に使うのか分からない骨。
そして最後に取り出したのは、両腕で抱えるほどの大きなガラス瓶だった。
「…………」
中には、半透明の粘ついた液体がたっぷり入っている。
時折。
ぽこん、と気泡が浮かんでは消える。
(少なくとも飲み物ではなさそうじゃな)
「何、それ」
セレナも明らかに警戒している。
「最近ようやく完成したんだよ」
「何が?」
マルタは瓶を軽く叩いた。
「ホムンクルス」
セレナが数秒黙った。
「……は?」
(わしも同じ気持ちじゃ)
「これが?」
「そう」
「これ、液体だけど」
「今はね」
マルタは何でもないことのように言う。
「簡単な家事や雑用くらいならできる。ここに置いていけば、少しは楽になるだろ」
「いや、待って」
「何だい?」
「置いていくって何?」
「そのままの意味さ」
セレナの制止など聞く気もないらしい。
マルタは瓶の蓋に手をかけた。
「ちょっと!」
――ポン。
軽い音と共に、蓋が外れる。
数秒。
何も起きない。
「ほら見なさい!」
「慌てるんじゃないよ」
その直後だった。
瓶の口から、どろり、と液体が溢れ出した。
◇
「ちょっと、床!」
セレナが真っ先に気にしたのはそこだった。
(分かる)
前世で清掃業をやっていたわしも、そこは非常に気になる。
だが、床へ流れ出た液体は染みを作ることもなく、一か所へ集まり始めた。
どろどろと蠢き。
盛り上がり。
徐々に形を作っていく。
まず脚。
次に胴。
腕。
首。
そして最後に、顔。
(ほう……)
わしは思わず見入った。
ほんの少し前まで瓶の中に入っていた液体が、今では完全に人の姿を取っている。
長い髪は後ろで一つにまとめられ、整ったポニーテールになっていた。
顔立ちは美しい。
それ以上に目を引くのは、その体つきだった。
(……随分、こだわったのう)
細い腰。
長い脚。
そして女性らしい輪郭を、これでもかというほど強調した身体。
錬金術というものに、そこまで造形美が必要なのかは分からない。
「どうだい?」
マルタが得意げに聞いた。
「私の若い頃を参考にしてるんだよ」
「嘘でしょ」
セレナが即答した。
「何だい、その反応」
「盛ってるでしょ」
「失礼だね!」
(そこでもめるのか)
わしが眺めていると。
突然、視界が暗くなった。
「見るな」
セレナの手だった。
(なぜじゃ)
「あぅ!」
「ダメ」
(中身百十歳なんじゃが)
「赤ちゃんが見るものじゃない」
(理不尽じゃ)
マルタが楽しそうに笑っている。
「減るもんじゃないだろ」
「服を着せなさい!」
「ちゃんと用意してあるよ」
マルタは鞄から衣服一式を取り出した。
「ほら」
「最初から着せて出せないの?」
「そこまで器用じゃないんだよ」
しばらく衣擦れの音が続く。
「もういいよ」
ようやくセレナの手が退けられた。
ホムンクルスは白いブラウスと濃色のスカートを身につけ、足元には動きやすそうなブーツを履いていた。
先ほどの姿に比べれば、随分まともだ。
「ほら、似合うだろ」
「まあ……」
セレナが渋々認める。
すると。
マルタが何かを思いついたように、ホムンクルスとセレナを交互に見比べた。
「やっぱり、服を別に用意しておいて正解だったね」
「何が?」
「あんたの服じゃ、こいつには収まらないからね」
マルタの視線がある一点へ向かう。
数秒。
沈黙。
「…………」
セレナの笑顔が消えた。
(マルタ。それは言うてはいかん)
「マルタ」
「何だい?」
「今すぐ帰りたい?」
「もともと帰るつもりだけど」
「その前に一発殴らせて」
「嫌だよ」
(年齢を考えろ、二人とも)
◇
マルタは、怒るセレナを見ながらしばらく楽しそうに笑っていた。
だが、そのうち。
少しだけ表情が変わった。
「……でも、本当に変わったね」
セレナが眉を寄せる。
「何が?」
「あんただよ」
「私?」
「ああ」
マルタは懐かしいものを見るように、ゆっくり目を細めた。
「よく怒るようになった」
「喧嘩売ってる?」
「違う違う」
笑いながら首を振る。
「昔は、本当に何も出なかったからね」
「…………」
セレナの表情が止まった。
「何も上手く行かなかった時、しばらく私のところにいた時期があっただろ」
(初耳じゃな)
「あれは……」
「不良少女みたいなもんだった」
マルタは軽く言ったが。
その声には、ほんの少しだけ昔を思い出す響きがあった。
「飯は食べない。夜も寝ない。話しかけても返事をしない」
「昔の話でしょ」
「そうだよ」
「なら、もういいじゃない」
「目だけはずっと死んでた」
その一言に。
セレナは何も返さなかった。
わしも。
少しだけ胸が重くなる。
追放。
耳を切られ。
故郷を失い。
助けた少女のその後すら知らされない。
それで平気でいられる人間の方が、どうかしている。
「でも」
マルタは微笑んだ。
「今のあんたを見ると安心するよ」
「…………」
「怒って」
「…………」
「笑って」
「…………」
「子供を叱って」
「…………」
「赤ん坊に振り回されて」
(最後はわしか)
セレナがわしをちらりと見る。
「昔と比べれば、天と地の差だ」
マルタの声は優しかった。
「良かったよ」
セレナは少し俯く。
「……余計なお世話」
「そうだね」
だが。
どこか嬉しそうだった。
◇
「さて」
マルタは杖を取った。
「そろそろ行くよ」
「いつ戻るの?」
「分からないね。今回、どれだけ記録を漁れるか次第だ」
「無茶しないでよ」
「それはこっちの台詞だよ」
(それはそうじゃな)
玄関へ向かいかけたところで、マルタはホムンクルスを指差した。
「そいつ、好きに使いな」
「名前は?」
「ない」
「つけなかったの?」
「必要なかったからね。好きに呼べばいい」
(適当じゃな)
「命令は短く。単純な作業なら一度覚えればかなり正確にこなすよ」
「喋れるの?」
「少しはね」
マルタがホムンクルスへ向き直る。
「挨拶」
すると。
それまで微動だにしなかった女性が、ゆっくり頭を下げた。
「ヨロシク、オネガイシマス」
(おお)
発音は少し硬い。
だが。
思ったよりずっと自然だった。
「本当に置いていくのね……」
セレナが頭を抱える。
「便利だよ」
マルタはそう言って扉を開いた。
そして外へ出る前に、振り返る。
「黒雷石については、絶対に余計なことをするんじゃないよ」
「分かってる」
「それと、その坊やから目を離さないこと」
(わし?)
「どうして?」
「何となく」
(理由それだけか!)
「じゃあね」
今度こそ。
マルタは森の中へ消えていった。
◇
残されたのは。
セレナ。
わし。
そして、名もないホムンクルス。
「…………」
しばらく誰も喋らなかった。
「どうしよう」
セレナが呟く。
(わしに聞くな)
「あぅ」
すると。
ホムンクルスが一歩前へ出た。
「ゴメイレイヲ」
どうやら。
本当に命令待ちらしい。
「……掃除?」
「ソウジ」
「できるの?」
「オシエテクダサイ」
(これは使えるぞ)
わしの中の元経営者が、一気に目を覚ました。
掃除。
洗濯。
荷物運び。
そして《森守り》の製造。
孤児院で今一番不足しているもの。
人手。
(まさか瓶から人手不足が解消されるとはのう)
「あぅ!」
思わず声を上げる。
セレナがこちらを見る。
「……なんかすごく嬉しそうね」
(そりゃそうじゃ)
◇
午後。
ホムンクルスの性能は、わしの予想以上だった。
「コノクライ?」
布袋の中へ香草を詰める。
リリが中身を確認して頷いた。
「うん」
「ワカリマシタ」
次の袋。
同じ量。
その次も。
同じ。
「すごい!」
ミナが目を輝かせる。
「私より早い!」
「そりゃそうだろ」
ロイが苦笑する。
(いや)
速さもある。
だが。
それ以上に大きいのは、正確さだ。
一度教えた量から、ほとんど誤差がない。
疲れた様子もない。
集中も切れない。
(単純作業なら相当強い)
もちろん。
自分で考えることは苦手らしい。
袋が足りなくなっても、自分から新しい布を取りに行こうとはしない。
「ツギハ?」
命令を待つ。
(なるほど)
人間の代わり。
ではない。
だが。
工程を一つ任せるなら十分すぎる。
「五十個!」
ミナが完成品を数えて声を上げた。
「今日だけで?」
ロイも驚いている。
今までとは生産量が違う。
(これは販売先を増やせるな)
冒険者。
雑貨屋。
宿屋。
もしかすると町の外にも。
供給量が増えれば。
今まで考えられなかった売り方もできる。
(面白くなってきたのう)
そんなことを考えていた時だった。
◇
「……ねえ」
窓辺から、セレナの声がした。
いつの間にか。
彼女は一人で外を眺めていた。
「先生?」
ロイが手を止める。
「どうしたの?」
セレナはすぐには答えなかった。
遠くの森を見つめたまま。
何かを決めるように、小さく息を吐く。
「明日」
一拍。
「私、町へ行く」
「買い物?」
ミナが聞く。
「違う」
セレナは振り返った。
その顔は、どこか迷いを残しながらも。
もう決めていた。
「冒険者ギルドへ行く」
(…………)
わしも思わず彼女を見る。
《森守り》の営業。
そのためなら、わざわざあんな顔はしない。
「どうして?」
ロイが聞く。
「……確かめたいことがあるの」
「何を?」
セレナは無意識なのか。
切り落とされた耳の傷へ指を添えた。
「私が追放された頃」
静かに続ける。
「里の外で何が起きていたのか、調べたい」
(なるほど)
マルタはエルフ側の記録を調べる。
ならばセレナは。
人間側。
冒険者ギルド。
昔の依頼。
森の異変。
失踪者。
魔物。
何か記録が残っている可能性はある。
「それだけ?」
ミナが尋ねた。
「…………」
セレナが少し黙る。
そして。
「もう一つ」
「何?」
「冒険者登録する」
食堂が静まり返った。
「…………」
(何?)
次の瞬間。
「えええええええっ!?」
ミナの叫び声が孤児院中に響いた。
わしも同じ気持ちである。
(どういうことじゃ!?)
セレナは驚くわしらを見て。
少しだけ困ったように。
けれど。
どこか吹っ切れたように笑った。
「いつまでも」
耳の傷から手を離す。
「逃げてばかりもいられないから」
その言葉が。
何を意味するのか。
この時のわしには、まだ分からなかった。
ただ。
マルタが言った通り。
セレナは変わったのだと思う。
過去を見ないようにして。
森の中で。
子供たちだけを守って生きてきた女が。
今。
自分から過去へ向かって歩こうとしている。
(……悪くない)
わしはそう思った。
太く短く生きる。
そう決めたのは、わしだ。
だが。
もしかすると。
第二の人生を始めたのは。
わしだけではないのかもしれなかった。




