第20話 百十歳、石の中の何かに気づきます
翌朝。
わしは、ほとんど眠れなかった。
原因はもちろん、胸元に下がる黒雷石だ。
朝日が差し込む窓辺で石を持ち上げてみる。黒い表面は相変わらず光を吸い込むように鈍く、昨夜のような熱もない。
ただ一つ。
昨日までは一本だった銀色の線が、僅かに伸びていた。
(夢ではなかった、ということか)
昨夜、確かに聞いた。
――トクン。
心臓の鼓動に似た、あの奇妙な音。
いや、音と呼んでいいのかも分からない。耳で聞いたというより、胸の奥へ直接響いてきたような感覚だった。
石が脈打つ。
そんな馬鹿な話があるかと思う。
だが。
異世界へ転生し、赤ん坊になり、手から雷まで出したわしが、今さら「石が脈打つくらいありえない」と言ったところで説得力はない。
(随分と常識が安くなったもんじゃのう)
「あぅ……」
指先で黒雷石に触れる。
冷たい。
ただの石のようだ。
それが逆に不気味だった。
◇
「レオン、眠そう」
朝食の席で、ミナがわしの顔を覗き込んできた。
「目の下、なんか変だよ」
「赤ちゃんにも寝不足ってあるのかな」
ロイがパンをちぎりながら首を傾げる。
(あるらしいぞ。少なくとも今のわしには)
「あぅ」
「夜泣きしてた?」
「してないよ」
リリが答えた。
(ん?)
嫌な予感がした。
リリはスープを飲みながら、何でもないことのように続ける。
「夜、起きたから」
「レオン何してたの?」
「石見てた」
「…………」
わしは固まった。
「石?」
ミナの目が一気に輝く。
「光った!?」
(食いつくところがそこか)
リリは小さく頷いた。
「ちょっとだけ」
「どんな感じ!?」
「トクンって」
「トクン?」
ロイまで身を乗り出す。
「心臓みたいだった」
今度は食卓が静かになった。
ミナが恐る恐る、わしの胸元へ手を伸ばす。
「……生きてるのかな」
(知らん。だから触るな)
そう思った瞬間。
「触らない」
食堂の入口から、セレナの声が飛んできた。
ミナの手がぴたりと止まる。
「えー、ちょっとだけ」
「ダメ」
「なんで?」
「マルタが言ってた。レオンから離さない方がいいって」
セレナはわしを抱き上げると、胸元の黒雷石をじっと見つめた。
その表情が少し険しくなる。
「……また線が増えてる」
(やはり分かるか)
セレナの指が、銀色の線へ伸びかける。
だが、途中で止まった。
「危な。触るなって言った本人が触るところだった」
(危ないのう)
セレナは小さく息を吐いた。
「マルタが戻るまでは、余計なことしない方がいいわね」
(同感じゃ)
少なくとも、わざわざ何か試して事態を悪化させる必要はない。
◇
その日の午前は、驚くほど平穏だった。
ロイたちは《森守り》作り。
セレナは薬草の整理。
わしは籠の中からそれを眺めている。
(暇じゃな)
もっとも、最近の騒ぎを考えれば、こういう時間はむしろ貴重なのかもしれない。
「これで三十個!」
ミナが完成した袋を並べ、得意げに胸を張った。
「今日は早いな」
ロイが一つずつ確認していく。
「だってもう慣れたもん!」
「雑になってない?」
「なってない!」
その横でリリが一つ手に取り、袋の中身を軽く揉んだ。
「これ、少ない」
「…………」
ミナの笑顔が固まる。
「やり直し」
「リリ厳しい!」
(いい検品係じゃな)
わしは思わず笑いそうになった。
最初は、わしが指差さなければ何も始まらなかった。
それが今では、誰が何をするか決まり、品質まで自分たちで確認している。
金もない。
建物も古い。
状況は何一つ楽ではない。
それでも。
(ちゃんと前に進んどる)
会社も同じだった。
昨日より今日。
今日より明日。
少しずつ積み上げる。
それしかない。
◇
昼前。
玄関を叩く音がした。
コン、コン。
セレナの手が止まる。
「……誰?」
最近、孤児院を訪ねてくる客にろくな記憶がないせいか、声が自然と警戒を帯びる。
「私だよ」
扉の向こうから聞こえた声に、わしは反応した。
(マルタ?)
セレナが扉を開ける。
そこには、杖をついた老婆が立っていた。
「……まだ二日目だけど」
セレナが眉を寄せる。
「三日後って言わなかった?」
「予定が変わったんだよ」
(最近、その言葉をよく聞くのう)
マルタはそんなわしの心の声など知るはずもなく、さっさと中へ入ってくる。
そして。
真っ先に見たのは、わしだった。
正確には。
黒雷石。
「……やっぱり」
マルタの表情が変わった。
「何?」
「見せてみな」
セレナがわしを抱いたまま近づく。
マルタは黒雷石を覗き込み、しばらく黙り込んだ。
「線が増えてる」
「昨日の夜から」
「光ったのかい?」
「リリが見たって」
「脈打ってた」
横からリリが答える。
マルタが勢いよく顔を上げた。
「脈打った?」
「うん」
「何回?」
「いっぱい」
(まあ数えんわな)
わし自身、昨夜は途中から数える余裕などなかった。
◇
「マルタ」
セレナの声が低くなる。
「何を知ってるの」
マルタはすぐには答えなかった。
食堂へ移り、椅子に腰を下ろす。
杖を壁へ立てかけてから、ゆっくり口を開いた。
「昨日、古い記録を見た」
「黒雷石の?」
「ああ」
わしも自然と意識を向ける。
「昔、黒雷石はただの珍しい鉱石だと思われていた」
「思われていた?」
セレナが聞き返す。
「じゃあ違うの?」
「たぶんね」
「たぶん?」
「確証がないんだよ。記録がほとんど残ってない」
マルタは苛立ったように眉を寄せた。
「でも、一つだけ分かったことがある」
食堂が静かになる。
「黒雷石は――力を生み出す石じゃない」
(…………)
わしは胸元へ目を落とした。
「じゃあ何なの?」
セレナが尋ねる。
マルタは少しだけ間を置いた。
「力を閉じ込める石だ」
その言葉が、妙に重く聞こえた。
◇
「閉じ込めるって……」
セレナがわしの胸元を見る。
「この中に何か入ってるってこと?」
「可能性はある」
「何が?」
「分からない」
「また?」
「仕方ないだろう。肝心の部分だけ記録が失われてるんだよ」
(肝心なところばかり残っとらんな)
とはいえ。
もし本当にこの石が、何かを封じ込めるためのものだとしたら。
昨夜の鼓動。
伸び続ける銀色の線。
(まさか……中の何かが動き始めとる?)
あまり嬉しくない想像だった。
「もう一つある」
マルタが続ける。
「黒雷石は、持ち主を選ぶらしい」
「持ち主?」
「ああ。誰が持っても同じというわけじゃない」
セレナの視線がわしへ向く。
(見るな)
「じゃあ、レオンが選ばれたってこと?」
「可能性はあるね」
「でもこの子、雷まで出すわよ」
「そこなんだよ」
マルタがわしの小さな手を見る。
「記録の中には、黒雷石そのものから雷が出たなんて話は一つもない」
「じゃあ、レオンの雷は?」
「知らない」
(神様と同じ返事じゃないか)
思わず心の中でため息をつく。
「ただし」
マルタは続けた。
「石に封じられている何かと、この子自身が持つ力。それが互いに影響している可能性はある」
(あくまで推測か)
それでも。
これまでよりは一歩進んだ。
少なくとも。
黒雷石=雷の発生源。
そう単純な話ではなさそうだ。
◇
そして。
マルタの表情が変わった。
「セレナ」
「何?」
「お前の追放についても、少し分かった」
空気が一気に重くなる。
セレナの指が、無意識に耳の傷へ触れた。
「……話して」
「いいのかい?」
「ここまで聞いて、今さらやめないで」
マルタは小さく頷いた。
「お前が禁忌を犯した」
「知ってる」
「その禁忌が」
一度、言葉を切る。
「黒雷石に関係している」
セレナが固まった。
「……そんなはずない」
「私も最初はそう思った」
「私は黒雷石なんて知らなかった」
「だから、おかしいんだよ」
「どういう意味?」
マルタは慎重に言葉を選んでいるようだった。
「お前が禁忌を犯したこと自体は事実だ」
セレナの顔から感情が消える。
「でも」
一拍。
「お前を追放した本当の理由は、それだけじゃなかった可能性がある」
「…………」
「禁忌を理由にして、何か別のことを隠した」
セレナが椅子から立ち上がった。
「誰が」
声が震えている。
「何を隠したの」
「まだ分からない」
「マルタ!」
「分かってる!」
珍しくマルタも声を荒らげた。
そして。
すぐに少しだけ声を落とす。
「だから調べてるんだよ」
セレナは唇を噛み、ゆっくりと座り直した。
「ただし、一つだけ分かった」
マルタが言う。
「黒雷石が記録から消えた時期と」
セレナを見る。
「お前が追放された時期」
長い沈黙。
「ほぼ同じだ」
(…………)
わしは黒雷石を見る。
次に。
セレナの耳の傷。
偶然。
そう考えるには、重なりすぎている。
◇
その時だった。
――トクン。
「…………!」
全員が止まった。
わしの胸元。
黒雷石の銀色の線が、淡く光っている。
「今の……」
セレナが呟く。
――トクン。
今度は。
誰にでも分かった。
石が、確かに脈打った。
「……本当に」
マルタの顔から血の気が引く。
「脈打ってる」
銀色の線が、僅かに伸びる。
一本だったものが。
枝分かれするように。
ゆっくりと広がっていく。
(おいおい)
わしは黒雷石を見つめた。
嫌な予感しかしない。
「マルタ」
セレナがわしを抱く腕に力を込める。
「これ、大丈夫なの?」
「分からない」
(またか)
だが。
今度のマルタは。
明らかに怯えていた。
「もし」
彼女は黒雷石から目を離さないまま言った。
「本当にこれが、何かを封じるための石なら」
一度、息を呑む。
「この線は――」
――トクン。
さらに一つ。
銀色の亀裂が伸びた。
「封印が弱くなっている印かもしれない」
食堂の空気が凍った。
(つまり)
わしは考える。
この中に。
何かがある。
そして。
それが。
出ようとしている。
「…………」
商売。
土地。
孤児院。
セレナの過去。
神からもらった二つのギフト。
正体不明の雷。
ただでさえ問題は山積みだ。
(頼むから)
わしは黒雷石を見下ろした。
(これ以上、増えるなよ)
――トクン。
「…………」
(返事するな)
もちろん。
石がわしの願いを聞いてくれるはずもない。
銀色の線は。
またほんの少しだけ。
広がった。




