第19話 百十歳、金になるものを探します
マルタが去った翌朝。
目を覚ましたわしが最初にしたのは、胸元に下がった黒雷石を確認することだった。
窓から差し込む朝日を受けても、石は相変わらず光を吸い込むように黒い。ただ一つ、昨日までは存在しなかった銀色の線だけが、細い傷跡のように表面を走っている。
指先で触れてみる。
冷たい。
昨日、雷を放った直後に感じた熱は、すっかり消えていた。
(さて……どうしたもんかのう)
黒雷石。
この土地の地下に眠っているという謎の鉱石。
かつてこの森一帯がエルフの領域だったという話。
セレナが里を追放された本当の理由。
そして、なぜかわしが転生した時から持っていた、このペンダント。
気になることはいくらでもある。
だが、いくら考えたところで情報が足りない。
マルタは三日後に戻ると言った。
ならば今は、待つしかない。
(それより、こっちじゃな)
わしは窓の外へ目を向けた。
朝靄の残る庭では、ロイが薪を運んでいる。その向こうでは、ミナとリリが昨日洗った布を取り込んでいた。
古びた孤児院。
残された期限は、あと二十一日。
黒雷石にどれほどの価値があるとしても、今のわしらには一銭の金にもなっていない。
前世でも同じだった。
資産価値がどれほど高くても、手元に現金がなければ会社は潰れる。従業員の給料も、取引先への支払いも、帳簿に書かれた価値では払えない。
そして孤児院に必要なのは、一度だけ手に入る大金ではない。
来月も。
その次の月も。
子供たちが飯を食えるだけの収入だ。
(結局、商売を形にせんといかんな)
「あぅ!」
声を上げると、すぐに廊下から足音が聞こえてきた。
「レオン、起きた!」
勢いよく扉を開けて入ってきたのはミナだった。
「おはよう! 今日は何する?」
「あぅ」
(話が早くて助かるわい)
◇
朝食の後。
わしの指示――というより、身振り手振りをロイたちが必死に解読した結果――孤児院にある物が食堂のテーブルへ並べられた。
木の実。
乾燥させた薬草。
森で採れる丈夫な蔓。
獣の皮。
鳥の羽。
小さな魔物の角。
そして。
「これも!」
ミナが得意げに、小さな布袋を掲げた。
《森守り》。
以前、町で売られていた虫除けを参考に作ったものだ。
森で採れる香草を乾燥させ、それを布袋に詰める。
単純な品だが、町で試しに売ってみたところ反応は悪くなかった。
「これ、いっぱい作ればいいんじゃない?」
ミナが言った。
(それだけでは足りんのじゃ)
商品が一つあるだけでは、商売とは呼べない。
いくらで売れるのか。
一個作るのにいくら掛かるのか。
一日に何個作れるのか。
そして何より――本当に欲しい人間がいるのか。
そこを知らなければならない。
「これ全部売るの?」
ロイが聞いてきた。
わしは首を振った。
「じゃあ……何?」
(値段を調べたいんじゃ)
しかし、これは身振りでは難しい。
少し考えてから、わしは木の実を指差した。
「あぅ」
「木の実?」
次に、以前見た硬貨を指差す。
それから首を傾げてみせた。
ロイはしばらく考えていたが、やがて「あっ」と声を上げた。
「値段?」
(それじゃ!)
「あぅ!」
「これが町でいくらになるか知りたいってこと?」
「あぅ!」
思わず両手を上げる。
「すっごい喜んでる」
ミナが笑った。
(お前たちに意思を伝えるだけで一仕事なんじゃよ)
ロイはテーブルを見回した。
「でも、誰が町に行く?」
「私!」
ミナが真っ先に手を挙げる。
「却下」
「なんで!?」
「お前、絶対途中で何か買うだろ」
「買わないよ!」
「この前、お菓子買ったじゃん」
「あれは必要だったの!」
「何に?」
「……心に」
(必要じゃったかもしれんな)
少しだけミナに同意しかけたところで、背後から声がした。
「私が行くわ」
振り返ると、セレナが立っていた。
「ちょうど薬を売りに行く予定だったから。ついでに聞いてくる」
(助かる)
わしが頷くと、セレナはなぜか目を細めた。
「ただし、レオンは留守番」
(何じゃと?)
「あぅ!」
「ダメ」
「あぅ!」
「ダメ」
(まだ何も言っとらんぞ!)
「どうせ町に行きたいんでしょ」
(なぜ分かった)
この女。
日に日にわしの言いたいことを理解するようになっている。
「最近、あなたの周りで変なことばかり起きてるんだから、今日は大人しくしてなさい」
そう言って、セレナはわしの胸元の黒雷石へ目を落とした。
「それに――」
少しだけ声が柔らかくなる。
「また倒れられたら困るもの」
(…………)
それを言われると弱い。
《孤王》を使った翌日、わしは高熱を出して寝込んだ。
あの時はセレナだけではない。
ロイも。
ミナも。
リリも。
孤児院中の人間が看病に走り回ってくれた。
(仕方ないのう)
人に任せるのも経営者の仕事だ。
「あぅ」
「分かればよろしい」
(偉そうに)
もっとも。
今のわしは赤ん坊なので、何も言い返せない。
◇
セレナが町へ向かった後、孤児院では《森守り》作りが始まった。
ミナが乾燥させた香草を分ける。
リリが決められた量を布袋へ詰める。
最後にロイが袋の口をしっかりと縛る。
最初に作った時より、明らかに手際がいい。
「ミナ、それ多い」
「え?」
「一袋に入れる量、昨日決めただろ」
「あ、そっか」
ロイが多すぎる香草を戻す。
リリは何も言わず、完成した袋を十個ずつに分けて並べていた。
(…………)
わしは籠の中から、その様子を眺めていた。
誰も。
わしに聞かない。
誰も。
指示を待っていない。
それなのに仕事は進んでいる。
(いいのう)
前世。
会社を始めたばかりの頃のわしは、何でも自分でやった。
営業も。
清掃も。
請求書も。
人員配置も。
道具の管理も。
全部、自分が一番分かっていたからだ。
だから、自分でやるのが一番早いと思っていた。
実際。
最初はそれで良かった。
だが会社が大きくなり、社員が増え、現場が増えた時。
それでは回らなくなった。
わしの身体は一つしかない。
そこでようやく、人に任せることを覚えた。
今になって思えば。
会社が大きくなったのは、わしが頑張ったからではない。
(わしが全部やるのをやめたからじゃったな)
「レオン?」
声に気づいて顔を上げる。
リリがわしの前に立っていた。
「あぅ?」
「笑ってる」
(そうか?)
「うん」
小さな手が伸びてきて。
ぽんぽん、と頭を撫でられる。
「楽しい?」
(まあな)
悪くない。
何もできない赤ん坊だからこそ。
前世では見えなかったものが、見えることもあるらしい。
◇
事件が起きたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
「ロイー! これ取って!」
物置からミナの声が響く。
「何?」
「上の箱!」
わしもロイに連れられて物置へ向かった。
ミナが指差しているのは、棚の一番上に置かれた小さな木箱だ。
「待ってろ」
ロイが近くにあった椅子を引き寄せる。
その上へ足を掛けた。
何気ない光景だった。
だが。
(…………待て)
わしは椅子を見た。
古い。
それだけではない。
四本ある脚のうち一本が、僅かに外側へ開いている。
木目には細い亀裂。
(まずい!)
「あぅ!」
「ん?」
ロイが振り返った。
その瞬間。
ミシッ。
嫌な音がした。
「ロイ!」
椅子の脚が折れた。
「うわっ!」
ロイの身体が傾き、その肩が棚へ激突する。
棚が大きく揺れた。
上段。
積まれていた木箱が動く。
一つ。
二つ。
そして。
全部。
ロイの頭上へ落ち始めた。
(危ない!)
考えるより先だった。
わしは籠から右手を伸ばした。
助けなければ。
ただ、それだけを思った。
次の瞬間。
身体の奥。
心臓より少し深いところに。
熱が生まれた。
(――っ!?)
何かが腕を駆け抜ける。
そして。
バチィッ!!
青白い閃光が、わしの手から迸った。
雷は落ちてくる木箱ではなく、棚の側面に付いていた金属の留め具へ直撃した。
弾け飛ぶ金具。
支えを失った棚が大きく傾く。
その結果。
落下していた木箱の軌道が、僅かに逸れた。
ドサドサッ!
「…………」
箱が床へ落ちる。
ロイのすぐ横。
あと少しずれていれば、頭を直撃していた。
物置に。
奇妙な静寂が訪れた。
「…………」
尻餅をついたロイ。
口を開けたまま固まるミナ。
そして。
わし。
(……また出た)
右手を見る。
小さな指先。
そこには火傷一つない。
「レオン」
ロイがゆっくり顔を上げた。
「今の……」
「あぅ」
(知らん)
「お前がやった?」
「あぅ?」
(わしは何も知りません)
全力で赤ん坊の顔を作る。
だが。
「すごい!」
ミナが飛び跳ねた。
「もう一回やって!」
(無茶言うな!)
「雷! もう一回!」
(玩具ではないわ!)
そんな中。
リリだけは騒いでいなかった。
彼女はじっと。
わしの胸元を見ていた。
「……光ってない」
(ん?)
リリが黒雷石を指差す。
「この前は、石が光ってた」
「…………」
わしは黒雷石を握った。
冷たい。
熱はない。
銀色の線も、ただそこにあるだけ。
光っていない。
(待てよ)
昨日。
雷が出た時。
黒雷石は熱を持った。
銀色の線も現れた。
だが今。
黒雷石には何の変化もない。
それなのに。
雷は。
(わしの手から出た)
第一話。
森で魔物に襲われた時も同じだった。
あの時は必死だったため、黒雷石の状態など確認していない。
(まさか……)
一つ。
疑問が生まれた。
この雷。
本当に。
黒雷石の力なのか?
◇
夕方。
「ただいま」
セレナが町から戻ってきた。
「先生!」
真っ先に駆け出したのはミナだった。
「レオンが雷出した!」
(お前はもう少し報告の順番を考えろ!)
セレナの動きが止まった。
「……また?」
「バーンって!」
「バチーンだった」
ロイが訂正する。
「そこはどうでもいい」
セレナは疲れたように額を押さえた。
「怪我は?」
「ない」
「本当に?」
「うん。レオンが助けてくれた」
セレナがわしを見る。
長い沈黙。
「……あなた」
(何じゃ)
「私がいない時に限って、何かするわね」
(好きでやっとらんわ)
セレナは大きくため息をついた。
だが、ロイに怪我がないことを確認すると、その表情が少しだけ緩んだ。
「まあ、その話は後」
持っていた袋をテーブルへ置く。
「頼まれてたこと、調べてきたわよ」
(おお)
わしは身体を起こした。
「薬草は、そのままだと安い。獣の皮も同じ。角は種類によってかなり違うみたい」
(まあ、そんなところじゃろうな)
「でも」
セレナが《森守り》を一つ取り出した。
「これは、もっと売れるかもしれない」
「ほんと!?」
ミナが食いつく。
「雑貨屋の人が、まず十個欲しいって」
「やった!」
ミナが飛び跳ねる。
ロイも嬉しそうに笑った。
(注文が入ったか)
たった十個。
だが。
商売において。
ゼロと一の間には、大きな差がある。
売れるかもしれない商品と。
実際に金を払う人間がいる商品。
それは全く違う。
(面白くなってきたのう)
次に考えるべきは原価。
生産数。
販売価格。
継続して注文が入るか。
それが分かれば、ようやく商売になる。
「それと」
セレナの声が変わった。
「もう一つ。町で変な話を聞いた」
「何?」
ロイが聞く。
セレナは答える前に。
わしを見た。
いや。
胸元の黒雷石を。
「黒い石を探している人がいるらしいの」
わしは黙った。
「誰が?」
「分からない」
「何のために?」
「それも分からない。ただ――」
セレナの目が細くなる。
「かなり高い値段で買うと言ってるみたい」
(…………)
土地だけではない。
石そのものを探している人間までいる。
しかも。
その石らしきものは。
今。
わしの首に掛かっている。
(面倒になってきたのう)
◇
その夜。
皆が寝静まった後。
わしは月明かりの中で、一人黒雷石を眺めていた。
黒い石。
表面を走る一本の銀色の線。
昨日までは。
この石が雷を生み出しているのだと思っていた。
だが。
今日。
黒雷石は何の反応も示さなかった。
それでも、わしの手から雷は出た。
(なら……)
可能性は二つ。
黒雷石は反応を見せなくても、わしに力を与えている。
あるいは。
(そもそも、この雷と黒雷石は関係ない)
神に聞いても知らなかった。
《ダイヤング》ではない。
《孤王》でもない。
黒雷石ですらないとしたら。
(わし自身の力……?)
分からない。
だが。
不思議と。
怖くはなかった。
むしろ。
少しだけ楽しい。
百十年生きた前世の晩年。
大抵のことには驚かなくなっていた。
仕事。
金。
人間関係。
成功。
失敗。
何を見ても。
「まあ、そんなこともある」
そう思える程度には。
人生を知りすぎていた。
だが。
今は違う。
知らない。
分からない。
予想できない。
そんなことばかりだ。
(……面白いのう)
わしは黒雷石を握った。
ひんやりとした感触が掌に伝わる。
マルタが戻るまで、あと二日。
(焦る必要はない)
そう思い、石から手を離そうとした。
その時だった。
――トクン。
「…………?」
音がした。
いや。
音なのか?
心臓の鼓動に似ている。
だが。
わしの胸からではない。
視線を落とす。
黒雷石。
――トクン。
表面を走る銀色の線が。
淡く光った。
(…………)
もう一度。
――トクン。
光が。
脈打つ。
まるで。
何かの鼓動に合わせるように。
規則正しく。
ゆっくりと。
「…………石、じゃよな?」
もちろん。
実際に口から出たのは。
「あぅ……」
だけだった。
それでも。
黒雷石は答えるように。
――トクン。
もう一度。
脈打った。
わしは、その光を見つめる。
昨日まで。
ただの謎だった石。
だが。
今は。
どうしても。
ただの石には見えなかった。
(まるで――)
生きている。
そう思った瞬間。
銀色の線が。
ほんの僅かに。
昨日よりも長くなった。




