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19/92

第19話 百十歳、金になるものを探します

 マルタが去った翌朝。


 目を覚ましたわしが最初にしたのは、胸元に下がった黒雷石を確認することだった。


 窓から差し込む朝日を受けても、石は相変わらず光を吸い込むように黒い。ただ一つ、昨日までは存在しなかった銀色の線だけが、細い傷跡のように表面を走っている。


 指先で触れてみる。


 冷たい。


 昨日、雷を放った直後に感じた熱は、すっかり消えていた。


(さて……どうしたもんかのう)


 黒雷石。


 この土地の地下に眠っているという謎の鉱石。


 かつてこの森一帯がエルフの領域だったという話。


 セレナが里を追放された本当の理由。


 そして、なぜかわしが転生した時から持っていた、このペンダント。


 気になることはいくらでもある。


 だが、いくら考えたところで情報が足りない。


 マルタは三日後に戻ると言った。


 ならば今は、待つしかない。


(それより、こっちじゃな)


 わしは窓の外へ目を向けた。


 朝靄の残る庭では、ロイが薪を運んでいる。その向こうでは、ミナとリリが昨日洗った布を取り込んでいた。


 古びた孤児院。


 残された期限は、あと二十一日。


 黒雷石にどれほどの価値があるとしても、今のわしらには一銭の金にもなっていない。


 前世でも同じだった。


 資産価値がどれほど高くても、手元に現金がなければ会社は潰れる。従業員の給料も、取引先への支払いも、帳簿に書かれた価値では払えない。


 そして孤児院に必要なのは、一度だけ手に入る大金ではない。


 来月も。


 その次の月も。


 子供たちが飯を食えるだけの収入だ。


(結局、商売を形にせんといかんな)


「あぅ!」


 声を上げると、すぐに廊下から足音が聞こえてきた。


「レオン、起きた!」


 勢いよく扉を開けて入ってきたのはミナだった。


「おはよう! 今日は何する?」


「あぅ」


(話が早くて助かるわい)


     ◇


 朝食の後。


 わしの指示――というより、身振り手振りをロイたちが必死に解読した結果――孤児院にある物が食堂のテーブルへ並べられた。


 木の実。


 乾燥させた薬草。


 森で採れる丈夫な蔓。


 獣の皮。


 鳥の羽。


 小さな魔物の角。


 そして。


「これも!」


 ミナが得意げに、小さな布袋を掲げた。


 《森守り》。


 以前、町で売られていた虫除けを参考に作ったものだ。


 森で採れる香草を乾燥させ、それを布袋に詰める。


 単純な品だが、町で試しに売ってみたところ反応は悪くなかった。


「これ、いっぱい作ればいいんじゃない?」


 ミナが言った。


(それだけでは足りんのじゃ)


 商品が一つあるだけでは、商売とは呼べない。


 いくらで売れるのか。


 一個作るのにいくら掛かるのか。


 一日に何個作れるのか。


 そして何より――本当に欲しい人間がいるのか。


 そこを知らなければならない。


「これ全部売るの?」


 ロイが聞いてきた。


 わしは首を振った。


「じゃあ……何?」


(値段を調べたいんじゃ)


 しかし、これは身振りでは難しい。


 少し考えてから、わしは木の実を指差した。


「あぅ」


「木の実?」


 次に、以前見た硬貨を指差す。


 それから首を傾げてみせた。


 ロイはしばらく考えていたが、やがて「あっ」と声を上げた。


「値段?」


(それじゃ!)


「あぅ!」


「これが町でいくらになるか知りたいってこと?」


「あぅ!」


 思わず両手を上げる。


「すっごい喜んでる」


 ミナが笑った。


(お前たちに意思を伝えるだけで一仕事なんじゃよ)


 ロイはテーブルを見回した。


「でも、誰が町に行く?」


「私!」


 ミナが真っ先に手を挙げる。


「却下」


「なんで!?」


「お前、絶対途中で何か買うだろ」


「買わないよ!」


「この前、お菓子買ったじゃん」


「あれは必要だったの!」


「何に?」


「……心に」


(必要じゃったかもしれんな)


 少しだけミナに同意しかけたところで、背後から声がした。


「私が行くわ」


 振り返ると、セレナが立っていた。


「ちょうど薬を売りに行く予定だったから。ついでに聞いてくる」


(助かる)


 わしが頷くと、セレナはなぜか目を細めた。


「ただし、レオンは留守番」


(何じゃと?)


「あぅ!」


「ダメ」


「あぅ!」


「ダメ」


(まだ何も言っとらんぞ!)


「どうせ町に行きたいんでしょ」


(なぜ分かった)


 この女。


 日に日にわしの言いたいことを理解するようになっている。


「最近、あなたの周りで変なことばかり起きてるんだから、今日は大人しくしてなさい」


 そう言って、セレナはわしの胸元の黒雷石へ目を落とした。


「それに――」


 少しだけ声が柔らかくなる。


「また倒れられたら困るもの」


(…………)


 それを言われると弱い。


 《孤王》を使った翌日、わしは高熱を出して寝込んだ。


 あの時はセレナだけではない。


 ロイも。


 ミナも。


 リリも。


 孤児院中の人間が看病に走り回ってくれた。


(仕方ないのう)


 人に任せるのも経営者の仕事だ。


「あぅ」


「分かればよろしい」


(偉そうに)


 もっとも。


 今のわしは赤ん坊なので、何も言い返せない。


     ◇


 セレナが町へ向かった後、孤児院では《森守り》作りが始まった。


 ミナが乾燥させた香草を分ける。


 リリが決められた量を布袋へ詰める。


 最後にロイが袋の口をしっかりと縛る。


 最初に作った時より、明らかに手際がいい。


「ミナ、それ多い」


「え?」


「一袋に入れる量、昨日決めただろ」


「あ、そっか」


 ロイが多すぎる香草を戻す。


 リリは何も言わず、完成した袋を十個ずつに分けて並べていた。


(…………)


 わしは籠の中から、その様子を眺めていた。


 誰も。


 わしに聞かない。


 誰も。


 指示を待っていない。


 それなのに仕事は進んでいる。


(いいのう)


 前世。


 会社を始めたばかりの頃のわしは、何でも自分でやった。


 営業も。


 清掃も。


 請求書も。


 人員配置も。


 道具の管理も。


 全部、自分が一番分かっていたからだ。


 だから、自分でやるのが一番早いと思っていた。


 実際。


 最初はそれで良かった。


 だが会社が大きくなり、社員が増え、現場が増えた時。


 それでは回らなくなった。


 わしの身体は一つしかない。


 そこでようやく、人に任せることを覚えた。


 今になって思えば。


 会社が大きくなったのは、わしが頑張ったからではない。


(わしが全部やるのをやめたからじゃったな)


「レオン?」


 声に気づいて顔を上げる。


 リリがわしの前に立っていた。


「あぅ?」


「笑ってる」


(そうか?)


「うん」


 小さな手が伸びてきて。


 ぽんぽん、と頭を撫でられる。


「楽しい?」


(まあな)


 悪くない。


 何もできない赤ん坊だからこそ。


 前世では見えなかったものが、見えることもあるらしい。


     ◇


 事件が起きたのは、昼を少し過ぎた頃だった。


「ロイー! これ取って!」


 物置からミナの声が響く。


「何?」


「上の箱!」


 わしもロイに連れられて物置へ向かった。


 ミナが指差しているのは、棚の一番上に置かれた小さな木箱だ。


「待ってろ」


 ロイが近くにあった椅子を引き寄せる。


 その上へ足を掛けた。


 何気ない光景だった。


 だが。


(…………待て)


 わしは椅子を見た。


 古い。


 それだけではない。


 四本ある脚のうち一本が、僅かに外側へ開いている。


 木目には細い亀裂。


(まずい!)


「あぅ!」


「ん?」


 ロイが振り返った。


 その瞬間。


 ミシッ。


 嫌な音がした。


「ロイ!」


 椅子の脚が折れた。


「うわっ!」


 ロイの身体が傾き、その肩が棚へ激突する。


 棚が大きく揺れた。


 上段。


 積まれていた木箱が動く。


 一つ。


 二つ。


 そして。


 全部。


 ロイの頭上へ落ち始めた。


(危ない!)


 考えるより先だった。


 わしは籠から右手を伸ばした。


 助けなければ。


 ただ、それだけを思った。


 次の瞬間。


 身体の奥。


 心臓より少し深いところに。


 熱が生まれた。


(――っ!?)


 何かが腕を駆け抜ける。


 そして。


 バチィッ!!


 青白い閃光が、わしの手から迸った。


 雷は落ちてくる木箱ではなく、棚の側面に付いていた金属の留め具へ直撃した。


 弾け飛ぶ金具。


 支えを失った棚が大きく傾く。


 その結果。


 落下していた木箱の軌道が、僅かに逸れた。


 ドサドサッ!


「…………」


 箱が床へ落ちる。


 ロイのすぐ横。


 あと少しずれていれば、頭を直撃していた。


 物置に。


 奇妙な静寂が訪れた。


「…………」


 尻餅をついたロイ。


 口を開けたまま固まるミナ。


 そして。


 わし。


(……また出た)


 右手を見る。


 小さな指先。


 そこには火傷一つない。


「レオン」


 ロイがゆっくり顔を上げた。


「今の……」


「あぅ」


(知らん)


「お前がやった?」


「あぅ?」


(わしは何も知りません)


 全力で赤ん坊の顔を作る。


 だが。


「すごい!」


 ミナが飛び跳ねた。


「もう一回やって!」


(無茶言うな!)


「雷! もう一回!」


(玩具ではないわ!)


 そんな中。


 リリだけは騒いでいなかった。


 彼女はじっと。


 わしの胸元を見ていた。


「……光ってない」


(ん?)


 リリが黒雷石を指差す。


「この前は、石が光ってた」


「…………」


 わしは黒雷石を握った。


 冷たい。


 熱はない。


 銀色の線も、ただそこにあるだけ。


 光っていない。


(待てよ)


 昨日。


 雷が出た時。


 黒雷石は熱を持った。


 銀色の線も現れた。


 だが今。


 黒雷石には何の変化もない。


 それなのに。


 雷は。


(わしの手から出た)


 第一話。


 森で魔物に襲われた時も同じだった。


 あの時は必死だったため、黒雷石の状態など確認していない。


(まさか……)


 一つ。


 疑問が生まれた。


 この雷。


 本当に。


 黒雷石の力なのか?


     ◇


 夕方。


「ただいま」


 セレナが町から戻ってきた。


「先生!」


 真っ先に駆け出したのはミナだった。


「レオンが雷出した!」


(お前はもう少し報告の順番を考えろ!)


 セレナの動きが止まった。


「……また?」


「バーンって!」


「バチーンだった」


 ロイが訂正する。


「そこはどうでもいい」


 セレナは疲れたように額を押さえた。


「怪我は?」


「ない」


「本当に?」


「うん。レオンが助けてくれた」


 セレナがわしを見る。


 長い沈黙。


「……あなた」


(何じゃ)


「私がいない時に限って、何かするわね」


(好きでやっとらんわ)


 セレナは大きくため息をついた。


 だが、ロイに怪我がないことを確認すると、その表情が少しだけ緩んだ。


「まあ、その話は後」


 持っていた袋をテーブルへ置く。


「頼まれてたこと、調べてきたわよ」


(おお)


 わしは身体を起こした。


「薬草は、そのままだと安い。獣の皮も同じ。角は種類によってかなり違うみたい」


(まあ、そんなところじゃろうな)


「でも」


 セレナが《森守り》を一つ取り出した。


「これは、もっと売れるかもしれない」


「ほんと!?」


 ミナが食いつく。


「雑貨屋の人が、まず十個欲しいって」


「やった!」


 ミナが飛び跳ねる。


 ロイも嬉しそうに笑った。


(注文が入ったか)


 たった十個。


 だが。


 商売において。


 ゼロと一の間には、大きな差がある。


 売れるかもしれない商品と。


 実際に金を払う人間がいる商品。


 それは全く違う。


(面白くなってきたのう)


 次に考えるべきは原価。


 生産数。


 販売価格。


 継続して注文が入るか。


 それが分かれば、ようやく商売になる。


「それと」


 セレナの声が変わった。


「もう一つ。町で変な話を聞いた」


「何?」


 ロイが聞く。


 セレナは答える前に。


 わしを見た。


 いや。


 胸元の黒雷石を。


「黒い石を探している人がいるらしいの」


 わしは黙った。


「誰が?」


「分からない」


「何のために?」


「それも分からない。ただ――」


 セレナの目が細くなる。


「かなり高い値段で買うと言ってるみたい」


(…………)


 土地だけではない。


 石そのものを探している人間までいる。


 しかも。


 その石らしきものは。


 今。


 わしの首に掛かっている。


(面倒になってきたのう)


     ◇


 その夜。


 皆が寝静まった後。


 わしは月明かりの中で、一人黒雷石を眺めていた。


 黒い石。


 表面を走る一本の銀色の線。


 昨日までは。


 この石が雷を生み出しているのだと思っていた。


 だが。


 今日。


 黒雷石は何の反応も示さなかった。


 それでも、わしの手から雷は出た。


(なら……)


 可能性は二つ。


 黒雷石は反応を見せなくても、わしに力を与えている。


 あるいは。


(そもそも、この雷と黒雷石は関係ない)


 神に聞いても知らなかった。


 《ダイヤング》ではない。


 《孤王》でもない。


 黒雷石ですらないとしたら。


(わし自身の力……?)


 分からない。


 だが。


 不思議と。


 怖くはなかった。


 むしろ。


 少しだけ楽しい。


 百十年生きた前世の晩年。


 大抵のことには驚かなくなっていた。


 仕事。


 金。


 人間関係。


 成功。


 失敗。


 何を見ても。


「まあ、そんなこともある」


 そう思える程度には。


 人生を知りすぎていた。


 だが。


 今は違う。


 知らない。


 分からない。


 予想できない。


 そんなことばかりだ。


(……面白いのう)


 わしは黒雷石を握った。


 ひんやりとした感触が掌に伝わる。


 マルタが戻るまで、あと二日。


(焦る必要はない)


 そう思い、石から手を離そうとした。


 その時だった。


 ――トクン。


「…………?」


 音がした。


 いや。


 音なのか?


 心臓の鼓動に似ている。


 だが。


 わしの胸からではない。


 視線を落とす。


 黒雷石。


 ――トクン。


 表面を走る銀色の線が。


 淡く光った。


(…………)


 もう一度。


 ――トクン。


 光が。


 脈打つ。


 まるで。


 何かの鼓動に合わせるように。


 規則正しく。


 ゆっくりと。


「…………石、じゃよな?」


 もちろん。


 実際に口から出たのは。


「あぅ……」


 だけだった。


 それでも。


 黒雷石は答えるように。


 ――トクン。


 もう一度。


 脈打った。


 わしは、その光を見つめる。


 昨日まで。


 ただの謎だった石。


 だが。


 今は。


 どうしても。


 ただの石には見えなかった。


(まるで――)


 生きている。


 そう思った瞬間。


 銀色の線が。


 ほんの僅かに。


 昨日よりも長くなった。

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