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第18話 百十歳、土地の価値を知ります

「その石を――どこで手に入れた?」


 老婆の視線は、まっすぐわしの胸元へ向けられていた。


 黒いペンダント。


 この世界で目を覚ました時から、なぜかわしが持っていたものだ。


 問いに答えようにも、わし自身がその答えを知らない。


(それが分かれば、こっちも苦労せんのじゃがな)


「あぅ」


 試しに声を出してみる。


 当然、何も伝わらない。


「この子が最初から持っていたの」


 代わりにセレナが答えた。


「私が森で拾った時には、もう首に掛かってた」


「……最初から?」


 老婆の目つきが変わった。


「ああ。場所は?」


「孤児院から東へ少し行ったところ。沢の近くに大きな倒木があるでしょ。その辺りよ」


「…………」


 老婆は黙り込んだ。


 何かを考えている。


 いや――何かを思い出している。


 そんな顔だった。


(知っとるな)


 前世で商売をしていた頃、わしは人の顔をよく見るようにしていた。


 商談というのは、口から出る言葉だけを信用していては駄目だ。


 目。


 指先。


 呼吸。


 沈黙。


 人間は、喋っていない時の方が多くを語ることがある。


 この老婆も同じだった。


「中で話しましょう」


 セレナが言った。


 老婆は少し考えた後、頷いた。


     ◇


 場所を食堂へ移した。


 いつもの古いテーブルを囲むのは、セレナと老婆。


 そして籠に入れられたわし。


 ロイたちには外の仕事を頼んでいる。


「なんでレオンはいいんだよ」


 追い出される直前、ロイが不満そうに言っていたが、それについてはわしも同意見だった。


(わし、見た目だけなら一番聞かせたら駄目な年齢じゃろ)


 まあ、中身はこの場で最年長なのだが。


「それで?」


 セレナが椅子に座るなり本題へ入った。


「あなた、これを知ってるの?」


「その前に」


 老婆はわしを見た。


「この坊や、名前は?」


「レオン」


「レオン……」


 老婆はゆっくりとその名を繰り返した。


 そして、どこか懐かしそうに目を細める。


「いい名前だね」


「私がつけた」


「へえ」


「何よ」


「いや。お前さんが誰かに名前をつける日が来るとは思わなくてね」


 セレナの眉がぴくりと動いた。


「……喧嘩売りに来たなら帰って」


「相変わらずだねえ」


 老婆は楽しそうに笑った。


(なるほど)


 どうやら二人は、ただの顔見知りではないらしい。


「私はマルタ」


 老婆が今度はわしに向かって名乗った。


「昔、この辺りで薬師をやっていた」


「昔じゃなくて今もでしょ」


「今は半分隠居さ」


「半分?」


「金になる客だけ診てる」


(気が合いそうじゃな)


 思わず親近感を覚えた。


「それで、マルタ」


 セレナが黒いペンダントを指差す。


「これは何?」


 その瞬間。


 マルタの笑みが消えた。


「……セレナ」


「何?」


「お前、本当に知らないのかい?」


「知らないから聞いてるんだけど」


「そうかい」


 マルタはしばらくセレナを見つめていた。


 やがて、小さく息を吐く。


「なら、知らされてなかったんだね」


「誰に?」


「里の連中にさ」


 空気が変わった。


 セレナの表情から、僅かに感情が消える。


 彼女が昔の話を嫌っていることは、わしも知っている。


 特に――エルフに関わる話を。


「その石には名前がある」


 マルタはわしの胸元を指差した。


「《黒雷石》。少なくとも、私たちはそう呼んでいた」


(黒雷石……)


 初めて聞く名前だった。


 だが。


 妙に納得してしまう。


 黒い石。


 そして、雷。


(そのまんまじゃな)


「何をするものなの?」


 セレナが聞く。


「知らない」


「…………は?」


 セレナの眉間に皺が寄った。


 わしも同じ気持ちである。


「名前まで知ってて?」


「正確には、何ができる石なのかを知らないんだよ」


 マルタは肩をすくめる。


「私が知っているのは、どこから出るか」


「どこ?」


 マルタは答えず、窓の外へ目を向けた。


 古い窓。


 その向こうには、どこまでも深い森が広がっている。


「この森さ」


 セレナが目を細める。


「森?」


「ああ。もっと正確に言えば――」


 マルタの杖が、コツン、と床を叩いた。


「この土地の地下だよ」


 食堂が静まり返った。


(…………なるほど)


 昨日の商談が頭に浮かぶ。


 金貨三十枚。


 匿名の買い手。


 期限を待たず立ち退けば、さらに金貨五枚。


 加えて一年間の住居。


 なぜ、そこまでしてこの土地を欲しがる?


 その答えが、ようやく見えてきた。


「待って」


 セレナが椅子から身を乗り出した。


「私、そんな話一度も聞いたことない」


「だろうね」


「この孤児院に来て何年経つと思ってるの?」


「だから知らされなかったんだろうさ」


「どういう意味?」


 マルタはすぐには答えなかった。


「昔、この辺りでは黒雷石が採れた」


 代わりにそう言った。


「量は多くなかったらしいけどね」


「……価値があるの?」


「ある」


「どのくらい?」


 マルタが鼻で笑った。


「もし昔と同じものが、今も地下に眠っているなら――」


 そこで言葉を切る。


「金貨三十枚なんて、端金に思えるくらいにはね」


「…………」


 セレナが絶句した。


 わしも驚いた。


(そういうことか)


 金貨三十枚。


 大金だ。


 だが、買い手にとっては違う。


 この土地から、それを遥かに上回る利益が出ると知っているなら。


 安い。


 むしろ、笑いが止まらないほど安い買い物になる。


 だから匿名。


 だから立ち退きを急ぐ。


 だから、こちらに本当の価値を知らせない。


(随分と古典的なやり方じゃな)


 世界が変わっても、商売の悪知恵は大して変わらないらしい。


「だったら!」


 セレナが立ち上がった。


「そのことを証明できれば――」


「座りな、セレナ」


 マルタの声が低くなった。


「でも!」


「価値があると分かった途端に、金の話をするんじゃないよ」


「違う!」


 セレナが珍しく声を荒らげた。


「この子たちを守るためよ!」


「なら、なおさらだ」


 マルタはセレナを真っ直ぐ見た。


「よく覚えておきな」


 老婆の目から、先ほどまでの軽さが消えている。


「価値のある土地っていうのはね――持っているだけで人を殺すこともある」


 セレナが黙った。


(…………)


 その言葉は、わしにもよく分かった。


 前世でもそうだった。


 土地。


 会社。


 権利。


 技術。


 価値がなければ誰も見向きもしない。


 だが、価値が生まれた瞬間。


 人は集まる。


 欲が集まる。


 そして時には。


 争いまで集まってくる。


(世知辛いのう)


 異世界まで来て、そこまで同じでなくてもいいだろうに。


     ◇


「それに」


 マルタが続けた。


「問題は黒雷石だけじゃない」


「まだあるの?」


 セレナが疲れたように言った。


「ああ」


 マルタは窓の外を見た。


「セレナ。この土地が昔、誰のものだったか知ってるかい?」


「国でしょ?」


「今はね」


「……どういう意味?」


「もっと昔の話さ」


 セレナは少し考えたが、やがて首を振った。


「知らない」


「ここは元々――エルフの土地だった」


 セレナの顔が強張った。


「嘘」


「嘘じゃないよ」


「だって、ここは領域の外よ」


「今は、だ」


 マルタは淡々と答えた。


「国境も、領域も、森の境も、時代が変われば動く。昔の地図じゃ、この辺りまでエルフの領域だった」


「そんな……」


「知らなかったかい?」


「聞いたこともない」


「そうだろうね」


 マルタの視線が。


 セレナの耳へ向かう。


 長い耳があるはずだった場所。


 今は。


 切り落とされた傷だけが残っている。


「歴史ってのは、都合の悪い部分から消されるものさ」


 セレナの指が微かに震えた。


     ◇


「何があったの?」


 しばらくして。


 セレナが聞いた。


「この土地で」


 マルタは答えない。


「マルタ」


「……それは、私の口から話すことじゃない」


「またそれ?」


「お前自身に関係する話だからだよ」


「私?」


「ああ」


 マルタの声が、少しだけ重くなった。


「お前が里を追放されたことにも関係している」


 セレナの顔から表情が消えた。


「その話はやめて」


「最後まで聞きな」


「聞きたくない」


「セレナ」


「私は禁忌を犯した」


 吐き捨てるような声だった。


「耳を切られて、追放された。それで終わった話よ」


「ああ」


「だったら何?」


 セレナの声が震える。


「今さら、何が違うっていうの」


 マルタは黙っていた。


 長い。


 長い沈黙。


 そして。


「お前が追放されたのは――罰だけが理由じゃない」


「…………え?」


 セレナが顔を上げた。


(どういうことじゃ?)


「何、それ」


「今はまだ言えない」


「マルタ!」


「私にも確証がないんだよ」


 マルタが立ち上がった。


「古い記録を調べる」


「待って!」


「三日」


「え?」


「三日後、また来る」


 杖を手に取り、玄関へ向かう。


「その時には、私が知っていることを全部話す」


     ◇


「待って」


 玄関を出る直前。


 セレナが呼び止めた。


「最後に一つだけ」


「何だい」


「どうして今になって、ここへ来たの?」


 マルタの足が止まった。


 少しの沈黙。


 そして。


 振り返る。


「噂を聞いたんだよ」


「噂?」


「この森で――黒い石が光ったってね」


(…………)


 わしは自分の胸元を見る。


 黒雷石。


「それで見に来た」


 マルタは外へ出る。


 だが。


 数歩進んだところで、もう一度こちらを振り返った。


「セレナ」


「何?」


「その石を坊やから離すんじゃないよ」


「どうして?」


「分からない」


「またそれ?」


「ただね」


 マルタの表情は真剣だった。


「昔、黒雷石は誰が触っても――雷なんて出さなかった」


 それだけ言い残し。


 老婆は森へ消えていった。


     ◇


 食堂へ戻っても、セレナはしばらく何も話さなかった。


 わしも同じだった。


 情報が増えすぎた。


 黒雷石。


 土地の地下。


 かつてのエルフ領。


 匿名の買い手。


 セレナの追放。


 そして。


 わし。


(……最後だけ意味が分からん)


 《ダイヤング》でもない。


 《孤王》でもない。


 神に聞いても知らないと言われた。


 なら、この電撃は転生特典ではない。


「レオン」


 セレナがわしを抱き上げた。


 その顔には、疲れと困惑が入り混じっている。


「あなた、本当に何者なの?」


(神崎源一郎。享年百十歳。元社長)


 それだけなら。


 わしにも答えられる。


 だが。


 なぜこの世界へ来たのか。


 なぜ黒雷石を持っていたのか。


 なぜ石がわしにだけ反応するのか。


(そこから先は、わしにも分からん)


「あぅ」


「……そうよね」


 セレナが苦笑する。


「赤ちゃんに聞いても仕方ないか」


(すまんのう)


 その時だった。


 ――バチッ。


「きゃっ!」


 青白い光が弾けた。


 黒雷石から伸びた細い雷が、わしの指先を伝い、床へ落ちる。


 パチン、と乾いた音。


 木の床に、小さな焦げ跡が残った。


「…………」


 セレナがわしを見る。


 わしもセレナを見る。


「レオン」


「あぅ」


「今の……あなたがやった?」


(知らん)


「あぅ?」


 できる限り純粋な赤ん坊の顔を作る。


「…………」


(見るな)


 セレナの目が細くなる。


「あなた、本当に変な赤ちゃんね」


(お互い様じゃ)


 そこで。


 ふと気づいた。


(……ん?)


 黒雷石が温かい。


 これまでは、いつ触っても冷たい石だった。


 それが今は。


 まるで生き物のように、僅かな熱を帯びている。


 さらに。


「…………」


 石の表面。


 今まで何もなかった場所に。


 一本の銀色の線が浮かび上がっていた。


(何じゃ、これは)


 傷ではない。


 模様?


 それとも。


 文字?


 分からない。


 だが。


 一つだけ。


 はっきりした。


 わしは、この土地の価値を調べようとしていた。


 孤児院を守るために。


 金貨三十枚の理由を知るために。


 そのはずだった。


 なのに。


 調べれば調べるほど。


 土地の謎は。


 セレナへ繋がり。


 そして今。


 わし自身へ繋がり始めている。


(…………)


 人生二周目。


 太く短く。


 好きに生きる。


 そのつもりだった。


 だから。


 神様から妙な力をもらったことも。


 異世界に生まれ変わったことも。


 面白い人生になりそうだと。


 そう思っていた。


 だが。


 もしかすると。


(わしは、この世界に――)


 ただ転生しただけではないのかもしれない。


 胸元で。


 黒雷石がもう一度。


 小さく。


 ――バチッ。


 と鳴った。

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