第121話 護衛騎士のガーラ
「……チッ」
ガーラは舌打ちをした。
いったい、なんだってこんなことになったのか。
楽に稼げる仕事を見つけたつもりだった。
天竜教の教祖、その身辺警護。
仕事内容は至って単純だ。
教祖マリアの傍らに立ち、不審な者が近づけば追い払う。万が一、危害を加えようとする者が現れたなら、腰の剣で斬り伏せる。
それだけで、並の傭兵が一年働いても手にできないほどの報酬が支払われる。
信者たちは教祖を神の使いのように崇めているし、教団本部の警備も厳重だ。
実際、これまでマリアの命を狙って襲いかかってきた者など、一人もいなかった。
立っているだけで金が入る。
これほど割のいい仕事もあるまい。
そう思っていた。
ところが、どうだ。
「……なんで俺が、こんなことを」
目の前には、床に縫い付けられた吸血鬼が一人。
銀髪の女。
ミレボス。
つい先日まで、地下闘技場を取り仕切っていた女だ。
今は見る影もない。
「……あ……あぁ……」
か細い呻き声が漏れる。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、その身体を容赦なく焼いていた。
――ジュウウウ……。
焼けた皮膚が再生する。
再生したそばから、また焼ける。
その繰り返しだ。
「……ひでえ臭いだな」
ガーラは鼻を押さえた。
肉が焼け焦げる臭い。
それも、ただ焼けているのではない。
血と、焦げた皮膚と、何とも形容しがたい生臭さが混ざり合っている。
(しばらく肉料理は食えんな……)
そんなことを考えながら、ミレボスへ近づいた。
「おい、生きてるか?」
「……ぁ……」
「生きてるな。よし」
返事らしいものが聞こえたので、それで十分だった。
ガーラは腰を落とし、ミレボスの両手を床へ固定しているナイフに目を向けた。
「……聖銀か」
吸血鬼にとっては毒にも等しい金属だ。
よくもまあ、こんなものを二本も用意していたものだと感心する。
「抜くぞ」
「……っ……!」
ミレボスが僅かに首を振った。
「なんだ。抜いてほしくないのか?」
「……ぁ……」
「どっちだよ」
ガーラは溜息をついた。
「まあ、いい。少し我慢しろ」
――ズルッ。
「ぎっ……!」
一本目を引き抜く。
続けて、もう一本。
「があああっ!!」
「うるせえな。もう終わったよ」
ガーラは二本のナイフを布で包み、脇へ置いた。
自由になったミレボスの両手は、みるみるうちに再生していく。
しかし、朝日は容赦なく降り注いでいた。
「さて、と」
ガーラは部屋の隅に置いてあった大きな袋を引き寄せた。
死体の運搬に使われる特殊な袋だった。
何でも、とある魔獣の皮を加工して作られているらしい。
光や熱を通しにくく、内部の温度を一定に保つことで、遺体の腐敗を遅らせる効果があるという。
値段はそれなりにするが、教団の備品なのだから気にする必要もない。
「ほら、こいつを被ってろ」
ガーラは袋を広げ、ミレボスの身体を覆った。
「……あ……」
「動くなよ。せっかく遮った光が入っちまう」
袋の口を閉じる。
ようやく、肉の焼ける音が止まった。
「……ふう」
ガーラは大きく息を吐いた。
これで一仕事終わりだ。
もっとも、袋の中からは別の音が聞こえてきた。
――ミチミチミチ……。
「…………」
肉が蠢く音。
骨が繋がる音。
どうやら、再生能力が本格的に働き始めたらしい。
「……気持ち悪い音だな、おい」
ガーラは顔をしかめた。
吸血鬼の再生能力というものは便利なのだろうが、こうして間近で聞いていると、どうにも気味が悪い。
しばらくすると、袋の中から呻き声が聞こえてきた。
「……う……ぅ……」
「ああ、そうだ」
ガーラは思い出したように口を開いた。
「マリア様からの言伝だ」
「…………」
「お前に挽回の機会を与えるそうだ」
袋の中で、何かが動いた。
「地下闘技場を失ったことは許された。だが、黒雷石を奪われた件については、まだ仕事が残ってるんだとよ」
「……こ……く……」
「そう、黒雷石だ」
ガーラは腕を組んだ。
「そいつを取り戻してこいって話だ。で、俺が監査役として同行することになった」
「…………」
「言っとくが、俺だって好きでやるわけじゃねえぞ」
返事はなかった。
代わりに。
――ミチッ、ミチミチ……。
「……聞いてんのか?」
「……ぁ……」
「まあ、いいか」
ガーラは肩をすくめた。
「返事ができるようになったら教えてくれ」
それだけ言うと、部屋の隅に置かれていた椅子を引き寄せた。
腰を下ろす。
脚を組む。
そして、懐へ手を入れた。
「さて……」
取り出したのは、一冊の小さな本だった。
革張りの表紙。
何度も開いたせいで、背表紙には少し皺が寄っている。
ガーラはその表面を指で撫でた。
「……どこまで読んだっけな」
◇ ◇ ◇
ガーラには、密かな趣味があった。
読書である。
もっとも、学術書や宗教書の類には興味がない。
好きなのは冒険譚だった。
未知の大陸。
秘境に眠る財宝。
伝説の魔獣。
そして、命知らずの冒険者たち。
そんな話を読んでいる時間が、何より好きだった。
幼い頃から剣を振るって生きてきたガーラにとって、本の中に広がる世界は、自分が知らないものばかりだった。
実際に冒険へ出たいかと聞かれれば、答えは否だ。
危険な場所へ好き好んで足を踏み入れるなど、馬鹿のすることだと思っている。
しかし、他人の冒険を読む分には構わない。
自分は安全な場所に座り、命懸けの冒険を楽しめるのだから。
これほど合理的な娯楽もあるまい。
「……ふむ」
ガーラは本を開いた。
数日前、街の露店で偶然見つけたものだった。
作者の名は、マルタ。
聞いたことのない名前だったが、店主が随分と薦めてきたので買ってみた。
これが、なかなか面白い。
主人公は、口の悪い女魔法使い。
魔法の腕は確かなのだが、何かと面倒事に巻き込まれる。
おまけに、出会う連中も一癖も二癖もある者ばかり。
それでも、持ち前の知恵と魔法、そして少々の悪知恵で窮地を切り抜けていく。
何より、文章がいい。
危険な場面でも、どこか小気味よい冗談が挟まれる。
そのせいで、ついつい次のページをめくってしまうのだ。
「……そうだ、そうだ」
ガーラは小さく頷いた。
「山を登ってたところだったな」
物語の主人公たちは、ある山脈を越えようとしていた。
しかし、その山は妙に柔らかく、ところどころに巨大な鱗のようなものが埋まっている。
おまけに、山頂付近には不自然な形の岩が二本、突き出していた。
何とも奇妙な山だ。
そう思いながら読み進めていくと。
「……ははっ!」
ガーラは思わず笑った。
何と、その山は山ではなかった。
遥か昔に死んだ、巨大なドラゴンの背中だったのだ。
「嘘だろ、おい……!」
そんな馬鹿な話があるものか。
ドラゴンが山ほど大きいなど、聞いたこともない。
だが、文章が妙に生々しい。
岩だと思っていたものが鱗だったとか、山頂に見えた突起が角だったとか。
挙げ句の果てには、洞窟だと思って入った場所がドラゴンの口だったというのだから、たまらない。
「……くくっ」
ガーラは肩を揺らした。
「こいつは傑作だ」
ページをめくる。
さらにめくる。
主人公の女魔法使いが、仲間たちへ悪態をつきながらドラゴンの背中を滑り落ちていく。
その様子が目に浮かぶようだった。
「……なるほど、そう来たか」
すっかり夢中になっていた。
◇ ◇ ◇
「……が……ガーラ……」
「…………」
「……ガーラ……」
「…………」
「……ガーラ……!」
「……ん?」
ようやく、ガーラは顔を上げた。
袋の中から声がする。
「何だ?」
「……み……水を……」
「ああ、水か」
ガーラは本に栞を挟んだ。
近くの卓に置かれていた水差しを取り、杯へ注ぐ。
そして袋の口を少しだけ開いた。
「ほら」
中から、青白い手が伸びてきた。
先ほどまで焼け爛れていたとは思えないほど、綺麗な手だった。
もっとも、指先はまだ震えている。
ミレボスは杯を受け取り、ゆっくりと水を飲んだ。
「……はぁ……」
「落ち着いたか?」
「……ええ……少し……」
「そりゃよかった」
ガーラは再び本を開こうとした。
だが。
「……ガーラ……」
「今度は何だ?」
「……私……」
ミレボスの声が震えていた。
「……どうすれば……よいのでしょう……」
「何がだ?」
「黒雷石……」
袋の中で、ミレボスが小さく身を縮めた。
「……あれを……取り戻さなければ……」
「そうだな」
「でも……あの女が……」
ミレボスの脳裏に、赤い上着を着た女の姿が浮かんだ。
ウィーン。
あの女の操る錘によって、自分は瀕死の重傷を負わされた。
そして、黒雷石まで奪われたのだ。
「……強かった……」
「ほう?」
ガーラが眉を上げた。
「お前がそこまで言う相手か」
「……ええ……」
「どんな奴だ?」
「……武器を……」
「武器?」
「……あらゆる武器を……自在に……」
ガーラは少し考えた。
「へえ。面白そうな奴だな」
「…………」
「他には?」
「……分かりません……」
「分からない?」
「……仲間が……いたはずですが……」
ミレボスは目を伏せた。
あの混乱の中で、誰が誰と行動を共にしていたのか、正確には把握できていなかった。
地下闘技場を失い、黒雷石を奪われ、自分自身も命からがら逃げ延びた。
思い出すだけで、身体が震えた。
「……もう一度……あの女と……」
言葉が途切れる。
ガーラは溜息をついた。
「何も、一人で取り返せとは言われてねえだろ」
「…………」
「俺も行くんだ。少しは気楽に構えろよ」
ミレボスは袋の中から顔を覗かせた。
「……あなたが……?」
「ああ」
ガーラは腰の剣を軽く叩いた。
「一応、これでも剣の腕には自信があるんでね」
「…………」
「まあ、まずは相手の居場所を探すところからだな」
ガーラは本へ目を戻した。
「それと、俺から一つ忠告だ」
「……何でしょう……」
「今度は死にかけるなよ」
何とも投げやりな言葉だった。
しかし、続く言葉にミレボスは目を見開いた。
「俺は、マリア様にお前の監査役を命じられたんだ」
「…………」
「お前がまた失敗したら、俺まで贖罪させられるかもしれねえだろ」
ガーラは心底嫌そうな顔をした。
「冗談じゃねえ」
ミレボスは何も答えなかった。
だが、その気持ちだけは痛いほど理解できた。
◇ ◇ ◇
それから、しばらく時間が流れた。
ミレボスの身体は、徐々に回復していった。
袋の中から聞こえていた肉の軋む音も、いつしか静かになっている。
ガーラは時折その様子を確認しながら、本を読み進めていた。
「……なるほどなあ」
ページをめくる。
「こいつは上手い」
まためくる。
「……ははっ、馬鹿だなあ」
さらにめくる。
やがて、袋の中から声がした。
「……ガーラ」
「ん?」
「……もう……大丈夫です」
「そうか」
ガーラは頷いた。
そして。
「じゃあ、もう少し休んでろ」
「…………?」
「まだ身体が本調子じゃねえだろ」
「……ですが……」
「急ぐ必要はない」
ガーラは真剣な顔で言った。
「無理して動いたところで、また倒れられちゃ困るからな」
「…………」
「ゆっくり休め」
ミレボスは少し驚いた。
ガーラが、これほど自分を気遣ってくれるとは思わなかったからだ。
「……ありがとう……ございます……」
「ああ、気にするな」
ガーラは本へ視線を戻した。
ちょうど、主人公の女魔法使いが、ドラゴンの死骸の中から奇妙な宝物を発見したところだった。
(……さて、こいつは何だ?)
気になる。
非常に気になる。
こんなところで読書を中断するわけにはいかなかった。
「……あの、ガーラ?」
「何だ?」
「……いつ頃、出発を……?」
「そうだなあ」
ガーラは少し考えた。
そして、あっさりと答えた。
「この章を読み終わってからでいいだろ」
「…………は?」
「いや、今いいところなんだよ」
ミレボスは目を瞬かせた。
ガーラは何事もなかったようにページをめくる。
「どうせ、これから忙しくなるんだ」
脚を組み直す。
「今のうちに、読み進めておかねえとな」
「…………」
ミレボスはしばらく、その姿を見つめていた。
マリアに焼かれ、ガーラに助けられ、これから黒雷石を取り戻さなければならない。
自分の命運がかかった大仕事だ。
それなのに。
目の前の男は、のんびりと冒険譚を読んでいる。
(……本当に、大丈夫なのかしら……)
そんな不安が胸をよぎった。
だが、今はこの男を頼るしかない。
ミレボスは諦めたように目を閉じた。
一方、ガーラはすっかり物語の世界へ入り込んでいた。
「……おっ、そう来るか!」
思わず声が漏れる。
何とも面白い。
この作者は、どうしてこんな突拍子もない話を思いつくのだろう。
「……マルタ、か」
ガーラは表紙へ目を落とした。
「一度、会ってみてえもんだな」
そう呟くと、再びページをめくった。
その名を持つ女魔法使いが、黒雷石を奪った者たちと行動を共にしていることなど、今のガーラには知る由もなかった。




