第118話 百十歳、新たな仲間を迎えます
大きな木の陰で、一行はしばらく休息を取っていた。
マルタは木の幹に背を預け、目を閉じている。使い魔たちを同時に使役した負担は相当なものだったらしく、顔色はまだ優れない。
ガルドは周囲を警戒し、カラリンはマルタの隣に座っていた。
セレナは源一郎の傍に腰を下ろしている。
先ほどの告白について、二人はあれから一言も交わしていなかった。
「……そういえば」
そんな沈黙を破ったのは、ウィーンだった。
「あんたたちに見せたいものがあったんだ」
「何じゃ?」
「ミレボスが……いや、あそこの支配人が、こんなものを持ってたよ」
ウィーンは懐から黒い物体を取り出すと、セレナに向かって放り投げた。
「わっ! ちょっと!」
慌てて受け取ったセレナは、手の中のものを見て目を見開いた。
「……これ、黒雷石!?」
「何じゃと!?」
源一郎も思わず身を乗り出した。
セレナの手の中にあるのは、黒く鈍い光沢を放つ小さな石だった。
間違いない。黒雷石である。
その瞬間、源一郎の内側で何かがざわついた。
(……雷葬獣か?)
黒雷石に反応しているのだろう。普段は静かなその気配が、明らかに動揺していた。
「……どうして、これが?」
セレナは黒雷石を握り締め、ウィーンを見た。
「さっき、支配人って言ったわよね?」
「ああ。あの地下闘技場を取り仕切っていた女さ」
「そんな人がいたの?」
「いたとも。あたしは直接会ってきたよ」
ウィーンは何でもないことのように答えたが、その表情には僅かな陰りがあった。
「それで、どうしてその女が黒雷石を持っていたの?」
「さあね。あたしも詳しいことは知らないよ。あの女が持っていたから、ついでに頂いてきたのさ」
「……そう」
セレナは考え込むように石を見つめた。
「あ~そ~こ~の~し~は~い~に~ん~は~」
カラリンが口を開いた。
「……エルフの里の禁域に入り、楔を外した者」
マルタがゆっくりと目を開けた。
「あるいは、そいつらと繋がっていた可能性があるってことさ」
「……そういうことね」
セレナが頷いた。
「その女自身が禁域に入ったか、それとも楔を外した連中の仲間だったか。どちらにしても、無関係とは思えないわ」
源一郎も同感だった。
エルフの里の禁域と、地下闘技場の支配人。まったく別の場所で起きた出来事が、黒雷石によって繋がった。
偶然にしては出来すぎている。
「……そんなに重要なものだったのかい?」
ウィーンが少し驚いたように尋ねた。
「ああ。あんたが思っている以上にね」
マルタは疲れた顔で笑った。
「……よくやってくれたよ、ウィーン」
「お役に立てて嬉しいよ」
ウィーンも笑みを返した。
思わぬところで、黒雷石を手に入れることができた。
地下闘技場では随分と危険な目に遭ったが、これだけでも大きな収穫と言えるだろう。
「それじゃあ、ひとまず帰りましょう!」
セレナが立ち上がった。
「そうじゃな! みんなも待っておるじゃろう!」
「さ~ん~せ~い~!」
カラリンが両手を上げた。
「ああ、そのことなんだけどさ」
ウィーンが遠慮がちに口を開いた。
「迷惑ついでに、あんたたちについていってもいいかな?」
「え?」
「もう、リルートには居られなさそうだしね。あの闘技場で随分派手にやっちまったからさ」
そう言って肩をすくめた。
「店も気になるけど、今戻るのは危険だろうし。しばらく身を寄せる場所があると助かるんだ」
「もちろん! 大歓迎よ!」
セレナは即答した。
「本当かい?」
「当たり前じゃない! あれだけ助けてもらったんだから!」
「……ありがとう。助かるよ」
ウィーンは安堵したように笑った。
源一郎にも異論はなかった。
ウィーンの武器の腕前は確かなものであり、何より今回の一件で随分と世話になった。
仲間が増えるのは心強いことだった。
「それに……」
セレナは何かを思い出したように振り返った。
少し離れたところに、ララカオが立っていた。
先ほどから皆の話を聞いていたものの、自分がどうすればよいのか分からない様子だった。
セレナは彼女の前まで歩いていくと、その両手を握った。
「ララカオ!」
「へ、へえ!?」
「ドワーフの里には、必ず私たちが連れていくわ!」
「……へえ?」
「それまで、私たちのホームに住んでくれない?」
「わ、私なんかが、よろしいんですかい……?」
「いいの!」
セレナは迷わず答えた。
「来なさい! あんまり広くないけど、うちは賑やかで綺麗なんだから!」
「…………」
ララカオは目を丸くした。
やがて、その瞳にじわりと涙が浮かんだ。
「……へえ。ありがとうごぜえますだ……」
「もう! 泣かないの!」
そう言いながら、セレナはララカオを抱きしめた。
ララカオも、おずおずとその背中に腕を回した。
その様子を見て、源一郎は思わず笑みを浮かべた。
地下闘技場に乗り込んだ時には、まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。
ガルドとセレナを無事に救出し、黒雷石まで手に入った。
さらに、新たな仲間が二人も増えた。
もちろん、すべてが解決したわけではない。
黒雷石と楔の謎も残っており、地下闘技場の支配人という存在も気になるところだった。
それでも、今は十分な成果と言えるだろう。
「さあ、帰るぞい!」
源一郎が声を上げると、皆がそちらを向いた。
「ええ! 帰りましょう!」
セレナが笑った。
その笑顔を見て、源一郎は少しだけ胸を撫で下ろした。
先ほどの告白について、まだ何も話せてはいない。
それでも、今は皆で無事に帰ることが先決だった。
一行は再び歩き始めた。
新たな仲間と、黒雷石を携えて。
帰るべき場所へと。
◇ ◇ ◇
天竜教本部。
薄暗い礼拝堂の中央に、一人の女が跪いていた。
銀色の髪は乱れ、衣服は血に染まっている。全身に刻まれた傷は、吸血鬼の再生能力をもってしても、まだ完全には癒えていなかった。
地下闘技場の支配人、ミレボスだった。
「……以上が、今回の顛末でございます」
ミレボスは深々と頭を下げた。
その正面には、白い法衣を纏った一人の女が立っていた。
天竜教の教祖である。
「……そうですか」
教祖は静かに頷いた。
「大変でしたね、ミレボス」
「……はっ」
「あなたは、よく頑張りました」
思いがけない言葉に、ミレボスは顔を上げた。
「……教祖様」
「地下闘技場を失い、黒雷石まで奪われてしまった。それでも、あなたはこうして帰ってきてくれました」
教祖は優しく微笑んだ。
「天におわします竜神様は、お許しになるでしょう」
「……あ、ありがとうございます……!」
ミレボスは安堵した。
失態を責められ、最悪の場合は処刑されることすら覚悟していたのだ。
しかし、教祖は慈悲深かった。
その優しい言葉に、ミレボスは思わず涙ぐみそうになった。
「ですが」
教祖は穏やかな声のまま続けた。
「罰は受けねばなりません」
「…………え?」
「罪を犯した者が、何の苦しみもなく許されてしまっては、魂は清められませんから」
教祖はミレボスへ片手を差し伸べた。
「《吸収》」
その瞬間、ミレボスの身体から何かが抜け落ちた。
「……あ?」
次の瞬間、治りかけていた傷口が一斉に開いた。
「がっ……ああああああっ!!」
肩から、腹から、腕から、鮮血が噴き出した。
ミレボスは床に倒れ、傷口を押さえた。
だが、血は止まらない。
「な……何を……!?」
「あなたの再生能力を、しばらくお預かりします」
教祖は微笑んだ。
「安心してください。日が昇るまでには返してあげます」
「そ……そんな……!」
吸血鬼であるミレボスにとって、再生能力は生命を繋ぐための重要な力だった。
それを奪われた今、身体に刻まれた傷は、ただの深い傷でしかない。
血が流れ続ける。
痛みが全身を駆け巡る。
「お……お待ち……ください……! このままでは……!」
「耐えるのです、ミレボス」
教祖は優しく語りかけた。
「耐え抜くのです」
「ぐっ……ああっ……!」
「その苦しみこそが、あなたの贖罪なのです」
教祖は胸の前で両手を組んだ。
「己の罪を受け入れ、痛みに耐える姿。それは、なんと美しいことでしょう」
その瞳には、一片の悪意もなかった。
彼女は心の底から、ミレボスを救っているつもりだった。
「……どうか……お慈悲を……!」
ミレボスが血まみれの手を伸ばした。
教祖はその手を見つめ、悲しそうに首を振った。
「いけません。ここで救ってしまっては、あなたのためになりません」
「……あ……ああ……!」
「大丈夫。竜神様は、あなたの頑張りを見ておられます」
教祖は満足そうに頷いた。
「では、私はこれで失礼しますね」
そう言って、踵を返した。
「きょ……教祖……様……!」
ミレボスの声が響く。
しかし、教祖は振り返らなかった。
「どうか、よい贖罪を」
穏やかな声だけを残し、教祖は礼拝堂を後にした。
扉が静かに閉まる。
その向こうから、ミレボスの苦痛に満ちた叫びが響いていた。
だが、教祖の足取りが止まることはなかった。




